#35
ぼくたちは、家を出てからずっと何かを話すこともなく、歩いていた。もっと正確に言えば、時折ぼくだけが呟くように未由に語りかけている状況が続いていた。
未由はずっと、ぼくに背中を見せて歩き続けていた。時折不意に、その姿を見失いそうになる。
――この暗い中、なぜ夜色のローブを身にまとっているのか?
未由の考えていることが、わからなかった。
「潔子先輩に、聞きました」
不意に未由は、話し始めた。それにぼくは物思いをやめ、聞き耳を立てる。
「先輩、大変でしたね」
なにが? とぼくは思った。
「ああ……うん、まぁ、確かにね」
曖昧に答えることしか出来ない。
「部活って、なんでやってるんですか?」
質問が、変わっていた。
「なんで、って……」
なんでだろう?
今までのぼくのことは、ぼく自身が既に信用できなくなっていた。だから改めて、見方を変えてみようと思った。
「……たぶん、だけど。何かをしてたかったんだと、思う」
未由は視線を空に向けたまま、それを聞いていた。
「ベヒモスの塔が倒れて、電力の供給が止まって、それで外出禁止令まで出て。ぼくたちもう、施設に行く必要がなくなって。それで、ぼくたち……というよりぼくは、なにもする必要が、なくなった。だけど何もしないなんて状態、考えられなくないか、な?」
言い回しが昔に戻りそうになったのは、ギリギリで元に戻した。
「なにかしてたいんですか?」
未由が背中で問いかけてくる。ぼくは再び考えて、
「……そう、じゃない。いや、そうかな……わからないな。正直最近、参ってるんだ」
ここまできてようやくぼくは、この前話そうとしていたところまで辿り着くことが出来た。
今度は、話してしまおうと思う。
「実はさ……最近、本当参っててさ。こうやって色々なくなって、それこそ住人の自主性になんでも任されるようになったじゃん? そこで暮らしていくと、なんか色々、わかってきてさ……」
「なにがですか?」
「その……自分の、無力さというか」
こんなことを未由に話してしまう日が来るだなんて、考えたこともなかった。
でも、聞いてほしかった。
他でもない、未由に。
「無力さ、ですか?」
怪訝な口調。そこにいつもの嘲笑うような様子はない。
「ああ……無力さ、さ。ぼくは、もう少し自分は、立派な人間だと思っていた。うまくやれるとか、だから出来ない周りの人間はどうしようもないとか、そう思ってたんだ。だけど、違った。実際、こういう状況で、人と協力してなにかをやろうとした時、ぼくは、ぼくが思っていた以上に何も出来ない人間で……酷く、悪い人間だったんだ」
悪い人間だった。
そのことが、何よりぼくを苛んでいた。無能な人間なら、まだ許せる。存在意義がなくても、生きていくことはまだ可能だと思う。
だけど仲間が苦しんでいるのを、いなくなって安心だなんて考えていたやつなんて、もう生きていく価値もないんじゃないのか?
その考えが、ぼくを苦しめていた。
事実だと思う。
「ぼくはさ……友達を、仲間のことを、その、」
「わたしは、ですね」
ぼくの言葉を、何かが遮った。
そう思ったのは、当然一瞬だった。だって何かといったそれは当然言葉で、そしてこの場にぼく以外に人間は一人しかいないんだから。
「思うんですよ」
視線をそのもう一人へと向けると、その背中も顔の向きも変えず、ただ舞台で一人謳うようにその言葉は綴られていた。
「人って、とっても難しい生き物だって。一人でいたら寂しいし、みんなでいたら自由な時間が欲しいと思うし、周りで見てたら凄い簡単そうに見えるのに、いざ自分でやるとちっともうまくいかない。挫折して傷つく心があるのに、乗り越える強さはちっとも身につかない」
具体性があってかつ身に覚えのある言葉の羅列に、ぼくは身を乗り出す。
月下の公園。
あの子はまるで舞台俳優のように、朗々と台詞を紡いでいく。
「そんな不憫な生き物であるわたしたちが苦しいのは、至極当然だと思うんですよ。恨むならわたしは、神様を恨みます。こんな風に作った、神様を」
そして静寂が、公園とぼくたちを包み込んだ。
「……なんていうか、」
ぼくは言葉を選んで、
「さんきゅ、未由……」
「なんのことですか?」
しらを切るつもりなのか?
「いや、その、気を遣わせたみたいで……」
「今のはわたしの、独り言です」
その言葉に、ぼくも未由の視線の先を追った。そこにはグロ青いとでもいうべきなのかその空に浮かぶ、水色の月。
まん丸な、異物。
「いえ、単なる愚痴とでもいいましょうか」
そして未由は振り返る。まるで初めてその容姿を目の当たりにしたような衝動。
この異界の中、その顔だけが白く、丸く――異物だった。
「気にしないでください。なんとなく言ってみたくなっただけですから」
そして未由は、ぼくの返事も待たずに――まるでいつもの昼休みのそれのように、去っていった。その唐突さと自然さに、追うことすら出来なかった。
それはまるで夏の夜の、幻のように。




