Each
彼女への愛を自覚したその時よりも
激しく高鳴る鼓動の意味を
彼女はまだ知らない
Each
夢か現実かの区別が付かなくなる。
先ほど耳元で囁かれた言葉の意味を、まるで理解が出来なかった。
ただただ、鼓動は高鳴り、目の前の男を直視できなくなっていた。
「カーウェイ隊長!」
城にいた頃、よく女兵士から声をかけられた。
その声は少し上ずり、頬を赤らめ、緊張した面持ちでいつも声をかけられる。
「どうした?」
ジークには、城ではカーウェイに惚れない女は居ない、といってよくからかわれた。
城のなかで正式に性別を公表したことはないが、気付いたときには誰もがライトを男だと疑わなかった。
性別がどうであれ、自分自身が親衛隊隊長を勤めるに当たっては、その方が気楽で、問題を感じなかったから特にそれを正す事もしなかった。
本当に知っていたのは、国王、女王そしてジークのみだ。
「報告が…御座いまして…!」
些細な城の出来事でもよく報告をされた。
隊長クラスの人間が、まして隊長の中でもトップであるライトが聞くほどの事でなくても、無下にすることはなかった。
その親しみやすさも、城の女兵士たちを釘付けにしたのだろう。
女兵士だけではなかった。
その強さに憧れる男たちも後を立たない。よく部下の稽古にも付き合ったものだ。
毎日が多忙で、休む間などあまりなかったが、とても充実していた。
そんな中でも癒しと安らぎをくれたのが、たまに会える姫のイリスだった。
幼馴染みであり、記憶も感情もなかった自分に、記憶と感情をくれた彼女の存在は非常に大きかった。
二人が並んで城を歩けば、城の兵士達が嫉妬する暇も無いほどお似合いだと言われていた。
レイティアきっての美しい女王といわれたアイリスの愛娘イリスが、ご多分に漏れず美しい姫だったからだ。
その横に並ぶライトの存在は、他国には抑止力となり、イリスに縁談を持ち掛ける勇気のあるものなど居なかった。
愛など知らなかったライトだが、イリスを思うときだけは特別な感情があることには気付いていた。だがそれは抱いては成らぬ物だということにもとっくに気付いていた。
次に心が動いたのはクレインの存在だった。
隣国の騎士であったクレインは、出会ったときからよくライトを構った。
特に公言していなかったのに、女であることに気付き、それを周りに隠し続けてくれた。
次第に心を開いたライトは、クレインと無二の親友となっていた。
厳しい訓練に、弱音は吐いたことは無いが、心は折れそうになった事が何度もある。そんな弱さをイリスに見せられないライトだったが、クレインには打ち明けられた。
打ち明けるといつても、僅かな異変に気付いたクレインが、何も言わずに側に付いていてくれた。
そんな事が何度かあると、二人はミドルネームで呼び合う親密な仲となる。
お互いが人の上にたつ立場であることを鑑みて、二人でいるときだけだったが、そんな時はクレインは女としてライトを見ていたのだろう。
親友以上の関係になることはなかったが、ライトにとってはイリスの次に大事な繋がりだった。
そして今、また心が動こうとしている。
「レイ…。」
腕を伸ばして、押し返すようにレイから離れるシオン。
「俺には、良く解らない。」
「そうだろうな、俺の一方的な思いだ、そんなに気にしなくていい。」
あまり表情は豊かではないが、寂しそうな顔をしているというのは分かった。
「…また、失うのは嫌だ。」
「お前に何度忘れられようと、俺は変わらないさ。」
それだけ言うとレイは去っていった。
また思考がぐるぐる回る。
「覗き見とは、趣味が悪いな。」
ヤマトは敢えてテレポートで現れて、自らの足で立ち去った。
ライトは気付いていなかったのだろうが、少し離れた場所からの目線が合ったことにヤマトはずっと気付いていた。
「気付いていて、わざと…ってことか。そっちの方が趣味悪いと思うけどな。」
目線の主はクレイン。背中を預けていた木から離れる。
その顔にはあからさまな苛立ちが現れていた。
「お前は…どうしたいんだ?」
「シオンを守りたいだけだ。」
「過去の話はアカギさんから聞いた。
…守って、生かして、その先どうなりたいんだ?」
ヤマトはため息を一つついた。
「…俺たちは、生きる時が長い。お前たちが寿命を迎えて死んでも、まだ生き永らえる。
一人になる辛さは…解るだろう?」
