Fortress
「どうして、エルフのお兄さんは嫌われてたの?」
子供の疑問は非常に純粋で単純だ。
キョロキョロと子供は周りを見回すと、今日はエルフの子がいた。
今では珍しい光景ではないが、やはりエルフの子は可愛い。
さらさらの緑髪に尖った耳、透き通った緑色の瞳。
「昔は今のように、世界が一つじゃなかったんだよ。
自分達とは違うものを、嫌っていたんだ。」
その言葉に、子供達はきょとんとしていた。
お互いを見て、「こんなに仲良しなのに?」と言わんばかりに純真無垢な瞳を向ける。
そんな瞳を見ていると、こんな昔話が信じられるとは到底思えないほど、世界は変わったのだ。
「英雄達は、それが嫌だったんだ。そんな…世界がね。」
Fortress
「…領地、というより要塞…って感じだな。」
「あぁ、それは勿論そうですよ。ここはウォルタレスの国防の要ですからね。」
ラスマン領を見たライトの呟きを拾ってノースは誇らしげに答える。ここは広い領地であり、周りを高い壁に覆われ、入り口では兵士がしっかりと領内外の出入りを見張っている。
領内に入って真正面に見えたのは、城というより要塞のような巨大な建物で、その中が領主の住まいであり訓練所なのだという。その周りに、決して豪華とは言えない住民達の住まいがいくつも立ち並んでいた。だがその要塞が大きすぎて、どうにもこじんまりと見えてしまう。
建物自体もウォルタレスの中で見たような石造りの建物では無く、どこかもの寂しい雰囲気を持つ木造の家屋ばかりだ。周りを行き交う人々は殆どが兵士の格好をしており、住民達はそれを避けるようにして細々と生活しているように見える。
通りすがりにノースの姿を見て礼をしていくものが多いが、横にいる見慣れない3人には不信な目線を向けてくる者が殆どで、ここが閉塞的な空間であることを感じ取れた。
「…敵は魔物、ですか…?」
イリスが恐る恐るノースに尋ねると、「勿論です。」と笑顔で返ってきたのでほっとする。これだけの軍事力があれば、他国と戦争することだってきっと可能だ。
だが、ここ数百年国同士の戦争は歴史にない。それこそが英雄と魔王の関係の存在意義に他ならない。
「僕達は、そう思って訓練していますがね。」
ノースが目を曇らせて放った言葉には、色んな意味が見てとれた。いずれ人同士の争いが起きるようなニュアンスを含んでいるし、もしそうだとしたら何の為の英雄で、何の為のラグナガンの英雄の死なのだろうか。
「さぁ、リース様。こちらがウォルタレスの国防の要…ラスマン領のラスマン邸です。」
巨大な要塞の中心部にラスマン邸と呼ばれた豪華絢爛な佇まいの豪邸があり、左右に長く建物が続いた造りになっている。中心部を除いて左右は兵士の宿舎になっているようで、造りはバランスが崩れない程度に絢爛さを取り除いた見た目だ。
ライトも、イリスでさえもその見た目に圧倒された。ウォルタレス本国に巨大な城を持ちながら、少し離れた外部にこのような巨大な施設を作るなど普通では考えられない。これでは国が二つあるようなレベルだ。
「遅かったな、ノース。」
「申し訳ありません。只今戻りました、カイラス様。」
「この方々が…話は聞いている、部屋を用意しましたので先にそちらへ。」
カイラス、と呼ばれた男はこの少し気温の高い国で、きっちりと洋服を着ており、権威ある人間の一人であることは見てとれた。
「リース・レストレアです。…お世話になります、カイラス様。」
「…あぁ、失礼致した。私はカイラス・ラスマンと申します。ここの領主の副官を勤めています。」
