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少年の誓いと彼女の祈り  作者: 歯歯
第二章 『勇者の帰還が意味するものは』
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第一話 『たったひとり、まろび出た少年は』

 いやだ。

 はなれないでくれ。

 おまえがいないと、おれは。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ワーン、と。

 微細な振動が反響して重なり合う。

 そんな波が肌を撫でる中、『小川竜愁』は身じろぎもせずに眠っていた。

 暗い筒の中、薄緑色の病衣を着せられて、自らが生きていることにも気づかずに、死んだように眠っていた。


 もし、暗殺者が今の彼を襲ったら。

 感覚器官は異常を感知することもできず、忍び寄る暗殺者はまんまと筒の中に侵入して、快挙を成し遂げるだろう。

 冷たい闇色の鉄が喉にするりと差し込まれてもそうと理解することなく、まさしく眠るようにして真なる意味での終わりを迎える。

 それほどまでに、彼の眠りは深かった。


 だから、その魔術の発動を察知したのはだ。


 充分な量の魔力を充填された巨大魔道具(メディカルポッド)は、事前の検査で得た情報により術式を改変。

 一つの回路が切り替わった拍子に、術式を魔力でもって空中に映出。

 映出された術式はその意味のままに魔術へ転じ、対象の体を包むように発動する。

 幾重にもなった魔力が彼に殺到し――


 竜愁の中で完全な眠りに落ちる寸前の彼女が、愛する人を護ろうとがむしゃらに、暴力的でさえある力を放出した。

 辛うじて捻りだした魂力をぶちまけただけの原始的対魔法用魂術、【破魔魂波はまこんぱ】。

 魂力の波は、圧倒的な威力で検査魔術を蹂躙せしめた。

 その反動で彼女は本来より深い眠りへ落とされる。


 そして――小川竜愁の意識が浮上した。


 鼓膜を叩く非常警報、ゆるく閉じた瞼の上から侵入する警告ランプの赤。

 ひとまずは体を動かそうとして、しかし一寸も動けない。

 そのことに気づいた竜愁の思考は、半覚醒の微睡みから一転、混乱状態に陥った。

 まるで自分のものではないかのように、体が意志に従わない。

 いわゆる金縛りという現象は、の人生経験になかったものだ。


 誰かに助けを求めようにも、声が出ない。

 目は、酷くピンボケしていて役に立たない。

 本当にそうと分かる程度にしかない体感覚が、横になっているという情報を寄越してきていただけだ。


 ――あ、これ夢か。

 そもそもの話、竜愁の記憶は最後、中学校の始業式にて途切れている。

 大方、例のごとく長い校長の話に負けたというところだろう。

 夢なら、こんな状況にも納得がいく。

 思考が瞬く間に冷めていった。


 それに対するかのように、夢はそのリアリティを増す。

 普通逆じゃないかと竜愁は思うのだが、そういうものだとするしかないだろう。

 赤でしかなかった背景は、筒へ。

 自分がベッドの上に縛られているのだと気づくまでも、すぐだった。


 そして竜愁は、ゆっくり、本当にゆっくり、ベッドが進んでいることを発見した。

 ゆっくりと筒の蓋が開き、部屋の壁が目に入る。

 その出口に向かって、苛々するほどとろとろと竜愁は動いていた。

 ――未だに肉体との同調が終わっていない魂が暴走し、駆け巡る魂力が思考速度を最大限に加速しているというのが真相なのだが、彼が知るよしはない。


 頭が出て、霞んだ視界で周囲を見る。

 ある壁にはガラスが一面に張られていて、その向こうには人が二人。

 誰だかは分からないが、そのうちの一人に見覚えがあるような気がして、注視した。

 その男はいやにゆっくりとジャンプする。

 男が窓を割り砕くその瞬間まで、竜愁は視認していた。


 ガラス――音から判断した――を突き破った男が「竜愁!!」と名前を呼ぶ。

 その声を竜愁は知っているのに、思い出せない。

 でも、思い出さなくちゃいけない、そう思って。

 ――思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ。


「……おや、じ……?」


 想起にか、発声にか。

 とにもかくにも全精力を使い果たしたのだろう、霞がかかる。

 有効だった視覚、聴覚、触覚までもが遠ざかる。

 濃密で、真っ白な霞が、何か大切なものを竜愁から分断して――

 小川竜愁も、深い眠りにつくのだった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 涙混じりの声が三つ、聞こえてくる。

