ある魔法使いとの対話
「君に魔法を伝授してあげようか?」男は突然喫茶店の
私の机の席に座って言った。
一人でのんびりと数学をしていたところだった。
だが、私の生活は割といい方で、友人もそこそこいる。
このように趣味もあって科学と論理で構成されたこの世界を嫌っても
いない。魔法など私には無用なものだった。「いりません。」
私ははっきりと断った。
すると男は驚いた様子で私に言った。「驚いたな。この世界に住んでいて、
この世界に不満を持ってないやつがいるなんて。」
「別にいてもおかしくはないでしょう。この世界には
科学があって、魔法など過剰な力は必要ないはず、と言うより
科学ですら私たちは制御しきれてない。そんな中魔法など
持ち込んでなんになるんですか?第一、本当に
魔法があるんですか?」「疑うか。なら見せてやろう。」
そう言うと男は手の平を私に見せると、男の手のひらに冷気が集まりだし、
やがて氷が出来た。「どうだ、これでもう、否定はできないだろう。
さあ、魔法を学ばないか?」「あなたが何と言おうと魔法は必要ありません。」「おお、こいつは珍しいや。魔法を拒絶する
奴がいるなんてな。もしこれが別のやつだったら大変なことになってるぞ。
俺の友人なんぞはこの世界の人をとっつかまえては異世界に放り込んで、
そいつの様子を観察するんだ。そうそう、
捕まえてた奴の性別もかえてたっけな。」男は友人の話を
述べていく。私はその話を聞き流しながら、少し冷めたコーヒーを飲んでいた。
すると男は私が話を聞き流しているのに気が付いたのか、
口調を変えてこんなことを言い出した。
「お前は知らないのか。お前が優雅に問題を解いている間にも、数学に
苦しめられている奴がいるんだ。お前が優雅に暮らしている間にも、
苦しんでいる奴がいるんだ。それも貧困に苦しむとかそういうのじゃなくてな。恵まれた環境にあるのに、十分幸福を感じられない奴がいるんだ。」
男の口は加速する。
「何故か。お前は分かるか?わかるわけがない。多くの人を苦しめるそれを、
お前は好きだって言ったんだからな。つまり、人は科学に、論理に
苦しめられているんだ。何故か。人にできないことを作り出すからだ。例えば、
科学はものは突然現れたりしないと教える。論理は人に絶望を与える。さらに
科学は、人に知識人であることを強制する。そりゃあお前みたいにパズルを
解くのが好きならいい。人が皆、天才であればいい。だが、そうじゃない。」
男の頬が紅潮する。その男の様子は、この世が嫌いな人間の気持ちをすべて
背よって、彼らの代弁をしているようだった。「だから、この世界の人たちに
魔法を与え、科学や論理、社会の要求から解放する。それが俺の、正確に言えば、俺たちの活動ってわけさ。」そう言い切ると男は勝ち誇ったように笑顔を見せた。
「それで、魔法を使えるようになったら幸せになれるんですか?」「なっ、
なぜ疑う?」「そもそも魔法が使えるようになれば幸せになれるとしたら、
何故あなたの友人は人を異世界に送って観察するんですか?」
「そりゃあ、魔法が使えるつったって暇がつぶれる訳じゃないしなあ。」
「じゃあ、あなたたちは退屈を振り払えていないというのに魔法を与えていた
という訳ですか。幸せになれるっていったって、結局退屈してるじゃ
ありませんか。」「魔法があればできることが増える。
出来ることが増えれば、暇もつぶれるだろうよ。」
「その位のやることなら、本を読むなり会話をするなりでつぶせるでしょう。
先ほども言いましたが、この世界に魔法は不要です。
ファンタジー小説ほどの距離感がこの世界では一番ですよ。」
「じゃあ、なぜこの世界に不幸な奴がいっぱいいるんだ?」
「そりゃあ、この世界を一生懸命に生きていないから
でしょう。人はこの世界を知り尽くすことはできない。
知り尽くすにはあまりにも一生は短い。それなのに人生を見定めるから
辛くなるんですよ。」「じゃあ、じゃあ、この世界の人々が不幸なのは、
その人たちが悪いということか?」
「まあ、本当の不幸と言うのがあるのも確かでしょう。しかし、
自分自身が原因で不幸になっている人がいるのも事実でしょう。」
「そんなことあってたまるか!不幸な上に、それが自分のせいなんて
ことがあって!」
「確かに、そういう不幸があることは受け入れにくいでしょう。
しかし、そういう不幸があることと、そういう不幸が魔法を使えるようになる
だけで解消するものではないことは、言い切れます。」「くっ・・・」
「第一、なぜあなたは拒否する人に魔法をあたえたがるのですか?
いらないと言ったら素直に引けばいいものを、なぜ押し付けようと
するんですか?自分の退屈をしのぎたいだけじゃないですか?」
「・・・・・」私が対話の最後の言葉を言い終えると、魔法使いは静かに、
喫茶店から去っていった。コーヒーは冷め、氷は解けていた。そして、再び、
喫茶店の雑談の声が広がり始めた。