第四章:約束の時―2
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微かに聞こえる嘶きは、これからの時を待ち望む興奮に満ち溢れ
暗闇に下弦の笑みを浮かべる口元は、国を統べる時を静かに待つ。
はっきりとは見えないが、足音は「馬」だろうか。
それにしては「複数の音」で聞こえている。
時が来る、やがて―暫しの間。
嵐に見舞われたこの国も、新月の夜を迎える。
天候に不服はない。どの道月が見えぬ時なのだから―
さあもうすぐ幕が上がろう。
フィーゼが契りを守る時、誰も今まで知らない「何か」が現れる。
舞台は嵐、荒れ狂う雨と風、そして切り裂く様な雷の閃光。
何一つ「不服」は無い―
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―
「はぁ、はぁ……っ!」
急いで走ってようやく城の中まで辿り着き
それでもまだ自分の部屋まで距離がある。
ここで止まってもいられない。ゾーマが後もう少しまで迫っている。
でも急な事だったから息切れして、どこか空いた部屋が無いかと周囲を見回す。
しかし今日と言う日は誰もが事前に知っていた事。だからどの部屋も鍵がかかっている。
一刻の猶予も無い。
それは重々承知。
もう眠りについていなければいけないのに、昔話を聞いた事が予想外。
無視してそのまま追い出せば良かったと今更後悔しても、どうしようもない。
すると渡り廊下の向こう側から、一人の人影が私を見つけ走ってきた。
まさか私以外にも起きてる人が居るなんて―と思ったらその姿をはっきりと確認し
ハーメルだと気づく。
「アイリス!どこに行かれてたのですか!?探したのですよ!」
「ごめん、馬屋に行ってたの!それより時間が無い!」
「ああやっぱり心配して正解でした。全く、考えなしにも程があります!」
「怒られるのは後にして!その前にどこか空いてる部屋は…」
まだもう少し走らないと、私の部屋にはたどり着けない。
それ程ゾーマまでの時間に余裕が無かった。
あと何分?時計を確認する位なら空いてる部屋を探せ―
ハーメルもそれが分かって周囲の扉を開けようとしたが、どれも閉まっている。
新月の夜、ゾーマの時
誰も外に出てはいけない。
もし見たとしても明日を迎える事が出来るのか、契りを破った罰が下されるのか。
冷静な判断をどちらも出来ていない状態で、一瞬渡り廊下全体が光に包まれた―
―ピカァアッ!
「キャアッ!」
瞬きの閃光に、悲鳴を口にした。
誰かがもし聞いていたとしても、扉はやはり開かれない。
部屋に誰かいたとしても、新月の夜の約束を守らないといけない事を皆知っている。
そしてもし守れなかったらどうなるか、その先が分からない事に臆している。
―ドカァアアン!
「……っ!」
何処かに雷が落ちたのか
物凄い音が聞こえた。
そして渡り廊下の灯りが全て落ち、私とハーメルは顔を見合わせた。
最悪の状態―かも。
「間に合わなかった……?」
「落ち着きましょう。とりあえず……」
その時だった。
先程の雷が落ちた余韻なのか、まだ地鳴りのような音が聞こえる。
雨風に晒される木々の音じゃない、雷に近くて―でも、例えるならば「走る音」
しかもその走る「何か」は沢山居る。人間とは限らない、むしろこんな契りを守ってきて
その正体が人間ならば今までの歴史に落胆する。
人間じゃない―何だろう。
それはハーメルがさっき居た場所のもっと奥、そう―「謁見の間」から聞こえている。
ただならぬ状況に覚悟を決めたハーメルが剣を構え、私の盾になってくれた。
私も万が一の事を考えて、帯剣に手を当てる。
隠れる場所はもうない。
時間はゾーマを迎え、新月の夜―誰も外に出てはならぬ約束の時。
それを破った私達にどんな罰が下されるのか、それに何が現れるのか。
近づく地鳴りだけは徐々に大きくなり、しかし何が近づいているのか全く見えない。
「……?」
一瞬、嘶きの様な声が聞こえた。
耳が確かならばそれは馬の鳴き声だ。
でもここはフィーゼ城。その中へ何時の間に馬が入っていたの?
例えどんな事情があっても城の中に馬を入れるなど誰も許さない―しかしその嘶きが馬の鳴き声だとしても
これほどの地鳴り、床も揺れる様な感覚―もしかして「一頭」とは限らない。
本当に「馬」だとも―限らない。
「何か……来ます」
ハーメルの静かな声に、唾を飲み込む。
彼が本気になった時の声だ。
青獅子ハーメルとしての片鱗を、この暗闇で知る。
そして張り裂けそうな地鳴りが寸前に―
―ピカッ!