 小川竜愁が二度目の目覚めを得たのは、そのさざめきによってのことだった。

 スイッチが切り替わるようにして思考が可能となり、訪れるのは起きようか、もう少し寝ようかと思案する幸福な時間だ。

 きっかけがきっかけなので、悩むなんてことはなかったけれど。


 うすらと、瞼を持ち上げる。

 何か冷たいものが右手に落ちて、竜愁はそちらへ視線を向ける。

 泣き声のひとつはそこからだ。

 自然と音で場所を把握していた自分に、少し驚いた。

 まあ、近かったのだし、耳もいい方。

 不思議なことではないだろう。


「お兄ちゃん、よかった……」


 今度の驚きは、目を見開くほどだった。

 綺麗な高い声で喋る美少女に見覚えがなかったというのもあるが、何より今、竜愁は――

 ――一瞬、コイツがなんて言ったのか分からなかった。

 いや、よく考えればこれもおかしい。

 ――¢()×¥/(何語)で考えてるんだ? 


 ベースは日本語、しかし所々に聞き覚えのない言語が混ざっている。

 その聞き覚えのない言語を自分は普通に使うことができていて。

 竜愁は一般の中学三年生だ。

 日本語以外に扱えるのは英語ぐらいで、それも準二級を取得したばかり。

 簡単な単語ぐらいならともかく、文章を構成できるようなレベルで修めた言語なんてあるはずもない。

 ない、はずなのだ。


「お兄ちゃんっ!!」


 目を覚ました竜愁へ、少女が抱きつく。

 美少女の抱擁に、渦巻いていた思考が白紙に戻ってしまった。

 ――まだ夢が続いているのだろうか。

 いや、彼女のやわらかさ、あたたかさ、ついでにある部位の量感。

 どれも夢とは思えない情報量で、これを夢だなんて思うことはできなかった。

 悲しいことに、経験がないのだから。


 それにしても、と。

 妙に冷静に、竜愁は考える。

 少女の容姿は、掛け値なしに可愛らしい。

 しかし、何人か彼女よりも美人だとか美少女だとかの知り合いがいたはずなのだが……名前と顔が思い出せない。

 彼女も、どこかで見たことが――あ、ウチの妹だ。


 いつも髪をポニーテールにしていたから、今の肩までまっすぐ伸ばした髪型と結びつかなかったのだ。

 それでも、肉親を取り違えるのかという疑問は消えてくれない。

 理由ははっきりとしていた。

 雰囲気が見たときと変わりすぎているのだ。

 ――もっと、色々と小さかったような……。


 とにもかくにも、竜愁の胸元に顔を埋める中学一年生の妹――『小川仙歌(せんか)』には離れてもらわないとどうしようもない。

 やんわり押し離そうとして、けれど、引っ張られる感覚。

 腕から細長いチューブが生えていた。


 は? 


 戸惑い、抱きしめられるままに管を凝視する竜愁。

 学校で居眠りをしていたはずなのに、起きたら妹がいて、自分はベッドでチューブにつながれている? 

 わけがわからなかった。

 ここまでくると、あの夢は夢でなかったのではないか。

 そんな風にまで、思えてしまう。


「竜愁!!」


 弾かれるように、顔を上げた。

 この声は、母だ。

 彼女の顔には涙の跡。

 瞳にも涙が一杯に溜まっていて。

 竜愁はゆるんでいく自分の涙腺を感じた。

 やっぱり、わけがわからなかったが。


 母も、仙歌ごと竜愁を抱きしめる。

 顔が近づき、その異常に竜愁は動けなくなった。

 どうやら感動シーンの渦中に自分はいるらしいのだが、それどころではない。

 母は、運動不足で太るわとぼやいていたのを覚えている。

 それなのに、誰だこの小顔美人は。


 助けを求めて、一番奥、座ったまま動こうとしない父を見遣る。

 が、頑固で厳めしかったはずの父の瞳にも、涙。

 想像だにしなかった父の姿に何度目か、驚愕する。

 ――そもそも×/+-#$(この状況は)なんなんだよ!? 