クレインは一瞬押し黙る。想像も付かない年月を生きるという意味に、いまいち実感がない。
「だから…刷り込むってのか?アンタとの思い出の記憶のないライトに、そんな記憶を植え付けんのか?」
「そんなつもりは断じてない。…生き方を選ぶのは、シオンだ。」
嘘偽りのない、真っ直ぐとした言葉だった。
「俺はただ、俺に生きる意味をくれたシオンを守りたい。側にいたい。それだけだ。」
クレインはため息をつくことしか出来なかった。揺らぐ自分とはまるで真逆の、はっきりとした決意だったからだと言う。
自分は一体何をしたいのか、なにも見えないまま、またあの研究者の街へと戻って行く。
「シャル、何を書いてるの?」
一行は、ライトに実験を施す1週間後までは自由に過ごしていいという許可を得ていた。
そのなかでシャルは、街の図書館へ赴いていた。
「この沢山本の有るなかで、色々…調べておこうかと思って。」
特段やることのなかったリーナは、シャルについていた。
リンはいつもふらふらとどこかへ女を探して行ってしまうし、ライトもどこにいるのか解らない、
クレインとイリスは心ここにあらずで、ヤマトは近寄りがたかったからだ。
「ふぅ~ん。小さいのに勤勉だねぇ。」
「小さいって…リーナだってそんなに変わらないじゃないか。」
「僕は君より年上だよ!」
「えー、一つだけでしょ?」
シャルは魔法の事以外にも調べたいことがあった。
英雄達は、親もその親も大体皆英雄だ。
そしてリーナの父親も、そんな英雄たちと共に旅をしていた。
皆が英雄との縁を持っている。
自分はどうなんだろう?
どうして彼らと出会ったのか、果たしてどんな役割があるのか。
自分は必要なのだろうか?
「ねぇ、シャルはライト達とどうやって出会ったの?」
リーナに尋ねられ、船で起きた話をする。
目の前で戦っていたライトの姿に惹かれた事。
強くなりたいと思ったこと。
「何で強くなりたいと思ったの?」
あのときなぜ一人で居たのか。
確か…
「僕は…気付いたときには一人だった。一人で、世界をうろうろしていた。」
「その年で?普通なら、親元にいる年だよ。」
「お父さんとお母さんは…たぶん、居ない。」
あれ、何でだったかな?
戦乱孤児で、親の事なんて知らない…はず。
いや、違う。
僕は小さい頃から…魔力があって…攻撃魔法が使えて…それで……あの時…
「ちょ、ちょ、ちょいまち!何で泣くのさ?!」
泣くつもりなどなかった。
自然と溢れて来たものだった。
「僕が…殺したんだ。」
まるで意思のない呟き。
ずっと記憶に蓋をしていたはずなのに。
探しても居ないはずの親という存在。
「思い出した…。
魔法……巻き込んだんだ……自分でも、よく…分かんなくて。」
リーナは慌てた。年下の少年を泣かせるつもりなどなかったし、その内容も想像以上にヘビーだ。
ここの面子には、過去に闇を抱えている人間ばかりじゃないか。
「それで…村に居られなくなって、僕は世界に追い出された。
しばらくは一緒にいてくれた人が居たけど…また一人になった。
そして…ライトさんに出会った。」
あのときの船上のライトさんは、なにかを失った様子だった。同じ名前の、エルフの子。
彼との出会いから別れはあまりにも短かったそうだが、とは言え大切に思っていたのだろう。
きっと、あのときのライトさんの感情に、自分もリンクした。
だから…強くなりたいと強く願った。
「…今は、その…平気なワケ?」
シャルは頷く。
「自分で壊してしまったから、今度は…皆を守れたら、僕もきっと…変われるかなって。」
「強いね、シャルは。」
「きっと、ライトさんのお陰だよ。ライトさんはいつでも、強くて、かっこよくて、僕に自信をくれる。」
「まぁ、それはなんとなく解るかも。」
ライトとは不思議なヒトだ。
絶対的な強さを持っていながらも、どこか脆く、人間らしい。
なのに、皆には強さと勇気を与える。英雄の力なのか、元々騎士として生きてきた性質故なのか。
「リーナは?…その、ライトさんは…」
「父さんの事、僕は良く知らないんだよなぁ~。でも暖かい腕の感覚だけは覚えてる。
その腕で、英雄を守ったんだ。その英雄が僕らの村を救った。…僕は、父さんに救われたんだと思ってる。…恨みはしないよ。」
もちろん、ライトが道を外さない限り、ね。
