第4話 リスペクティブ・バリュー
並列世界に存在する某公園にて。
そこには、マリオネットと呼ばれる化け物の死体の山。
それは、ここで起こった凄まじい戦いを物語っていた。
ゼータ・バニッシュと、マロン・クルールの戦い…
人間を否定する狂者のやり方に腹を立て、自分こそが正義だと、ゼータは我を忘れて戦った。
しかし、あまりにも我を忘れていた為、記憶が無い。
気が付いた時には、傷付いたマロンを目の前に、ゼータは自分の剣を振り下ろそうとしていた。
………
しかし、そこでゼータは、唖然とした。
「…お、…お前は……」
彼の目前には、異様な光景が広がっている。
それは、現実と矛盾した非現実的な光景だった。
ゼータに追い詰められたマロンを庇うように、ゼータと同じような容姿をした青年が立ち塞がっていた。
…いや、そこにはゼータ自身が居た。
顔はもちろんのこと、身長、髪型及び髪の毛の色、持っている武器まで同じだ。
一つ違うのは、マロンと同じ狂者の服を着ている事…
ゼータは、もう一人の自分を唖然として見詰めた。
決して向かい合うはずのない自分がそこに居る…
理解できない。
だが、これは現実だ。
これは、一体…
そんなゼータに対し、もう一人のゼータは、吐き捨てるように言った。
「お前は、必要無い」
「…は?」
「一つとなりうるこの世界で、寺岡光輝は一人でいい」
「…!!」
ゼータは、本能的に危険を感じて、バックステップでその場から離脱した。
その直後、ゼータが立っていた場所に剣が突き刺さる。
そんな様子を見て、もう一人のゼータは、ニヤリと笑った。
「へえ、よく避けるな。
流石は、身体を持つ者だ。
いや、厳密には身体でもないのだが…」
休む間もなく、もう一人のゼータは剣を振るって来る。
ゼータは、押されながらも、何とかその斬撃の嵐を受け止める。
「なあ、光輝?
いや、ゼータさんよぉ?」
「て、てめぇ!
一体、何者だ!?
何故、俺を知っている!?
何故、俺と同じなんだ!!?」
その間にも、お互いに攻撃の手は緩まらない。
少しでも気を抜けば、あっという間に殺されてしまうような、そんな互角な戦いだ。
「それは…
お前が俺で、俺がお前だからさ。
違うのは、お前があの世界で生まれ、俺がこの世界で生まれたというだけさ」
「はぁ!?
それがどうして、俺と同じ事の理由になるんだよ!?」
「…分からないのか?
俺達は、別次元に生まれた同一人物なんだよ。
まあ…流石に現実世界と並列世界、名前と性質までは同じでは無いがな」
「…なんだと?」
ゼータは攻撃を中断し、後ろに下がった。
もう一人のゼータも、攻撃の手を止める。
「お前…」
「まあ、落ち着けよ。
別に今、決着を付けようって訳じゃない。
世界が一つになる時…その日まで待とうじゃないか」
そう言うと、もう一人のゼータは、傷付いたマロンを背負い、背を向けて歩き出した。
ゼータは、訳も分からずそれを無言で見送った。
「ああ、そうそう…
一つ教えてなかったな」
もう一人のゼータは、こちらに振り返って言った。
「俺は、イルネス。
イルネス・ナイトメア…
この世界のお前だ」
そう言うと、イルネスは元の方向に歩き始め、景色の中に溶けていった。
「イルネス…」
ゼータは、イルネスが消えた方角をしばらく向いたまま、唇を噛み締めていた。
◆
自宅で奇怪な出来事を目の当たりにした儀也は、訳も分からないまま、オカルト研究会の部室の前に来ていた。
部室の扉に手をかけた時、儀也の心臓は壊れそうだった。
なにしろ、母親が首を撥ねられて死んでいて、妹が行方不明となれば、正気でいられる人間など居るはずが無い。
それが現実であるなんて、認める事もできないだろう。
「………」
儀也は、無言で部室の扉を開く。
その音に反応するように、中に居た人物達が振り返った。
「…呉原君!
無事だったのね」
「………川村先輩」
儀也は、ひよりにゆっくりと近づく。
そして、儀也は、いきなり胸倉につかみ掛かって、ひよりに向かって叫んだ。
「先輩…ふざけてるんですか?
まさか…怪しい部活に僕を勧誘する為に、僕を母さんを殺した訳じゃないですよね!?
…だったら、返して下さいよ!
あの時…消えたもの全部!!
…どうなんですか、川村先輩!!?」
「く、呉原君…」
儀也の迫力に押され、ひよりの顔は引き攣っていた。
だが、すぐに儀也の置かれている状態を察したのか、ひよりが抵抗する事は無かった。
「ちょっ、呉原君っ!?
ひよりちゃんになんて事をっ…」
「三波先輩は、黙ってて下さい!!