 どうにか悲鳴をこらえたところで、竜愁の目の前は真っ白になった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ぱちくりと一度瞬けば、竜愁にとって意味の分からないカオスな状況が引き続き展開されている。

 家族三人は皆涙していて、ついていけない自分のアウェー感。

 先の内心を口にできる空気ではない。

 小・中とは遠巻きにされてばかりの人生ではあるけれど、空気は読めるのだ。

 ……折角のエアリーディングスキルも使う機会に乏しかったのが悲しいところである。


 だが、ついていけていないのに、竜愁の目からは涙がこぼれている。

 状況に酔っているという線は、状況が分かっていないので候補外。

 泣いている理由の心当たりがどこにもなくて、それが気持ち悪い。

 まるで自分が自分でないかのような違和感。

 胃から吐き気がせりあがってきた。


 しかし、胃酸は口に来たところで飲み下し、吐き出さない。

 吐き出してはならないと、竜愁は直感していた。

 今嘔吐すれば、吐瀉物は家族の体を汚すだろう。

 プライドが許さなかった。

 こんな男でも、頼りになる兄を演じてきたのだ。

 恥ずかしすぎて、きっと悶死できる。

 そんな死に様は勘弁だ。


 女衆二人が竜愁を解放するまで、およそ二十分をかけた。

 響子()仙歌()

 心音が肌と骨を伝い聞こえるほどに密着していると、不思議な感慨があった。

 ――俺はここに生きているんだなという、生の実感だ。

 これまでが死んでいたみたいで、竜愁は好きになれなかった。


「ここ、病院だよな……? 

 なんで……」


 一頻り泣いて、泣き止んで。

 家族三人――そしておそらく自分も――の目は赤く腫れていて、誰であっても泣いていたと言うだろう。

 どうしてか、腫れたままにしておきたくなくて、竜愁は乱暴に拭った。

 悪化させるのだろうけれど、何かをせずにはいられなかった。

 そうしてからようやく、竜愁は自分を取り巻く彼らに質問できたのだ。


「なんで俺、倒れてたんだ? 

 なあ、さっき親父が窓突き破ったのも、夢じゃないのか? 

 今、何時なんだ? 

 俺はどれくらい寝てたんだ……?」


 いけないと思っても、口から溢れる疑問は止められなかった。

 制御できない。

 思う端から言葉になってしまう。

 考えること自体をやめるのも、修行を積んだ僧侶じゃない竜愁にはできない。

 気づけば竜愁は管を引き剥がし、礼吾を詰問していた。


「待て、全部話す。

 おまえは今日、街の路地裏に倒れていたところを俺が見つけて、ここまで運んできた。

 医者が言うには栄養失調だからしばらくは入院だそうだ」


「……路地裏? 

 俺は学校で寝てたんじゃ……それに栄養失調? 

 そんなわけないだろ。

 飯は、野菜もちゃんと食ってたし、三食全部……あ? 

 ……待てよ、思い出せるだろ。

 アルツハイマーじゃないんだぞ。

 ちょっと出てこないだけで、そんな……」


 声はどんどん小さくなって、抗弁ではなく独り言。

 反論の根拠、つまり今朝の朝食や昨日の夕食のメニューを思いだそうとして、思い出せないのだ。

 そんなはずはないと必死になって頭を抱える竜愁だが、空転するばかり。

 いつも通りの朝食なら、トーストにサラダ。

 でも、食べた記憶が見つからないのだ。

 朝食を抜いた覚えもまた、ないのに。


 冗談ではなかった。

 まるで()であるかのように、伸ばした指先がかすることすらない。

 加えてそれは、別の記憶にも言えることなのだ。

 例えば学校でどんな勉強していたのかとか、例えば友人……はいなかったが、どんな会話をしただとか。

 ――例えば、家族とどんなやりとりをした、だとか。


 彼が思いだそうと額に皺を寄せれば寄せるほど、皮肉なことに記憶の欠落が突きつけられる。

 そんなはずはない、偶然だ。

 見つかる度に打ち消して、次へと記憶の探索に出る。

 そうして見つかるのはやはり欠落という、竜愁を追いつめるものばかり。

 悪循環に飲み込まれてやめられない賭博狂いのように、彼は――


「落ち着け!!!!」


 竜愁の異変に気づいた礼吾が、滅多にない大声で一喝したのだ。

 鍛えられた腹筋に基づくシャウトは音響兵器にも等しい。

 ビリビリと大気が震えるような激烈な声量に至近で打たれた竜愁は、強制的に引きずり出された。

 仙歌や響子も耳を手で覆い、顔をしかめている。


「いいな? 

