第一話―轍鮒―
この地球には、人間と呼ばれる高度な知性を持った生物が生きている。
その人間は、二つの種類に分けられる。
常人と魔人である。
二者の差異は魔力と呼ばれる力を宿すか、宿さないかだ。
常人たちは魔を忌み嫌い、科学力をもってして魔人を排除しようとした。
魔人たちは、魔力を使い魔法を使い、常人たちに抗った。
そして、四度にわたり二つの人間たちは全面戦争を起こした。
いつか人間たちが手を取り合う日が来るのだろうか。
―評論家、東の評論、『血の救済』より抜粋―
鼓膜を不快な音が貫く。
手探りで音の発生を止めるためのボタンを押す。止まった。
「チッ、もう朝かよ…」
耳障りな音をたてていた目覚まし時計を睨む。針は縦にまっすぐ伸びていた。
「やべっ、もうこんな時間!」
ベッドから跳ね起き、鏡の前へ躍り出る。いつものように頭は爆発していた。
「こんなときまで寝癖ついてくれなくていいっての」
櫛を取りだし、寝癖を落ち着かせていく。浮いた前髪が直らない。
寝癖を直すのは諦め、壁のハンガーにかけた制服に着替える。
男子用の制服の胸元がきつい。どうやら太ってしまったようだ。
「…まぁボタンはつけられるからいいか」
昨日用意した鞄を掴み、部屋を飛び出す。
「おはよう、カムランまた髪跳ねてるよ」
親友のアクアが俺の浮いた前髪を見て笑う。
「直らなかったし時間なかったからそのままにして来た」
「また夜更かししたのー?健康に悪いからやめなきゃダメだよ」
「母親かよ」
俺のツッコミにサリエルが笑う。
「はは、出来の悪い息子だな」
「やめてくれ、息子じゃねぇよ」
「じゃあ娘か?」
「こんなお母さんは嫌だ」
俺が正論を述べると、アクアは頬を膨らませる。
「失礼ね」
「わかったわかった、夜更かししませんから」
アクアに素直に従っておく。堪忍袋の緒が切れたときのアクアは、恐ろしなんどもおろかなり、と称されるくらいだ。
「約束だからね」
アクアは心配そうに俺の顔を覗きこむ。
「カムランだぞ?風邪なんか引きっこないって」
サリエルがさりげに失礼なことを言ってくる。
「それ俺がバカってことか?そうなのか!?」
「ご想像にお任せします」
ふと気がつくと、アクアは笑っていた。
「いつも思うけどりサリエルとカムランって漫才でブレイクしそう」
「アクアまで俺をバカにするか…」
俺はがっくりとうなだれる。
学校が見えてきた。
クラス内は騒然としていた。
「お、お三方おはようさん!」
俺たちに気がつくと、ヘッドフォンで音楽を聴いていた男子生徒が俺たちに笑いかける。
「おはよう、今日は何聴いてるんだ?」
「んー?たぶん知らんと思うで?」
こいつは出身が関西らしく、喋るときは方言混じりだ。本人いわく標準語の練習をしているらしいが、疑わしい。
「無名の破壊者っちゅうねんけど、知らんやろ?」
「あぁ、私は知っているぞ」
知っているとは意外だ、サリエルは音楽を聴くイメージはなかったが。
「ホンマ?いい歌よなぁ♪」
「どんな曲なの?」
アクアが興味を示したらしく、ラフェルに尋ねる。
「それがな、曲調がえらい俺の好みなんや!おまけに歌詞に音の組み合わせに至るまで!」
そんなことを聞かされても返答に困る。そんなものを気にするのは音の魔族くらいだと思う。
現にこいつは音の魔族だが。
「へぇ…今度ゆっくり聞かせてほしいな」
「もち、ええでー♪」
アクアは楽しみそうだ。残念なことに俺は興味が全く湧かない。
