第四章:約束の時―
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ビュオオオォオオ……
「……」
窓の外は、木々がなぎ倒されそうな程の暴風雨。
この地では珍しく、嵐が訪れていた。
そうそう経験してない天気に誰もが臆病、家に閉じこもり嵐が過ぎるのを待つ。
でもこんな天気でもそんなに怖くない。たまに稲光にびっくりする位。
あの草原も今は雨風に晒されて、嵐が明ける頃にはどうなっているのか―それだけがちょっと不安。
「……アイリス、ちゃんと聞いてますか?」
「え?あーごめん。聞いてなかった」
向かいに座って話しかけてきたのはハーメル。
今は騎士としての姿ではなく、教鞭を取る時のラフな姿。
とは言え剣は片時も離さない。それは彼の本来の役職は騎士だから。
万が一の事もあるだろうし、今は珍しい嵐の時。
何が起こるか分からないんだもの。
―それに今宵は、古き契りの日―
誰も出られないような嵐が、逆に幸いなのかしら。
「全く……どこから説明すれば宜しいでしょうか?」
「良いわもう。今日はそんな気分でもないもの」
「駄目です。王女たるもの多少の教養も身につけて頂かなくては」
そう言って分厚い書物を手に、一日中今日は勉強。
でもそれじゃあストレスたまるだろうから、適度な自由は許してくれている。
とは言え彼の目が光らない日は無い。気づけば居たの?と思う位何時も見張られている。
この前のモンテグロスの件だってそう、知らなかったの。ハーメルが着いて来てた事。
それって結局あんまり自由じゃない気もするけど。まあ何時もの事だし―
「それよりさー珍しくない?こんな嵐の日って」
「まあ……水害とかの被害が無ければ良いのですが」
「草原が水浸しになっちゃうかしら?」
「あり得ない事も無いですが、むしろ今日と言う日に嵐が来る偶然を不思議に思います」
ハーメルも思ってる。
今日が特別な日だからこそ、慣れない嵐の天候に
特に注意を促さなくても皆自分の家にこもる。
それが必要とされるこの日に珍しくも嵐の訪れ。
―意味があっての不思議なのか、それとも偶然の不思議なのか―
「……新月の日かぁ。どうしてなんだろう、その夜は外に出ちゃいけない理由って」
「私でも分かりかねます。その契りは恐らくフィーゼの始まりからでしょうが、説を詳しく知る人は居ませんね」
「そんな窮屈な契りをずーっと守ってきたのってこの国も根性あるわ、自由を束縛されてるようなものだもの」
「もしかするとその契りを破った者は、この世に居ないとか……」
意地悪そうに視線を流し、笑みを浮かべるハーメル。
でもあながち間違ってないかも。
もしその契りを破って真相を知って、生きているならば「こんな事があったんだ!」と公言するはず。
だけどその声を今までに誰も、私も聞いた事が無い。だったらハーメルの言う様に
契りを破った罰が下されているとしたら―?