年齢は30代前半といったところだが、随分くたびれた顔をしている。これだけ大規模な領地の副官だ、思うところは多々あるのだろうと察する事は容易い。
「ここでその服は窮屈でしょう。…こちらの2部屋を自由に使ってもらって構いませんので。」
「有難うございます。…では、軽装で構いませんか?」
「領主はその程度気にされません。…なにか困り事があれば、私かノースへどうぞ。」
あまり感情の抑揚が無いその声に、圧倒されつつも与えられた部屋へ3人で入る。広いその部屋はドア一つで隣のもう一部屋と繋がっている。
「うわぁぁぁ!!!肩が凝る!なにこれ!いつもこんなの着てんの?!意味わかんないな!」
「外に聞こえるぞ、リン。」
荷物を投げおき、ジャケットを椅子に向かって脱ぎ捨てて美しい緑の髪を靡かせながら憤怒の表情でライトに訴え掛ける。当のライトは涼しい顔でリンの肩に手を置いた。
「だってこれ!暑いし!重たいし!…君達化け物?」
「レイティアもアレルバニアも、ウォルタレスには負けない軍事力持ってるからな。そして俺たちはそのトップだ。」
珍しく誇らしげに答えるライトを見て、イリスは笑う。
この人の愛国心は、時々こうしてしっかりとした表情で、形で現れる。イリスにとってそれは、とても喜ばしくて、この人の全てを信頼できる所以だ。
「レイティアとアレルバニアが手を組めば、何が起きても負けなんてあり得ない…だっけ?」
「…うーわー、一国の姫にして物騒な台詞だねぇ…それ。」
「リン、着替えるならあっちで着替えてこい。あと、それ汚すとクレイン激怒するぞ、多分。」
「…へいへーい。」
投げ捨てられたクレインの騎士服を取り上げ、簡単に畳んでリンへ渡す。それを受け取ってリンは部屋のなかにある扉を開いて隣の部屋へと入った。
「ライト、手伝ってもらっていいかな?」
「…はい。」
イリスもドレスから普段の服装に着替えるため、窮屈なドレスを脱ごうとするが、一人で着替えが出来るものではない。普段は侍女達が手伝いをするのだが、ここにはそういった人間はいなかった。ともすれば当然ライトが手伝うことになるので、何故かライトは畏まってしまう。
「…ふふ、変な感じね。」
「…そう、ですね。」
「ずっとお城にいたら、ライトが本当は女の人だって気付くこともなくて、こんな風に着替えを手伝ってもらうなんて想像もできなかったと思う。」
ライトはイリスの背中に回り、ドレスの編み上げの紐に手を掛ける。
「でも…やっぱりちょっと恥ずかしいな。」
「…俺、いや…私もです、姫様。」
固く締め上げられたドレスも、ほんの少しの力を込めて引っ張れば簡単にほどけてしまう。剣を振るって、生死の境を全力で駆け抜けている時には感じることの無い、妙な緊張感で少し手が震えていることに気づいたライトは、小さく息を吸って吐いた。
「ねぇ、ライトは…私とどうなりたかった?」
「…それは、どういう意味ですか?」
「だって、私がずっとお城にいたら、きっとなにも知らないまま貴方の事を好きになっていた。ううん、だってもうとっくに好きだったもの。」
あまりゆっくり話して来なかったその話題。
窮屈なドレスからゆっくりと解放されるのと同時に、張り詰めていた気持ちも少し開放的になっていたのかもしれない。
「…きっと、国王陛下も女王陛下も…ジークも。」
「うん。」
「…慌てて貴女に縁談を受けるように持ちかけたでしょうね。」
「そっか…。でも、私が聞きたいのはそういうことじゃなくて、貴方の気持ち。」
考えてはいけないことだとずっと思っていた。
