第15話 母として冒険者として
朝は少しセンチメンタルな気分になる。
この家の者は誰も起きていない。
俺はリビングの窓から射す朝陽に包まれながら頭をゆっくりと考える。
母さんとツー、スリーが死んだ。
その前にもまだ名前もない兄弟が三匹死んだ。
どれも人間にやられた。
人間が憎い。
あいつらは何も考えていない。
ただそこにいるからという理由で俺達に仇なす存在になる。
狼の皮が必要だからという理由で殺しにやってくる。
酷い奴なら自分のレベルを上げるために殺す。
理由なんてその程度。
人間は簡単に殺せる対象としてしか俺達を見ていなかった。
だから殺した。
俺達は降りかかる火の粉を払っただけだ。
それなのにこうなった。
俺は知っている。
人間にも種類があることを。
良い人間と悪い人間。
それは俺達にとって都合の良い人間と悪い人間ということになってしまうが、それでも悪い人間だけを狙って殺したつもりだ。
俺たちのテリトリーに入ってきて森を荒らし、仲間を攻撃するものを狙った。
……。
そうでもないな……。
俺はあの無害そうな学者を殺してしまった。
こんな言い訳も通用しそうもないな。
俺は人間から見れば悪い狼だったのだろう。
だから、戦い、敗れ、そして母を失った。
母の事を思うと人間が憎くて憎くて仕方がなくなる。
俺はこんな感情を抱えて三ヵ月間このリード邸に飼われている。
この家の人間は皆良い人だ。
だからたまに人間への怒りを忘れそうになる。
俺が元々人間という事も影響しているだろう。
エリスやアイナと話をしていると人間に戻ったような気になってしまう。
だが、朝になるとそれがリセットされる。母、ロニ、ペコ、他にも色々な森の出来事を思い出す。
その度に人間への怒りが湧いてくる。
だけどそれをエリスやアイナにぶつけたくはない。
エリスやアイナは特別だ。彼女達は俺を受け入れてくれて良くしてくれた。
彼女達を守りたいという感情が俺の中にはある。
もはや家族といって問題ないだろう。ペコやロニは怒りそうだがな……。
リードは……そうだな。別に守りたくはないな。むしろ守られてるし……。
でも俺はアイツをもう恨んではない。
確かに、アイツのせいで――アイツの愛弟子のせいで母さんが死んだ。
その代わりに俺はアイツの愛弟子を殺した。
それで水に流そうと思う。
アイツの思考回路は少しおかしい。
合理的なのだが、感情にも揺れやすい。でも戦いでの死はしょうがない事と割り切っている。
アイツの過去に何があったのかは知らないが、普通の人間ではない。歪んでいる。
それでも、何故か俺には心を許してくれているような気がする。
確証はないがそんな気がするのだ。
俺はこうして森の事を思い出す度に人間への憎しみの炎を消火する。
人間への怒りは無くしてはならないとは思うが、ここで生活するには邪魔だ。
今の俺の守るべき対象は人間になった。
だから今はそれに順応するしかない。
そう考えたところで俺のセンチメンタルな時間は終わりを告げた。
「チーロー。おはよ~」
エリスが階段を降りてきた。
「おはよう。エリス」
リビングに伏せたままの俺は顔だけエリスに向けて朝の挨拶をする。
するとエリスは俺の正面にやってきて、首に腕を回して抱き着いてくる。
「チロきもち~。だいすき」
そういってエリスは俺の横顔に顔をくっつけてキスをする。
彼女のふんわりとした太陽の匂いがする。
それだけで先ほどの感情は薄れ優しい気分になれた。
今の俺の守るべき対象。
もう何も失いたくない。彼女とアイナは俺が守って見せる。
俺は静かにそう決意をしなおす。
そこからエリスに朝のもふもふをされてから、一緒に大人達が起きてくるまで遊んだ。
お馬さん(狼ですけど!!)ごっこをしたり、小さい球をエリスが投げて俺がそれを取りに行くという犬っぽい遊び。俺はそこまで楽しくなかったが、エリスが喜んでいるので俺はそれが見たくてハイテンションで付き合ってあげた。
そうして遊んでいるとリードとアイナが仲良く階段を降りてきた。
「チロおはよう。朝からごめんなさいね」
「おはようございます。朝から君も元気だね」
二人はそう俺に声をかけると、アイナはキッチンへ向かい、リードはダイニングの椅子に腰を下ろした。
俺はエリスを背中に乗せてやり、リードの元へ向かう。
「おはよ~ございます。お父様」
「はい。おはようございます。エリス」
リードはそう言うとエリスの頭をポンポンと撫でた。
エリスは嬉しそうにきゃっきゃと喜んでいる。
俺はエリスの椅子をテーブルから抜き、そこにエリスを座らせる。
「ありがとう、チロ」
「おう」
俺は短く返してリードの近くにお座りの体制になる。
「今日も事務仕事か?」
「そうですね。でも、明日からは少し違う仕事になりそうです。
明日からの任務はチロにも来てもらわないといけないかもしれませんね。
詳しい事は今日の会議で決まる予定ですので夜にでもお話しましょう」
「おう。俺は構わないがエリスが離してくれるかな」
「明日は重要な任務になりそうでね。エリスには我慢するということを覚えてもらいましょうかね」
「そうか。頭には入れておく」
「そうしてくれると助かります」
「はいはい。朝から難しい話してないで、ご飯食べましょう」
そういってアイナがキッチンから朝ごはんを運んできた。
俺の前にはお皿と肉塊が置かれる。
俺はそれを有難く頂戴した。
