第十七話
陸上自衛隊会計監査隊第1監査科(外地情報ってホントは市ヶ谷の総務部扱いなんだけど同じ敷地内にあるからこっちに面倒見てもらってます、いろいろと、ね)さんの総務の島で小一時間復職手続き(ホントに育休扱いになってたのよ……)して、ついでに西新宿のオフィス(アレ貿易商装った陸自の関連会社だったって知ってた? 私はもちろん……知ってた)の退職手続きして、清掃員控室戻って服着替えて自転車乗る頃には昼下がり。
練馬春日町まで全速で漕いでお昼ごはん食べる間もなく大江戸線と新宿線乗り継いで市ヶ谷駅。靖国通りを西に少し歩くとグランドホテル市ヶ谷。エントランス入ってくと当たり前のように山下さんがいて従業員通路のほうへ案内してくれる。ソファに座って寛ぎながら辺りを伺ってる会社経営者風味なおじさまは昨日の競馬新聞のおじいちゃんのヒトだ。いちおう尾行確認ってワケね。
ホテルの裏口から出て木立に隠れた古びたドアくぐってメモリアルゾーン直下の薄暗い通廊進んでくとE棟地下の機械室に出る。たまにしか来ないけど相変わらず悪趣味な入館方法よね市ヶ谷って。3Fまで上がると給湯室の並びの更衣室に案内される。
「No.3のロッカーに礼装が入ってます。着替えたらこの先の応接室3に入って下さい」
礼装ねぇ。何年ぶりかしら。私の所属はDIHの外地情報隊だからそもそも制服自体がなくって部隊章とか徽章とかも皆無だからどんな服装でもいいハズなんだけど、流石にハルくん保育園送っていく時の格好(いつもの社員数5人の零細オフィスに行くような恰好)のままじゃマズいって誰かが気を回してくれたのね。まぁ、この礼装が今の体型にぴったりフィットするってことは……母さんね。
応接室3に入ると間髪入れずに情報本部長の宮島真陸将その人が入ってくる。久しぶりにきちんと敬礼。さすがに年季入った答礼が帰ってくる。二佐昇進の辞令が淡々と伝えられる。本部長自らとは恐れ入るわね。
「まぁ、かたくるしい挨拶はこのへんにして、かけたまえ」
そんな優しいコトバとは裏腹に、本部長の口から語られたこの3年間の出来事。私がNGO職員の偽装身分のまま強制送還されて出産してた頃、世界各地に展開していた霞が関(内調=内閣情報調査室)や市ヶ谷(DIH=防衛省情報本部)のインテリジェントオフィサー(外交官や駐在武官として公式に赴任する要員)そしてNOC(民間人になりすまして非公式に潜入する要員)が次々と無力化されていたのだそう。
タンザニアを初め中東・アフリカ各地に展開していた外地情報隊3課(中東・アフリカ担当 私の本来の所属部隊はココ)は要員の半分は回収できたけれど、1課(欧州・中国・ロシア担当)や2課(アジア・オセアニア担当)は9割以上を失ってほぼ壊滅状態。
同じことはCIA(Central Intelligence Agency=アメリカ中央情報局)やCBP(Служба внешней разведки=ロシア対外情報庁)をはじめとする世界各国の情報機関でも起きてて、“事故”で次々と無力化される偵察衛星のコトを併せて概観すると、ここ20年にわたってそれなりに秩序だった推移を見せていたこの“諜報”の世界は、いまや事実上の戦争状態なんだとか。
六本木(ココには中華人民共和国駐日大使館があるのよね)の方々は国内(日本のコトね)での活動も活発化させていて、情報保全隊さんが総力をあげてCI(Counter Intelligence=防諜活動)を展開してるんだけど、市ヶ谷勤めの本部員まで無力化され始めちゃって、彼我の戦力差は開く一方なんだって。
「……8年前。DIHに提出されたあるレポートには、なぜかこうした情勢が全て記されていた。そしてその状況に対抗しうる組織のあり方や部隊の運用方法までもが事細かに、ね」
まぁ、それ書いたのは私で、外地情報隊4課(情報分析担当)自体がそれ見越して作った(実際には上層部たきつけて作って頂いてたんですけどね……)部署だったりするんだけど改めて本部長から聞かされるとこそばゆいわよね。
「そこでだ。我々としては表向きにはDIHの増強に努めつつ、朝霞で再編途上の外地情報隊1課2課ならびに3課を4課と合わせDIHから切り離し、外地展開用の新たな直轄部隊に改組することを計画している。無論対外的には今後も四課編成で進めていくつもりではあるのだが……、どう思うかね?」
まぁ、そこまで全部書いたのも私なんだけど……まさかそれやれって云うんじゃないでしょうね。
「……それとだ、4課の別室……と云ったかな。アレを立ち上げるにあたって陸自の会計監査隊から少々……使い込んでいるのはよもや貴官ではないと思うのだが、どうかね?」
……なんでバレたのよ!? たったの49億よ!! 10式戦車7両分くらい余裕でごまかせるって第1監査科の四本さん豪語してたわよ!!
「……まぁ、蛇の道は蛇、ということかな。“相手の弱点を掴むことこそが上策” 君のレポートの結辞にはそう書いてあったがね」
それにしても、そんな大変なお仕事、子持ちで時短勤務のアラフォー女子にできるとでも思ってんのかしらこのロマンスグレータヌキ。
「この1年半。西新宿の陸自のフロント会社で働いて貰ったのは他でもない、貴官の次の偽装の訓練、ということになるのかな。私も貴官のような育児中の女性が我が国初の対外諜報機関の長だなどという世迷い言、本日を最後に二度と発することはない、と思う」
……マジすか?
「たったの49億47名で本部を出しぬいた貴官の才幹と手腕、これからも期待させてもらう。存分にやりたまえ、柳二佐」
「謹んで拝命いたします」
情報保全隊=自衛隊情報保全隊、陸海空自衛隊共同の防諜組織