第18話 レイドル帝国の姫君
ガチャリという音を立てて目の前の馬車の扉が開き、一人の女が降りてきた。
白色の髪に、純白のドレスのような服装をした全体的に白い印象を受ける人物だった。
女は薄い茶色の瞳で俺を認識すると優雅な足取りで真っ直ぐ歩いてくる。
そして俺のすぐ目の前まで来るとリードに向き直った。
「アルテイシア様、遅くなって申し訳ありませんでした」
アルテイシアと呼ばれた女より先にリードが膝を地面につき頭を垂れた。
この人がこの国の姫か。確かに彼女の動き一つ一つに気品があるような気がする。
そしてなによりオーラと匂いが他の人間共とは段違いだ。
香水でも付けているのか、彼女からはふんわりとした甘い香りがした。
「いえ、構いませんわ。私が早く来たのですもの。
それより、こちらがリードの?」
アルテイシアは俺の眼を見つめながらリードに質問する。
「はい。これが私の契約獣のチロです」
「チロです。宜しくお願いします」
俺は出来るだけ失礼にならないように丁寧に自己紹介をする。
「まあ、本当にお話しができるのですね。
私はアルテイシア・ヴィル・レイドル。この国の姫で、次期王女候補ですわ」
俺はアルテイシアの圧倒的な上級階級のオーラに屈してリードと同じように頭を下げた。
正直どうしていいか全くわからん。姫なんか会った事ないし、そもそもこの国の常識がまだよくわかっていない。これで機嫌が悪くなって即処分なんてことになったら、たまったもんじゃない。
とりあえず頭を下げておけば多少失礼があっても狼だし許してくれるだろう。
「フフフフフ」
俺が頭を下げていたら、頭の上から綺麗な笑い声がしてきた。だが、この笑い声はアルテイシアのものだろうか? 声は一緒だが、雰囲気が全く違うような……。
「もう。やめてくださいリード。私はこれ以上耐えられませんよ」
俺は顔を上げると、アルテイシアからはさっきまでの威厳というか、お堅いオーラが霧散していた。
ん? なんだ?
「アルテイシア。自分がやり出した事なんですから、最後まで責任もってくださいよ」
「おい、リードてめぇ……」
「あらあら。ごめんなさいね。別に悪気はなかったの、でもいきなりリードが頭なんて下げるから。ついね」
そう言って笑うアルテイシアはもう姫の仮面なんて被っていない普通の魅力的な女性だった。
「おい、リードどういうことだ?」
「いえね。アルテイシアの態度がいつもと違ったので私もやらないといけないのかと思いましてね」
「私は初対面の方と話す時はいつもこうしているつもりですけど?」
俺を置いてきぼりにしたまま二人は見つめ合って笑っていた。
リードはアルテイシアとそんなに仲がいいのか?
そりゃあリードも騎士団の三席で副団長だが、相手は一国の姫だぞ?
リードの対応は妹と話をしているみたいに親密な関係に見える。
「アルテイシア様とリードは仲がいいのですね」
俺は恐る恐るアルテイシアに話しかける。
「チロもアルテイシアで構いませんわ。
ん~そうですね~。妹になりそこなったというところでしょうか?」
アルテイシアは俺に笑顔でそう言った後、意地悪な笑顔でリードを上目遣いで見つめる。
「やめてください。私はエメリアとはそういった関係ではありませんよ」
「姉さんはそう思っていないみたいですけど?」
「私にはもう、妻もいますし娘もいます。お許しください」
「しょうがないですわね。これくらいにしておいてあげます」
そして、アルテイシアとリードはまた見つめ合って笑っていた。
一体なんだというのだ。
他の騎士団の奴等もこの二人の間には割って入らないし、エーチですらニヤニヤと笑うくらいにとどめている。
確かにこんなに仲のいい雰囲気に割り込めないわな。しかも片方姫なわけだし。
それから、リードはアルテイシアと談笑した後、騎士団員に指示を出した。
どうやら出発するらしい。
アルテイシアも馬車へ向かっていった。
俺はリードに話しかけた。
「後で色々説明してもらうからな」
「できればしたくないですね」
「それは無理な相談というやつだな。他にも聞いておきたい事も山ほどある」
「わかりましたよ。夜にでも時間をとりましょう」
「で、俺はお前らについて走るのか?」
「いえ、チロは馬車の中でアルテイシアの話し相手をしてください」
リードは当然とでもいいたそうな顔で俺に言う。
「は!? 俺がアルテイシアの話相手?」
「チロが外に出ている状態で襲撃にあったら大変ですからね」
どうやら俺はこの護衛チームでは足手まといのようだ。
俺が外に出ていたら守る対象が増えるだけってことか……。
それに、リードに念話で指示をするなら馬車の中が一番か。
「ほら、チロ出発しますよ。早く馬車に行ってください」
「お……おう……すまんな」
「いえ、チロには期待していますからね。宜しくお願いします」
そういうとリードはゲイルが連れている馬の片方に乗り、他のメンバーの元へ向かっていった。
俺も少し自分に落胆しながら、馬車に向かった。
馬車に着くとアルテイシアは進行方向に対して後ろ側の長椅子の様な造りのものに腰かけていた。
俺もアルテイシアと対面する形で地面にお座りの体制をとる。
幸いにも進行方向側には長椅子の様なものはなかったので広々と空間が使える。
この辺はアルテイシアが気を使ってくれたのかな? リードはそこまで気が回らないだろう。
とりあえず感謝でも述べておくかな。
「わざわざ申し訳ございません。気を使って頂いて」
「いいえ。構いません。畏まらないでくださいな。長旅になるのですから窮屈なのは辛いでしょう?」
やはりアルテイシアがやってくれたらしい。気遣いが上手な人なんだな。
今回の任務は姫の護衛だが、一週間程の日程が組まれている。
なんでも和平交渉をするために姫がわざわざ隣国まで出向くそうだ。
片道三日の向こうで一泊、帰りで三日でなかなかの重労働だ。
姫とは六日もこの空間で一緒なんだから仲良くしておいた方がいいな。
「ありがとうございます。助かります」
「チロ。私には敬語でなくても構いませんよ。リードの契約獣なんですから」
そういうものなのかな? この世界の常識にはいまいち馴染めないな。
それとも気を使ってくれてるのか?
