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少年の誓いと彼女の祈り  作者: 歯歯
第二章 『勇者の帰還が意味するものは』
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第五話 『封じられたモノ』

「あれ、なんか二人とも仲良くなった?」


「ん、まあ、ちょっとな。

 なあ


「アレ、ちょっとですまされんのかよ……」


 疲れた表情の健二と竜愁が会計を終えたとき、仙歌は出入口で買い物袋をぶら下げて待っていた。

 会話は大した長さでなくても、主に竜愁のせいで時間を取られた二人よりは早く終わらしていたらしい。

 服選びの長さは何だったのか。


 横並びになるタイミングで荷物をかすめ取った竜愁は、不自然にならないようさりげなく歩調を落とした。

 大した手助けにもならないだろうけれど、何もしなかったら何時まで経っても進展しなさそうだ。

 実状を把握した上でもどかしい二人を見ていると、イライラする。


 後ろから、竜愁はぼんやり二人を眺める。

 会話を振られれば応答するが、基本的に無言だ。

 楽しそうな二人に耳を傾けて、やっぱりと思う。

 ほぼゼロ距離を歩く仙歌の様子に、どうして健二は気づけないのか。

 揺れる手が触れあうようなその間隔は、友人とするには近すぎる。


 ――もしかしたら仙歌の方が一目惚れで、最初からあんな接し方だったからこそ気づけないのかもしれない。

 そう考えると、存外納得がいった。

 輪郭が霞むほどの近間で動かないのなら、変化に気づかないということもあるだろう。

 ……経験がないから、戯言だ。


 行きと比べて心なしか増えたように感じられる人混みの中、一塊になった三人は帰路を歩む。

 むき出しの顔に寒風が凍みた。

 九月の残暑とは比べるまでもない寒さにふと、今は二月何日なのだろうかと思った。

 すぐにどうでもよくなって、打ち消したが。


 大切な家族に心配をかけないように、強く生きること。

 家族のためにできることに、全力を尽くすこと。

 そして、家族が平穏無事にあること。

 こころがそのままであるから、竜愁の望みと願いは変わらない。

 竜愁にはそれだけしかないから、やることも変わらない。

 なんて、単純。


「――!!」


 そんな竜愁の再確認を、甲高い悲鳴と続いた怒声が切り裂いた。

「ひったくりよ! 捕まえて!!」誰かの懇願のあと、三人の前方の人混みが割れる。

 あまりに突然で、動けない彼らの前に躍り出るひったくり。

 左手に鞄、右手に――白刃。


「どけぇ!!」


 ナイフを振り回す男は、竜愁の前に立つ二人に向かってわき目も振らずに狂乱の態で飛び込んでくる。

 二メートル。

 男が、立ちふさがる仙歌に斬り付けようとナイフを振りかぶる。

 コンマ数秒で到達し、硬直した仙歌を傷つけるだろう。

 ――脳裏に浮かんだビジョンが消え、一瞬にして音がなくなった世界で竜愁の体が動く。


 世界は、停滞していた。

 馬鹿にゆっくりと、見せつけるようにナイフを振る男と仙歌の間に、爆発的に加速した竜愁は滑り込む。

 左で着地、右に捻って急制動、たわめた腰を解放して、左の拳を鞭のように振り上げる。

 ――快音が、無音だった世界で高らかに響いた。


 そして、舞い上がったナイフが頂点に達するより先に二撃目、鳩尾狙いの突き。

 手ごたえは軽い。

 ボールか何かのように軽々と吹き飛んだ男は、背中から地面に激突した。

 竜愁は追いかけて、跳ぶ。

 空中でナイフを掴み、肩に着地することで衝撃を殺し、マウントポジションへ移行――逆手に構えた得物を、の首に押し当てる。


 ――こいつは俺の大切な妹に手を出そうした。

 ――殺しても、問題は――


「あるに決まってるだろ」


 刃が血に濡れるスプラッタな光景に、ぼそりと言った。

 男は白目を剥いて気絶している。

 これ以上の必要がないことは明白だった。

 立ち上がりざま、男の服でナイフを拭う。

