第十六話
またこのパターンなのね。ママチャリで乗り付ける練馬区大泉学園町9−4の朝霞駐屯地。用務員さん用の駐輪場から小汚いドアを開けて入った先は清掃員控室。いちおう残ってたロッカーの名札は相も変わらず旧姓のまま。3年ぶりな上に出産経たから体型だってもとのまんまってワケにはいかないくて、新調したユニフォーム(ミドリ安全の清掃員のヤツね)に着替えてご丁寧に清掃カートまで押しながら渡り廊下を通って新館(もう外壁ヒビ入ってるケド)へ。外勤者用のパスを警衛さんに見せて目線は合わせずにアタマ下げてセキュリティチェックゲートの脇の鉄柵開けて入館。
たったこれだけの偽装で監視対象から外されるってんだから、ホント男ってバカよね、どの国も。
外地情報隊4課別室。そっけないプレートが何の変哲もない安普請のドアに貼ってあって片手でヨイショって開けてカート押して入って行くと相変わらずの喧騒が待ってた。
「……ただいま」
「おかえりなさ〜い」
「おひさしぶりで〜す」
階級とか敬礼とか、この部屋の中では何の役にもたたないってトコまで作り上げた私の仕事場。まぁ、ここは基本的に衛星写真見て妄想ふくらませるってだけのセクションだからその邪魔になる要素は全部排除しましたってだけのコトなんだけど、ココまで来るにはそれなりに苦労しましたよ。
私が3年前に片足突っ込んでた中東・アフリカ班(コノ二つをひとまとめとかってドコの天才が考えたのかしらね)は500㎡あるこのフロアの奥の院。入り口近くは北米・南米班と欧州班。オセアニア・太平洋班が北側にあって、大西洋班は南の隅っこに朝鮮班と並んで営業中。で真ん中の一段高いエリアはもちろん中国・ロシア班。
別室っていうからにはガチな自衛官(まぁ私たちだってそうなんですけどね)で構成された外地情報隊4課(通称:夜勤さん)本隊のフロアがこことは別の地下3Fにあるんだけど、そこで拾いきれなかった情報を拾うのがココの主な役割。まぁ、面積的にコッチの方が広めなのは単純に実力と実績と勤務時間帯の問題よね。
このフロアにいるのがなんで全員女性なのかっていうもっともな質問してくる見学の情報担当者さん(全国の各隊から来るの、何故か男ばっか)達には毎回、“現地の作業員たちの生活パターンの変化を居住区の熱源状況から割り出すのに最適な解は家事の経験なんです”って教えてあげるんだけどなかなかお分かり頂けないのよね。
軍事施設の建設とか舗装道路の延伸とかパイプラインの敷設とか資源採掘とか核実験とかミサイル実験とか。その国の軍事力の要になる要素の進化の兆候を捉えるには、その施設を支える作業員の施設の様子を観察するのが一番。何らかの進展があったり実験が近くなったりすると作業員が増やされたり夜勤が増えたりして食堂とか洗濯室とかの稼働状況が変わってくるから、かなり早い段階で偵察衛星の軌道修正して詳細な画が撮れるってワケ。
テロリストのキャンプとか、反政府組織の拠点内の様子とかも、台所事情から読み解けることが地味に多くて、欧州と中東の班員なんかはけっこう感謝状とか貰っててついでに先方(DGSE(Direction Générale de la Sécurité Extérieure=フランス対外治安総局)とかSISMI(Servizio per le Informazioni e la Sicurezza Militare=イタリア情報・軍事保安庁)とかが人気かな)の旦那捕まえたヒトもいる。まぁ身元確認しやすいから……ね。
ここに所属する自衛官の原隊や出自もさまざま。お隣の音楽隊から出向で来てる杉山さん(朝鮮班班長)なんかはレアメタル鉱山の炊事施設の稼働状況譜面にしてチェロで演奏して(ごめんね書いてる私もわけわかんないの)違和感つかみとって労働争議の前兆報告あげてたし、船酔い酷くて配転されてきた海自あがりの袖島さん(オセアニア・太平洋班副班長)なんか何の変哲もない太平洋の写真眺めてるだけで給料貰えるって大喜びしながら夜の海面の夜光虫の分布パターンを解析して(ごめん、こっちもよくわからないのよね、正直)衛星から逃げてるつもりの人民解放軍海軍の艦隊幾度も補足してる。
以前はNRO(National Reconnaissance Office=アメリカ国家偵察局)さんからKH-12(Key Hole 12=アメリカ軍事画像偵察衛星)の写真頂いてたんだけど、撮影のために降ろした低軌道でのデブリとの“衝突事故”が多発して、巨大化&物量作戦で全地球をカバーできてたご自慢の観測網が完膚なきまでに崩壊しちゃって、いまじゃDIH(Defense Intelligence Headquaters=防衛省情報本部)のIGS(Information Gathering Satellite=情報収集衛星)のデータをNROさんに提供してるありさま。まぁ的は小さいほうが当て難いものね。
そもそも私が所属してる“外地情報隊”って本来はヒューミント(現地に要員送り込んで調べるってコト)の組織なんだけど、潜入の経験無けりゃ写真見たってムダだし、写真の見方わかんなきゃ現地行って何見ればいいのかなんてわかんないでしょって提言したのが8年前。そっから書類とかレポートとかたくさん作って予算と部屋確保して人材集めて上役揃えてって、3課の中東・アフリカ駐在の片手間にやってたらあっという間に私の30代は終わろうとしてるワケです。まぁ、最後の3年間は出産と子育てだったから実質5年。長かったわー。
「お、ひさしぶり〜、ってココじゃ初めましてか」
中東・アフリカ班の島にあたりまえのように座ってる営業マン(スーツの胸に付いてる朝霞出入りの什器備品メーカーのネームプレートは“葛西”)風情の洋平。もうね、ナニが起きても驚きませんよ。私だっていいオトナなんですから。
「いや、オレ春香と違ってNOC(Non Official Cover=ノンオフィシャルカバー)だったからさ、偽装は民間勤めだし、雇い主は霞が関だし、な」
いきなり言い訳とかいらないし、こっちだって棒給は市ヶ谷だけど立場はNOCだったし、だいたいからして私置き去りにして先に逃げ出した件はいまだに許せないんですけど!! ……まぁアンタもここの一員になったって知ったのはたった今ですが、ずっと前から知ってました体でお話させて頂きます。
「だいたいナンで男のあなたがこの部屋にいるのよ」
「縦割りの弊害にようやく気がついたんだろ、上も」
洋平がアゴで指した方を見ると脇の会議室からまごうことなき男子が出てきてフロアに散ってゆく。
「な、3年あればいろいろと変わるんだよ」
「ふーん、まぁ、悪くないかもね」
「ところで春香室長さまの席はここじゃないらしいぜ、もう」
「へ? 聞いてないわよ異動なんて」
「異動じゃなくて出世らしいぜ、二佐殿」
まるでサマになってない敬礼してくる洋平。どうでもいいけどなんで内調(霞が関ってことはそうなんでしょ!!)のアンタがウチの人事知ってるのよ!?
「……それ時短勤務できるんでしょうね」
「……佐官クラスじゃ前例が無いって総務が言ってた、だから大変なときは“伯父さん”がお迎え行くんだよ」
伯父さんねぇ……お迎え行くだけだと思ってたら大間違いよ。洋平サン。