第五話―暗澹―
凍りついた2-1のドアに手をかける。
「火の魔族の少年、炎で氷を溶かしてくれ」
「俺は少年じゃねぇ、カムランだ」
「はは、悪い。じゃあカムラン、氷を溶かしてくれ」
魔力を手のひらに凝縮し、炎を灯す。
「みんな、少し離れてくれ」
全員が離れたのを確認し、魔力を放出。ドア一面が炎に包まれる。
「おー、さっすがカムランやな!」
「これで中に入れるな」
ロアガがドアを開ける。冷気が充満している。
「っ…」
氷点下の気温に耐えられず、膝をつく。
教室には1人ぽつんと佇む人影があった。
「カムラン、お前は下がってろ」
セレンが俺をかばうように立つ。
「っ…やれるっての…!」
「寒くて動けんのやろ?足引っ張るのがオチや」
「くっ…」
…悔しいが、ラフェルの言うとおりだ。
「コアトル、目を覚ませ!」
ロアガ先輩が呼びかける。うちの生徒らしき人影は、ゆっくりとこちらに向き直る。
…あまりにも冷たく凍てついた眼差しに、恐怖すら抱く。
刹那、氷の礫がこちらめがけて飛んでくる。
「遅い」
セレンの矢が礫を撃ち落とす。
「くそっ、意識を奪うしかないのかっ…!」
ロアガ先輩が苦い顔になる。コアトル先輩は魔器も持たずに魔法を起動した、特異体質だ。
「関係ない、俺は血が見られるならなんでもいい」
セレンがガストラフェテスの照準を、コアトル先輩に合わせる。
「セレン、やりすぎるのは許さへんで」
刹那、3人の足元から氷の針が生える。三人はそれぞれ、電磁飛行、空間操作、音速移動で躱す。
浮遊しながらセレンは魔器に魔力を凝縮させる。
「消えな」
それを合図に、凝縮された矢が放たれる。着弾した壁をいとも容易く貫通し、矢は虚空の彼方に飛んで行った。
標的はどこにもいなかった。
「おいバカっ!吹き飛ばすな言うたやろ!」
背筋を凍らせるような寒気がする。
「後ろだっ!」
俺の声で2人は後ろを見る。同時にコアトル先輩が氷の刃で一閃。
2人は即座に受け身を取り、床に着地する。
「悪りぃ、助かったわ」
「借りは後で返せ」
セレンの空間切断で逃れたようだ。
「セレンは敵の注意を引きつけてくれ、その間に俺とラフェルがあいつの動きを止める」
ロアガ先輩が魔器を握り直す。
「動き回るだけでいいのか?」
「あぁ、頼む」
セレンは小さく頷き、コアトル先輩に接近。氷の攻撃を宙を舞いながら翻弄する。
「俺の電気ショックで動きを封じてもいいが、魔力が要るうえに直接触れなきゃならない。ラフェル、お前の音のほうが効率がいい」
「音波麻痺か?了解や」
ラフェルが魔力を集中させる。
コアトル先輩はセレンの空間移動に翻弄されている。
…嫌な予感がする。
2年生の教室から強大な魔力の放射がある。すぐ駆けつけるべきだろうが、長年の戦闘の勘がそれをさせない。
…何かが来る。
少しだけ恐怖を感じ、廊下の様子を伺う。その時、背後に人間の気配が現れる。
「…何しに来たんだ?」
「これはこれは校長先生、腕が衰えられたようですね」
「っ…!その声は…」
いとも簡単に侵入できた。例えかつての師であろうと、俺の侵入を察知できなかったようだ。
「…カンヘル…」
「お久しぶりですね、フェイド先生」
細い指を突きつける。フェイドはこちらを振り向きもしない。
「これは何の真似だ?」
「…常人を絶滅させるには人手が足りなくてね、あんたの持ってる『揚羽』をいただきに来た」
俺がそう言うと、フェイドは握っていた刀をさらに強く握りしめる。
「何故これを狙う」
「質問してばかりじゃないですか、少しは俺の成長を喜んでくださいよ、先生」
ようやくフェイドがこちらに向き直る。俺の指にあるものを見て、フェイドは目を見開く。
「それは…貴様っ…!」
「おぉ、さすが先生。この指輪だけでわかるとは」
俺の指には真紅の指輪が嵌っている。
「…堕ちたか、教え子よ…!」
フェイドは俺から距離を取り、魔器に手をかける。
「堕ちた?それは違うな先生。堕神になって俺は力を手に入れた」
指先に魔力を集中する。
「まぁ師弟のよしみだ、殺さないどいてやるよ」
瞬時にフェイドの背後に回り、意識を奪う。
フェイドの握っていた刀を奪い取り、廊下に出る。魔力が充満しているのは2階のようだ。
「いい奴がいるといいんだけどな」
「奥義・轟響」
ラフェルがデュランダルを床に突き立てる。そこから指向性の音波が放たれ、コアトル先輩の鼓膜を殴りつける。
コアトル先輩が頭を抱えて踞る。指向性を持った音波は俺たちにはほとんど聞こえない。
動きが鈍ったのを見計らい、ロアガ先輩が手刀で意識を奪う。
その時だった。ドアが吹き飛び、そこから炎が吹き出す。
「2-1ってのはここか?」
「…!」
聞き覚えのある声。だが、そんなはずは…
「…誰だ」
「気をつけろ、こいつの魔力…桁外れだ」
現れた男は部屋を見回す。コアトル先輩を見て、そして俺を見た。
「見ない間に随分生意気そうになったな」
「…兄、貴…?」
自分で言っていて信じられない。兄貴はあの時死んだはずだ。
「…なんで、生きてるんだ」
「そういうマジメな話はやめようぜ?久しぶりの再会なんだしよ」
兄貴は屈託無い笑みを浮かべる。
「カムランっ、離れろっ!こいつ『堕神』の指輪しとる!」
…堕神?兄貴が?