「はぁ……まあ国の宿命だと子供の頃から教えられてるし」
「さすがの私でも背こうとは思いません。幾ら好奇心があろうと」
「興味はあるの?へー意外」
「私にも多少感情の起伏はありますよ。失礼な」
話がだんだん逸れていき、彼も今日は諦めたのか
開きっぱなしの本を閉じ、荒れる外の景色を見た。
このままずーっと嵐が続けば、彼が言う様に水害の可能性もあるし
今日一日だけの事で済めば良いのだけど。
「明日になったら、晴れるかな」
この国の人じゃない他の人が今までの会話を聞いていれば、新月の夜は外に出てはいけないという事の方が
興味深く掘り下げようとするだろうけど
それが当たり前の私達にとって、今心配すべき事はこの嵐がずっと続かない事。
緑の海が水浸しなんて考えられないんだもの。
「ゾーマになる前に、馬屋の様子でも見てこようかしら?」
「わざわざアイリスが出向く必要もありません。そう言うのは兵士に任せておけば良いのです」
そうはいっても自分の目で確かめないとちょっと心配。
馬達だって珍しい嵐にきっと落ち着かないはず。
その時は「そうね」と言い切って、でも嘘をついたの。
ゾーマになる前に行けば良いだけ。だから彼に黙ってこっそり馬屋の様子を後で見に行こう。
―今日と言う日に、人々を臆させる嵐の到来。
何か意味があるのか、無いのか分からないけど。
少しだけ、今まで我慢してきた当たり前に好奇心がほんの僅か芽吹いたのが
「まるで嵐が何かを呼んでいるみたい」
多分、運命の始まりだったんだと思う―
―
フィーゼには珍しい、荒れ狂う嵐は思ったより粘っていて
その一日の大半は暴風雨が続いていた。
心配されていた水害についても、兵士達が調べないといけないのだが
今日はたまたま運が悪い、外に出てはならない「新月の日」
とは言えゾーマの時間帯だけの話なので、その刻が来る前にある程度の
近隣調査や国民も嵐の長期に備え、ある程度の食料の備蓄などに忙しなく動いていた。
耳を塞ぐのも無駄と言って良い程、これだけの嵐にも関わらず
遠くから見れば静かに見える今のフィーゼ。
最低限の人もぽつぽつ見られた位で、ヴォルトの頃になるともう兵士の数人が動いているだけ。
その兵士も時が来る前にと早々に家路についた。
こんな時こそ、王女の身を案じるべき。
何故ならば新月の夜だけは誰も外に出てはいけない。
だから王女こそ単身のまま、常に警護の任に就く騎士とて自分の家や宿舎に留まっておかなければいけないのだ。
もしこんな時に何らかの事情があって他国からの侵略がもし起きたとしても、それはフィーゼにとって運が悪い。
しかし―?もし仮に外に誰か居たとしても
それを諌めるのは一体何なのか。
その正体もまた知らない。好奇心の芽は誰もが一度は抱く―その時もしやすると
新月の夜に何かを見る事があったかもしれないが、その存在が翌日を迎えて他の人に語っている様子は一度も無い。
だからこそ外に出れば「罰する」何かの存在は必ずあるのだろう。
だが、話を戻そう。
この外に出てはいけない新月の夜。もし仮に他国からの侵略や不届き者が居たとしても
そんな危機に晒された事は「一度も無い」
だとすればフィーゼにとって当たり前の契りを知らない他国の人間の存在がふとその時に外に出ていたとしても
同じ様に「罰する」事があったのだとしたら―?
その存在は、未だなお―誰の目にも映らない。
「……うっわぁ……」
―その日はもう勉強どころでもないのだと、早々に打ち切って
ハーメルはその後ヴォルトの時間帯ギリギリまで周辺の調査や警護の仕事があるからと言って
私の部屋を後にした。
その際「絶対外には出ない様に」と忠告されたものの、やはり馬屋の事が気になって
こっそり外套をかぶって城の外の馬屋まで来ていた。
「外套の意味が無いわ、こんな暴風雨じゃ……後で湯浴び直そうっと」
分かっている。今はもうヴォルトの時間。
そんなに悠長にもしてられない。
ゾーマになる前に自分の部屋に帰らなければいけないから、急いで
馬屋の中へと入って行った。
―
―
「よいしょっと」
固く閉じられた扉を開き、中の様子を確認する。
多少いつもとは違う嘶きを聞くけれど、思ったよりもそんなに暴れていない。