「!?」
―ヒヒィイイン!
……ダァアン!
―
一瞬、それはこの世の生き物なのかと疑った。
それはきっとハーメルも同じだと思う。
また光る雷が廊下を照らし、その閃光を浴びた真っ黒な馬には
自然の原理では考えられない八本の足がついている。
そして常識を逸脱しているのか、幻を見ているのか―胴体は確かに馬なのに
首から先が青い炎に包まれて、馬の顔は何処にもない。
「……誰……?」
それだけじゃない、ほんの一瞬見えたのは
馬に跨る黒い人影。
長い髪をなびかせて、私達を眼下に見る誰か。
新月の夜に混じりそうなその誰かが、軽く笑んだような声が聞こえる。
「ほう、約束を破るとは。ある意味勇敢か」
「……貴様は、誰だ?」
ハーメルの質問を軽く笑う、相手は多分男。
でも普通じゃない馬に跨る男もまた普通だとは思わない。
これがもしかして新月の夜の正体―ハーメルの気配にも何一つ臆さない謎の存在。
ゆっくりとその素顔が夜目に慣れ、見えてくる。
―ボッ!
「……っ!?」
突然また青白い炎が灯された。
その炎を持つ主はあろう事か「骸骨」で
何時からそこに居たのか、むしろ普通に立っている事も信じられないのに
骸骨はこちらを見てカタカタと歯を鳴らす。
その炎にようやく相手の顔をはっきりと見る事が出来た。
とても黒い髪に、同色の瞳。
纏う衣も全て黒。ただ腰に携える武器らしき物だけは別の色。
明かりが無ければ本当に闇に溶け込みそうなその人は―誰?
「貴様と呼ばれるのは何時の頃か?それより約束を破った立場で貴様とは聊か無礼だな」
「失礼を。では貴方は誰でしょうか?」
「聞いてどうする何をする?今までに俺の存在を知った誰かをお前達は見た事があるか?」
―遠回しに聞き返す誰か。
まるで自分の正体を聞いても、明日が拝めないと言っているよう。
その言葉に覚悟を決めたハーメルは相手が誰であろうとこの場を守る事に全力を注ぐ決意を決めた。
「ならば、約束を破った罰から王女を守るのみ―!」
―シュッ!カシィイン!
その瞬間、ハーメルの一閃が
馬に跨る男を捉えた―様に見えたけど、剣は空を掠めただけ。
しかし青獅子と呼ばれるだけの実力は確か。全く読めない方向からの相手の剣を寸前で止めた。
「フン……若造にしては腕が良いな」
「褒め言葉だけ受け取りましょう」
「言葉を慎め―所詮若造、俺を殺そうとでも?笑わせるな」
―カシィイン!ギリッ!キシャアァン!
火花が散る二人の対峙。
でも良く見ればあのハーメルが劣勢に見える。
嘲笑うかの様に、またハーメルの攻撃も戯れと思っているのか
本気を出していない黒い―「騎士」
実力の差を数回刃を重ねただけで分かっているハーメルも焦りの色を隠せない。
―ギッ!ガキイィン!
「王女を守る?その程度でか?ならばその意思砕いて見せようか?」
「何……を?」
「簡単な事だ。シンプルだ。単純に「守れない」非力さを知れ」
―
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
ハーメルと剣を交じらせていた男の姿が消え、再び馬に跨り手綱を取る。
切り裂く程の嘶きを始まりとして、相手を見失ったハーメルをその馬が付き飛ばし
私の身体が宙に浮く―
「キャアアッ!?」
「ハハハハッ!約束を破った罰だ!悪い子は叱らねばならぬ!」
「アイリ……ぐっ!ま、待て!!」
私は男に軽々と片手で掴まれてしまい
馬は方向を再び謁見の間へと進路を取り、弾き飛ばされたハーメルを尻目に
颯爽と走り去る。
炎が揺らめく松明を持ったままの骸骨も同じ速度で男に着いていく。
遠くに聞こえるハーメルの声があっという間に小さくなり、突然の事に私の意識もそこで途絶えた。
貴方は、誰?
本当に私は罰を下されるの?
確かに悪い事をした。ずっと守られてきたこの国の約束を破ったのだから。
もしかすると本当に明日なんて来ないのかも。
これが新月の夜の、外に出てはならぬ約束の正体。
―でも、心のどこかでそれは不思議と
掴まれたその手が少し、暖かい気がした―