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少年の誓いと彼女の祈り  作者: 歯歯
第二章 『勇者の帰還が意味するものは』
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第一一話 『――そして、』

 それは、子どもじみた感傷なのかもしれない。

 社会で生きる上では空気を読んで流されることだって必要だろう。

 無難に、平穏に生きながらえるならそうするのが一番だと、学校という社会の縮図で実感している。


 けれど、自分が声を上げることで救われる人がひとりでもいるのなら。

 勇気を持って抗える人間になりたいと。

 ――そう、思うから。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 結局、自分は冷静さを欠いたままだったのだろう。

 ちぎれかけた左腕の激痛と、ありえない速度の回復がもたらす気の狂いそうな痒み。

 苦悶を顔に浮かべながら、竜愁は思う。


 今、新福岡を襲っている異形の正体は、魂獣ではない。

 【魔獣】――人為的に魂を増強された生物が辿り着く、成れの果て。

 竜愁はそれを知っていた。

 知っていたのに、気づけなかった。

 ……気づいていれば、妹の前で大怪我を負うこともなかったのに。


 魔獣の特徴は、三つ。

 枷の外れた膂力と、細胞の限界を越えた自然治癒力。

 そして、魂の鎧。


 どれもこれもがやっかいだが、とりわけて危険なのは魂の鎧。

 肉体()に収まり切らなくなった魂が溢れ出て、結晶体となったそれは、ほぼあらゆる魔術を無効化する。

 超高密度の魂と魔力が相殺してしまうのだ。

 さらに、耐ショック性能、防刃性能、耐電・耐熱性能、どこをとっても高い数値を誇っている。

 再生能力と相まって、一定以上の攻撃力がなければ討伐が不可能なほどだ。


 とはいえ、間接部を狙って断ち斬れば、低い攻撃力でも殺せないことはない。


「――ッ!」


 縦斬り一閃。

 最後の一体を斬り殺した。

 ごとりと猿の首が落ちて、血が噴き出してくる。

 返り血を浴びる前に、竜愁はその場を動いていた。

 ペース配分を度外視した、全力疾走。


 頭の中では無数の数字やら文字やらが踊っている。

 法則に従って組み替え、代入し、そうすることで術式は完成する。

 完成した術式はまた別の法則に従って圧縮し、詠唱文に落とし込む。

 あとは必要量の魔力を声と一緒に放出することで、詠唱は中空に投影され、その形を広げ、魔術となる。


「【多重展開・二七】【痛覚遮断】。

 【火ヨ】【散リテ飛ビ、熱ヲ刻メ】【展開】【火鳥散花(かちょうさんか)】」


 立ち止まった竜愁の全身から金光が伸びて、地面に落ちる。

 さらに、巨大な火の球が浮かぶやすぐに弾けた。

 散った火は曲線軌道を描いて金光と同じ場所に降り立つと、一斉に花を咲かせる。

 大ざっぱな、ややもすれば傷の治りを鈍化させてしまう最低の応急処置。

 けれど、二七の命を引き延ばすには必要な処置だった。


 立っているのは、せいぜい十人。

 その十人も軽傷とは呼び難い怪我を負っていて、少なくとも、死の際に瀕する部隊員たちを救えるような状態ではない。


 本当に危険な者に関しては魔獣を討伐しながらできる限りの処置をすませてある。

 知識に従ってやったことであるが、助かってくれるかどうかは分からない。

 けれど――、ここでやれる限りは尽くした。

 尽くした、はずだ。


 だのに竜愁は数瞬、動けなかった。


 ――大通りには地獄のような光景が広がっている。

 血に内臓に、死体に肢体。

 一歩踏み込むだけで地面はぐずりと泣き、吐き気を催すほどに濃厚な鉄分が大気に充満している。


 その地獄が、竜愁を引き留めていた。


 ――おまえのせいだ――おまえが妹を優先したから――苦しい――恨めしい――痛い――生きていたい――死にたくない――怖い――殺された――おまえも――いのちが――死ね――ほしい――死ね――嫌だ――死ね――死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね――


 怨嗟の声が聞こえてくるようで。

 救いたいとは思った。

 けれどやっぱり、竜愁にとっては、家族が一番大切なのだ。


「……ごめんなさい」


 顔を上げたまま呟いて、少年は走り出す。

 【空歩】を使って、浮かび上がった。

 走る。

 歯を食いしばり、全力で。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 すぐに死体が転がる戦域を抜けた。

 崩れていたのは末端部だけで、残りは拮抗している。

 魔獣の強さは北に行くにつれて上がっているのだが、護民官の練度も同様に上がっているようだった。

 おそらく、崩れたのは取りこぼしの処理を任されていた新兵だったのだろう。


 剣を持った竜愁が駆け込むと、ひとりの護民官が近づいてくる。

 機械の鎧を泥や煤で汚したその男は、竜愁が戦っている姿を見ていたのだろうか、

「ここはいいから北に! 