愛している、という気持ちに嘘も偽りもない。だけどそれは家族として、騎士として、姫に捧げる敬愛の気持ち。騎士という仮面を被ってごまかし続けてきただけのこと。
ぎゅっと縛り付けていた紐を解いて、後はこの力を緩めるだけのはずなのに、この時はどうかしていたのだと英雄は後に語っている。
「…ライト…?」
イリスの細い体躯に透き通るような白い肌を後ろから抱き締めた。
「俺はずっと後悔してる…ずっと。なんで…男じゃなかったんだって。なんで俺に…イリスを真正面から愛する資格が無いんだ…って。」
主従の壁を越えた、今まで男として振る舞ってきたライトの男としての言葉に、イリスも鼓動が高鳴ってしまう。
「…これが、ガーネットの英雄と、ローズクォーツの英雄に与えられた呪いなら…。俺は生き続けてもずっとその呪いにかかったままだ…。」
生きるということに前向きになれなかった理由の一つ。
「けど、貴女には幸せになってほしい。」
暑い日差しが、大きな窓から二人に差し込む。
「…その気持ちを、貴女を守るという行動でしか…私は示せないんですよ、姫様。今までも…これからも。」
ずっと永遠に縛り付けておくことも出来るのだから、そうしてしまえばいいのではと思った。呪いで苦しみ続けて、悩み続けて、それでも共に居られる道だって無いわけではない。
けれど、それを本当に私は望むのだろうか。
彼女には、自分の道を生きてほしいと言う気持ちではなかったか。イリスは思い直す。
「騎士の…鏡ね、ライト。本当に貴方には助けられてばかりで、救われてばかり。」
私のためなら死すら選んでしまう、騎士の鏡。抱き締められたその腕は、思っていたよりも細く無駄がない。そんな腕にそっと、掌を添え、体重を騎士に掛ける。
「…ねぇライト。…私はね、貴女が男の人だったらよかったのに…ってあんまり思ったこと無いの。勿論、男の人だったら、どんなに周りが反対したって貴方を選ぶ。…けど、そうじゃないの。
男とか女とかそう言うのは関係なくて、私は…ライト・シオン・カーウェイって言う人が好きよ。強くてかっこよくて凛々しくて、そして…どこか脆い。いつも私を守ってくれて、助けてくれて、思ってくれる。
だから…だからね。勝手に居なくなるなんて許さないから、私…絶対。」
するりとイリスはライトの腕をすり抜ける。
落ちていく綺麗なドレス、くるりと身体をライトへ向けながら、ライトが脱いで椅子に掛けていた騎士服を上から肩に掛けるように羽織った。少し背の高いライトのそれは、イリスが上から羽織れば不格好この上ないのに、その美しく気高い姿から目が離せない。
「例え結ばれなくても、一緒になれなくても…。それとライトが生きてるか死んでるか、関係ない。…生きていないと、世界のどこかでいいから居てくれないと…嫌よ、私。
これが…私の気持ち。イリス・サクラ・レイティア個人の…我が儘。」
ライトは、何かをぐっと堪えるような顔で、笑った。
「…姫は本当に昔から…我儘です。」
このような女性同士の…いや、知らない人が見たらただの美男美女の、美しいやり取りを見たのは人生で初めてだったが、完全に出ていくタイミングを失ったリンだけは、どうしたものかと扉の向こうで頭を悩ませていた。
しばらくして着替えを終え、普段の格好に戻った2人がリンのいる扉の向こうをノックする。やや困り顔のリンが「あー…終わった?」と気まずそうに尋ねるとライトに軽く足を蹴られた。…理不尽なことこの上ない。
「リース様、領主の準備が整いました。」
タイミング良くそれを知らせに来たカイラスに案内された部屋に入ると、広く豪華な部屋で丸テーブルに腰掛け、優雅に紅茶を嗜む男の姿があった。
