第五章:骸骨兄弟と黒騎士
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仕方が無かった。
こうする事しか、残された道は無い。
例え王女が自らの犠牲を覚悟しても、その先に国が守られるという保証も無い。
だから一時の悲しみ―耐えてでも、苦しいだろうがそれしか方法が無かった。
血まみれの手は、王女の白い肌に良く映える。
握られた剣は刺した愛しき人の血のりに染まる。
あっという間の出来事で、そして王女たるものの宿命として
流した涙は自らも疑う程に、少しだけ―少ない気がした。
それはきっと喪失感によるものなのだろう。
泣く事も―また、辛いのだ。
―暫しの静寂、滅びを間近にしたこの国で
悲しい時が今ここに。
愛する人の命を奪うは、儚き王女―
その慰めに沿う音色が闇から聞こえてきた。
「王女王女、泣く事は無い―貴方は正しい選択をした」
「愛する人を殺す事が……正しいのですか?」
「違う違う角度を変えて、ちゃんと見て。その死は貴方と国の未来に繋がる」
死して地に崩れ、瞳を閉じる一人は
当然の如く何も喋らない。
もしかしたらただ殺しただけで、本当は何もかも「嘘」だとしたら?
命の終末にただ沈黙する王女が愛した黒騎士は、静かに眠ったまま。
彼が言う様に愛しき人の手で下される剣だからこそ、自らの心は砕かれなかったのだろう。
安らかに眠る―ただの「死」
今はそう見えるだけ。
「……嘘は、ついていないのですか?」
「ん?ん?何を疑う王女エメラルダ。この私を疑うのか、それも確かに確かにやむを得まい」
銀色の竪琴を手にした男は、静かに悲しみの時を見つめていた。
しかし幾ら音色を奏でようと、王女の心を慰めれはしない。
自分に近づく王女の黄金が、静かに揺れて彼に近づく。
―背にした死の「変化」に気づく事も無く。
「信じろ信じろ、彼の決意。私も嘘をついていない―貴方はただ信じるのみ」
「……『スタンダー』、歴史の傍観者……」
「ああどうもどうも、その声で私の名を呼ぶ。とても心地良く耳が擽られる様だ」
そして琴線をまた弾き、然るべき時の訪れ―
スタンダーと名乗る歴史の傍観者が「嘘をついていない」証拠を
王女は目にする事となる。
「……」
「その剣を俺に託せ。貴方の手は白いままの方が美しい」
「……愛しき貴方に、未来を託して良いのですか」
「永遠に―この国も貴方も守ってみせよう」
―そっと後ろから彼女を抱く、深い闇は
あの時と変わらない優しい声で誓いを述べる―
しかし、それが別れの時。
もう二度と二人は出会う事も無い。
ただ許されるならば一度だけ、と。王女の唇を奪う闇―
「さらば、愛しきエメラルダ―俺が愛した美しの王女」
「さよなら……クロード」
それはほんの一時の、暫しの悲しみから生まれた
王女を守る剣と盾。
今は深くは語らない―ただ、彼女に殺された黒騎士「クロード」は
今この時をもって「人の道」から遠く離れる―「王」となった。
「……っ」
瞼を軽く刺激する何かに、私は少し唸った。
暫くの間は何が起こったのか把握できずに、ただ目を閉じていた事だけは分かって
徐々にさっきの出来事を思い出し、起きても良いのかちょっと迷った。
でも、その出来事の先を考えれば
もしかして私は死んだのだろうか。
古よりから守られてきた約束を破り、ハーメルの腕も敵わず
私は確か―あの、黒い騎士に連れ去られ
そしてごく簡単に考えれば「罰」を下されて
今は亡き人となり雲の上?
シンプルに考えたらそう解釈できるけど、今こうやって色んな事を思いだす事が
死者に出来る可能な事なのかと言われたら、何となく違うと思う。
だとしたらもしかして私は死んでない?