 第一部隊の方に行ってください!!」

 と言った。


 戦場を見渡す。

 戦闘は少しずつだが終結しつつあった。

 負傷者こそ多いが死者はそういない上、魔獣を殺した隊が戦闘中の隊へ援護に入っていて、敵が押し寄せない限り崩れそうにはない。

「アレには炎系の魔術が有効です!」男が頷くのを確認して、竜愁は加速した。

 一歩ジャンプし、大通りの中央を飛行する。


 次の戦域までは、少し距離が空いていた。

 だから竜愁は十数秒間、瓦礫が山を成す、結界があった街の境界線より手前、五メートルもの巨体を持つ鹿や紫色の長大な爪を有する大熊が街を破壊していく様を見せつけられることになる。

 それはまさしく暴虐だった。


 鎧姿の護民官が、熊が腕を一振りするだけで吹き飛んでいく。

 その護民官が抜けた穴はすぐに別の護民官が埋めているが、今度は別な護民官が吹き飛ばされて穴となる。

 そのタイミングで鎧を着ていない護民官が炎の魔術を打ち込んで時間を稼ぐが、熊が煩わしげに咆哮すると炎は掻き消された。


 大鹿と戦っている隊も同じような状態だ。

 前衛でローテーションを組み、後衛の魔術で時間を稼ぎ、その間に回復した鎧姿の護民官がゾンビアタックをしかける。

 死にものぐるいで、綱渡りのような攻防を繰り返す彼らは雄々しいと称されるべきなのだろうけれど、ただただ惨めでしかない。

 遠くから見る鎧は、砂泥の色を宿していた。


 好材料があるとすれば、たったひとり瓦礫の側で全高三メートルのライオン型魔獣と戦う礼吾の姿だ。

 礼吾は他の護民官とは隔絶した実力を存分に振るい、紫色の魂力を纏うライオンを完全に抑え込んでいる。

 他の二体より幾分弱いとはいえ、拮抗していた。

 ――なら。


 響子がある程度安全な後衛部隊にいることは確認してある。

 護民官たちの足止めも彼らの魔力を視る限りまだ一〇分は持つ。

 その間に礼吾が戦っているライオンを殺して、それから鹿と熊を殺せばいい。

 ライオンも確かに強いが、魂格値と戦う姿からして、父と一緒ならきっと勝てる。

 魔獣として持つ高い防御力も、【剣ノ勇者】の技量であれば突破できるという自負があった。


 魂力を全身に強く纏った。

 纏った魂力の中に術式を書き込んで、発動。

 風魔術【風撃】で、今の竜愁がただ足を回すだけでは絶対に得ることのできない絶大な推進力を確保する。

 体に響く衝撃も並大抵のものではないが、知識が適切な姿勢を教えてくれていた。


 鹿と熊の間を抜ける。

 誰かが「戻りなさい!!」と言ったけれど、強烈な風にゆがんでしまっていて判別はつかない。

 とはいえ、きっと母だろう。

 止められると予想がついていたから、竜愁は【風撃】を使ったのだ。


 そして、戦闘の余波であちこちにクレーターの散らばる領域に入った。

 先の場所も酷かったが、深さが、範囲が、数が。

 あらゆる点で悪化している。

 ものすさまじいまでの戦闘痕。

 礼吾の実力に、ああやっぱりと竜愁は快哉を叫んだ。


 ――この男が、自分の父親なのだ。

 胸に抱く憧憬は幼き頃に比べて一遍の陰りもなかった。

 魔獣と命賭けで戦うその背が、ひたすらに大きい。


 本当に、格好良いのだ。

 荒れ狂うライオンと目まぐるしい立ち回りを演じる姿は英雄のよう。

 戦っている姿なんて見たことはなかったけれど、いつも背筋を伸ばして立つ父親こそが、竜愁が一番最初に憧れた礼吾だ。

 変わらずに格好よくいてくれたことが、泣きそうなくらいに嬉しい。

 今から一緒に戦えるという事実が、あの光景に萎れかけていた竜愁の気を沸き立たせる。


 三、二。

 流れを読み、一拍空く瞬間へカウントダウン。

 一を数えた瞬間に、竜愁は全力で踏み込んだ。

 衝撃に耐えかねた靴が弾け飛ぶ。

 鈎爪を打ち払いバックジャンプする礼吾の横を通り抜ける。

 ちらりと見た礼吾は一瞬驚愕に目を見開き、次いで頷いた。

 それを見て、竜愁は二歩目を踏む。

 こちらも靴が弾け飛んだが、竜愁の気には留まらなかった。


 剣を、振るう。

 重心移動、腕と足の連動、剣の角度、斬撃の威力を決定するあらゆる要素を竜愁は知っている。

 知っているから、その通りに考えて動く。

 強化された竜愁の肉体や、培っていた技術、そして――、異世界より【剣ノ勇者】に選ばれるほどの剣才がそれを可能にしていた。


 激突。

 振り下ろされる爪を叩き落として間を作り、竜愁はライオンの至近にまで潜り込んだ。

 剣の間合い、超接近戦。

 それは、大いなるもの(魔獣)に対する小さき者(人間)の戦い方だ。


「グゥォオオオオオオッ!!」


 ライオンが吼えた。

 発声が体に及ぼす影響については記憶も認めるところだが、人を越えた領域において大仰な動作は隙でしかない。

 前方にだけ使っていた運動エネルギーを、上へ。

 ――慣性の法則を無視したかのような垂直跳びから流れるように斬り上げ、紫色の牙を()()()