その脇に、美しい女性がティーポットを持って立っている。緑の美しい髪に、緑色の暗い瞳、少し尖った耳、表情は無かったが間違うことなどあるはずがない、エルフだ。
普段の服に戻ってフードを目深に被っているリンが反応を見せたが、ライトは瞳でそれ以上の行動を起こすことを制する。男は全く感付いた様子もなく、ティーカップを置いてゆっくりと立ち上がった。
カイラスと同じ濃紺の髪に同じ色の瞳をした目鼻の整った男で、カイラスのようにくたびれた様子は感じない処か、生き生きしている。
「初めまして、当領地の領主をしているカール・ラスマンです。」
「お初にお目に掛かります。レストレア王国第二王女のリース・レストレアと申します。」
にっこりと笑顔を浮かべて握手を求めるカールの右手に、イリスは笑顔で応える。
「こちらが…我が軍隊に指導を着けてくれると言う君の騎士かい?」
「えぇ、自慢の騎士です。」
「ライトと申します。…主に剣術と戦略ならお任せください。部下のリンは弓の名手ですのでそちらも何分役に立つかと。」
「へぇ…それで、そんな有りがたい申し出をして、何をお求めだい?」
「こちらの領内には、水の神を祀った所があるとお伺いしています。…英雄の手がかりを見つけるために、そちらに行きたいのです。」
「なるほどね…。次はいつがその日だったかな?」
カールは首を脇のカイラスに向けて尋ねる。
「5日後です。」
「5日か…。よし、それまで軍隊に指導を付けてもらって、その軍隊と同行してもらう、という風にしよう。どうかな?」
「有難う御座います。」
「決まりだね。じゃあ早速訓練所の方に案内しよう。シェリア、後の事は頼んだよ。」
「…はい、カール様。」
横に立っていたエルフの女性はシェリアと呼ばれ、カールは親密さを示すようにその手を取って手の甲に口づけた。この国ではエルフは嫌われていると思っていた3人にとって、カールのその行動はとても不可解だ。
「シェリア…さんは、エルフ…ですか?」
たどたどしい敬語で、リンは言葉を発した。カールはフードを目深に被った男に不信そうな目を向ける。
「リン、立場を弁えろ。
…うちの部下が失礼しました。彼は…以前顔に大火傷を負ってしまってそれ以来顔を隠しているのです。」
ライトはきつめの口調でリンを叱責すると咄嗟に嘘を吐く。
「…なるほど、君、エルフは嫌いなのかい?」
納得したのかどうかは解らないが、カールはリンに尋ねると、リンは首を横に振った。
「そうか、この国ではエルフを毛嫌いする者が多くてね、私はそれを変えたいと思っているんだよ。」
「…それは、どうしてです?」
「エルフだって人だ。魔力や寿命は人とは比べ物にならないくらいだが…。とはいえ、人と人が争い合うのは好ましくないだろう?だからそういう偏見を私は無くしたいんだ。」
「それは…理想の世界ですね。」
「貴女も一国の姫というなら、解るでしょう?…ずっと英雄伝説にすがっているわけにもいかないんですよ、我々は。」
「…えぇ、そう…ですね。」
カールとカイラスに案内された訓練場は非常に広かった。
その中で沢山の兵士達が剣や槍を振ったり、弓を射たり、銃を放ったり、中には模擬戦をしているもの達もいる。
「これは…凄いな。」
レイティアの訓練場も広いが、それよりも更に広い。
「あの、黒と白の肩章がついているのは何が違うのです?」
兵士達は同じ服装をしていたが、肩章の色が異なっている事にイリスは気づいた。
黒地に星がついている物と、白地に星がついているものがある。
「黒は私の直属である、親衛隊第一大隊、白はカイラスの直属である親衛隊第二大隊の区別ですよ。」