でもまあ、その方が俺も助かるか……。
「じゃあ、アルテイシア長い旅だがよろしく頼む」
「ええチロ。こちらこそ色々話を聞かせてくださいな」
アルテイシアはふんわりとした笑みを俺に向けた。
なんでこうリードの周りって容姿端麗な人が多いんだ?
アイナ然り、アルテイシア然り、キュシアも中々の美人だったな……。
それに、エリスだってきっと美人に成長するはずだ。
羨ましい!!
「アルテイシア様、そろそろ出発するそうです」
「はい。わかりました」
御者がアルテイシアに向かって言った。
アルテイシアも特に緊張している訳ではないし、慣れっこなんだろう。
ちなみに俺は馬車なんて乗るのは初めてなのでドキドキしている。
すると馬車はゆっくりと動き出した。
ガタゴトと石を弾き飛ばしながら進んでいるのだろうか、ゆっくりながら結構揺れる。
狼って人間と同じように乗り物酔いするのかな?
人間だった頃はそんなにしなかったように思うが体が変わってるから正直どうなるかわからんな。
「あらチロ。緊張してるの?」
俺の顔、強張ってたかな。
正直少し前脚踏ん張ってたのかもしれんな。
「馬車は初めてなんだ」
「あらそうなの?」
「狼だからな」
「それはそうね。フフフフフ」
そう言ってアルテイシアはゆっくり笑っていた。
ん? 待てよ?
「アルテイシアは俺の事どれくらい知ってるの?」
俺がそう言うと、アルテイシアは俺の耳元に近づき内緒話をするかのように言った。
「元人間とは聞いています。信じられませんでしたが、どうやら本当のようですね」
あいつ……。言いやがったな!!
アルテイシアがもし、俺を研究機関に突き出そうとしたらどうすんだ!!
本当に無計画すぎて腹が立つな。
でも、アルテイシアという人間を知っているからこそという事も考えられるな。
そんな事を言わないとわかっていて言ったのかも……。
いや、ないな。たまたまだろう。
「アルテイシアはリードと本当に仲がいいんだな? 兄妹みたいだ」
「そうね。話していると気が休まるくらいには長い付き合いね」
「もし、良かったら話を聞かせてもらっても?」
「ええ。いいわよ。これから先は長いしね。ゆっくり話しましょう」
そう言って、アルテイシアはどこから話しましょうかと言いながら頬っぺたに人差し指を当てていた。
そして少し悩んだ後、彼女は喋り出した。
「リードと初めて会ったのは私が7歳の頃だったわ。その頃のリードは騎士になり立てでまだ若かったのよ」
「へー。リードって元々騎士だったんだな。俺はてっきり冒険者上がりだと思ってた」
「うん。リードはそのころから剣の腕が凄いからって王宮の護衛についてたのよ」
才能ある若者ってやつか。
「そういえば、チロはもう姉さんとは合った?」
「姉さんってさっきリードが言ってたエメリアって人の事? 俺はまだ会った事はないな」
「あらそうなの? じゃあ姉さんの話からしなくちゃね。
姉さん――エメリア・ヴィル・レイドルはレイドル帝国を守護する光翼騎士団の第一席で騎士団の創始者でもあるわ」
「って事はエメリアさんってめちゃくちゃ強いの?」
「そうよ。この国で一番強いのは間違いないわね」
「リードよりもか?」
「戦ってるのを見た事はないけれど、リードは絶対勝てないとは言ってたわね」
まじか……。
リードが絶対勝てないってかなりヤバイんだな。
「じゃあ、なんでここにいないの?」
「フフフ。それはシューリアに姉さんが入れないからよ」
アルテイシアは少し面白そうに笑いながら言った。
シューリアってのはこれから行く隣国だろう。
「それはなんで?」
「姉さんはあんまり理性的ではないのよ。暴れられたら誰も手に負えなくなっちゃうからね」
「なるほど」
遠回しな表現だったが、キレやすくて、いざキレたら誰にも手に負えないから隣国から出禁くらってますって事か。
過去にシューリアで暴れたんだろうな。アルテイシアの表情を見る限りかなりの被害が出たのだろう……。
「でもそのエメリアさんも姫なんだよな?」
「それがね。姉さんは姫という立場を捨てたの。家出と言っていいのかわからないけれど」
「え!? 王宮も出たの?」