チャイムが鳴り、俺たちやクラスメイトは席に座っていく。
全員が席についたところで教室のドアが開き、女性の先生が入ってくる。俺たちの担任のシャール先生だ。
「HRを始めます」
「起立」
委員のサリエルが号令をかける。
「礼」
「お願いします」
「着席」
礼をしたあと、俺たちは挨拶をし、着席する。
「では出席をとります。アクアさん」
「はい」
隣のアクアがハキハキとした返事を返す。
水の魔族だけあって、声が綺麗なのが特徴だ。
「カムランさん」
「はい」
呼ばれたので返事をする。
「クローフィ君」
「…はい」
教室のど真ん中の席に座る血色の髪の男子生徒が、気だるそうに返答する。
血の魔族特有の尖った犬歯が見える。
「サリエルさん」
「はい」
サリエルが返事を返す。
地の魔族特有の髪色はこの学校では珍しい茶色だ。
「セレン君」
「はい」
退屈そうな返事を返すのは、空の魔族のセレンだ。
眼帯で隻眼となった黄金の瞳は、窓の外に向けられている。
「ラフェル君」
「ほーい」
飄々とした態度のラフェル。
音の魔族ということもあってか、HR中でさえヘッドフォンで音楽を聴いている。
「ルナさん」
「はい!」
元気よく返事を返すのは、無の魔族のルナ。
常に笑顔の絶えない明るい性格の女子だ。
「ロラン君」
「…はい」
ルナとは対照に、陰鬱な返答をしたのは闇の魔族のロラン。
彼の笑顔はこのクラスの誰も見たことがない。
「全員いますね、では今日の連絡です」
俺たちのクラスは10人も生徒のいない侘しいクラスだ。
「今日はまず、グラウンドで本物の妖魔と戦ってもらいます」
妖魔、名の通り妖怪化した魔人を指す。
俺たちの仕事はその妖魔を討伐掃討することである。
「そのあと、午後から授業です」
噂では妖魔を生み出す悪魔や、その悪魔を生み出す堕神とやらもいるそうだ。
俺は心の中で、そんなやつらと一生関わることがないように祈っておく。
「では、HRを終わります。すぐにグラウンドへ行って戦闘の準備をしておいてください、解散」
先生はそう言い、教室を出ていく。
俺たちはすぐ相棒の『魔器』を持ってグラウンドへと向かう。
「今日はいい実践日和だね、今からみんなには本物の妖魔と戦ってもらうよー」
誠実さの欠片もない挨拶をするのは、この学校の理事長兼校長のフェイド…先生だ。
「先生との対戦のように、危なくなったらストップ!なんてことはないからね、んじゃ挨拶終わりー」
よくもまぁあれで理事長兼校長なんて務まるものだ。
「それでは1年生はこちらに来てください」
シャール先生が俺たちを先導する。
俺たちは妖魔や悪魔を狩ることを生業とする魔人、通称聖魔を育成するための学校、聖魔学園の一年生だ。ここは常人で言う高校に当たる。
両親を失い唯一の肉親の兄も数年前に消息不明となり、一人になった俺を拾ってくれたのがフェイドだ。…特段感謝もしていないが。
「それではアクアさんから順番に戦ってもらいます」
「はいっ…!」
アクアは自分の身の丈以上の巨大な大剣、『雲水』を構える。
「いつでもいけます」
アクアがそう言うと、シャール先生は封印用の宝珠を取り出す。そのうちの一つが激しく光を放つ。現れたのは人の形をした異形の生物だった。
これが妖魔だ。
妖魔が咆哮する。鼓膜を殴り付けるような痛みにアクアが苦しむ。
「お、音の眷属の妖魔やな」
ラフェルが気付いたように補足する。悔しいことにあいつは平然と立っている。
俺は耐えきれず膝をつく。
「くっ…」
