#16
あの子がその態度を変えた時、ぼくの心は闇に包まれた。
ぼくは、あの子と話したかった。日々生きていく糧が、それだった。その日一にちが、生きていて素晴らしかったのだと思いたくて、そのための唯一の方法があの子と語らい、あの子の笑顔を見ることだったのに――ぼくは、自問自答した。
ぼくじゃ、ダメなのか?
ぼくじゃあの子の相手として、ふさわしくないのだろうか?
悩みに悩んで、苦しんだ。ぼくはあの子のことが、本当に好きだった。心から、大好きだった。正直、愛の意味も知らないけれどレベルとしては愛しているといってもいいぐらいのものだった。だから――たとえぼく自身が原因だとしても、あの子のことを苦しめることだけは、したくなかったけど――
いつもと同じ時間、ぼくは中庭にいた。
以前は昼休みと呼ばれていた午後12時25分に、中央に設置されている噴水のへりに腰掛けている。過去、この場所で昼食を取りながらぼくは、様々な想いに頭を巡らせてきた。まるでロボットになるための行程のような、施設での日々への疑問。繰り返される単調な生活の、日々の意味。優しくて何でも出来て包容力がある、完璧すぎる義母である圭子さんへの複雑な感情。その環境の中での自分の位置づけを、定義づけを。
そんな中でも探した、自分の価値を。
そしてなにより、あの子のことを。
――――未由……
思う。
会いたい。
会いたくて、たまらない。思い返されるのは、ベヒモスの塔倒壊以前の日々。当たり障りがなく手応えもない欺瞞だけが繰り返される空虚な日々の中でも、あの子と皮肉い合って罵倒し合って、そして共に笑い合えたから。欺瞞の中で、心を込めた欺瞞を重ねることが出来たから。
それこそがぼくにとって、唯一の生の実感だったから。
指を組み、俯いていた視線を、上げる。
そこには誰も、いなかった。当然だった。もうここには、何もないのだから。既にデスクトップ型のパソコンは、その全て沈黙するだけの単なる何の用途もない箱へと変貌していた。モニターも、何も語らない。その上住人へは、中央から、外出は極力控えるようにとのお触れが出ていた。配給品とともに手紙という、なんともレトロな方法で。
それによりこの施設どころか、もはや街そのものが既にゴーストタウン状態に陥っていた。早かった。それこそあっという間だった。みな家に引きこもり、そして二度と出てこなくなった。優秀なロボットになるために日々モニターに従うということを繰り返してきた住人たちは、その命令を忠実に実行した。
だけど、あの子は違うと、思いたかった。誰もが同じように青いこの世界で、ただ一人他の色を纏っていた。自分の意志に基づいた、自律行動を取っていた。そこにぼくは、期待していた。
だけど、現れない。それにぼくは頭を下げ、両手で抱えた。結局あの子も、他のロボットのような住人たちと一緒だったのだろうか? それとももう、このように現れないという事実が――今のぼくとの関係を、距離を、雄弁に物語っているということなのだろうか?
未由……
「未ぃ由ちゃんっ」
「わ」
そんな思考の底に沈んでいたぼくの耳に、識別不能な二つの声色が、飛び込んできた。
それにぼくは閉じていた瞼を開き、顔を上げた。声の発生源は、いつもあの子が通っていた、渡り廊下。
そこに、悪戯が成功した母親のように顔をほころばせた潔子ちゃんがこちらを向いて立っており、その手前に――"黒い"ドレスローブをまとった"あの子"が、どこか困惑したように表情を曇らせて、立っていた。
体が、震えた。
「――――」
思考が、停止する。緊張感に、全身が金縛りにでもあったように動かなくなる。それも仕方の無いことだ。なにしろこの子と会うのなんて、二週間近く振りのことなのだから。
「――――」
それでもぼくは、本能と危機感に急かされるようにゆっくりと、腰を上げた。そして一歩づつ確かめるように、二人に近づいていく。握り締める掌が濡れている。今までの反省を思い出し、肝に銘じる。
「――よ、よぉ。ひ、久しぶりだ……"ね"、未由。元気、してた」
――か?』みたいな偉そうな言い回しは、控える。今までやったことがない、丁寧で持って回った言い回し。考え抜いた結果が、これだった。
なにかぼくに、落ち度があったのではないかと。その末に、ぼくの先輩面した態度だったのではないか、と。この子も無邪気な子供から成長し、女性になる過程でそういうものに敏感になったためではないのか、と。
なのに――
ふい、と目を逸らされる。