イリスは毎日ライトの部屋に向かった。
「また…居ない。」
だが、朝一番で部屋にいってもいつもライトはそこには居なかった。
「会いたいのに…ライト。」
「貴女はそうやって、いつも思ってくれているんだな。」
「イリスでいい。私もヤマトって呼んでるから。」
イリスの後にこの部屋に入ってきた男に、背中を向けたままイリスは言い放った。
ヤマトはライトを見守る間にイリスという姫君の事も見て来た。
感情豊かな性格、ヤマトにとっては些か苦手な部類である。
「怒っているのか?」
「悔しいだけ。…私の知らないライトを、沢山知ってる貴方に。」
「俺の知らないことも、沢山知っているだろう?」
「…好きな人の事、全部知りたいって思うでしょう?それと一緒。」
イリスはこの時躊躇うことなくライトを好きな人と表現した。色んな意味で開き直った気分だったそうだ。
「ライトが本当に男の人だったら、私は絶対…。」
イリスの呟きを、ヤマトは最後まで聞かないことにした。
「不思議でしょうがないことがある。」
「珍しく真面目な顔して、何だよ、リン。」
ムードメーカーだろうクレインの様子が浮かない日が続いているのを心配して、リンはクレインを引っ張りまわしていた。
あちこちの研究所の女性を見て回って、
時々数人とお茶をして、
だが研究気質で、戦闘種族の長寿の女性たちがリンに靡くことはなく、
不毛な一日の締めくくりに二人で語らい合っていた時の事。
「ライトは女だろ?」
「昔からな。」
「俺は女となると黙っていられないタチなんだが、」
「よくもまぁそんなに堂々と言えるもんだ。」
「なぜか、」
「ライトには興味が持てないって?」
クレインがそう言えば、リンはよくぞ当ててくれました、と言わんばかりの笑みで返してくる。
「ライトは…特別だ。」
妙に重みのある言葉だった。ずっとライトを見てきて、そして過去の話を聞いて、この男には思うところがあったのだろう。
リンは軽く頷いて同意する。
女とか、男とか。
人とか、戦闘種族とか。
闇とか光とか。
そういう物を気にさせない、不思議な奴。
色んな意味でリンは、興味を抱いていた。
「そういえば、イリスには興味持ってんのか?」
「あの姫さんは美しい。そりゃぁもう。けど…」
ちらりとリンはクレインを見る。
「あんたらのガードを潜り抜けてまで、手を出すほど俺は勇敢じゃないのよ。」
「全力で力を解放したライトに、斬られる覚悟が必要だな。」
クレインの冷徹かつ、何かを想像させる目線には、背筋の凍る思いだったという。
「そういうクレインは、騎士と姫、あんたにとっちゃどっちも守るべき姫なんだろうけど。
実際のところ、どーなのよ?」
「ライトには…ヤマトが居る。なら、俺は約束を果たすだけだ。」
「締まりのない、迷ったままの答えだな。迷子のクレインだ。」
それぞれが、それぞれの思いを抱えたまま、悪戯に日々は過ぎていく。
光の見えない日々に、不安を募らせ、迷いながら、先の見えない道を進んでいるように。
心に穴が開いたようだ。
自覚も認識もしていなかった、今までの自分を急に与えられて、
気付いた瞬間からの虚無感は何なのだろう。
忘れるということに恐怖を抱いている。
イリスと出会った時の事、
クレインと出会った時の事、
イリスと二人で遊んだ無邪気だった頃、
クレインと特訓を重ねた無我夢中の頃、
国王に女王が家族のように扱ってくれた頃、
ジークと模擬戦をしては負けて悔しかった頃、
親衛隊隊長となり脚光を浴びた頃、
愛する場所で、愛する人の元で、穏やかに暮らした頃、
国を追われ、外の世界に飛び出し、様々な経験をした時、
新たな仲間に出会い、世界を少しずつ知った時、
全てをまた忘れてしまうのだろうか。
「…俺は、どうしたらいいのだろう…。」
忘れたくない。
かけがえのない思い出だ。
だがこの記憶を忘れたくないと思うのは、レイに失礼だろうか。
一切全てを忘れている自分を受け入れてくれている、彼に。
何故受け入れられる?
俺の何を知っている?
俺は…。
「世界を守ってよ。」
ふと声が聞こえた。
いつもの場所で。
声の主を探せば、木の上に銀髪の少女が佇んでいた。
「僕の父さんは、あんたを守って死んだんだ。なら、生きて世界を守ってよ。それがあんたの使命じゃないの?ライト。」
「あぁ…そうだな。」
酷く頼りの無い声だった。