 固定された長いものは、先端に強い衝撃を与えるだけでたやすく折れる。

 そのままの勢いで宙返り、上下逆さになった段階で結界に足をつき、魂力の中に仕込んだ魔術を発動。

 【風弾】。

 竜愁の右斜め後ろで弾けた風は、ゼロになっていた竜愁の速度を跳ね上げる。

 がら空きな巨体の胴を薙ぎ、竜愁は左斜め前方へと移動した。

 紫の水晶が削られ、暴風に舞う。


「――『槍を模し飛び穿て』『多重展開・三』『炎槍』」


 ライオンは、手傷を負わせた竜愁を追って機敏に振り向く。

 その横っ面に、礼吾が日本語の詠唱を経て発動した『炎槍』が三本、連続して着弾した。

 火炎がライオンの纏う魂力の上を舐めるように広がる。

 大幅に減衰されても衝撃は届き、魔獣は仰け反った。


 その好機を逃す竜愁ではない。

 仰け反った魔獣の巨体は今、二本の後ろ脚だけで支えられている。

 つまり、非常に不安定な状態にあるということだ。

 脚は竜愁の体よりも大きく、強固な紫色の鎧に護られているが――


 ――【剣ノ勇者】の技術は、こと剣術において、神がかった領域にまで研鑽されている。

 ならば、斬れない道理はどこにもない――


 胴を右から左へ薙いだ竜愁の右手は、左肩の前にある。

 左足でブレーキ、右足で一歩前進。

 そして――斬撃が斜を描いて迸った。

 澄んだ快音。

 剣尖は竜愁の足先にたどり着いている。

 正真正銘、竜愁が全力で放った斬撃はなんの効果ももたらさなかったかのようで――


「グオァアッ!?」


 鎧どころか、肉体そのものを斬り裂いていた。

 刃一枚分しかない裂け目から血が吹き出す。

 それを避けて、竜愁は右に体をずらした。

 この程度なら、わざわざ返り血を浴びてやる必要もない。

 体重のかかった後ろ足にダメージを入れられて体勢の揺らいだライオンに、追撃。

 股をくぐり抜けながら、先ほどと同じ脚を斬りつけた。

 さらに出血するライオン。

 ガクリと膝が折れて、地面につっぷす。


「ハァッ!!」


 礼吾の声。

 今度は接近して顔面を攻撃しているらしい。

 魔獣の前は起き上がりざまの反撃が怖いが、礼吾は警戒しているだろう。

 ――なら、俺は後ろからだ。

 竜愁はジャンプして、剣を振り上げた。

 竜愁の腕ほどに太い尾を、根本から斬り飛ばす。


「――ゥグゥゥアッ!?」


 ライオンが悲鳴を上げた。

 神経も通っている体の一部を切断されたのだ。

 人間ならのたうち回るほどの痛みが走っているだろう。

 ――しかし、百獣の王とまで称された獣の底力か、ライオンが一つ叫んでから見せた動きは違っていた。

 ライオンの纏う魂力が爆発的に高まる。


「退避!」竜愁の警告は届いただろうか。

 直後、圧縮により対物干渉能力を飛躍的に高められた紫色のエネルギーが爆発した。

 竜愁はとっさに魂力を高め、同じように放出する。

 間に合うかは分からないが、礼吾に届くダメージを少しでも低減できれば――


 衝撃。

 空中にいた竜愁は吹き飛ばされるままになることで被害を最小に押さえ、波が去るや眼で捉えた魔獣に襲いかかる。

 礼吾も飛ばされていた。

 万一意識を失っていたら、竜愁が魔獣を抑えない限り危険が及ぶ。


「――ァアアッ!」


 ライオンの背中に狙いをつけて、声を上げながらに斬りつけた。

 ――浅い。

 鎧の表面を削っただけで、中身はなんの痛痒も抱いていないだろう。

 だが、竜愁の存在は認知されたはずだ。

 だめ押しに返す刃で斬り口をそのままなぞり、次いで蹴りつける。

 そして【風弾】。

 ライオンの眼前に躍り出た。


 魔獣は、己に深手を与えた敵と相対し即座に動いた。