「さしずめ、星の数は階級と言うことですか?」
「察しがいいですね、リース様。カイラス、二人を呼んでこい。」
カールの指示を受け、カイラスは二人の女性を呼んでくる。一人は黒の肩章を付け、もう一人は白の肩章を付けていた。
「こちらが第一大隊副隊長のウェス。もう一人が第二大隊副隊長のイストです。」
カイラスはそれぞれを紹介する。どうやらこの国は女性も積極的に幹部クラスに登用しているようだ。
ウェスと呼ばれた彼女は、ウェーブ掛かったゴールドの長い髪を一つに束ねて豪勢に揺らしている。瞳もぱっちりと大きく、絶対的な自信を滲ませていた美人だ。腰に細剣のレイピアを差している。
対してイストと呼ばれた彼女は、ウェスのような派手さは無く、黒く短い髪で、どこか瞳に自信なさげだ。背中に重たそうな剣を背負っていて、ライトにはそれが不釣り合いとしか思えない。
「カール様、私たちにどこの小国の人とも知れない方の指導なんて…必要ありませんわ。」
ウェスは挨拶などお構いなしに、直属の上司に当たるカールへ異議を申し立てる。
その口調は強く、背の高いライト相手に見下すような態度を見せる。
「そう言うな、ウェス。…これでも、ノースの一撃を止めた人間だ。」
「ふん、サウザー様なら一撃でしたわ。…第二大隊ののんびり屋の隊長なんかを当てるから悪いんですのよ。」
隊長が隊長なら、副隊長も副隊長か、とライトはサウザーの顔や口調を思い出していた。
カール自身もどこの小国の人とも知れない人間の実力には懐疑的で、全く期待などしていない様子だ。
「ウェス…失礼だよ、お客様の前で…。」
「イストは黙ってなさい。セカンド部隊が出てくる場所じゃないのよ。」
そしてこの差別意識は、カールの理想とは真逆ではないかとも思うが、どこの国にもこういう小さな争いは耐えないのだろうと自分の部隊を思い出す。
レイティア王国の親衛隊も第一親衛隊から第五親衛隊まであるが、そのすべてが一枚岩な訳ではない。現状、第一親衛隊の隊長と、第二親衛隊の隊長が争い合う関係になってしまったのだから。
ただそれは魔族の介入が起きてしまったからこそのことで、それさえなければ、表面上は問題などここまで浮き彫りではなかった。そこまで安定していたのは、ライトとジークが絶対的に強く、誰も敵わなかったからだ。
「では、我が国自慢の親衛隊長の実力をお見せしましょう。…ウェスさん、貴女の前で。」
「リース様…と仰ったかしら?…いいですわ、では…今我が隊で一番実力を付けている部下を当てますわ。」
イリスもこのウェスの物言いを不愉快に思っているのだろう。この申し出にウェスは乗り気で、カールやカイラスも止める気配が無いことから、皆がライトの実力を知りたがっているのだ。
ウェスに呼ばれて出てきた男は、相手を叩きのめすという気概に満ちた瞳をして、同じように他者を見下す瞳をしている。ライトは指示された通りに模擬戦が出来るスペースに足を運び、その男に対峙して腰から剣を抜こうとして止めた。
「…木刀はあるか?」
「え…あ、はい、ここに。」
ライトはイストに声を掛け、木刀を手渡してもらう。
「ちょっと!真剣で来なさいよ!」
「…姫様の前で流血沙汰は避けたい。」
「…どういう意味よ、うちの部下は真剣なのよ?いいの?」
「それくらいが丁度いいかな。」
「バカにして…!!後悔するわよ!」
ライトは木刀を宛がわれた男に向けてしっかりと構える。
男は相手が木刀だと解って、表情に油断を滲ませている。こそこそとウェスが耳打ちをして、ウェスは模擬戦場から離れた。
「Ready…」
GO!!
