エピローグ01 『二つの終わりと二つの始まり』
――おまえをひとりにしないで済むんなら、俺はみんなの代わりにすべてを背負える。
――それで、いいんだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それは、少年が絶望に沈んだ日から、実に半年後の出来事であった。
――森が燃えている。
森に、ぽっかりと開けた空間。
燃える木々の熱波が陽炎を立て、立ちこめていた死臭が舞い上がる。
中央には、うず高く積まれた屍の山。
彼らと一緒に転移した地球人の同級生も含まれているその山の頂上に、両手をだらりと下げた異形の男が君臨していた。
額にねじ曲がった角、背に漆黒の翼、手足に鋭い鍵爪。
三メートルを越す身長の、筋骨隆々とした悪魔のごとき外見の男。
――しかし男は、その相貌を恐怖に歪めていた。
「おまえは、いったい」
男の視線の先、そこに立つは、ひとりの少年。
両脇に金髪の少女と黒髪の少年。
正面に男と良く似た姿の怪物。
みな、物言わぬ屍だ。
彼の足元には真新しい血が溜まっていた。
先の見えない洞窟を背にした少年は、黄金色の剣を、男の胸に向け構えている。
剣尖がピタリと定まっている構えは、なるほど堂に入っていた。
だが――、それだけだ。
赤黒い血で汚れた、みすぼらしい格好。
どこにでもありそうな服に、どこにでもありそうな申し訳程度の防具が張り付いている。
体格にも特筆されるようなところはない。
どこか貧しい国の浮浪児にも、近い格好の者を見つけられるだろう。
彼らはもちろん、異形が恐れるほどの存在ではない。
では、何が男をおびえさせているのか。
――眼。
金一色の瞳が、おぞましい殺気に濡れている。
――剣。
刀身もさることながら、剣の纏う金光が、どこまでも鋭い殺気を放っている。
――そして、一見して見窄らしい彼の印象を何よりも先に変容させるのが、その佇まい。
黙し、剣を構えた体勢から一寸とて動かず。
大気が歪んでいるかのような錯覚を与える、人とも思えない夥しい殺気――鬼気を放散している。
「【炎ヨ】!
【燃エ滾リ、盛リテ舞イ】【彼ノ地ヲ灰塵ニ帰セ】【展開】【狂炎螢惑】ゥッ!!」
男が叫ぶ。
紫色の煌めきが男から放たれ、飛び散り、周囲の炎を呼び寄せた。
炎は寄り合い渦を巻き、巨大な真球を成して少年めがけ飛来する。
対して、少年は。
「【展開】【氷霜付加】」
短く紡ぎ、剣を薙ぐ。
瞬間、吹雪が吹き荒れて、炎をかき消した。
水蒸気が爆発的に膨らむ。
それを、彼は何の気負いもない剣の一閃で吹き散らした。
そして少年が、歩き出す。
ぴちゃ、ぴちゃ、ぐちゃり、ぴちゃ、ぴちゃ……。
山の麓からふっと飛び上がり、空中に立った少年は、金剣の切っ先を男の首に軽く当てる。
「っ、ひっ……おま、えは……」
引きつけを起こしたかのように途切れ途切れ、男が言った。
少年は力強く、
「――俺は、【勇者】だ」
剣が払われる。
ごとり。
落ちた首が、ころりころりと転がっていった。
彼は剣を払うと、暫し、炎に透かして夜空を眺めていた。
――カチリ。
音が鳴ったそのとき、【勇者】はもう、姿を消していた。
そして数秒後、天を衝く火柱が森を包む。
――これが、はじまりの終わり。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「どうして!!
どうしてあなたは奴らのために戦えるのッ!?」
「【勇者】だから、護る。
ただそれだけだ」
「そんなの……!
奴らが私たちに押し付けただけじゃないッ!!
私たちが従う義務なんて――」
「それでも!!
俺は【勇者】なんだよ!!
【勇者】だからっ、何にかえてでも、世界を救わないといけないんだ!!