朝飯を食べたらいつもと同じようにエリスと遊び、アイナとエリスと一緒に買い物に出かけてお昼ご飯まで時間を潰す。
お昼にはリードが帰ってきて一緒にご飯を食べてまた出ていく。
そんな何事もない平穏な日常が結構気に入っている。
人間を追いかけて狩る日々も嫌いな訳ではないが、ゆったりと落ち着いた空気が流れているこの家が好きだ。
この世界はネトゲのようにレベルだけが全ての血生臭い世界ではなかった。
ここでも一人一人が意思を持って生活をしている。
もっと俺に力があって、ロニとペコが人語を話すことが出来れば、この街で一緒に生活することもできるのかな~と考えたりもしている。
まあでも、それには壁が多そうだ……。
出来たとしてももっと先の話になるだろう。
今はロニとペコを守るためにエリスをちゃんと守らないとな。
俺はエリスにお昼のもふもふをされながらそんな事を考えていた。
やがてエリスはいつも通りに俺の腕の中でうとうとし出した。
俺はすかさず背中をポンと優しく叩き忠告してやる。
「また、お母さんに怒られるぞ」
「ん~でも、チロはおふとんよりあったかいよ?」
「そういう問題じゃないと思うんだけどねえ」
俺はどうしたものか考えて少し眉間に皺を寄せてしまった。
それを見たエリスはむ~んと考え事をしている表情を浮かべている。
本当に考えているのかはよくわからんがな。
「俺はお母さんの言いつけを守る良い子のエリスが好きだな」
俺がそう言うと、む~んをやめた。
「ほんと? じゃあそうする」
そう言って、エリスは立ち上がり俺の黒い毛を払い、
「わたしもチロだいすき!!」
そう笑顔で宣言して階段を昇って行った。
天使だな。
うん。天使だ。
いや違うよ。ロリコンじゃないよ? 俺狼だし。
そう母性本能だ。狼の雄には人間の男よりも母性本能が多く搭載されているに違いない。
それに、エリスは俺の守る対象でもある。愛おしく思えば危ない時、守る力が強くなるかもしれないしな。俺は精神に働きかける作用まで計算してエリスを愛でているのである。
「あらあら、チロも狡い手を使うようになったのね」
そんな俺にアイナがキッチンから声をかけてきた。
俺はキッチンに移動しながらアイナに返答する。
「狡いなんて、僕はエリスがいい子になるお手伝いをしたいだけですよ」
「ふふん。じゃあそういうことにしておくわ」
アイナは昼食の片づけが終わったのか、手を拭いていつものリビングのソファーに向かった。
俺もそれに従いリビングの絨毯の上に伏せて話を継続する。
いつもはアイナから世間話が始まるのだが、今日は俺から話題をふろう。
「エリスも将来は冒険者をさせるんですか?」
「ん~どうかしらね。 私個人的にはやって欲しくないわね」
「それは経験からですか?」
「そうよ。あの子がどう成長するのかは、まだわからないけれど。
それでも危ない世界だからね。やらせるならしっかりと訓練してからかな」
アイナは元冒険者だ。しかもS+級と言われる冒険者の中でも一握りしか到達できない高みに若くして上り詰めた天才だ。
通り名は『鮮血』という非常に短くわかりやすいものだそうで。
彼女と戦場で出会ってひれ伏さなかったのはリードだけだと言われている。
その戦いでリードに負けたアイナは彼に惹かれ逢瀬を重ねた結果、結婚に至ったという話を聞いている。
結婚した後のアイナは随分と丸くなったと言われたそうだ。
確かに俺から見ても今のアイナと『鮮血』の通り名は一致しない。
どちらかと『陽光』みたいな晴れやかな周りを幸せにそうな名前をプレゼントしたいところだ。
俺は元ヤンでレディースの総長やってたけど今は優しいお母さんみたいなイメージで勝手に納得している。
「血統は折り紙付きだと思うんですけどね」
「まあね。私とあの人の子供だから、才能はあるかもしれないわね。
でも、もし本当に冒険者になるならチロと一緒じゃないとダメっていう条件にしようかしら」
「え~」
「あら~不服かしら?」
「エリスの命は重すぎますよ」
「そうかしら……チロはエリスの事を命を懸けて守ってくれそうだけど?」
アイナは少しからかっているようなそんなお茶目な笑顔で俺に問いかけてくる。
「守りますけど、守りきれるかどうかは分からないです」
「そうねえ。じゃあチロもしっかり訓練しないといけないのね」
アイナの笑顔は美しいがその眼は一切笑っていない。
本気でエリスを冒険者に仕立て上げる算段を頭の中で組み上げているに違いない。
『鮮血』の訓練……。うん。受けたくない。死ぬギリギリまで追い込まれそうだ。
俺が困った顔をしていると、アイナがふふふっと笑って冗談よと言った。
「あの子が本当に冒険者になりたいって言ってから考えることにするわ」
そう言って笑顔を作っていた。
そんな時、俺のセンサーに何かが引っかかった。
速い。 凄い速度でこっちへ向かってくる。
なんだこの方向。家の屋根の上でも走っているのか?
他にも街中を走っている人間はいるが明らかに異質な速度だったので気づけた。
これはこの家に向かっているのか?
何者かの直線状にこの家があるが……いや。警戒はしておいた方がいい。
「アイナさん。何かがこっちに向かっています」
俺の真剣な言葉にアイナの顔が一瞬で引き締まる。
そしてキッチンへ行きナイフを手に取った。
それと同時にこの家の玄関の扉が蹴り破られた。
「見つけたぞ、黒狼」
そこには両手に短剣を持った女が鬼の形相で立っていた。