ハーメルが言っていたけどもし収拾がつかない程ならば、一時的な麻酔で眠らせる事も考えているって。
でもそれじゃあ可哀想。とは言え私が何時も乗っている馬も他の馬も、少し興奮しているだけで
そんな処置を下す程じゃない。
「よしよし……大人しくしてなさいね」
私の顔を見て馬が一つ鼻息をつく。
この馬屋に居るほとんどの馬に一回は必ず乗っている。
だから特に愛馬という固定した馬は居ないけれど、今目の前に居る一頭の馬は
一番乗りやすくて、気が合うのか―そろそろ名前でも付ける間柄になっても良いかなと最近思っていた。
どの馬も好きだから特別視はあんまりしたくないの。
だから今までこの馬に特別な名前を付けなかっただけ。
「……馬は、新月のゾーマの時を見ているのかしら」
普通なら人間だと寝る時間だけど、馬も同じくその時を寝るとは限らない。
ふと斜め上を見れば少しだけ外の景色が見える隙間がある。
もし起きていたとしてこの位置からならば、ゾーマの時の何かを見ているかもしれない。
でも馬は喋れないからきっとそれを見ても罰せられないのかも。
―そう思った時、一瞬。
「ああ、本当に酷い嵐だ」
「!?」
突然人の声が聞こえてきて、びっくりしてその方向へと振り向いた。
すると馬屋の入口から堂々と入ってきたびしょ濡れの外套を被った一人の人物。
さほど身長も高くなくて、でも声色から男性?と思ったけど深々と被った外套を外さない限り
その正体も分からない。
私は無意識に万が一と思って携帯していた剣に手をかけた。
ここは馬屋だけど所有権は騎士や王族なの、だから国民が安易に立ち入ってはいけない所。
国民はそれをきちんと理解しているから、不用意に入ったりしないし近づきもしない。
それを知らないという解釈をするならば、たまたま運が悪いのか―この国の人じゃないのかも。
「誰……立ち去りなさい。不用意な立ち入りを許さないわ。それよりゾーマになる前にこの国から去る事ね」
「おお怖い。そんな物騒な物を向けないでくれ―少し雨宿りに来ただけではないか」
「どんな事情があろうと今日と言う日は旅人にとって不便な時よ。貴方は知らないでしょうけど」
「ん?ああ、新月の夜に外に出てはならぬという契りか?」
―ゾクッ
一瞬背筋に冷や汗が伝った。
正体の一片も分からない相手が、あろう事かフィーゼの契りの日を知っている。
だとしたらもしかすると本当は国民であり、無礼を承知でここに来ているのか。
でもちょっとした違和感はある。それは言葉の訛り―彼の言葉にほんの僅かの違い。
だから私は多分この時期を知らなかった運の悪い旅人が、少し雨宿りに来ただけだと思っていたの。
そうでも、無いみたい―
「貴方誰?フィーゼの国の者じゃないでしょう?」
「そんなに警戒しないでおくれ。全く縁が無い訳じゃない」
「じゃあこの国の人間なの?だとしたら今の行動は無礼に値するわ」
「そんなに怒らないでくれ。そうだ、ここで雨宿りをする代わりに面白い話を聞かせてやろう」
ヴォルトの時、嵐の夜。
フィーゼの街並みはもう外部の人間を受け入れる様な状態じゃない。
もうすぐゾーマの時が来るのだ。外に出てはいけない新月の夜の契りを守るため。
だからこそ偶然開いたこの馬屋に雨宿りだけを望む代わりに、面白い話を聞かせようとする。
こういう場合ハーメルだったらすぐに処罰すると思う。
私だって状況を考えたらそんな猶予は無い―けど、面白い話に髪が引かれる感じがした。
どれほどの話?端を聞いて興味も無ければ多少痛い目に遭ってでも
この国から追い出さなければ。
まずは―ちょっとだけ、聞いてやらなくもない。
とりあえず懐中時計で今の時間を確認し、一旦は剣を下ろした。
「ああ良かった。興味がありそうで、ところで中に入っても?」
「……ちょっどだけなら許すわ」
「ありがとうありがとう。やれやれ、全くこの国には珍しい嵐の夜だ」
―私の言う通り、特に不満も口にせず
ちょっと馬屋の中に入ってその場に座る。
汚れる事も気にせずに、まだ外套を被ったまま―
素顔を隠す理由でもあるのかしら。お尋ね者とか、ただでさえ怪しいのに。
「で、面白い話って?」
「そうだそうだ。古い話だ―知っている者は恐らくいないある国の話」