アクアが苦しみつつも大剣を大地に突き立てる。瀑布が生まれる。
妖魔が飲み込まれていく。
「奥義・水圧」
途端に水が蠢き、まるで腕で掴むように妖魔を握りつぶす。
透明な水に妖魔の赤い血が広がっていく。
「あ、血だ…」
ふと声。振り返ると恍惚とした表情のセレンがいた。
…そうだった、こいつは血が好きだったな…
「アクアさん、合格です」
シャール先生が名簿にチェックをつけていく。次は俺か。
「ではカムランさん、お願いします」
俺は愛用の魔器、『篝火』を構える。シャール先生の手で宝珠が煌めく。
現れたのは人間の頭ほどの大きさの小さな妖魔だった。
ルックスと強さは関係ない。俺は警戒しながら近づく。
妖魔がこちらに気づく。
「ーーーーっ!」
耳をつんざくほど甲高い咆哮。妖魔の体から伸びた鞭が俺へと向かってくる。
「うぉっ…」
焔の刃で鞭を切断する。切り落とされた鞭はあっという間に炭化。
「…草の眷族の妖魔か…」
セレンが推測を述べる。恐らく正しいだろう。
「…なら燃やし尽くしてやるよ、奥義・火桜!」
篝火から炎を纏った斬撃を無数に飛ばす。煙で視界が悪くなる。
妖魔がいた方向へ近寄る。煙を割いて現れたのは鞭。
「くそっ…!」
転がって回避。
直撃はかわしたが、鞭が足に絡まる。恐ろしい力で持ち上げられ、地面に叩きつけられる。
「うぉっ…」
左腕から鈍い音が響く。どうやら骨折してしまったようだ。
鞭が俺を再び持ち上げる。叩きつけられる前に焔の刃で鞭を切断。左腕を庇いつつ着地。
「…奥義・芭蕉扇」
焔の刃を伸ばし、拡げる。篝火の切っ先に焔の扇が出現していた。
「燃え散れっ!」
扇を思いっきり振る。辺り一面が焔の渦に飲み込まれていく。
「すごい…」
アクアが感嘆の言葉を漏らす。
炎が収まったあとには、妖魔だったものが炭化して転がっていた。
「カムランさん合格です。では次、クローフィ君」
「はいよ」
俺が退場したのを見て、クローフィが入場していく。
シャール先生の掌の宝珠が光を放つ。
今度は見上げるほどの巨体の妖魔だった。
「図体はでかいな」
クローフィは呑気にお菓子を頬張っている。
「やるか」
クローフィが愛刀『血桜』を肩に担ぐ。
「地の眷族ねぇ、それなりに硬いだろうな」
首をゴキリと鳴らし、血桜の切っ先を妖魔に向ける。妖魔の目には嘲り。踏み潰そうとする虫を見る目だった。
クローフィの姿が消える。
「巨体になればなるほど力学的に肉体は脆くなる」
妖魔が空中に浮く。下ではクローフィが片手一本で巨体の妖魔を持ち上げていた。
「物理学の基本だな」
妖魔は自分が中に浮いていることを理解できない。
「よっと」
クローフィがボールを投げるように妖魔を上空に放り投げる。
「どんな筋力しとるんねん、あいつ…」
ラフェルがあまりに突飛な光景に呆れている。
重力に従って落下してくる妖魔めがけて、クローフィが跳躍。
弾丸の勢いで妖魔に着弾。強固な皮膚を破り、肉を引き裂いて反対側から抜け出る。
「理由は簡単だ、骨の強度は身の丈の比の二乗に比例するが、体重は三乗に比例するからだ」
全身を血で赤く染めたクローフィが笑う。
「う、不味…」
手の甲に付着した血を舐め、クローフィがしかめっ面をする。
「クローフィ君、合格です。ではサリエルさん、どうぞ」
シャール先生が微笑む。
俺の後方では血を見て暴れるセレンを、ラフェルとロランが抑えていた。
サリエルが戦闘体勢をとる。
―二話に続く―
ラフェルの聞いていた歌もフィクションです。