僕は、川村先輩に聞いています…」
「うっ…」
忍は、儀也の尋常ではない殺気に圧された。
なにせ、儀也の目は「失ったモノを取り返せるなら、あなたも殺します」と物語っているような、絶望と復讐の色に満ちていたのだから。
儀也は、忍がこれ以上反論して来ないと察すると、再びひよりを睨みつける。
それに対し、ひよりはとても悲しそうな目をしていた。
「なんなんですか…その目は?
…もう一度聞きますよ、川村先輩!
お前が…僕の家族を殺したんですか!?」
「………」
「殺したのかァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!?」
・・・
重い沈黙。
それは、そこに居る誰にとっても、嫌な沈黙だった。
しばらくして、ひよりが再び口を開く。
その顔には、表情が無い。
「貴方の家族が殺された原因は…私にもあるかも知れないわ」
「ひ、ひよりちゃんっ!?」
「忍、いいの…
事実、私が並列世界の事を呉原君に教えたし…
呼び出すタイミングといい、怪し過ぎるわよね…」
「だからって…!!」
忍が何か言葉を続けようとしたようだが、ひよりは遮るように、儀也に向かって叫んだ。
「呉原君、貴方の家族を殺したのは…私!!
私を殺して気が晴れるなら、喜んで殺されるわ!!」
「やっぱりお前か…」
すっかり頭に血が昇った儀也は、制服の懐から出刃包丁を取り出し、ひよりの首筋に突き付けた。
包丁を突き付けられたひよりは、相変わらずなされるがままだ。
「呉原君、止めてっ!!
ひよりちゃんは、何も悪くないよっ!
お願い、止めてっ!!!」
「黙れ、黙れ!!
許せるものか、こんな奴を!?
僕の家族を………殺す原因になった奴なんかッ!!!」
「呉原君…」
儀也の目からは、涙が溢れる。
それは紛れも無く、ただ純粋に家族を失った哀しさからだろう。
忍は、儀也の事はまるで知らないに等しい。
だが、今の儀也を否定すれば、彼の全てが崩壊してしまう気がした。
だから、忍はそれ以上何も言えなくなった。
しかし、儀也をこのままにしておく訳にはいかない。
「では、川村先輩…
死んで償って下さい…」
このままでは、儀也はひよりを殺してしまう。
ひよりが死ぬ事で、儀也が報われる事は有り得ない。
だが儀也は、それに気付けていない。
「ま、待って…」
出刃包丁が、ひよりの喉をかっ切ろうとした時、二人の間に影のようなものが割り込んだように見えた。
…ガギンッ!!
派手な金属音を響かせ、出刃包丁は宙に舞った。
「調子に乗んなよ、新入り。
黙って見てれば、馬鹿な事始めやがって」
「ッ…!!?」
儀也は、一瞬何が起こったのか分からなかった。
儀也は、事の真相を確かめようと、声の方に振り返ろうとした。
しかし、その直後、首筋に刃物を突き付けられている感覚がした。
それも、とても切れ味が良さそうな、刃物特有の冷たい感覚。
振り向くと、そのまま首が撥ねるかも知れないと思うほど、その刃物は冷た過ぎる殺気を放っていた。
「無駄な抵抗は、するなよ?
俺は、手加減が苦手なんだ。
お前の首を撥ねずにいるのは、奇跡に近いんだからな」
「いっ…!?」
首筋に微かに痛みを感じた儀也は、思わず凍り付いた。
−僕は、死ぬ。
いや、殺される。
さっきまで殺す側だったのに、簡単に覆された。
復讐の一つも果たせないのか、僕は…−
「バカ、相手が違うんだよ。
それに、復讐なんてするもんじゃねえよ」
「…え?」
まるで心を読んだような言葉に、儀也は呆気に取られた。
気が付くと、首筋に突き付けられていた刃物の感覚も無い。
そして、その声の主の方にゆっくりと振り向くと、何処か見たことがある制服の男子が立っていた。
髪の色は茶髪。
外見はアクセサリーなどを多々付けていて、若干不良っぽい。
そして、その制服は…
「城谷高校の…制服?」
「ああ、そうだ。
そういうお前は、例の滝川高校の生徒だろ?
まったく…アイツといい、あの学校には、まともな奴は居ないのか?」
その男子は、ため息混じりにそう言った。
先程まで、儀也に刃物を突き付けていた人物とは、まるで思えない振る舞いだ。
そして、全てを見透かしているような口調。
儀也が考えている事に対し、的確に返答を返している。
−この人は、何者なんだ?