試合の合図が響いた瞬間、男は吹っ飛んでいた。数メートルは吹っ飛び、壁にぶつかって止まる。周囲で見ていた者たちは唖然とした。
「…あぁ、うちの部下ならその程度で吹っ飛ばないから、加減を忘れていたな。」
レイティア王国親衛隊の教導訓練に、これを回避もしくは防御する訓練が含まれていた。
試合開始のゴングが鳴った瞬間に最速でライトは相手の間合いに入り込む。姿勢を低くして、相手の懐に入り込み、ハイスピードで下から斜め上に剣を振り抜く。真剣ならば、腹が真っ二つに切断されてしまうような技だ。
ライトのスピードを見切って回避するか、間合いに入り込まれた瞬間に防御をするか、それしか取る方法がないのだが、初めてで反応出来たものは今まで居ない。
「…おい、大丈夫か?」
ライトは吹っ飛ばした男に近寄って手を差し伸べる。加減を忘れた、と言ったが当然かなりの加減をした。多少の打撲程度で済んでいるだろうし、これだけの訓練施設ならば医療班もしっかりしているはずだ。この男に残るのは物理的な傷ではなく、プライドを打ち砕かれた傷だろう。
「…チッ…何をした…!」
「…その程度か。」
悔しそうに男は地面を拳で叩いていたが、周りで見ていた者達からはライトに対する称賛の言葉が呟かれている。中には仲間をやられて敵意を向けているもの達もいたが、それの大半は黒い肩章の方だ。
ライトは取ろうとされない差し伸べる手をやめて、一つため息をついて元の場所へ戻った。男には別の人間が掛けよって介抱している。
「…あんた、名前は何て言うのよ。」
「ライトだ。」
「…私とも戦いなさい、今のじゃ認められないわ。」
ウェスは腰のレイピアに右手を添えながら模擬戦場に立っていた。
「勝てるとは思えないな、お前が、俺に。」
「今まで私を下したのは、サウザー様だけよ、大した自信ね。」
「…逆にその大した自信…へし折ってやろう。」
ライトは普段見せないような強い瞳と低い声でウェスを睨み付ける。それは戦闘種族という恐怖ではない、一国の親衛隊長として部下に希に見せる恐怖だ。
その瞳には、強さ、過去の経験値の高さ、強いものと戦い続けてきている確固たる自信、様々な物を感じさせる。自信家のウェスも、その瞳に一瞬だけ恐れ戦いてしまうほどだ。
「…掛かってきなさいよ。私は負けないわ。」
「…仕方がない。なら、本気でぶつかってやろう。」
ライトは相手に敬意を払って腰から真剣を抜く。こういう好戦的な部下にはライトは常にこのような対応を取ってきた。
高すぎるプライドはへし折って、そこから這い上がらせるのがライトの手法だ。なにも恨みがあるわけではない。
この程度の挑発で機嫌を害しているようなら、何百、何千の兵士を束ねる人望など生まれない。
片手半剣のラグナガンとは違う騎士用の両手剣を、頭の横で構え剣先をウェスに向ける。
ウェスも距離を取って向かい合ってレイピアを抜いて構える。
ライトから受ける視線とオーラは、確かに強者の物であるとウェスは感じ取っていた。
この訓練所には中々居ない強さの人間だ。
「Ready」
GO!
先程と同じ手をライトは使った。
しかしそれはウェスも当然対策をするところで、防御ではなく回避をする。レイピアでは両手剣を受けきれないと考えたからだ。
そこからウェスはライトに向けてレイピア特有の高速突きを繰り出した。ライトは後退しながら剣で受け流していく。知らない人間がみれば、ウェスが押しているように見えるだろう。
「君の騎士は、あの程度かい?」
「カール様は、ライトが押されているとお思いですか?…良く見てください。」
イリスがライトを指差す。
「…笑ってる。」
イストが、声を震わせながら呟いた。
イストは、この訓練所でいつもウェスに負かされている。勿論サウザーにもノースにも勝てたことはない。だが、同じ女性の副隊長であるウェスはいつも自信があって、自分とは真逆で、いつも貶されてはいるが尊敬している部分もある。