「そうなのよ。反対する両親を押し切って、冒険者になるっていって出て行ったのよ」
「そりゃあ良い性格してますね」
「ええ本当に」
どうやらエメリアという人はなかなかのお転婆娘だったらしい。
両親の反対を押し切って冒険者か……。ってか両親って国王と王妃になるんだよな。
行動力半端じゃないな。第一席。
「それで、王位継承権を唯一持つ存在になったと?」
「そういう事です。リードはその飛び出していった姉の護衛をしろという王命に従って姉と一緒に冒険者になったの」
「ああ。それでリードも冒険者になったのか」
リードもなかなか大変な人生を歩んできたんだな。
「それから十年程して姉とリードは帰ってきたの」
「十年!?」
「ええ。たまに私にこっそり会いに来てたりはしたんだけど、私の両親に顔を見せたのは大体十年ぶりくらいじゃなかったかしらね」
「王様めちゃくちゃ怒ったんじゃないの?」
「父様より母様が怒っていたわ。私は遠目で見ていただけだけど」
「そりゃそうだわな」
「でも姉さんはそこで騎士団を新たに創設してこの国を守ると言って母様を納得させたの」
「それで納得するものなのか?」
それはそれでどうなんだ? 親として……。
「それは姉さんとリードがラームを持って帰ってきたからよ」
「ラーム?」
「ラームは圧倒的な力のある者にしか使えないと言われている伝説の武具なの。
それを持つ物は一国の戦力に値するという言い伝えもあるわ。
だから、母様も受け入れるしかなかったのよ。
それを拒否したらまた姉さんの事だから出て行っちゃうだろうしね。
それだったらこの国の中で騎士団を立ち上げてもらった方が色々スムーズになると母様は考えたんでしょうね」
「なるほど。それで光翼騎士団が出来たと」
「そういう事ね」
「そのラームってリードが背中に背負ってるあの大きな盾のこと?」
「そうよ。あれが『光壁グランデュリス』。絶対守護の盾と言われているわ」
「あれか。確かに凄そうな盾だな」
てか名前かっけえ。俺のネトゲデータベースで考えたら超高レベルのネームドモンスターのレアドロップくらいの強そうな名前じゃねえか。すげえな欲しい。
「ちなみにエメリアさんのはなんて言う名前なの?」
「姉さんのは『翼天弓フェンシュミール』。使ったのを見た事はないけれど、噂では山一つ吹き飛ばす威力らしいわ」
「凄まじいな。ああそれで光翼なわけか」
「ええ。その二つは数あるラームの中でも結構名が通った物だからね。それを前面に押し出した騎士団が守る国と戦争をしようと思う国はないでしょうね」
「抑止力としてはこれ以上のものはないという事か」
「それから和平交渉を持ちかけてくる国が増えて大変よ」
「ご苦労様です」
その後、少し間をおいて俺はアルテイシアと笑い合った。
なんか少し距離が縮まった気がする。話題提供ありがとうリード、と頭の中で感謝しておいた。
そういえば……。
「それでリードとエメリアさんは十年程一緒に旅をして恋仲に?」
「ん~。姉さんは絶対リードの事好きだったと思う。姉さんの性格を考えると伝えているとは思えないけどね」
「リードも鈍感そうだもんな」
「リードはきっと妹として見てたんじゃないかな? 本人もそう言ってたわ」
「そこにアイナが現れてリードと恋に落ちたと……」
「そう。アイナさんじゃなかったら姉さんも許さなかったでしょうけど、アイナさんならしょうがないかな」
「アイナとアルテイシアは知り合いだったの?」
「私は違うわ。この街に来てから色々お話はしたけどね。でも、姉さんは知ってたみたい。冒険者時代の知り合いなのかしらね? でも、リードはこの街で初めて会ったって言ってたしその辺は良くわからないのよ」
「ふーむ。謎だな。今度アイナに聞いてみよう」
「報告待ってるわ」
「おう」
そして俺とアルテイシアはまた笑い合ったのだった。
リードとエメリアとアイナ。そこに何があったんだろうか。
割とこういう話は嫌いではない。
誰も傷つかない程度に今度聞いてみるか……。
チロの脳内には現地の言葉のニュアンスを一番近い日本語に翻訳する機能があります。(第1話より)