 薄く赤の張り付いたコートを見て、自分は人殺しを犯しかけていたのだと、実感が来た。

 ……どうということも、無かったけれど。


 ひとまず、男が後生大事に抱えている鞄へと手を伸ばす。

 特に問題もなく引き剥がせた。

 目を遣ると右手の、置き場に困るナイフの鞘が男の隣に転がっている。

 これ幸いと拾い上げ、物騒な白刃を木の内に隠す。

 そのままジーンズのポケットにしまって、竜愁は被害者を探した。


 その後竜愁は、気を利かせた善良なる通行人達の手によって被害者女性の前に差し出され、お礼の言葉を受けることになる。

 恐縮しきりの女性――正確には一三歳の少女――に何度も「ありがとうございます」と頭を下げられるのだ。

 家族を護ろうとしただけの竜愁は弱りきってしまい、気づけない。

 ――ひとりの少年が、羨望の視線を送っていることに。

 気づけていればあとの展開も違ったのかもしれないが、もはや叶わない。

 視線に込められた真の意味に竜愁が気づくのは、これからおよそ三ヶ月後のことである。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「はい、これで事情聴取は終わりです。

 お疲れさまでした」


 机を隔てた向こう側で、護民軍の制服を着た男が軽く礼をする。

 つられた竜愁も頭を下げて、「そちらこそ、お疲れさまです」と定型文を言った。

 竜愁が頭を上げると、男は立ち上がり、詰め所の奥へと消える。

 お茶を入れてくるとのことだ。


「……っ」


 仙歌の右隣で、健二が伸びをする。

 三〇分にも満たない時間だが、まじめな問答をして肩が凝ったのだろう。

 バキリと、骨が鳴る。

 折り畳み式のパイプ椅子が揺れて、倒れそうになっていた。


 竜愁が悪漢を倒したヒーローとして鞄を持ち主に返した直後、先ほどの護民官が騒ぎを聞きつけ、現場に到着した。

 住民にはおおむね好意的に受け入れられているようで、あっと言う間に騒ぎを納めた彼は、竜愁達と被害者の少女を事情聴取に連れ出したのである。

 なお、気絶したままのひったくり犯はもうひとりいた護民官に担ぎ上げられ、猛ダッシュで搬送されていった。

 どう見ても人ひとり担いだ人間のスピードではなかったが……きっと魔術だろう。

 どうやら、竜愁の知らないうちに人間は肉体性能の限界を超えるための手段を手にしていたらしい。

 ――魔術やべえ。


 そんなこんなで事情聴取を終えて今、というわけだ。


 ちらりと、竜愁は左を向く。

 少女と目が合った。

 微笑みかけられて、竜愁は愛想笑いを浮かべる。

 ……うまく笑えている自信はなかった。

 頬が弱く引きつっている。


 【中島なかしま美佳みか】というこの少女が、竜愁は苦手だった。

 小柄で、ハキハキと喋る少女だ。

 顔も、一般論的には、かわいらしいのだろう。

 仙歌は気に入ったようで、事情聴取の合間に竜愁を挟んで喋っていた。


 しかし竜愁は、下から見上げてくる彼女に、こみ上げるものを感じてしまうのだ。

 吐き気と悔恨、その他雑多な感情がごたまぜになった酸っぱいものが、喉元まで逆流してくる。

 嫌いな性格というわけでも、嫌いな顔というわけでもないから、これはきっと、三年間に端を発しているのだろう。


 またか、と。

 過去の自分に呆れてしまう。

 ずっと家族とだけなのも心配をかけないという面で問題だが、それなり以上に親密な他者を持つ必要なんてない。

 大切なひとを増やしていけば、凡人でしかない自分の見ていられる範囲が限られてしまうのは自明なのに、そんなことも分からなくなっていたのか。


 ……あそこまでナチュラルに殺人を犯そうとしたぐらいだ。

 相応に、狂っていたのだろう。

 路地裏に立つ血みどろの殺人鬼の姿を想像して、竜愁は苦笑した。

 そこまでではないはずだと思いたい。

 ただでさえ意味の分からない『誰よりも強くて弱い、凄いやつ』という評価から完全に外れてしまう。


「はいっ、これ、私のメアドね」


「……うん。

 登録したよ。

 ……竜愁さんのも聞いていい?」


「え、あ、悪い」


「なんで? 