 説明するぞ」


「あ、ああ。

 ……ありがと」


 頬を染めて言った礼は、蚊の鳴くよう。

 みっともない姿を見せたことへの巨大な羞恥心が竜愁を痛めつけていた。

 竜愁が更なる疑念を感じる前に、礼吾は続きを語り出す。

 だから、竜愁がその疑念を形にすることはなかった。


「おまえは三年間行方不明で、見つかったのは今日の深夜三時だ。

 その間、おまえがどうなっていたかはい《・》が《・》か《・》ら《・》な《・》い《・》。

 記憶も……その様子だと、ないらしいな」


「……は?」


 ――いやいやいや、それこそ冗談だろ。

 ――居眠りして起きたら三年後とか、完全に小説とかアニメの世界じゃねえか、バカげてる誰が得するんだよつうかドッキリだろありえない意味わかんねえ。

 混乱しきった竜愁は異様な速度で思考する。

 思考も後半は、荒れた言葉遣いの羅列であったが。


 救いを求めて父を、母を、妹を見る。

 しかし大切な家族は揃って悲しげな顔をして、首を横に振るのだ。

 演技なんて苦手な真面目家族だということは、知っている。

 竜愁には彼らが嘘を吐いていないと分かってしまった。


「やめろよ……」


 掠れるように、ありもしない希望にすがって声をかける。


「やめてくれよ、親父。

 こんなおもしろくないドッキリ、らしくないだろ。

 早く種明かしとか、なあ? 

 あるだろ? 

 あるんだろ? 

 どうせ始業式で貧血起こしたとか、そんな……」


 誰一人として竜愁の言葉を肯定してはくれなくて。

 痛ましげに、口を一文字に固く結んで首を振る。

 無性に、喉が引き裂けるまで叫びたいと思った。

 これは夢で、そうすれば体育館の椅子の上で目を覚ますことができる。

 首を振る彼らは、そんな幻想を否定しているようでもあった。


 けれど、堪えきれず。

 一八歳の半端者は小さく嘆く。


「なんだよ、これ……」


 ――誰も、教えてくれはしなかった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 家族が帰り、たったひとり。

 電気を消して、カーテンを締めて、真っ暗になった部屋。

 竜愁はベッドの上で膝を抱えていた。

 今、彼を見る人はどこにもいない。

 どんな醜態を演じようとも、それを見とがめられることはないのだ。


「なんだよこれ!! 

 三年!? 

 意味分かんねえよ! 

