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第14話 生きる理由 side.Peko

 私は森を歩いている。


 頭の中はグチャグチャだった。


 何故私は生きているのか。


 愛する兄の命を犠牲にして、何故のうのうと生き残っているのか。


 もう意味がわからなかった。


 私の幸せな日々は一瞬にして地獄に変わった。


 私は失ってしまった。


 愛するモノを二つも。


 お母さんとチロ兄。


 宝物は私の手の内から零れ落ちてしまった。


 もう生きている理由がわからない。


 死んで楽になりたい。


 だけど、死ねない。


 兄の残した呪いのような言葉が私の胸を締め付ける。


 『お前は俺に意味も無く死ねと言うのか?』


 『お前たち二匹が生きてる事が、俺が生きた証だ。

  だから、この世界で生き抜いてくれ』


 思い出しただけで、目から暖かい液体が流れる。


 痛いよ。


 胸が痛いよ。チロ兄。助けてよ……。





  

 

 どうしてこんな事になったのか。


 簡単だ。私の力が足りなかったからだ。


 お母さんが死んだのも私のせいだ。


 私の力がもっとあればあの人間の子供にお母さんが殺されることはなかった。


 あの時に仕留めることが出来ていれば、今頃家族そろって北の山でご飯を食べていたに違いない。


 全ては私が弱かったのが原因だ。




 お母さんが殺され、あの人間の子供に止めを刺してからの記憶は曖昧だ。


 怒りに任せて人間共を殺した。それは薄っすらと覚えているが、どうやって巣に戻ったのかも覚えていない。


 気が付いたら巣でロニとチロ兄と向かい合っていた。


 

 あの時は辛かった。


 私のせいでお母さんが死んだのだと責められると思っていた。


 だが、兄は私を責めなかった。


 それどころか、自分のせいでお母さんが死んだと言って泣いた。


 胸を抉られるような痛みが走った。


 兄の立てた作戦は完璧だったはずだ。


 兄以外にはあんな作戦を思いつかなかったし、あの人間の子供の動きを止めたのも兄だ。


 私達が生き残っているのは兄のおかげだ。


 誰も兄の事を責めないし、そんな事をする奴がいたら私が許さない。


 兄は全力を尽くした。足りなかったのは私の力だ。


 だから責められるのは私のはずだった。


 兄は私達に謝った。ゴメンと何度も何度も何度も謝った。


 それが辛かった。


 兄が私の弱さすら背負って謝っている気がした。


 私は泣いた。自分の不甲斐なさと、お母さんがいなくなった悲しみ全てがごちゃ混ぜになって、何も喋れなかった。ひたすら泣いて泣いて泣き崩れることしか出来なかった。


 


 目が覚めたら兄とロニはまだ寝ていた。


 私は目を閉じて、心の整理をした。


 あの兄の涙を思い出していた。そしてこれ以上兄に涙を流させてはいけないと思った。


 まず、幸せだった日常に戻そうと考えた。

 

 胸に引っかかるものを感じながらも日常を演じて兄を安心させてあげようと思った。


 私は兄が起きるのを確認して、日常の真似事を行う。


 出来る限り笑顔で頑張った。


 兄は受け入れてくれた。ロニも途中で入ってきた。ロニも私の意図に気づいたのか『いつもの』を演じてくれていた。


 その時は本当に日常に戻れた気がした。


 ここからもう一度私達はやり直せる。


 お母さんはいなくなってしまったが、今まで通り兄弟仲良く生きていけるとそう思った。



 だが、この世界は非情だった。



 アイツが私達兄弟の前に現れた。



 終わったと思った。私達はここで死ぬのだとそう思った。


 隙をついて攻撃をしようとも考えたがアイツには隙なんて無かった。


 喉に剣を突き付けられている状態だった。


 そもそも攻撃なんて出来なかった。


 私は怖くて怖くて仕方がなかった。足は震えていてそれを隠すので精一杯だった。


 だが、兄は違った。いつも兄は私の予想の上を越えていく。


 兄はあの化物と話を始めた。


 驚いた。


 私は威嚇をするふりをして震える事しか出来ない。もはや同じ種族というのが嘘としか思えなかった。


 