 ウチの何がダメなの!?」


 話聞いてなかったと言おうとした竜愁に割り込んで、中島が言う。

 ただの軽口だ。

 なんてことはない。

 ――けれど、その軽口に胸を打たれた自分がいた。

 目眩。

 割れるような頭痛が走る。

 頬肉を噛みきって、竜愁は言った。


「アホか。

 ……俺のは、壊れて修理中なんだよ」


 無論、嘘だ。

 こんな精神状態でとっさに嘘を吐けた自分を褒めてやりたかった。

 健二には話したが、竜愁の事情は初対面の人間に話すようなものでもない。

「直ったら教えてっ」と明るく言う声に、短い息を吐いた。


 と、そこで、湯呑みを乗せた盆を両手に護民官の男が顔を見せる。

 差し出されたお茶へこれ幸いと手を伸ばし、啜る。

 熱いが、飲めなくはない温度。

 熱を持った液体が胃まで滑り落ちる感覚が、心地よかった。

 ……一秒して、竜愁の穏やかな人心地は、猫舌な仙歌の悲鳴に崩されるのだった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 母親だという恰幅のいい女性の横で、少女が手を振っている。

「またね!!」元気の良い中島の声に、竜愁は手を振り返すことで答えとした。

 聴取が終わってから数十分、さすがにひとりで待たせるのはどうなのかということで、雑談で時間を潰しつつ中島の親の到着を待っていたのだ。


 だから、これ以上詰め所に留まる必要はない。

 誰からともなく護民官の男に何度目かの礼を言い、その場を辞そうとした。

 だが男は、竜愁と仙歌を引き留めた。

 申し訳なさそうに、言う。


「すみませんが、もう少し待っていてください」


「どうしたんですか?」


「丁度美佳ちゃんのお母さんがいらっしゃったので言いそびれたのですが、先ほど庁舎の方から連絡がありまして。

 お二人には迎えを遣るから待ってもらうように、と」


「……じゃあ、俺は帰りますね。

 部外者みたいですし」


 失礼します、と。

 頭を下げて、健二は詰め所を出て行った。

 そんな彼の様子に違和感を覚えたのは、仙歌だ。


 頭痛に悩まされていた竜愁は何も気づかなかった。

 この痛みは失われた記憶のせいなんだろうから、早く記憶が戻ってもらわないと困るな。

 そんなことを思いながら、余計に強まった痛みに閉口していたのだ。

 頭痛と吐き気が、ピークに達していた。

 熱もあるのかと頭に触れれば、やはり熱い。


「健二、落ち込んでる感じが……」


「そうか?」


 竜愁は座って、二杯目が並々と注がれた湯呑みに両手を遣る。

 ピリピリとした熱感を楽しむこともなく、一息に煽った。

 灼熱。

 火傷の痛みが、不調を忘れさせてくれるようだった。

 だが、思考はうまくまとまらない。

 まとまりかけても、勝手に解けていく。


 しばらく黙して、迎えを待った。

 どれほど待っていたかは定かでない。

 竜愁は霞んでいく視界に耐えきれず瞼を下ろし、無我の内に沈んでいたからだ。

 ダンッ! と大きく詰め所が揺れて、何事かと目を開ける。

 少し楽になっていたから、立ち上がって背後を見た。


 ――赤い、燃えているかのように赤い髪をした女が立っていた。

 身長は、そう高くない。

 座っている竜愁が軽く顔を上げる程度で頭部を視界の中心に据えられる。

 そしてその瞬間、頭が真っ白になるほどの激痛が竜愁を襲った。

 中島に感じていたものとは比べるまでもない。

 始まりは、堪えることもできなかったのだ。

 膝が抜ける。


「――ッァッ!?」


 強かに打ち付けた脚など気にもならず、竜愁は無様に悲鳴を上げた。

 反射的に口元を押さえるも、苦鳴はこぼれ落ちていく。

 上半身を支えている片腕の力も、声に乗って逃げていくかのようだった。

 間もなく、竜愁は崩れ落ちる。

 ふつと腕の感覚が消えて、落下。

 しかし、訪れるべき衝撃はなかった。


「リュウシュウ! 