 竜愁めがけて振り下ろされる爪。

 初撃とは比べるまでもないスピードの爪撃は、着地直後の竜愁に完全回避を許さない。

 魂力漲る左腕が後詰めに待ちかまえていた。

 受けようとも、逃れようとも、二撃目が竜愁を斬り裂くだろう。


「ッ!」


 舌打ちし、竜愁は一撃目を避けた。

 二撃目は剣で防御し、せめて爪で斬られるのだけでも防ごうと――

 ――風。

 竜愁とライオンの間を横切って、衝撃波を発生させながら、大質量の岩石が魔獣の左腕に着弾した。

 腕は弾丸に弾かれて、竜愁から離れていく。


 竜愁はその瞬間に飛び上がっていた。

 【空歩】が生み出す結界を蹴り飛ばして、斜め上方へ。

 最短経路を辿り、竜愁が狙うはライオンの顔面。

 ――視覚の関係上鎧が薄くなっている眼球に、両手持ちした長剣の切っ先を突き込んだ。

 そのまま剣からは手を離し、ライオンの鼻面を蹴っとばして距離を取る。

 空中で、悲鳴を打ち消すように終わりを叫んだ。


「――【解放】!!」


 合図に応え、【氷剣】が炸裂する。

 氷の破砕音、途絶えるライオンの叫び。

 脳をズタズタにされれば、どんな生物であろうと即死する。

 魔獣は、死んだ。


「怪我はないか!?」


「無事だけど、親父は!?」


「こっちも大丈夫だが、さっきみたいな無茶はするな!」


「っ、ああ! 

 親父は鹿の方に行ってくれ!」


「分かった!」


 短くやりとりして、竜愁は反転する。

 礼吾も動き出したのだろう、鉄の擦れる音が聞こえてきた。

 遠ざかるそれを聞きながら、竜愁は次の戦場へと走った。


 ――後はもう、特筆すべきこともなく。

 二人が合流した熊や鹿との戦いも数分で決着し、多大な犠牲を払いながらも、新福岡を襲った魔獣との戦闘()終わった。

 ――しかしまだ、終わらない。

 この戦いがただの前座にすぎないことを、竜愁は知っている。

 ――【】のはちきれんばかりの魔力が、街の外に充満していた。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「ちょっと見せなさい!!」


「怪我はしてないから――」


「いいから!!」


「……はい」


 魔獣との戦闘を終え、比較的軽傷の護民官が索敵や治療に走り回る中、竜愁は響子にとっつかまり、ボロボロになった病衣を剥かれていた。

 怪我は確かにない。

 しかし、飛び散った血が斑模様を作る病衣を見れば、誰であっても心配するというものだろう。

 気が済むまで確認されるのが息子の仕事。

 それぐらいの時間は、許してもらえるだろうか。


 そうして散々体の隅々までを点検されて、ようやく竜愁は響子から解放され、着替えることを許された。

 ちなみに、気温一〇度前後の外である。

 数分程度だったが、体が震えている。


 間に合わせとして渡された護民官用の戦闘服に身を通す。

 頑丈な作りのこれなら、今の竜愁が全力を出しても壊れないでいてくれるだろう。

 勇者の装いとしては少々妙ちきりんだが、戦闘中に破壊される(服がなくなる)よりはよっぽどいい。


「似合ってるな」


「……親父、戦後処理はいいのか?」


「ああ、部下が気を使ってくれてな。

 功労者なんだから休んでいろと」


「……感謝しないとな」


「ん?」


 竜愁のこぼした呟きに、礼吾は怪訝な顔をした。

 竜愁が感謝するのは、間違っていないが少し外れている。

 それに応えることはせず、竜愁は一歩、並んで立つ両親から距離を取った。


「どうしたの?」


「……まだ、避難してる人は避難したまんまなんだよな?」


「? 

