大掃除
我が家は慣習として、年末の一週間前から大掃除を始める。
昨年までは親の言う通り、唯々諾々と掃除をしていた。それはまさに掃除マシーンとでも呼ばれそうな出来であった。
今年からは違う。僕はやっと実家から離れることが出来たのだ。
残念ながら僕と親の相性は良くない。どんなに努力しようと、どんなに結果を出そうと、更にそれ以上の勉強を要求される。クラスで一番の成績を取っても、もっと勉強をしろゲームなんてくだらないことをするなと言われた時にはさすがに呆れた。どこまで要求するのかと。
遺伝子提供者であるあなた達の能力を考えると、秀才レベルがよいところ。間違えでも天才にはなれないのはわかるだろうと思うのだが、子供にかける期待というのは天井がないようだった。
幼児の時には、将来自分たちを養うように言われた。中高生の時は、誰のおかげで学校に行かせてやれるのかと恩着せがましく言った。
テレビも教育に悪いとNHK以外を見せて貰えなかった。おかげで小学生の僕はクラスの友だちとの共通の話題を持つ事は出来なかった。僕は孤立した。
何不自由なく育てたと言われたが、欲しくもないものをセールスマンの口車に乗って次々と買ってきて、押し付けることが不自由なくという状態であるならばいらない。
もし自分が人の親になることがあれば、子供も一個の人格と考え、意思を尊重しよう。子供へ買う物は、本人と相談しようと思う。
僕は本心を胸の奥底に隠し、爪を研ぎ、よいこで過ごした。金が稼げるようになるまでじっと耐えたのだ。
そうして……束縛と、押し付けられる恩着せがましい愛情から、今年自由になった。
実家から遠くの県に住み、親からの電話はほとんど出ない。出たとしても忙しいとすぐに切っている。
1人暮らしになってから、縛りつけられていた反動で物を置かない生活になった。泥棒に入られたのかと思うぐらい全く物がない。
両親が溜め込んだ、捨てられない物で溢れている実家とはえらい違いがある。
大掃除も31日の1日だけで終わった。
何もない空間を見て満足してソファーに腰をおろす。
ピンポーン
チャイムが鳴った。モニターホンを見る。なんと両親だ。何も連絡しないでいきなりか?こんなサプライズはいらない。居留守を使うがチャイムを鳴らし続ける。本当に面倒だ。
子供という集合体としてしか見ておらず、ひとりの自立した人間として内面を知ろうともしなかった2人が今更何の用件か?親子は血の繋がった他人でしかないのに。
だんだん2人のことがまとわりつく蔓のように感じてくる。
僕は、この2人を大掃除することで得る開放感と、社会的に失脚し下手すれば死刑になるリスクを天秤に乗せて考える。2択しか無いのだろうか。それとも海外に住めば2人から逃げられるのだろうか。
◇
玄関の扉を開ける。
「いらっしゃい、お父さん、お母さん」
僕の口が三日月の型に歪んで2人を出迎えた。