 コタとジジイは大丈夫だったのに何で!? 

 いくらなんでも早すぎない!?」


「ティアさん、お兄ちゃんは!?」


「分かんないってか、今解析するからちょっと待って! 

 えぇと、封印が解けかけてるのと、あとは……魂力が乱れてる? 

 なんでって……ああもう!! 

 アネキ詰め甘い! 

 時間なかったのは分かるけどさ!」


 女が怒ったように叫ぶが、竜愁はそれどころでない。

 ただただ、激痛。

 のたうち回りこそしなかったが、それは腕ごと強く抱きしめられていたからだ。

 動こうにも動けなかったというのが正しい。

 真っ白な痛みの先に、竜愁はどこかの情景をかいま見て――


「ここが不味いんだから私の方から押し流すとして……封印は……ああもう!! 

 この形式じゃ魔法が反応して解けるに決まってんじゃん! 

 識別機能付け加えて……はい完成!!」


 ――何かが自身に浸入し、痛みを消し去る。

 その不思議な感触に、ようやく竜愁は我を取り戻したのだ。

 疼痛こそ残っているが、顔に出さずとも我慢できるレベル。

 何度か頭を振って、歪んでいた視界も正常化した。

 すると目に入るは赤髪の女なのだが、今度は激痛に襲われることもない。


「まだキツイんだったらちょい考えるけど……まあ大丈夫っしょ、リュウシュウだし」


「いや、大丈夫だけど。

 なんでそんな風に断定できるんだよ」


 体は、これまでにない好調に転じていた。

 頭の巡りも同様だ。

 ――だから、こんな質問にはほとんど意味がなかった。

 女が竜愁の三年を知っているから、それ以外にありえないと分かっていた。

 竜愁自身も、彼女に初対面とは思えない親しみを感じているのだ。


「どーせ分かってんだろーけど、アタシが……うーん、なんだろ。

 とにかく、リュウシュウと浅からぬ仲だったからでー、ここにいんのは迎えにきたから。

 で、次の質問どーぞ」


「……俺の、さっきのはなんだったんだ? 

 アンタを見た途端に頭が割れそうになって……」


「はー……、出たよ、リュウシュウの悪い癖。

 ほんっとこんなどーでもいーとこでばっか臆病になって、なんでそれを大事なときに出せないかな……。

 バカらし。

 根っ子がこれじゃ、みんな報われないなー」


「なっ、にを、言って……。

 質問の答えになってないだろ」


「うっわ、メンドクサイやつだー。

 記憶がないらしいって分かって混乱すんのもしょーがないけど、これはなー。

 なんでそんな無駄なことすんの? 

 自分で答え見つけてて、それが正解だって分かってんでしょ? 

 一回目は許したけど、二回目は許したげない」


「――」


 図星だった。

 女自身の言ったように、記憶が戻りかけたからだと、彼は確信を持っていたのだ。

 その上で、彼女()()こそが記憶を封印した犯人であるという推定や、なぜ封印されたのかという理由にまで考えを至らせていた。


 聞かなかったのは偏に恐怖故。

 ――『自分の中に居座る悪い何かを閉じ込めるため』という、突拍子もないようでこれまでの予感すべてを内包しうる答えを肯定されるのではないか。

 朝と変わらず、聞くことそのものが恐怖の対象だった。


 赤髪の女が放つ言葉は竜愁の本音の部分に刺さった。

 ――けれど同時に、竜愁は彼女の明け透けさに快さをも感じていた。

 マゾヒストかよと否定してみるが、刺のある言葉に落ち着きを得た自分を打ち消すことはできなかった。


「――なんてさ。

 アネキもコタもジジイもみんなしてリュウシュウに甘いから、アタシくらいは辛口に言っとかないとね。

 ほら、バランス悪いじゃん。

 突き放すだけ突き放してなんも教えないんじゃ過保護組と変わんないし、軽くは教えたげる」


 何が知りたい? と女はイタズラっぽく笑う。

 そのまま素直に聞くのは癪にさわったから――冷静になると、ガキすぎて死にたくなるが――、とぼけて竜愁は言った。


「そもそもどちらさまですか?」



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「えー、今更リュウシュウ相手に自己紹介とかヤだし。

 センカお願い」


「えぇー……、何それ。

 まあいいや。

 それよりもお兄ちゃん、本当に大丈夫なんだよね? 

