#06
間髪入れず、要は質問を畳み掛ける。
「考えたことはないのか? この世界の、在り方を」
その言葉に、ぼくは少しだけ考える。この、世界。青く、毎日施設に通い、家に帰り、圭子さんの料理を食べて、そしてそのすべてをベヒモスの塔から提供されてきた。その、在り方。だけど、考えてもこの世界しか知らないぼくには、他にどう答えようもなかった。
「ここはオレにとっての、楽園だよ」
その言葉に要は、どこか含みのありそうな笑みを浮かべた。ぼくの答えに満足したのか、それともどこか思うところがあったのか?
「いつか俺が、お前を導いてやるよ」
教室で共に学習して一年半。ずっと気高かった彼女は、結局最後までその在り方を変えることはなく、そして洗脳されることもなかった。
「もう私は、この街を出るわ」
岸辺江梨。途中でぼくのクラスに加わった彼女は、初めて見た時から華ともいえるもの備わっていた。煌びやかな外見と、高飛車な性格。他の無個性で自発的な行動をしない生徒たちとは違う、自己主張の強さ。むしろこの無機質な街で他の住人たちと同じようにロボットになるための訓練をしていることの方が、違和感があったくらいだった。
「どうして街を……出るんだい?」
要が腰掛けたのとは反対側で仁王立ちする岸辺に、ぼくは問いかけた。ぼくだったら、わからない。この街以外の世界を、ぼくは知らない。この街で生きる以外の術を、ぼくは知らないからだ。
ぼくの真っ当だと思われるその質問に、彼女はそのカールした金髪をかきあげた。
「今までは最低限の生活が保証されてたから我慢してたけど、もう限界。こんな牢獄みたいなとこ、もう一秒だっていたくない」
最低限の生活。この何もしなくても人間としての尊厳を保てるこの日々が、そう思えるのか。我慢しなければ、耐えられないものなのか。
ここは岸辺にとっては、牢獄なのか。
「ここを出て岸辺は、どうするつもりなんだい?」
そもそもこの街から、ぼくたちは出ることが出来るのか?
もしそうなら、少しだけ、知りたい。この何もかもが青い、閉鎖された――ぼくにとっての楽園であり、岸辺にとっての牢獄から。
「そんなもの、出てから考えるわよ。まず、出ることが重要なのよ。それとも鈎束は、何もかも保障されて、決められてないと動けないとでもいうつもりなの?」
とつぜんの、問いかけ。
「――――」
それにぼくは、答える言葉が出なかった。なかった。なぜならぼくは、そんな状況を想定したことがない。だから、その時どうするか、すべきか、そもそも考え浮かぶことが出来ない。
そんなぼくを見て、岸辺は不遜げに鼻を鳴らした。
「言葉も出ないだなんて、失望させてくれるわね。なに? 図星なの? だとしたらそんなの、人間じゃない。ただのプラグラミング通りに動くだけの、ロボットよ」
ロボット。
その言葉がぼくの胸に、波紋を広げた。考えていた。この生活は、まるで機械を量産する工場に似ていると。それでもぼくは、ロボットにはなりたくないと抗ってきた。
なのに、まさかぼくは、自分でも気づかないうちに――
「どうして、残るのよ?」
その問いかけをぼくに残して、彼女が最初に、去っていった。
次の日。ニュースフレームの一面に彼女が殺害された現場の写真が掲載されたの見た時、ぼくの心は真冬の水面のように、凍りついた。
なにかが、おかしい。
あの子を想う。
まったく同じことが繰り返される、ぼくの日常。朝起きて、一階のリビングに降りて圭子さんと挨拶を交わし朝食を頂き、歩行者用エスカレーターを使って無機質な超高層ビルのみが並び立つ青い街を横目に施設に向かい、学習を行い、終え、そしてまったく同じ手順で家に帰り食事を済ませ、眠りにつく。なに一つ変わることはない。そして変える術も持たない。そして岸辺の指摘により、ぼくには変える意思が欠けていたことが判明した。ぼくには岸辺のように、のちのことをその時考えるといったバイタリティはない。だから感受してきたこの世界で、それでも一つだけ、心の拠り所があった。それこそがぼくにとっての世界の中心であり、生きる意味だった。その時だけぼくは、ぼくでいられた。人で、いることが出来る。この、どこか狂っている街で、それを忘れることが出来た。