それが、俺の――」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それはまさしく、終焉の光景だった。
コンマ一秒毎に大地が廃屋が、散らばる無数の死体が消滅していく。
発される爆音に轟音に破砕音に破裂音は余人なら聴覚を失うほどのものだが、この惨状を広げる二人には影響を及ぼしえない。
――そう、それはたった二人の人間が生む災厄なのだ。
鈍い金色の光を全身に纏い、二振りの剣を操り破壊を生み出す青年がいた。
彼の剣が閃く度に、明らかに質量で勝る巨石が両断され、身の丈を越える炎塊は消え去り、氷弾は無数の砕片に刻まれる。
彼は、その肉体と両手に握った武器だけで、襲い来る天変地異どころではない魔法と魔術のことごとくを迎撃していた。
紺色の光を撒き散らし、魔術と魔法を操り破壊を生み出す少女がいた。
彼女が放つ魔弾は秒間一〇を越え、その一発一発が人を即死させるに足る強大な威力を内包していた。
青年めがけて放たれるそれらは、迎撃されたあとの余波で地面を抉り、流れ弾で家屋を消しとばし、進行方向にあった死体を塵に返す。
数年前に滅びを迎えた大国、グリューレ。
百万都市であったその広大な首都を一夜にして更地に返さんばかりの戦いを繰り広げる彼らは、【勇者】と【魔王】。
資格を有す者として、地球より召還された当時一四歳の少年と、当時一二歳の少女の、成れの果てであった。
――ここは、彼らが平穏に暮らしていた日本という国、地球という惑星が存在していた世界とは異なる世界、【ソタラハディア】。
世界に選ばれた四人の少年少女、その生き残りが今、【勇者】として、【魔王】として、雌雄を決しようとしていた。
片や、種族的劣位により幾度となく敗北の危地に陥った【人族連合軍】を彼と、彼の仲間が持つ圧倒的戦闘能力で支え続けた【世界最強】の【剣ノ勇者】。
片や、強者の集まりである【魔族】の中で共に召還された地球人の下、序列二位にまで上り詰め、数千数万の【純人族】【獣人族】を虐殺した【魔王】。
彼らを除く全ての地球人が去ったこの地で戦う彼らは、間違いなく世界最高峰の実力者だ。
――その実、彼らの能力には大きな開きがあった、が。
巨岩が、【勇者】の眼前で猛炎に姿を変えた。
魔術にしてもあり得ないこの現象は、【魔王】の固有魔法によるものだ。
炎が【勇者】を包み込まんばかりに広がって――
【勇者】は、剣の二振りで炎を掻き消し、熱に揺らめく空間にかまうことなく突撃する。
そんな彼の進攻を止めるべく、【魔王】の放つ魔術・魔法の苛烈さが増す。
秒間一〇発から二〇発、三〇発へ。
しかし、音速に倍する、人を越えたスピードで駆ける彼はそれにすらも対応してみせる。
長剣が閃き、攻撃の全てを消し去った。
勿論、彼は一直線に走ってなどいない。
視界を埋め尽くさんばかりに数を増す魔術・魔法の隙間を、時には曲がり、時には引き返し、時には止まり、時には斬り開いて、ただの一発に当たることもなく、じりじりと歩を進める。
その間にも【魔王】が後方へ飛行しているから、距離としては詰まっていない。
むしろ開いているぐらいで、それだけを見れば【魔王】が優勢とも取れるだろう。
だが、魔弾の発射数が秒間七〇を越え、八〇を越え……それでもまだ、【勇者】は進攻速度を変えていなかった。
相も変わらず、進み続けていたのである。
【勇者】の足元めがけて、氷の槍が飛来する。
【勇者】が軽く跳躍すると槍は地面に突き刺さって、土をマグマに変えた。
マグマは触手のように伸び上がり、【勇者】を追尾するが――彼が見もせずに背後へ振るった剣に斬られて力なく落下する。
その瞬間にも、【勇者】はもう片方の剣で岩の散弾を吹き飛ばしていた。
そして、魔弾の増加速度が止まる。
秒速百発超。
【勇者】をドーム状に囲んで配置されたそれらは、間断なく放たれ、穴の空く先から次弾が補充される。
逃れようのない、牢獄だ。
――ここにきて、【勇者】の放つ空気が変わった。
足を止め、体を撓め――解放。
一直線。
破裂する空気が、振るわれる二刀が、好機と見て一斉に降り注ぐ魔弾を弾き飛ばす。
段違いのスピードで【勇者】は駆けた。
強酸性の岩石を両断しその間を通り抜け、稲光すらも斬り払い、風の刃は纏う風が通さない。
質量のない爆発には、纏う金光を強めながら飛び込み全くの無傷。
彼は、曲線機動を取る必要さえなかったのだ。
それが意味するのはただ一つ――時間稼ぎに他ならない。
そして、時間を稼ぎ終えたから、【勇者】は戦いを最終局面に動かす。
――韋駄天、豪雨のように降り注ぐ魔弾如きでは止められない。
多かろうと、雨は雨にすぎなかった。
魔術の牢獄、その終端。
眼に痛いほどに濃厚で激しい魔力が詰まった数千の魔弾によって築かれた、壁。
一発一発が青年を殺すに十分な威力を持っている。
後方からも、残弾が結集して押し寄せていた。
立ち止まり、【勇者】は剣を交差させる。
リィン……と、刃鳴り。
――そして【勇者】が、魔術を使った。
「【剣ノ勇者ガ力ノ全テヲ以テ】!