 無理したりしてない?」


「ん、体は軽いし、頭もすっきりしてる。

 いつもより調子良いくらいだから、安心しろ。

 さっきのはなんだったんだろうな」


 珍しく本心で言えて、感動する竜愁だ。

 体調の折れ線グラフは今日までずっと微速低下を続けていたのだが、あの頭痛がピークだったのか、グラフの先端部は上へと跳ね上がっていた。

 同時に、わずかながらも記憶を取り戻したというのが竜愁の中では大きい。

 ただ、奇怪な格好の自分が夕焼け空の下を歩いているだけのものではあったけれど、欠片は欠片だ。

 取り戻せるという、確かな証左。


「……元はと言えば私が連れ出したからだよね、ごめん。

 帰ったらすぐに寝てよ?」


「大丈夫なんだからいいって。

 とにかく、その女の人の名前を頼む」


「……うん、うんっ! 

 じゃあ、紹介すると、この人はティアさん。

 ……あれ? 

 ティアさんの本名なんだっけ?」


「……それは、どうなんだ? 

 普通に話す仲の人の本名を覚えてないのって……」


「いっつも『ティアさん』で呼んでるから、つい……」


 えへへと笑う仙歌。

 そういうものなのだろうか、竜愁は首を傾げた。

 そもそも話す相手が家族ぐらいしかいなかった竜愁には縁のないことなので、よく分からないが。

 ……ちらりと見た女は、渋い顔をしていた。


「……フラムティア。

 次からは聞かれても教えない」


「結局自分で言ったのと変わらないような……あ、なんでもない」


 口走った竜愁を、フラムティアが睨みつけたのだ。

 萎縮こそしなかったが、美形の睨みは凡人よりも迫力に富むということを竜愁は実感していた。

 機嫌を損ねて良いことなど一つもないから、即座に撤回した次第である。

 自分が臆病になったせいで、質問は残っているのだ。

 何から聞いたものかと考えて、深い関係はないが、一番最初に浮かんだものを選んだ。


「フラムティアって、名前だよな?」


「うん、そだね」


「じゃあ名字は?」


「オニヤマ!! 

 結婚してるから、ほら、指輪ー」


 途端に上機嫌になったフラムティアが、竜愁の前に左手を突き出して薬指を見せつける。

 さっきの態度とは大違いで、少し和む。

 幼い子どもが見せびらかす宝物を眺めているような、そんな感覚。

 結婚している割には精神年齢が低いんだなと内心で笑えば、喉元で鎖がチャリと鳴った。

 そう言えば、鎖につながっているリングも似たデザインをしている。

 どうしてか、知っておかなければならないような気がして、竜愁は指輪を引っ張りだすと言った。


「この指輪って、何か分かるか?」


「だーかーらー、さっきのは流れで許したけど、一番したい質問を……あ、ごめん。

 今の忘れて。

 リュウシュウ的には普通の質問だったわ。

 さすがとしか言えないね、うん」


「………」


「それ、結婚指輪。

 リュウシュウとウチのアネキの」


「……はい?」


 極めて平坦に言い放たれた言葉に、竜愁の思考回路は数秒間ショートしていた。

 そして回復するなり、激流のように思念があふれた。


 ――え? 俺結婚してんの? アネキってことは、フラムティアは義妹? それよりなにより、うん。俺、結婚相手のことも忘れてるのか。いや、あの銀髪の女性なんだろうけども。あー、そっかー、うん。


「ただのクズじゃねぇか!!」


 うずくまって、詰め所の床に頭突き。

 自罰行為は、しかし竜愁に痛みを与えない。

 代わりに、床が放射状にひび割れる。


 ……冷たい目線が突き刺さっていた。

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