 そして、兄はもぎ取った。


 あの化物と話をして、私とロニの命をもぎ取ったのだ。


 アイツはその代わりに兄の命を要求したようだった。


 兄は殺される。


 私達の代わりに殺される。


 絶対に嫌だった。


 母が死んでその上、大好きな兄まで殺される。


 そんな現実受け入れられる訳がない。


 私は泣きじゃくることしか出来なかった。


 泣いたところでどうにもならない事も分かっていたが、それでも私は泣くことしか出来なかった。


 兄が言った。


 「お前達が生きてくれるなら俺は死んでも構わない。

  だけど、無駄死には嫌だな。

  俺の命に意味をくれよ。

  頼むよ。俺の為に生きてくれよ」


 ずるい。


 こんな事を言われたら私は抵抗できない。


 兄の頼みという事実が私の胸にのしかかる。


 でも、嫌だった。兄が好きだ。一緒にいたい。


 今までみたいに一緒にまた生きていきたい……。


 さっき巣穴の中で考えていた事が蘇って来る。


 ここからもう一度私達はやり直せる。


 それは兄がいたからだ。


 兄がいない世界で私はどうすればいいのか。


 もう何もわからない。


 そこでロニが頭を撫でてきた。


 私はそれを力づくで振り払う。


 「姉ちゃんっ!!」


 そんな弟の大声に体が反応する。


 「これ以上やるとお姉ちゃん、兄ちゃんに嫌われちゃうよ

  いいの? 最後に兄ちゃんに見せる顔は泣いててもいいの?

  最後は兄ちゃんに笑顔を見せてあげようよ」


 弟から続けざまに言葉を浴びせられた。


 最後……。


 最後という言葉が頭から離れない。


 これで最後……。


 チロ兄に嫌われる……それは嫌だ。


 最後は笑顔で……。


 最後にチロ兄に覚えていて欲しい顔は笑顔がいい。


 私は顔の筋肉を動かして笑顔を作った。


 悲しいが顔は笑顔にする。それをチロ兄に見せる。


 チロ兄は少しほっとしたようなそんな顔をしていた。


 そして少し笑った。


 もうすぐ死んでしまうのに兄は笑っていた。


 心臓を直接掴まれたような息苦しさに襲われる。


 結局それが最後に見た兄の顔になった。




 痛い。


 思い出しただけで剣で切られたような鋭い痛みに襲われる。


 

 本当に何故生きているのだろうか……。


 兄を見捨ててまで生きる価値が私にあるというのだろうか。


 どれだけ考えても答えは出なかった。




 


 目の前をロニが歩いている。


 茶色に赤を混ぜたような毛をなびかせながらただ淡々と歩いている。


 


 ロニはお母さんもチロ兄も本当に大好きだったのだ。


 ロニも悲しいはずなのだ。


 そんなロニは現実にも気持ち的にも私の前を歩いている。


 ロニは最後に兄と向き合うことが出来ていた。


 私にはわからないが、ロニは何かを兄から受け取っていたに違いない。


 それを教えて欲しい。私にも生きる意味を教えて欲しい。


 切実にそう思った。



 