それに―このふかふかな感触……
「っ!ぷはぁっ!」
私は思い切って目を開け、起き上がった。
すると今まで自分が居た所が寝具の上だと気づく。
ごく普通のベッド、私が使っている物よりかは幾分か劣るけど
埃も無いしそんなに汚れても無い。でもどうして私はベッドの上に居るの?
考えて、考えて。今までの事を整理する。
私は新月の契りを破って、あの恐ろしい馬に跨った騎士に出会った。
ハーメルも必死で私の事を守ろうとしたのだけど、黒騎士の方が何倍も強いのか
軽くあしらわれ―そして黒騎士に掴まれて、それから意識を失った。
と、考えて今私はベッドの上に居る。
暫くの間があって、思わずハッとした。
そして自分の服が乱れてないかどうか確認する。
「……何も、されてないよね?」
一旦は考えた、殺されるとはまた違う最悪のケース。
相手が男なだけに今までベッドの上に寝かされて、何も起こらなかったとは考えにくい。
でも服装はさほど乱れても無いし、違和感も無くて―本当にここで寝ていただけ?
そんな優しさなんてあるのかしら……と、思って周囲を見回す。
ちょっと薄暗いけど簡素なランプの灯りがあり、ここは誰かの部屋だと気づく。
ベッドがあるという事は寝室なのかしら。
でもそうだとしたら私が気を失っている間に粗相をされた、とやっぱり考えてしまう。
黒騎士はあの時言った、守れない屈辱を味わえと。
実際今何処に居るのか分からないけど、多分ハーメルはその屈辱に苦しんでるはず。
とにかく何をされたかどうかも分からないまま、私はベッドから降りようとした―その時。
―カチャ
「!?だ、誰!?」
「おおびっくりしたなぁ、弟よ」
「何だ起きているじゃないか、兄貴よ」
部屋の扉が開き、現れたのは―信じられない姿。
骸骨が二体、そろそろと歩いて来て私を見て扉を閉めた。
そして気が合うのか二体とも歯をカタカタと鳴らし、笑っているのか挨拶でもしてくれているのか。
一体の骸骨がランプの所まで来て中の炎を少し強めた。
「が……骸骨……」
「ちがいねぇ。骸骨だ。なあ兄貴」
「その通りだ、全くだ。弟よ」
見たまんまの骸骨。肉片がある訳でもない。
いっそ清々しい程の二体の骸骨、さっきから弟とか兄貴とか言ってるけど
兄弟関係なのかしら。死んでるのに?
でも生前があるとしたら、人間の兄弟だった時もある。そう考えれば骸骨だからと言って兄弟?と笑う資格は無い。
それに兄弟と言い合うのが本当に血を分けた間柄とも限らないけど
今は骸骨、そのまんま。だから何も分からない。
「あ……あのね、ちょっと。ここは何処よ」
「言わなきゃいけないか?その必要はあるだろうか、兄貴よ?」
「心配なんだろう。だからと言って俺達に発言の権利は無いさ、弟よ」
カタカタと歯を鳴らし合いながら
ごく普通の人間とそう変わりない会話を続ける二体の骸骨。
今の状況で考えたらこの骸骨の寝床……住まい?でもそれにしては失礼だけど不相応。
だって考えてみて?骸骨がこんなベッドで寝るのかしら?
