敵方(二)
その心海の顔を遠目に見て、何かに思い当たったような、何か思いついたような顔をしている者がある。
高官である。端正で賢そうな顔立ち。しかし、どこかずる賢さを感じさせる。その口元のせいか、或いは眼の光のせいか。
その高官を、別の高官が呼ぶ。
「耶津。どうかしたか?」
はっとしたように、耶津と呼ばれたその高官は、声の主に振り返った。その途端、色をなす。
「なんと!場をわきまえられよ。朝廷でそのように親しげな顔をお見せになるなぞ、油断にもほどがある!」
声をひそめてたしなめた。
相手はぎょっとしたように、表情を改め。
「すまん。貴殿が味方についてくれたことが嬉しくて。つい……」
「司賓卿、よいですか、私は大内相派の重鎮です。それが、あなたと内通していると知られては、私ばかりか、あなたの大業さえ潰されるのですぞ!くれぐれも油断召されるな。私に会う時は、敵を見るような眼で接して頂かなくては困る」
「わかっておる。気をつける」
司賓卿は仏頂面で睨んだ。
耶津に言われたから、敵に会った時の表情を作っているのか、耶津に言われて腹を立てたから、自然にそうなったのかはわからないが、丁度よい表情になっている。
その眉のまま、司賓卿は尋ねた。遠くから見ると、まるで、出くわした政敵に、際どい挨拶を食らわせているように見える。
「何を見ている?あの者は──」
「あれはもしかすると、我々の味方となってくれるかもしれませんよ」
声をひそめて囁き合う。
「味方だと?では、声をかけてみるか?」
「いや、直接味方に引き入れる必要はありません。あの者には好きに動いてもらいましょう。結果として、我等のために働いてくれたことになる筈です」
「ほう?」
「先日、扶余府を訪ねたところ、その少し前に、同じようにそこを訪ねた者がいたとか」
「何?扶余府だと?この国の者がか?」
「はい。あの者です」
耶津は、向こうにまだ佇んでいる心海を顎で指した。
「あの者が?あれは確か、今朝、急に任官した者であったな?」
「そうです。油断ならない相当な曲者です。奴が戻ってきたなら、何かある。官吏の不正を糺す中正台の職に就いた。そして、一人、扶余府に乗り込んだ」
「扶余府には何をしに行ったのだ?」
扶余府は渤海時代には、その一部だったが、今のこの烈万華王国・定安には属していない。
「烏公に協力してくれと頼んだそうです。烏公は我が国の現状を憂えて改革をするつもりだ、と。だから、後ろ盾となって、力を貸して欲しいと。改革を進めれば、我が国は、宋や女真と手を結ぶつもりだと、さように言ったそうで」
すると、司賓卿の眼がぎらりと輝いた。
「なんと!あやつはそんな大それた計画を!確かに、儂の最終的に目指すものとは異なっているが、途中まではよいな。儂の計画実行に、扶余府の力を借りるのは悪いことではない」
「さよう。あやつにとっても、現状維持でよしとしている大内相一派は邪魔なのですよ。大内相一派は、その大きな派閥を維持するために、多額の資金を持っています。彼等を結びつけているものは金です。それも、不正によって集めたもの。今思いついたのですが、その大内相一派を邪魔と感じているあやつが中正台の職についたということは……」
にやりと司賓卿は笑った。
「奴が不正を暴くために、任官したということか!儂は大内相一派を皆殺しにするにはどうしたものかと思っておったが、そこは儂がやらんでも、奴がやってくれるかもしれぬのだな?」
「ええ。ですから、準備を進めている私兵も、放伐に費やす数を少なくし、次の計画実行の方に回すことができます」
「なるほど。では、しばらく奴の様子を見ておこう。奴が大内相一派を一網打尽にしてくれれば、朝廷から七割の官吏が失脚して消えることになる。儂が兵を動かすのは、その時ぞ」
「朝廷に人は三割。確かに、その時、兵を動かし、朝廷を占拠すれば、放伐は可能でしょう。その時、国の外には扶余府などがいて、我等の味方となれば、王は我等に従うしかない」
「奴は扶余府に、当国の今の朝廷の味方となってくれと頼んでおるのか?それとも、あくまで烏公個人の味方となってくれと頼んでいるのか?」
「おそらく、烏公個人かと。烏公ももしかすると──」
「まあ、よいわ。烏公は好きにやらせておけ。扶余府が烏公個人の味方でも構わん。当国の味方でないならな。放伐実行に役に立つ。今の王は偽物だ。王にあらぬ者。王であってはならぬ者。儂が王を放伐し、易姓革命が成った後に、烏公は討伐すればよかろう」
「ええ。それまでは烏公やあやつを、心海を、利用するべきです」
「ああ、早く、真の王をその玉座にお迎えしたいものだな。我が国は大氏の国。烈氏に乗っ取られたままであってはならんのだ!」
亡国復古、それが司賓卿の狙い。亡国渤海の貴族に過ぎなかった今の王は、滅ぼさなくてはならぬ。
現状のままで構わないとのんびり構えて、偽王の下、不正三昧、贅沢三昧の腐敗しきった大内相一派は、偽王とともに消え去るべきである。
しかし、司賓卿の熱意を、傍らで、その内通者・耶津が冷ややかに見ていることを、司賓卿は知らない。
(心海。話がわかる奴は貴様だけのようだな)
耶津は遠くで伸びしている心海に、心の中でそう話しかけていた。