 私はロニに追いつこうと足を早く動かす。


 もう少しでロニに追いつくとそう思った時、私の嗅覚が反応した。


 一瞬で私の胸に黒い闇が生まれる。


 殺す……人間は殺す。


 それだけで頭がいっぱいになる。


 私はこの種族を一生許さないだろう。


 私の幸せと宝物を奪った人間を。


 私は走った。匂いだけを頼りに森を走り抜ける。


 体が軽い。


 こんなに心は重いのに、体は木々をかき分けて驚くほど速く進む。


 森を抜けた。


 目の前には平原が広がっている。


 そして、六つの動くものを視認する。


 三つは人間。残りの三つは小さな黄色い毛を生やした人間みたいに動く獣。


 私はあれを知っている。


 少し前に家族揃って、この湖に来た時に見たグレッドチースという種族の子供だろう。


 それが人間に追い詰められている。


 「お姉ちゃん。助けよう」


 ロニが追いついてきた。


 「兄ちゃんならそうすると思う」


 ロニの言葉が私の耳に張り付いた。


 チロ兄ならか……チロ兄がこの状況を見たらどうするか。


 間違いない。人間を殺してあの獣人の子供を救うに決まっている。


 兄は優しかった。子供に対しては特にだ。


 ならば迷う必要はない。私は兄の命で生きている。


 兄の変わりに助けなければいけない。




 私は三人いる人間に全力で走り寄る。


 人間はこちらに気づいて向き直る。


 一番近い奴が盾を私に向けて構えた。


 その程度で私の怒りを防げるとでも思っているのだろうか。


 お前達は皆殺しだ。


 私は兄直伝のフェイントをして盾の横を通り抜ける。


 一瞬盾が反対方向にぶれる。その隙をついて爪を人間の横腹に突き立てる。


 柔らかいものをぶち抜く感触があった。


 まず、一人。


 そのまま足を止めずに次の奴へ飛びかかる。


 次の奴は短い剣をこっちに向けて後ろへじりじりと後退していた。


 私は爪で剣を持っている人間の手を引き裂く。


 手は剣ごとどこかへ吹き飛んでいった。


 手を無くした人間は尻もちをついて私を怯えた目で見ている。


 だから何だというのだ。


 私は容赦なく頭に咬みつく。


 そして思いっきり力を入れて頭の骨ごと嚙み砕いた。


 これで、二人。


 口の中に血とブニュリとした気持ち悪いものが流れ込んでくる。


 私は人間の頭を吐き出しながら、最後の一匹を見る。


 私に両手で持った剣を叩きつけようとしている。


 遅い。


 私はそれを軽く前に跳躍して躱した。


 その瞬間に人間の背中から炎が襲う。


 人間は燃えながらもがいていたがやがて動かなくなった。


 そしてその炎を放ったロニは、既に黄色の獣人の子供に近づいて声をかけていた。


 「大丈夫かい?」

 

 そんなロニの姿は兄と重なって見えた。


 ロニに対して獣人の子供は泣き叫ぶだけで返事は返ってこない。


 私は気付けば、獣人の子供の頬の涙を舐めていた。


 兄が巣穴で私の頬を舐めたことを思い出す。


 兄もこんな気持ちだったのだろうか……。


 『兄ちゃんならそうすると思う』


 ロニの言葉が蘇ってきた。


 兄ならば……。


 私は震えている獣人の子供を上から覆いかぶさって温めてやる。


 兄ならば……。


 そして、出来るだけ優しくなるように大丈夫よ、と声をかけてあげた。


 兄ならば……こうしていたのだろうか? 正解は分からないがこれに近いことはしていたと思う。


 今の私は兄に近づけているのだろうか……。


 


 

 私達は結局、子供達が落ち着くまで一緒に居てあげた。


 もともと目的地なんて無い。生きる目的すら無いのだから。


 

 子供たちは落ち着くと立ち上がって三匹並んで頭を下げた。


 「……ありがとう」

 「ありがとうございます」

 「ありがとう、狼さん」


 二匹は女の子で一匹は男の子だった。


 「お姉ちゃん。送ってあげよう」


 ロニが私の耳もとでそう言った。


 「そうね。チロ兄ならそうしてあげるかな?」

 「うん。兄ちゃんならそうすると思う」


 また襲われる可能性もあるだろう、兄ならそうすると確信があった。


 確か前に湖で話をしていた獣人はあっちの方に向かって帰ると言っていた。


 たぶん彼女達の家もその近くだろう。


 私は女の子二匹を背中に乗せてやり彼女達の家がありそうな方向へ歩き始めた。

 

 


 私の背中に乗っている女の子はミーニャとララというらしい。

 そしてロニの背中に乗っている男の子はカイルという。


 彼女達と話をしていると少し気が紛れた。


 彼女達は今日初めてグレッドチースの村から出たらしい。

 親に内緒で三匹で探検をしていたら迷子になって人間に襲われたところを私たちが助けた形になったみたいだ。


 こんな小さな命が人間に殺されないで本当に良かったと今は思えた。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 「本当にありがとうございました」

 「なんとお礼をしていいかわかりません」

 

 私達は次々にやってくるグレッドチースから感謝の言葉を貰い続けている。


 今ので何人目か?


