第十四話
いよいよ内海化した南シナ海とか、実効支配進むインド洋とか、拡大する一方のタンザニア共和国の版図とか、いろいろとどーでもよくなるくらいにパワフルなハルくん育てるために、お父さんの遺してくれた木造2階建てでお母さんと三人暮らしの春先。
近所の春町保育園の1歳児クラスのすみれ組でハルくんにバイバイすると、そんな私のことなんかそっちのけで窓から見える桜の木指差して“すみれ!!”って大騒ぎ。まぁテベリとヘリコポターは直ったからサクラもそのうち覚えられるよね。
練馬春日町駅から大江戸線(ほんとヘンな名前よね)に乗って西新宿5丁目(清水橋)なんて長い名前の駅で降りてちょっと歩いた先の雑居ビルの4Fのオフィスが今の私の職場。スワヒリ語と日本語の翻訳とか、通関の書類(腹立つコトに最近簡体字混じりなのよ、タンザニア政府公式の書式が!)作成とか、まぁそんなコトやって稼いでる。
それなりに仕事詰まってるけど、6時半には春町保育園戻らなきゃだから、お持ち帰りしておウチで仕事の続きやりながら家事したりハルくんと遊んだりおフロ入ったり。“ばあば”って呼ばれてるお母さんはまだまだバリバリ現役で働いてるから半ばシングルマザーな状態が続いてるけど、最近じゃぁそれほど珍しくもない境遇よね。
洋平とは連絡とってる。そもそも遠藤家とうまくいってなかったからこんな形になっちゃったけど、まぁ一緒にNGOやってた学生の頃みたいな関係に戻ってお互いに利用したり利用されたりって感じ。ケニアとかまだ頑張ってる国とのビジネスが軌道に乗りつつあって、洋平の会社は一時の痛手から立ち直りつつあるんだって。大手だけあって金払いはいいから単発の翻訳とかで結構稼がせて頂いております。
「やっぱりスワヒリ語の微妙なニュアンスとか方言とか文化とかに精通してる人間ってどんなに探してもいないんだよなぁ」
あたりまえでしょ! あの辺りの国なら大体どこでも紛れ込めるくらいのスキルは身に付きましたよおかげさまで!
そんな春先の昼下がり。オフィスに電話がかかってきた。“遠藤春香さまはいらっしゃいますでしょうか?”そんな名前の女はこのオフィスにはいらっしゃらないのですが一応出てみる。
“ブマワ村のコトでお伺いしたいことがありまして、もしお時間よろしければお話しできますでしょうか?”
背筋にゾクッと何かが流れる。あの村の名前を聞くのは久しぶり。失礼ですがどちらさまでしょうか?
“……電話口ではちょっと。実はいま下のマクドナルドにおりまして、できれば直接お会いしてお話したいのですが”
すごくお話したくない感じの声色のオトコは、やっぱりお会いしたくない種類のヤツだった。出された名刺にはもはや懐かしい住所、新宿区市谷本村町5−1。ってコトは私のもう一つのお仕事のコトも把握済みなのね。
「まぁこれでも人選には気を使うタチでしてね。申し上げるまでもないでしょうが」
当然よね。で、市ヶ谷がいまさらナンの用なの? この子持ちアラフォー女子に。
「もう一度復帰して頂きたいんです。今度は管理職待遇で。現地に入って頂くようなことは金輪際ないとお約束できますので……」
「あたりまえでしょ!!」
マクドナルド西新宿店の店内に響き渡る私の声。久しぶりに出たわ。おおかた尉官クラスと思われる男に吹かせる上官風。この道じゃアンタより歴も階級も上なんだからね! まぁ、それはともかく、3年前に退役した私になぜわざわざお会いにいらしたんですか?
「同時期に現地にいた要員は全て強制退去あるいは無力化されましたけれど、あなたの場合は、まぁいわば誤認逮捕の類ですから……」
それってまた現地行けって言ってるようなもんじゃないのよ……もう子持ちなのよ私だって。
「……あの偽装はいまだに部内で語り草になっていますよ。強制送還される際の悲痛なまでの演技とその後の離婚と出産のドタバタ芝居に六本木も時間のムダだと監視を解いたとか」
まぁ実際は悪阻がひどくて吐きそうで記憶飛んでただけのハナシなんだけどね。
「……じつはあなたの退役願いは受理されていないんです。あなたのお母様が握りつぶされてまして」
ちょっと待て。なんで母が出てくんのよ。
「……偽装がお得意な家系なんですね〜」
マジすか?