僕の心が、読めているというのか?−
すると、その男子は、儀也の表情を見て、ニヤリと笑った。
「読める訳無いだろ、ばーか。
お前の考えてる事、もろに顔に出てるんだよ」
「…読めてませんか?」
「今のは勘だ。
細かいところは、気にするな」
「………」
儀也は、怪訝な表情でその男子を見詰めた。
ある意味で、化け物よりも怖いと思った。
そんな儀也を、その男子は睨み返してきた。
「とりあえず、川村に謝れ。
こいつは、人を陥れるような奴じゃない」
「…っ」
「ほら、なんだかんだ助くれてるだろ?
そんな奴が、お前の親を殺したりするんだ?」
「………」
死の恐怖を味わった儀也は、すっかり頭が冷えて、殺意や怒り等は萎んでしまっていた。
つまり、もうひよりに殺意を向ける気は失せていたのだ。
「………そうですね。
すいませんでした、川村先輩…」
儀也は、素直に頭を下げた。
許されない事かもしれないが、悪いのは自分だ。
「いいのよ、呉原君。
貴方の気持ちはよく分かるし、疑われても当然よね…」
「川村先輩…」
「ただし…」
「ん、ただし?」
ひよりは、悪戯っぽい笑顔をしている。
嫌な予感に、儀也は身を竦める。
「これは…貸しよ?
いつか必ず返して…
私のために…心身共に捧げるつもりでね?」
「………はい」
後々の無茶な要求を予感し、儀也はがっくりとうなだれた。
そして、一時の感情だけに支配されてはいけないと、改めて実感したのだった。
「おっと、まさか貸しが一つだけとは、思ってないよな?」
「……………えっ?」
追い撃ちの一言。
儀也は、悪魔の囁きを聞いた気がした。
「この冴祓渚様にも、貸しはあるんだぜ?」
「…勘弁してください…」
儀也は、先程よりも激しくうなだれた。
彼の精神状態は、原色のブラック並に暗くなっていたに違いない。
◇
時は、数時間程遡り、並列世界某所。
「んっ…あれ…?」
マロン・クルールは、薄暗い部屋で目を覚ました。
部屋は廃病院の中のようで、部屋全体が霞んだ白をしている。
そんな中マロンは、幾つもあるボロボロなベッド内の一つの上で、仰向けで寝ていた。
「マロン…何してたんだっけ?」
確か、ゼータという管理人との戦闘を行っていたはずだ。
そのあと…どうしたんだっけ?
「お前は、ゼータに負けたんだよ。
それも、惨たらしいまでにやられてたじゃねえか」
「イルネスお兄ちゃん…!!」
ゼータと同じ顔を持つ狂者、イルネス・ナイトメア。
イルネスは、マロンの隣のベッドに寄り掛かっていた。
マロンは、意外な人物を前に思わず飛び起きた。
ズキッ…
「くひっ…!」
脇腹に激しい痛みを感じ、マロンはその場に埋まる。
「あー、あー、動くな。
傷口が開くぞ」
「うぅ…」
「ったく、好い様だよ。
ナメてかかるなって、あれほど言っただろ?」
イルネスは、面倒臭い奴だと呟き、マロンに何かを投げて渡した。
「これ、なぁに?」
「向こうの世界のお前の情報だ。
もし見掛けたら、優先的に殺しておけ」
「うんっ、ありがとう!
この子、早く殺すね!!」
端から見れば恐ろしい会話だが、狂者からしてみれば普通の会話。
現実世界の自分に当たる存在を殺す事は、狂者にとっての一つの到達点であり、生きる上での目標のようなものなのだ。
それから、二人会話に割り込むように、白いフードを被った女が部屋に現れた。
片手には、缶コーヒーが三つ。
「マロン、お見舞いに来たわよ。
まあ、殺されない限り死んだりしないはずだけど…」
「お姉ちゃん!!」
マロンの顔が、ぱぁっと明るくなる。
それに対して、白いフードを被った女は、笑顔で応えた。
「ほらほら、大人しくしなさい?
せっかく戦利品のお土産持ってきてあげたんだから」
「そうなんだー!
また、お友達が増えるねっ!」
「うふふ、そうね…」
そんな二人の会話を聞いたイルネスは、ベッドから身を起こすと、部屋の外に向かった。
「あら、イルネス?
珍しくご機嫌斜めなのかしら?」
「ああ、すごくな。
少し頭冷やすから、マロンを頼む」
「分かったわ。
ちなみに、その原因は例の子?
まさか、会ったの?」
「違う、会ったのは向こうの俺だ。
どうもそいつが、例の奴を手助けしたようだ。
イライラしてんのは、向こうの俺を見て、それを思い出したからだ」
「そう…なるほどね。
じゃあ、殺すのね?」
「ああ、当分の標的は奴だ。
今から計画を立てるから、ちょっと長くなるかもしれん」
「そう、行ってらっしゃい。
管理人に会って死なないように…
じゃなくて、返り討ちにしてね?」
「ああ、当然だ」
イルネスはそう言って、部屋を後にした。
そして、最寄の窓ガラスを打ち割り、外に飛び出した。