 もう数えるのも面倒になってくる程の数のグレッドチースに感謝されている。


 この集落では、子供は村の宝なんだそうだ。


 村の子供は村の大人全員で面倒を見るらしい。だから誰の子供だとかは関係ない。


 始めは村の入口にいる大人だけだったのだが、そのうち周りの人が気づいてどんどん騒ぎが大きくなり、最終的に村の広場で大騒ぎが始まってしまったのだ。


 私とロニはその中心で次々来る村の大人の対応をしている。


 私達の前には肉が並んでいて、お腹が空いていたのでそれを一口食べれば、お肉を食べてくれたと騒ぎになる有り様だった。


 私はどうしていいか分からなかった。


 森にいるときは、ほとんど家族としか話したこともなかったし、しかも今回は他の種族だ。

 何をどうしていいのか分からない。


 こういうときチロ兄なら上手く対応するんだろうけど、私には無理だった。


 ロニも同じようで私と同じようにあたふたしている。


 どうしたものかな……。


 そんな時、村の奥の方から一際大きなグレッドチースの男が現れた。


 「こらこら、お客人が困っておるではないか。

  そこらで止めないか」


 その男は周りの大人から族長と言われていた。


 恐らく、彼がこのグレッドチース族の長なのだろう。


 その堂々とした、立ち振る舞いからも見て取れた。



 族長は私の前に来て、頭を下げた。


 「お客人、まずはお礼を言おう。

  我が一族の子供をお救い頂き感謝する。

  私はこの村の長でアクライハムだ」


 族長アクライハムは自己紹介をした。


 「ペコです」

 「僕はロニです」


 私達も名前を返す。この辺の作法はチロ兄から教えてもらっている。

 

 「おー。狼族で名前を持っているとはめずらしいのう」


 「はい。兄がつけてくれたんです」

 

 「ほー。ペコ殿の兄は聡明な方なんじゃろうな。

  今度機会があれば立ち寄って下さるように言伝願えますかな?」


 「いや……それは無理です。兄はさっき死にました」


 私の言葉にアクライハムの顔が曇った。


 「それは、悪いことを聞いてしまったのう。

  そんな状況にも関わらずに子供を助けてもらってかたじけない」


 「いえ、兄が生きていれば絶対にそうしたと思うので……」


 「死んだ兄の意思を継ぐか。見上げた若者じゃ」


 私の胸にアクライハムの言葉が突き刺さった。


 意思を継ぐ。


 その言葉が何故かとても大事な言葉に聞こえた。


 「アクライハムさん、意思を継ぐってどういう意味なの?」


 「うむ、意思を継ぐというのは先代の思いを後世まで引き継ぐということじゃ。

  分かりやすく言えば、先代が生きた証――考え方や生き方を引き継いでこの世界に残すことじゃな」


 生きた証を世界に残す。


 『お前たち二匹が生きてる事が、俺が生きた証だ。

  だから、この世界で生き抜いてくれ』

 

 チロ兄がいたということをこの世界に残す。


 それが兄の願い。兄から託された願い。


 私達が生きることでチロ兄が生きた証になるのか?


 いや、それは違うと思う。


 チロ兄は私達にチロ兄の意思を継いで欲しいと思ったのではないのか?


 でも、私にできるのかな?


 違う。


 出来る出来ないじゃない。


 私達はやらないといけない。


 もう私達はチロ兄の命と引き換えに生き延びてしまったのだから。



 


 そう考えると私の空っぽだった胸の中に何かが入り込んできた。


 チロ兄がこの世界に存在したという証を残す。


 それが私の生きる意味。


 


 私が兄の命を犠牲にして生き残った意味が分かった気がした。


 

 さっきグレッドチースの子供を救ったように、兄ならば……を実行していけばいいのではないかと思う。


 それが意思を継ぐということらしい。



 そう思うと心が急に軽くなった気がする。


 

 チロ兄を思い出して悲しむ必要はもうない。


 チロ兄の意思はいつでも一緒なのだから。


 チロ兄の願いは私の胸にあるのだから。 


 呪いだと思った言葉は希望だったのだ。

 

 チロ兄が最後に残してくれた希望。


 私はそれを胸に抱いて新しい一歩を踏み出した。


 

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