「……ある国?何処よ、そこ」
「まあまあ焦るな順序と言うものがある。さあ、話し始めよう」
すると名も知らぬ彼は外套の内から銀色の竪琴を取り出し
琴線を指で鳴らした。
聞こえる音色の断片が一つに定まる時―それは私の知らない曲となり
嵐を忘れる様な静かな一時の幕開け。
「……その昔その昔。とても美しい王女が一人。まさに慈愛とは彼女を指すであろう人が居た」
「……」
「美しき美しき王女の統治は、その国の平穏を続かせる。しかしその彼女の傍らには―忠誠を誓う黒き騎士の姿」
私は黙って聞いていた。
その話の始まりから、もしかしてと思ったけど。まだ話は始まったばかり。
「黒き黒き騎士と、美しき美しき王女の間には―深い深い愛で結ばれていた。王女は望む、騎士も望む―共に歩む永遠の愛を。しかし」
その言葉端を機に、音色が少し変わる。
例えるなら悲しみの色―かしら。
昔話を語る彼は僅かの心の揺れを音色に乗せる。
「王女は本当に本当に美しい。その美しさに目を留めたのは……深淵から現れしその姿、人ならず」
「……」
「全く全く醜くて、しかし美しさを求める心はあったのか―その名は『冥府の王』、腐敗し醜いその姿。目も当てられぬ」
冥府の王―腐敗した醜いその姿。どんなのか、私は知らない。
姿が相応しくないから愛する権利は無い―それはおかしい話。
どんなに見目が劣ろうとも心があれば誰かを愛する事もある。
しかし王女と黒騎士の間には既に固く結ばれた愛があった。
「冥府の王は酷い酷い事をした。美しき王女を妃と求め―応じなければ国を滅ぼすと」
「国が……滅ぶ……」
「勿論勿論最初は王女の御許で冥府の王と戦った、しかし増えるは心苦しい犠牲者の山。黒騎士とて何度も何度も傷ついた―死の淵に近い程」
冥府の王が何を始まりにして、王女を望み
応じなければ国を滅ぼす―そんな酷い事を強いたのか。
それも語るは昔話。私はその当事者じゃない―だから、分からない。
でもその黒騎士はきっと愛する王女の為に必死で戦ったのだと思う、けど多分勝てなかった。それから―?
「王女は悲しみ悲しみ、決意した。自分が冥府の王の妃になる事を」
「黒騎士は?その時どうしたの?」
「待て待て話す暫し待て。黒騎士は止めようとした―しかし今の彼では冥府の王には勝てぬ。それもきっときっと分かっていた」
愛する人が遠くに行ってしまう。
例え国の為を思っての事だとしても、その黒騎士には耐えられないはず。
でも勝てない、冥府の王がどれだけ強いか―もしかしてその時の光景は「荒れ果てていた」のかしら。
「そんな黒騎士に、一つの光明―たった一つだけ冥府の王に抗える力を授けると現れたのは―誰だろうか?」
「誰なのよ、もう。意地悪な言い回し」
「まあまあ聞いておくれ。その人、人?は黒騎士に一本の剣を手渡した」
たった一本の剣で何が出来るのかしら。
今まで勝てなかった冥府の王を倒せるとでも?
でもそれじゃあ剣に余程の力が無い限り―多分その先も語られる。
「誰か誰かは分からない。ただ黒騎士は聞いた。その剣で何をすべきか―最初は戸惑ったが、決意した……」
「……」
「その剣で自らを―」
その時だった―
―
ピカッ!ドカァアアン!
「キャアッ!?」
「おお怖い怖い、切り裂く様な稲妻が落ちたな」
突然話が打ち切られるかのように、恐ろしい稲光が何処かに落ちた。
その刹那の光に今まで話に飲み込まれていた私は、今何時なのかを確認した。
―もうすぐ、ゾーマの刻になる。
駄目、急がないと―新月の夜の契りを破る事になる!
「もう良いわ!話は十分聞いた、雨宿りを許すから明日になったらとっとと出て行ってちょうだい!」
「ああ本当かい!良かった良かった。では暫く借りるとしよう」
「粗相でもしたら許さないからね!」
そう言って彼が明日出られるように扉を開けたまま、私は急いで城へと戻って行った。
早くしないとゾーマになる。それまでに自分の部屋に閉じこもらなければ。
話の続きは気になったけど、それどころじゃない。
でも―馬屋に来た事も、名も知らない彼に会った事も。
そして話を聞く事を選んだ私の選択もまた―
「……運命の時だよ、アイリス王女」
必然的な運命の鎖に、繋がっていたのかもしれない―
―