そんなウェスを前にして、あの人は笑顔を浮かべている。まるで部下の成長を見届ける上司のような、厳しい視線の中にそんな優しさを感じる。
あの人の指導を受けてみたい、強くそう思ったのは初めてのことだった。
しばらくウェスの斬撃を受け流したあと、軽く剣を振ってウェスを遠ざける。
「っ…手を抜いているんじゃありませんの?それとも…その程度ですの…!!」
「息が上がってるな、体力は自信が無いか。」
「その…涼しい顔がムカつきますわ…!!」
ウェスはこの勝負を決めに、勢いを付けて強力な突きを繰り出すが、ライトはそれを剣で受け流し、勢いが止まった瞬間に剣を縦に振り上げた。
軽い鉄の音が響いて、ウェスのレイピアは綺麗に折れて上空に飛ぶ。
その隙にライトは相手の首の真横に真っ直ぐ剣を突きだした。
綺麗なゴールドの髪が数本空気に舞う。
「っ…!!!」
「俺が敵なら、死んでたな。」
「その綺麗な顔…!いつか絶対下してやりますわ…!!」
折れたレイピアの剣先が地面に突き刺さる。
ウェスは顔を真っ赤にして怒りと悔しさを滲ませ、訓練場の兵士達の中に消えていった。
「…なるほど、ノースの剣を止めたと言うのは本当のようですね。」
「強いでしょう?ライトは。」
「貴女が誇っていた理由は解りましたよ。ウェスにもいい刺激でしょう。さ、後のことは任せて我々は茶会としましょうか?」
カールはパンパンと手を叩いて笑顔を浮かべ称賛し、イリスを連れて訓練場を離れた。
イストは誰より先にライトの元へ駆け寄って、大袈裟に腰を折り頭を下げた。
「し、指導を…!付けてください!!」
「…その為に来たから、当然だ。」
「そ、そうでしたね…。」
「まぁ、前向きなやつは嫌いじゃない。部隊毎面倒を見よう。」
イストの顔が明るくなる。こんなに強い人に指導をしてもらえれば、セカンド部隊と蔑まれることもなくなるかもしれないと言う期待もあったのだ。
「リン!」
ライトに突然呼ばれたリンは、極力ライトの部下に見えるように走って駆け寄った。するとライトが耳打ちしてきたので、こそこそとそれは出来ないと答えると、なんだその程度も出来ないのか。と完全に教官モードに入ったライトにバカにされ、それならカウントを頼む、と言って普段着ている黒のジャケットを脱いで手渡した。
「じゃあ、イストの部隊はこれから…。」
続きの言葉にイストは期待をしていた。どんな剣術を教えてくれるのだろうと。
ただ、その期待はすぐに打ち砕かれることになる。
「この訓練場100周だ。」
第二大隊全員が、息を飲んで落胆したのは言うまでもなかった。このとてつもなく広い訓練場を、そんなに走ったことのある人がいるのだろうか。
けれどライトが率先して走り始めてしまったので、慌ててイストは部隊を集めて後に続かせる。黒の肩章の部隊は鼻で笑って、なんの意味があるんだとからかったけれど、指導を頼んだのはイストだ。責任を持たなければならない。
リンは一人一人の走った回数をなんとかカウントしていったが、100周着いていけたものはほとんどいなかった。イストはなんとか着いていったが、肩で息をしてとてもじゃないがこのあと剣など持てないほどなのに、ライトは息を少し乱しているだけで涼しい顔をしている。
「い、イスト副隊長…。あ、あの人…化け物、ですか…?」
「…わ、わかんない、けど…。凄い、人なんじゃない、かな…?」
「やっぱりライトは化け物なんだな…。」
「リン…お前もこの位できた方がいいと思うぞ?」
「…俺は魔力と技術でカバーするからいーの!」
相変わらずこそこそとやり取りをして、ライトは目の前で疲れ果てている面々を一通り見回して、笑顔で言った。
「各々、武器をもて。」
驚くものが半分、立ち上がれないものが半分の様子を見ても、ライトは表情を崩さない。
「魔物を全力で相手にして、それでも倒しきれなかったら、そうやってへばって死ぬか?」
きっとそんな危機的状況にあまりなることがないんだろうとライトは想像していた。
この訓練場に、危機感という概念をあまり感じなかったからだ。