「そ、そう。言う権利が無いなら別の質問をするわ。あの男は何処?」
「気丈だなこの小娘は。臆しもしないし泣きもしない。何かつまらないな、兄貴よ」
「何も言わなければ不安が増す。その内泣くだろう。放っておけ、弟よ」
どこまでも私を馬鹿にするかのような言い回しをする骸骨兄弟。
私をここに連れて来ただろう男の所在位教えてくれたっていいのに
あえて言わない事で不安を増そうとさせる意地悪さ、ハーメルの方が幾分かマシ。
すると何も言わない事を推奨した兄……の方かしら?その隣に居る弟……よね?そっちの骸骨を見てふと何かに気付いた。
「そう言えば……あの時松明を持ってた骸骨は、貴方の方ね?」
「おや?よく分かったな。骸骨なんてみな同じ―違いが分かるなんて奇妙な小娘だ、なあ兄貴よ」
「目が良いのか察しが良いのか。全く奇妙な小娘だ。弟よ」
「そもそも……二人はもうとっくに死んでるのよね?」
その問いかけに骸骨兄弟は顔を見合わせた。
あら?何か言っちゃいけない事でも言ったのかしら。
暫くの間にきょとんとして、もうどっちがどっちとか関係ないわ。
片方の骸骨が私に喋りだした。
「その通りだ俺達兄弟は死んでいる。とっくの昔に粗相をしたから罰を喰らった」
「悪い事……って事かしら?」
「小娘、お前と似たようなものだ。新月の夜に外に出て盗みを働こうとした―その罰でこのざまだ」
「え?じゃあ貴方達は……フィーゼの人間なの?」
新月の夜に外に出た罪、それを罰したのは恐らくあの黒騎士。
恐れも知らなかったのか、あろう事か新月の夜にわざわざ盗みを働いて
契りを破ったから―今骸骨になってるの?
だとしたら私も同じ罰を目前にしているのかしら。彼らと同様の―骸骨にされるとか?
でもそれならとっくに私の姿は変わっているはず。しかしふと自分の手を見て足を見て、まだ骸骨にはなってない。
それに仮に二人が盗みを働いて罰を喰らって、骸骨にされてしまったとしても
さほど二人はその自分の状況を悲しんでいる様には見えない。
―慣れたのかしら、鈍ってるのかしら?
「フィーゼの人間、ああ。その通りだ。でも名前は忘れたな」
「骸骨になってからあんまり名前で呼び合わなくなった。人間でもないのだから」
「それでも話す以上私にとっては不便よ。だから名前をつけてあげる」
私の言葉にまたしても顔を見合わせる兄弟骸骨。
そうよね、その反応当たり前。
骸骨だけでも気絶しそうなのに、普通に話して更に名前を付けようとする。
私の神経も若干鈍ったかしら?まあそれは置いといて―
「弟の方がレフト、兄がライト。文句ある?」
「何だこの小娘は?俺はレフト、兄貴がライト。名前を付けると言った割には簡単過ぎやしないか?兄貴よ」
「ライトだと?全く何度も思うが変な小娘だ―面倒だから早く骸骨にすればいいのに」
「まあ落ち着いてよ、ライトとレフト。別に悪くない名前だと思うわ、覚えやすいし」
兄のライトが口にした
「早く骸骨にすればいいのに」の言葉。
やっぱり罰を受けるんだ。でもそう言うのって気絶している間にやって貰いたかったわ。
気づいたらあれ?骸骨になってる、その方が気が楽なのに。
まあ約束破った立場である以上、それを最も守らなければいけない王族の立場として
覚悟はなんとなーく決まった感じ。
その時だった―閉まったままの扉の向こうから
微かな笑い声が聞こえてきた。
レフトもライトもその声に振り向き、開かれる扉の先には―
「クッ……クックッ。レフトにライトか。安易な名前を付けられたものだな」
「貴方は……」
「ようこそ俺の城へ……まあお前の城に比べたら小さくまとまっているがな」
現れた、あの時の黒騎士。
この場を自分の城と言う。
小さいとは言え私はまだこの部屋しか知らないから、もっと広いのかもしれないけど
ここが彼の居場所という事は分かった。
「……アイリス=フィーゼ王女。だったかな?約束を破ったおてんば娘め」
「私の名だけ知ってるなんて対等じゃないわ。貴方の名前は?聞く権利はあると思う」
「ほう、度胸が据わっている娘だな。その度胸に免じて名を語れ―」
自らが喋る事無く、レフトとライトにその役目を託した男。
―闇に混じりそうな、目の前の黒騎士。
その名は―
「クロード=エルファイン。新月の夜だけを許された永久の黒騎士」
「そして我ら死者を統べる―フィーゼの影」
『彼の事を我らは―【死神の王】と呼ぶ』