――【展開】【魂ノ徴奪者】!!」
それは、【剣ノ勇者】が誇る固有魔術。
金光が炸裂し、その光が魔弾の全てを奪い取る。
たったひとりに向けられていた膨大な魔力が、たったひとりの力として凝縮され――
景色が、晴れる。
夜。
満月に照らされる中、周囲は炎の赤に染まっていた。
破壊し尽くされた都市の瓦礫の数少ない可燃物に火が点って、【勇者】と【魔王】をつなぐ一本の道を浮かび上がらせていた。
【勇者】の視界の多くを占めるは、廃城。
かつては栄華を極めた国の顔は所々崩れている上に煤にまみれていて、見る影もない。
ただ、おどろおどろしさだけがあった。
その城の中央が、大きく突き出ている。
テラスだ。
王族が民に言葉を送るための、高座。
【魔王】は、その上に立っていた。
【勇者】が跳ぶ。
霞むような加速で【魔王】に正対した【勇者】は、何の工夫もなしに、大上段からから二振りの剣を同時に落とす。
――激突。
突如として【魔王】の頭上に出現した濃紺色の障壁が受け止めていた。
しかし、足場の方は無事にすまず、崩落する。
空中戦。
上下左右、魔弾が【勇者】を完全に包囲した。
それに対し、青年は迅速に動く。
剣を振り抜き障壁ごと【魔王】を吹き飛ばして、彼女に続いたのだ。
それだけで魔弾は【勇者】に追いすがるような形になって、【勇者】の一閃に打ち砕かれる。
【勇者】は未来が見えているかのように、出現する魔弾群をすり抜けて【魔王】に追いついた。
そしてまた、障壁と剣が激突する。
【魔王】は一瞬にして跳ね上げられて、障壁も霞んで消えた。
【勇者】は追撃を仕掛けようと宙を蹴り――
刹那、動きを止めた。
「ありがとう」
それはいったい、誰に向けての言葉だったか――
小さな小さな声は、連続する爆轟に塗りつぶされた。
無傷で脱出して、【勇者】は呪文を紡ぐ。
彼らの母語――日本語で。
「『我が名は剣ノ勇者』」
詠いながらも、【勇者】は止まらない。
【魔王】への最短距離を、阻む魔弾など存在しないかのように飛び進む。
詠唱が一節進むごとに身に宿す光を減らして速度を落とし、それでも【勇者】は【魔王】に迫った。
「『望むはただ、望みを叶える道具』『つながりを裂き、楔を砕き』『我が魔法によりて』――」
だが、ついに【魔王】の魔術が【勇者】を捉える。
氷の刃が、彼の左腕を肩から斬り落としたのだ。
激痛に襲われているであろう【勇者】は、なおも自らの力を削る詠唱をやめない。
落ちた左腕と剣は、炎に呑まれて消えた。
「――『彼女の呪い、全て変えよう』『彼女が真なる自由を与えられんことを願って――』」
手数の半減した【勇者】は、右腕一本であらゆる攻撃を斬り伏せた。
彼の剣は極限状態にあってさらなる冴えを見せる。
軽くなった左半身から血を吹き出しながらも、【魔王】との距離を縮められているのがその証左だ。
【勇者】とするには余りに無惨な狂体で、青年が【魔王】に肉薄し――
「『展開』――『御霊の剣』」
そこで、詠唱も終わった。
彼の右手に握られた長剣が、【勇者】の力の全てを宿して煌々と輝く。
――だが同時、【勇者】の体が爆発に呑み込まれた。
そこめがけて、雷光が走る。
決定打を受けた【勇者】は――
「――アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
この世の者とは思えない大絶叫。
そして、その勢いで一歩、宙を蹴った。
爆煙を、抜ける。
この距離では魔法ももはや遅すぎる。
左手、右足を失った凄惨な姿で血を撒き散らす【勇者】が剣を突き出し、その剣尖が【魔王】の心臓を――
「おまえは、自由だ」
瞬間、閃光。
金光が爆発してどこまでも膨れ上がり、闇夜を金色に染め上げる。
廃都を完全に包み込んだ光は、唐突に弾けて消え去った。
その発光現象の痕跡は、ひとりを除いて何も残らない。
嘘のように静まり返った上空に、ちっぽけな少女がひとりだけ――
かくして――
小川竜愁という【勇者】はその命を落とし。
羽場木寡奈という【魔王】は世界から解放された。
それは記録されない、終わりの戦いであり、始まりの戦いでもあった。
この日を境に、二つの世界は新たな流れに飲み込まれていく。
激流の中、如何様な変化が起こるのか――
それはまだ、神さえも知らない未来の話。