#23
だから、こうして会えない日は言いようのない想いに苛まれることになった。自分でもどうしたらいいのかわからない。だから要の部活動に縋るしかない。
それが自分の現状であり。
それが今の自分の、すべてだった。
けれど気分は、悪いものではなかった。
要と街を巡って以来、歩くことにも随分慣れた。自宅までの三十分程度なら、もはや苦ではない。空を見上げる。今日も変わらぬ青空。
機械のようになるための学習は行わなくてよくなったし、鶫たちと人間らしいといってもそう差し支えのないだろうやり取りを交わすことも、そして以前とは違う関係を未由と築き始めていることも。圭子さんの手料理が、保存食の配給品に成り代わってしまったことだけが、残念だった。
そんな気持ちで視線を下ろし、街の様子を見回そうとしたぼくの視線の先に――無造作に背中まで伸ばされた黒髪を、見つけた。
「――――鶫?」
少し、驚く。鶫を施設以外で見かけるのは、初めてのことだったから。
声を掛けようと、駆け寄ろうとして――そういえば、しばらく鶫の家に行っていなかったことを思い出す。ぼくは思い直し、そのまま鶫のあとを追う形で久しぶりに鶫の家を訪ねることに決めた。
楽しげに道をスキップする鶫の、あとに続く。だいたい30メートルほど距離を開けて。そういえば一人の時の鶫を見るのは初めてだったが、いつも通りにとても楽しそうだった。この調子なら、きっとベヒモスの塔が倒壊した時も変わらず楽しんでいたのだろう。
彼女の心を揺らすものは、なにもない。
唯ひとつ、おそらくは彼女の唯一の肉親である――
「ただいまー」
鶫が大きな無邪気な声で、帰宅を告げる。だけど返事はない。やはりおばあさんの体調は、あまり良くないのだろうか? ぼくは考え、あまり長居はしないようにと心に留めて鶫のあとを追って、家の中に入った。
「鶫。久しぶりに遊びに来たんだけど……」
そこでぼくは初めて、二つの異変に気づいた。
一つは、部屋全体が異様に暗いということ。これはこの夕暮れ時に電気を点けていないということに加えて、カーテンも閉めていることが原因のようだった。そしてもう一つは、部屋の中が異常に静まり返っているということ。
「……鶫?」
返事はない。
ぼくは恐る恐る足を踏み出し、部屋の中へと上がった。そのの奥、ベッドがある手前の位置に、人影がある。それに向かってぼくは歩いた。なにか、変な匂いがした。料理にでも失敗したような。だけど今の食事事情は、配給制だ。どういうことなのだろうか?
その背中に、声をかける。
「鶫? おばあちゃ――」
そこで背筋が、凍りついた。
ベッドの上に、蝿がたかっていた。
「つ、鶫…………」
「透ちゃん」
不意に鶫が、振り返った。それにぼくは、まともに動揺する。その瞳に、光が――なかったから。
喉がカラカラになりながら、ぼくはその疑問を口にする。
「おばあちゃん……一体、どうして?」
「なにがぁ?」
その瞳が細められ、頬が緩められ、口が開かれ――そこからだらしなく涎が、糸を引いた。
満面の――壊れた、笑顔。
おかしい。なにかが。なんで。どうしてこんなことに、なっているのか?
わからないままぼくは、帰路に着いた。どこをどう帰ったのかも覚えていない。現状を変えるのは、簡単ではない。ぼくにはその意思も、そして勇気も持ち合わせてはいなかった。
ただ忘れようと、頭から毛布を被った。
現状を変えるのは、簡単ではない。
「透。オレの言ったことを、覚えているか?」
死にたいわけじゃない。要の言うことを信じていないわけじゃない。その証拠にあの日以来、ぼくはずっと実践してきた。思考の細分化。記憶の連続化。カテゴライズの撤廃。それによりぼくの毎日は、明るく開けたものになってきた。それに関しては心より感謝している。だけど、要と付き合うわけにはいかなかった。
要の具体的な話に、ぼくは聞き耳を立てる。要はこちらに視線を送り、
「先送りにしては、何も為すことは出来ない。お前には何度も言ったことだ。考え、整理し、自分が何をしたいのかまとめあげ、それに沿った行動を取るべきだと。お前が見ている現状は、どんなものだ?」
考える。
「世界は、徐々に眠っているようだ。都市機能は停止し、人々は姿を消して、残る友人たちは自分本来の姿を取り戻しているように……?」
ダメだ。うまく言語化できない。慣れていない。能力が足りない。だから起承転結がうまく出来ない。そんなぼくに要は、
「それで。その現状に対してお前が行っていることは、なんだ?」
「…………」