#02
口元に、サンドイッチを一つ運ぶ。
圭子さんお手製のそれは、口の中で柔らかく潰れていった。そしてパンの香ばしさ、レタスの新鮮さ、トマトの酸っぱさ、ハムの歯ごたえが渾然一体となって、舌の上で踊った。圭子さんが作ってくれた、ぼくのためだけの昼食だ。もう一口。その有り難味を、噛み締める。
目線の先には、見慣れた中庭の光景が広がっていた。
下草の絨毯が左右に広がり、端の方には目に青色の花々が咲き乱れている。それが自動式のスプリンクラーで撒かれた水を弾き、空から降り注ぐ太陽の日差しを反射し、輝いていた。その後方では、庭を隔てるような形で二つの校舎がぼくの姿を睥睨している。監視されているようで、あまり気分はよろしくない。
そしてぼくが座っているのは、中庭の中央に設置されている噴水のへりだった。
ぼくは昼食は他のみんなと同じように学食に行くことはなく、ここでとるようにしている。幸いそこに強制権はない。規則だらけのこの施設の中での、唯一許された自由だった。
まるでゆっくりと、心が凍りついていくような心地だった。
百人が百人、同じ行動を繰り返すように作られたこの環境。学習内容も同じで、このままぼくたちは同じように造られ、量産され、そしてどこかに出荷されていくのだろうか?
最初こそ、抵抗感でいっぱいだった。だけど最近のぼくは、この状況を受け入れつつあるのを感じていた。慣れというものは恐ろしい。そして気づけばぼくもまた、他のみんなと同じように無個性で無機質なモノになってしまっているのだろうか?
このままロボットになるのだけは、嫌だった。
だから少しでも他と違う行動を。警告されようが余所見をし、学習も少しでも遅らせて、そしてこの時間にはここに来て。ささやかな抵抗を、ぼくは繰り返し。それになにより、ぼくが広いこの施設の敷地内でこの場所を選んでいる理由が――
なにもかもが青い視界の中に、白い物が混じる。
きた――それにぼくは下ろしていた腰を上げ、できるだけ自然にそちらへ向かった。
施設の中庭は、回廊状に配置された校舎の、中央に据えられている。いわゆるコの字型の、口の中というわけだ。その口が広いている一箇所。そこにある校舎と校舎の間を繋ぐ渡り廊下。
そこに、きみはいた。
「よ。今日も、いい天気だね」
渡り廊下を、ひとりの女の子が歩いている。ふわふわのショートボブの髪の耳の上辺りに、花の形をしたヘアピンを付けている。白いフリルがついたゆったりしたワンピースは、ほんのり透けていた。生地が薄いのだ。さらには履いているバレエダンサーじみた靴下とミュールまで純白で、ほとんど童話に出てくるお姫様のドレスじみた出で立ちと、雰囲気だった。
――けど、まぁ。
「……なに言ってるんですか、先輩。気象制御装置が動いてるんですから、いい天気に決まってるじゃないですか」
その訝しげな視線と刺々しさ全開の口調は、シンデレラというよりツンデレラといった感じだったが。
ぼくは苦笑いを浮かべ、
「お前さぁ……先輩に向かってそういう言い方、良くないんじゃない?」
この子はぼくの言葉に、やたらと似つかわしいほくそ笑みを浮かべ――
べしっ、と蹴られた。スカートがめくれあげ、なまめかしい太ももが覗く。
「だったら少しは先輩らしくしてくださいよ。毎回毎回バカなことばっか言ってないでですね」
再び、苦笑い。ぼくがこんな表情をするのは――出来るのは、この子の前にいる時だけだ。誰に対してでも変わることもなく、当たり障りのない、通り一遍等のテンプレートに頼った会話なんかじゃない。皮肉で、生意気で、そして途方もないほど可愛い、きみにしか紡げない、その言い草。
「お前って……ほんっとう、生意気だよな」
「先輩はホントーに、ウザいですよね」
そういって口の両端を吊り上げて無邪気に笑う、この子――三ッ乃未由との会話は、どこまでも、楽しい。
「じゃあわたし、忙しいのでもう行きますんで。先輩は暇そうで羨ましい限りですけど」
「余計なお世話だ。ぼくはぼくで、こう見えて結構忙しいんだよ」
がなるぼくをクスクス笑いであしらって、きみは去っていった。そしてぼくは、再び青く静かな世界に埋没する。噴水のへりに戻り、腰を下ろし、そして圭子さんお手製のサンドイッチを口にする。なんだかさっきよりも、無機質な味がするようだった。
あの子との会話だけが、ぼくの冷めていく心を溶かしてくれた。