「…感動的な再会とやらなんだから、水差すのやめてくんないかな、ボク」
声はラフェルの隣から聞こえた。ラフェルは兄貴の白く細い指に喉を締め上げられている。
「カムラン、学生生活は楽しいか?」
「かはっ…」
ラフェルが苦鳴を漏らす。俺は恐怖で何も言葉を返せない。
「邪魔するならお前も倒すまで」
セレンはガストラフェテスの照準を兄貴に合わせる。
「お、君も楯突いちゃう?いいよ、ちゃーんと殺したげる」
兄貴は屈託のない笑みを浮かべる。瞬時にセレンの背後へ回った兄貴は、セレンの首を掴み吊り上げる。
…たった一瞬で、俺より実戦経験の豊富な2人が捕まった。
兄貴は徐々に腕に力を込めていく。その横顔は、死神よりも冷たい表情だった。
「やめろっ…やめてくれ…!」
「可愛い妹の頼みなら、聞かないわけにはいかないな」
兄貴は2人の首を絞めていた手を放す。
「けほっ…」
2人は喉を押さえて苦しんでいる。
「…化け物だ」
ロアガ先輩が言葉をこぼす。
「さて、それじゃ目的のものを頂いていこうかな」
兄貴の視線は気を失っているコアトル先輩に向けられる。
「っ…コアトルになにするつもりだ…!」
兄貴は微笑みを崩さない。
「…うっ」
ロアガ先輩の腕の中で、コアトル先輩が目を覚ます。
「コアトル、逃げろ…こいつはお前を狙ってる」
コアトル先輩は無言のまま。感情のない青い瞳が俺たちを捉え、最後に兄貴に留まる。そこでかすかに水面が揺れる。
「…堕神…?」
「ご名答」
外見だけは昔のままの兄貴が微笑む。
「…何の用だ」
「それは俺についてきてくれたら伝えるよ」
今の兄貴…いやカンヘル、奴は堕神…敵だ。
「…堕神の言いなりになるほど堕ちてはいない」
コアトル先輩はゆっくり立ち上がり、腰の刀の魔器を2本抜く。
「交渉決裂?しょーがないなぁ…」
カンヘルは指輪をゆっくり外していく。尋常ではない魔力の放射で、息すら苦しくなってくる。
「待て」
澄んだ声。カンヘルの横に銀髪の人物が立っていた。
「シエロ、邪魔するんならお前から消すぞ」
「ここで『力』を使っていいと、イディオ様が仰ったか?」
その一言で、カンヘルの顔に不愉快さが滲み出る。
「チッ…イディオの腰巾着が」
カンヘルは渋々指輪を嵌め直す。魔力の放射が落ち着いていく。
「ここに用はない。帰るぞ」
シエロはそう言い、窓から去っていく。
「まぁいい、もらうもんはもらったからな」
カンヘルもあとに続く。
…全身が石のように動かない。意識が遠のいていく。
「おい大丈夫か!?」
「早く、先生を!」
―いいか、お兄ちゃんがいなくても、いい子で待ってるんだぞ。
―うん!ご飯作って待ってる!
―カムランは本当にいい子だな、お兄ちゃんの自慢の妹だ。
―えへへ、お兄ちゃんがいれば寂しくないんだ!
―ありがとな、お兄ちゃんが戻ってくるまでいい子にしてるんだぞ。
―はーい!
―カムラン、お前だけでも…
「っ…!なんだ、夢か…」
白い壁、白い天井。どうやら眠っていたようだ。
「あっ、目が覚めた?」
そばにいたアクアが俺の顔を覗き込んでくる。
「…俺は…」
「学校に堕神が現れて、カムランが襲われたって聞いて…」
アクアは心底心配しているようだ。
「セレン君もラフェル君も怪我してて…怖かった」
「…悪りぃ」
「最後までカムランが起きないから、死んじゃったかもしれないって、ずっと…」
死。俺が死んだ時に泣いてくれる人はいるのだろうか。
「…サリエルは先生の手伝いで、壊れた校舎を直してる」
「…そっか」
ふと医務室の扉が開く。現れたのはセレンだった。
「ようやくお目覚めか」
セレンはそう言い、フルーツの入ったバスケットを投げてくる。左手でキャッチするも、リンゴが転がり落ちる。
アクアが落ちそうになったリンゴを拾い上げ、どこから取り出したのか、ナイフで皮を剥き始める。
「今日は出られそうか?」
「当たり前だろ」
「そうか、ならいい」
セレンはそれだけ聞くと、部屋を出て行ってしまう。
「…出られるって?」
「あー…ただのバイトだよ、勤め先が一緒だし」
とても『地獄で妖魔を狩って実戦経験を積んでいる』とは言えない。仕方なくウソをついた。
「…本当にただのバイト?面接にも放課後にも出て行ってない気がするけど」
鋭すぎる。というか見られていた。
「通信制のバイトなんだ。面接も画面越しに」
「…そうなんだ…」
体を起こす。もう痛みや麻痺もない。
「もう大丈夫?」
「あぁ。心配してくれてありがとう」
用事を思い出した。
「ちょっとアホの理事長んとこ行ってくる」
―六話に続く―