 ええ、そうよ。

 ……戦死された方を集めて、大通りの瓦礫を片づけて、それからになるでしょうから……今日いっぱいは避難所にいてもらうことになるかしらね」


「そっか。

 ……なら、大丈夫か」


「何が大丈夫なんだ? 

 さっきから要領を得ないが……」


 竜愁は俯き、黙りこくる。

 数秒して、風が吹いた。

 嘶くような音を立てる風だった。

 乾いた冷たい風は重力に従って垂れた竜愁の髪を大きく揺らした。

 そして竜愁は、顔をあげる。


 一つ目の覚悟が、決まった。

 ピタリと震えが止まる。


「――これから俺は、何度も何度も、二人にも仙歌にも心配をかけると思う。

 大怪我もするかもしれない。

 俺はそれでも構わないんだ。

 でも、みんな悲しむと思うから」


「いきなりどうしたの、――まさか」驚愕する響子に、竜愁は頷き、嘘を吐いた。


「記憶、戻ったんだ。

 だから全部任せてほしい。

 ――【魔王】が、近くまで来てる」


「そんなこと――」


「響子」


「……分かってるわよ」


 少しぶすっとしてこちらを見る母に、竜愁は笑んだ。

 そこから目を動かして礼吾を見ると、父親は頷く。

 竜愁は息を吸い込んで、言った。


「先に、謝らせてほしいんだ。

 これからの俺は、みんなを護るためって言って、みんなを傷つける。

 それならやるなって話だけど、でも、これが俺のやりたいことでで、俺にできるたったひとつのことだから、やらせてほしい。

 ――親不孝な息子で、ごめんなさい」


 腰を折って、一礼。

 竜愁は大切な人を護りたいから、戦う。

 けれどどうしてか、竜愁の大切な人はみんな優しくて、きっと、自分がその戦いの中で傷つくことを悲しむだろう。

 そうはさせないと、竜愁より前に出る人もいるかもしれない。

 自分の決断が誰かのこころを揺らすのが苦しくて――だから竜愁は頭を下げた。


「俺に、護らせてください」


 自己満足と言われれば、そうだろう。

 謝罪したからといって、二人が竜愁の傷つく姿を見て何も思わないわけがない。

 しかし、こうやって頭を下げることが誠意なんだと竜愁は信じている。

 何もできないからこそ、誠意を尽くす。

 それが、小川竜愁という少年の――そして、勇者リュウシュウが忘れてしまった――在り方だった。


「……ひとつだけ、約束しなさい」


「………」


「――絶対に、いなくならないこと。

 私からはそれだけよ」


「――約束する」


 垂れた頭を持ち上げて、響子の目を見据え、竜愁は言った。

 響子は「頑張りなさい」と投げやりに言って、きびすを返した。


「俺から約束してもらうことは何もない。

 おまえがずっと全力を尽くしてきたことは知っているから、俺が何も言わなくても、おまえはそれを続けるんだと信じている。

 ただ、宣言させてくれ。

 ――俺はおまえが帰る場所を護り続けると誓おう」


「……、分かった」


「何かできることはあるか」


「……外周部には人を近づけないようにしてくれ」


「それだけでいいんだな」


「ああ」


 そうして、父と息子は同時に背を向けた。

 父は街の中央へ、息子は街の外へ。

 竜愁は一度、歯を強くならして詠唱する。

 氷の剣と、氷の手甲。

 右手と左手にそれぞれ装備して、竜愁は街を出た。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ――そして。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「――待たせたな」


「――なに、親子の会話を邪魔するほど無粋じゃないさ」


 勇者と魔王が、世界を変えて。


「さあて、始めよう」


「……ああ」


 今ここに、相対する。


「行くぞ、勇者」


「来い、【魔王】」


 ――この日、地球は彼らの舞台へと姿を変えた。




 【勇者】や【魔王】といった称号に【】がついてたりついてなかったりするのは仕様で、一応意味があります。

 ただ、作者の付け忘れもあると思われますので、意味が分かった方も「ふーん」ぐらいに思っといて下さい。

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