 ふざけてんじゃねえよ!!」


 だから彼は、形振り構わずに内心を発散する。

 それこそまさしく喉が張り裂けんばかりの絶叫だ。

 この病室が防音仕様であったことは竜愁にとっての幸いであろう。

 礼吾の大喝とは種類が違っているが、それに劣らぬ鋭き叫びだったのだから。

 そんな、精神年齢一四歳の少年が発する悲鳴が第三者の耳に入ることはなかった。


 ひたすらに苦しい。

 胸が締め付けられる。

 竜愁からは大切だった記憶が失われている。

 それらはきっと、三年――正確には四一ヶ月と二日――という長い月日の中でゆるやかに忘れていったもののはず。

 しかし、本来であればその埋め合わせとなるはずだった三年の記憶も竜愁は持たないのだ。


 礼吾は、竜愁が三年間何をしていたかは分からないと言った。

 嘘だということくらい、悟っている。

 嘘でないのなら、なぜ礼吾はあんなにも苦々しい顔をしていたのか。

 なぜ記憶を失ったかは知らずとも、どんなことをしてきたのかは、知っているのだろう。


 それが、竜愁にはたまらなく苦しくて、焦燥を煽る。

 自分のことは自分が一番知っている。

 知っていなければならない。

 そうでなくては大好きで大切な家族を欺くことはできない。

 心配を、かけてしまう。


 ――小川竜愁は小学校中学年から中学三年生の今……いや、三年前までの六年間、イジメを受けていた。

 きっかけは、子どもながらの正義感を振りかざしてちょっとした喧嘩(イジメモドキ)の仲裁に入ったことだったと思う。

 イジメモドキを主導していた力の強いグループに、そもそも孤立気味だった竜愁は目を付けられて――あとはまあ、よくある話である。


 当時の竜愁はただ悔しかった。

 年を経ても、その悔しさは薄れることなく残っている。

 ――理不尽なことを見たくなかっただけなのに。

 そんな想念。


 だから一度目のイジメのあと、家に帰った竜愁は授業で扱った程度でしかないコンピューターの前に張り付いて、キーボードをたどたどしく打ち込んだ。

 また明日な――帰り際の言葉が耳から離れなくて、だから竜愁は考えた。

 なんでやられたのか、なんでやられっぱなしになったのか。

 それは弱かったからだ。

 幼い竜愁が出した幼い結論は、しかしある種の真理だ。

 幼いがゆえに、彼はその結論に傾倒する。


 竜愁には、才能があった。

 ずばぬけた運動センスが大抵の動きを一度見ただけでまねて見せたのだ。

 稟性ひんせい、鬼才、そういったレベルの才者だった。

 ネットに散乱するあらゆる武術の知識が吸収対象であった。

 とは言え、そこは子ども。

 入り混じった結果原型は残っていない。

 漫画のアクションシーンを取り入れたぐらいなのだ。


 あっと言う間に一般的な小学生をゆうに上回る体力を獲得した竜愁は、彼らに勝利を収めた。

 初めてだった。

 必死に抗い、努力して、勝利したのだ。


 その後なんだかんだあって、暴力野郎として竜愁は孤立するのだが……それはまた、別の話。


 大事なのは、彼が彼の戦いを隠し続けたことにある。

 優秀な妹は私立の女子小学校に通っていたから問題なし。

 両親には汚れた服を差しだし、遊んでたら怪我した! と屈託なく笑って見せた。

 竜愁はずっと、明るいクラスの中心人物であるかのように家族に振る舞い続けていた。


 そんな生活を続けている内に、家族を笑顔にすることこそが竜愁にとっての至上命題になっていた。

 それ以外になかったとも言える。

 とにもかくにも、だからこそ竜愁はこの状況に尋常でなく取り乱していた。

 先に述べた通り、自分を知らなければ家族を欺くことができない――


「クソがッ!!」


 オーバースローで、枕を投擲。

 枕は壁にぶつかり音を立てて落ちる……予定だった。

 パンッ!! と弾ける音。

 パラララララッと軽い落下音。

 衝撃に耐えることのできなかった枕の布が破れ、中身のビーズをぶちまけたのだ。


 転がり広がる、何百というビーズ。

 証拠隠滅のやりようがなくなってようやく、竜愁は我に返った。

 丸いビーズはやたらめったら飛び散っていて、回収するだけでも骨が折れるだろう。

 ため息を吐く。


「何してんだよ、俺……」


 どこまでも愚かな自分が嫌になった。

 変えることができないものは、変えることができない。

 変えられない現状でどこまで足掻くか、どこまであらがうか、あるいは自分を変えることで届けるのか。

 それこそが肝要で、思考放棄して駄々をこねるのはバカのやること。


 分かっていた。

 いや、分かっているつもりだったのだ。

 感情が竜愁の手綱を引きちぎり、暴走する。


「くそが……」


 力なく罵倒して、うなだれる。

 ぐちゃぐちゃだった。

 最善を掴みとるために考えなければならない。

 けれど、今の竜愁は考える力を持ち合わせていなかったのだ。


「なんだよ、これ……!」


 細く悲痛に、慟哭する。

 いつしか混ざり、そればかりになった嗚咽は、かれるまでずっと、病室に閉じこめられていた。

 ベッドサイドに置かれた銀の指輪が、薄く輝いていた――


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