それでも皆、立ち上がろうと言う意思は見えたのでそれ以上はなにも言わず、見守った。
しばらくしてほとんどの人間が立ち上がったのを確認して、それぞれの武器の基礎訓練を始める。
剣や槍なら素振り、弓や銃なら基本的なフォームの確認だ。それを一人一人ライトとリンで確認して、必要があれば指導もした。
その晩、情報収集も兼ねてライトはイストと食事を共にしていた。リンにはイリスの護衛を頼み、別行動をしている。
「ここが私たちの食堂です。」
「広いところだな。…で、あっちとは何が違うんだ?」
何百人でも一斉に食事をとれそうな広い食堂は、あからさまに二つに分かれていた。
ライト達がいる方に比べ、奥に広がる一段上がった所はやや豪華なテーブル、食器、そして料理の質が違いそうなキッチンだ。
「これが、白と黒の差なんです。」
「…その差は、どういう基準で決まってる?」
「…黒は、元々が貴族出身者が多いんです。私たちのような白は、この領地出身だったり、本国でも平民の出身がほとんどです。」
驚きもしなかった。大方そんなものだと思っていた。イストに続いて食事を受け取って、適当なテーブルに腰かける。4人がけのテーブルには、他にも二人白い肩章の男が座った。
「どんな訓練したら、ライトさんみたいに強くなれるんですか?…ここだけの話ですけど、正直ウェスさんに勝ったときはスカッとしちゃったんすよ。」
男は興奮を隠しきれない様子でライトのほうに身を乗り出す。
「血ヘド吐くほどの訓練を10年続けてきた。…劣等感も何もかも全部圧し殺して。」
その言葉は、先程まで軽く会話していたライトとは全く別人のような重みがあった。全員が一様に黙り込む。怒らせたかもしれないと思いながら恐る恐る口を開いたのはイストだ。
「そこまで…どうして思えたんですか…?」
「姫と国を守るため。それ以上でも以下でもない。…思えないのか?国や領地を…もしくは自分の大切な人を守りたいと。」
イスト達は、答えられなかった。放つ異様な空気に、ライトも違和感を感じる。
「…思えないっすよ。俺たちセカンドは…。」
「ダイ!」
最初に興奮した面持ちでライトに強さの意味を尋ねたダイという男の台詞を、イストは椅子から勢いよく立ち上がりながら遮る。
「副隊長…いいと思いますよ。ライトさんは信用できる。」
「ミトス…。君が言うなら、間違いないか…。」
今まで黙っていた寡黙そうな男が口を開くと、イストは周りを見回して、ストンと椅子に座った。
「…俺たち、いずれ死地に送られます。」
ミトスと呼ばれた男が小さく放ったその台詞に、ライトは顔をしかめた。
「セカンドは、そういう部隊なんです。本国でも比較的力のある人間をここで育てて、他の領地や砦に送られるんですが…そこは、魔物との攻防が激しいところなんです。私も、いつ副隊長の任を解かれて送られるか…。」
「…なるほど、なら…。」
ライトは3人の顔を見回す。
皆が悲壮感を募らせた顔をして、先の事を憂いている。そんな顔に向かってライトは笑顔を向けた。
「あと数日で、お前らが死地でも死なない力を付けてやるよ。」
嘘だ、有り得ない、俺達にそんなことできるわけない。
3人にはこんな感情が渦巻いたが、ライトの瞳があまりに真っ直ぐで、本心でその言葉を吐いたことが解ってしまった。
この人は本気でそうするつもりなんだと、3人の直感が働く。
「…やっぱ、ライトさんは化け物っすね。」
「良く言われる。」
「あ、ライトさんそれくらい私が…!」
「いいさ、こういうのを押し付けるのは趣味じゃないんだ。」
ライトが立ち上がって食器を片付けようとすると、慌ててイストがやろうとするが、笑顔で制した。そして迷わずイリスのいる部屋への道を歩き始める。
「ライトさん、かっけーすね。」
「…俺もそう思うよ、ダイ。」
「私たちに今まで…あんな風に言ってくれた人は居なかったからね…。」
セカンドと呼ばれ蔑まれ続けた第二大隊にとって、それは突然差し込んできた光だった。




