命懸けて(二)
王が不在の間に、朝廷は心海に罪ありとして、処刑を決定していた。
「斬首はあまりに重すぎでは?」
大農卿などの穏健な人達は流刑にするべきだと言ったが、たいていは斬首に賛成である。
「陛下への侮辱は最も罪が重いのだ、死罪が当たり前だというのに、それを死一等を免じるべしとは、大農卿は不遜不忠である!」
そう息巻く者も多い。
そこまでとは思わない者は、
「どうせ寵臣のこと、陛下が死罪になどして下さるまい。死罪を求めて、せいぜい流刑にしかならぬ。初めから大農卿のようにぬるいことを言っていては、無罪にもなりかねん。我等の決定は死罪で丁度よいのだ」
と言う。
「……そうはいっても、国のためについた嘘であるのに。国のために尽くした忠臣を、杓子定規に罰するなど──気の毒であろう」
大農卿は一応反論を試みたが、
「大農卿は事の本質を全くわかっておられない。貴公はかの者と同類かと疑ってしまいますぞ。国のためにしたということは、ここにいる皆がわかっている。それでも皆が怒り、決して許すまじとしているのは、他ならぬ陛下への侮辱だからである。如何なる事情であれ、ついてはならぬ嘘というものがある!」
つまり、王を軽んじていたからこそ、つけた嘘というものであろう。
いかに国のためとはいえ、国難になりふり構っていられないとはいえ、国の存亡に関わる大事とはいえ、国王の権威は国の礎、基本であり、そこに触れてはならないのだと、彼等は言うのだ。融通だの臨機応変だの、言ってはならない、侵してはならない存在がある。
「……それはそうです……」
が、と言いかけて、大農卿はそれをため息に混ぜてしまい、あとは口をつぐんだ。
こうして、朝廷は心海の死罪を決めた。あとは王の裁許を得るだけとなった。
王宮に帰ってきた王は、当然認められないと思った。
そして、その時、扶余から急報がもたらされたのである。
「扶余城陥落!扶余城が契丹の手に落ちました!扶余城主は落ち延び、張大将軍は兵を後退させ、呂将軍は松花江まで撤退致しました!」
廷臣百官蒼白になり、王は目を閉じ、大きく息を吐いた。
「来るべきものの来た……」
「陛下!一刻を争います!高心海のことを悩まれている暇はありませぬ、すぐに処刑を決め、至急扶余への対策を!」
王は目を見開いて、発言者を見た。心海のことを後回しにというのが普通の感覚ではないか。
この期に及んで、人間の性が出る。
王が憮然として発言者を睨むと、王の煮え切らない態度に苛立つ者がちらほらいた。
「愚か者!さっさと扶余への対策を講じよ!今すぐにだ!都に乱入されないためにはどうするべきだ?今、我の言葉の直後に策を述べよ!」
王が怒鳴った。だが、誰も発言できない。
「どうした?何をしている?一刻を争う、今この場で、早よう言わぬか?今だ!今!今!さあ!!」
さあ言え、出せ、王は玉座の肘掛けを叩きながら怒鳴り、煽り続ける。
「何故黙っているか!早くせぬか!そなたら百人もいて、一つも浮かばぬのか?知恵がないのか?高心海は一人で瞬時に閃き、答えるぞ。こうしている間に五つは策を唱えただろう。そなたらが今この場で、すぐに何らかの策、一つでも言えたなら、心海は殺してやってくれるわ!」
しかし、思考停止していて、誰も浮かばない。
「おのれっ!」
王はばっと立ち上がり、傍らの宝剣を抜くと、仁王立ちして、その刃を百官にむけて喚いた。
「述作郎!述作郎!」
人々がぎょっとする中、呼ばれた述作郎が進み出る。
「ははっ!」
述作郎が玉座の前に出て跪くと、王は剣先を彼に向けながら怒鳴った。
「これからすぐに宋へ行き、援軍の到着を急がせよ!至急到着させるのだ!皇帝にぐずぐずするなと迫れ!」
「はっ!」
述作郎は答えるや否や、身を翻し、跳び去って行く。
「そなたらはこんな単純なことさえ言えない!」
王は剣を振り回した。辺り構わず振り回す。
「陛下が、気が違われた!」
廷臣達は誰構わず斬り殺されると思い、逃げかけた。その時である、また、扶余から急使が飛び込んできた。
「扶余城主が敵に降伏!扶余は契丹に寝返りました!」
「なんだと?先ほどの知らせでは、城主は落ち延びたと……」
大農卿が言っただけで、あとの者は言葉がない。
情報が錯綜としている。
「わはははは!」
王は笑い出した。
「聞いたか、皆?」
剣を握ったまま、身を仰け反らせて笑う。
「わはは!で、扶余が我が軍に刃を向けてきたか?」
使者に問えば。
「はっ!それゆえ、呂将軍の軍勢は総崩れ。張大将軍は松花江まで後退を……」
「おのれ!よくもぬけぬけと!」
一転、突如として憤怒の形相になり、王は使者に刃を振り落とした。瞬時に使者は飛び退き、刃は玉座の肘掛けを真っ二つに切っていた。
刃は傷一つない。
「以前は剣が折れ、卓は無事だったものを。今は玉座が切れたわ!わはははは!」
王は再び笑い出した。
「いいだろう、そなたらの望みを叶えてやる。高心海はそなたらの好きにすればよい!斬首でも牛裂きでも好きに決めればよいわ!わはははは!」
王は刃を玉座の真ん中に突き立てると、あとのことは全てその場の廷臣達に投げて、去って行った。
獄舎の心海のもとに宇成がやって来たのは、翌日のことだった。
「そなた、いったいどうして?」
驚く心海に、宇成は深刻そうに告げた。
「陛下は狂っていらっしゃる。私を密かに呼び、そしてここに入れて下さいました。秩序はない、罪人も逃げても咎められないと」
宇成は王の言葉を理解できず、首を傾げていた。
「大元はどうなった?」
「何度か暗殺を試みましたが、うまくいかず、ついに仕留められませんでした。高麗に逃げられてしまって」
宇成はすまなそうに言ったが、すぐに目を上げた。
「ですが、今は大元の存在なぞどうだって構わない状況ではありますまいか?だから、都に戻って参ったのです」
「そうだ、遼東も鴨緑府周辺も高麗に任せてある。大元はさしあたって問題ない」
「先生、陛下は逃げよと仰ったのです。行きましょう」
「馬鹿なことを」
「先生!民が大挙して宮中に押し寄せてきています。民は朝廷に激怒しています、ご存知ないのですか?」
宇成は青ざめた顔に冷や汗を流し、切羽詰まった声で言う。
「扶余府が契丹に寝返ったそうです。このままでは敵が都に攻め込んできます。民は朝廷の失政を怒っているのです」
風によって、賑やかな物音が時折聞こえてくる。何かと思えば、大勢の人の声であったか。
「あれは、民の大合唱か」
心海は驚きもしない。予想していたのだろうか。
「朝廷は逃げる道を選んだか?何らの手も講じず、都を捨てるつもりだろう」
朝廷が都から逃亡すれば、秩序が消える。
「まさか、そんなはずは!」
宇成は廷臣たちがそう決定するとは思えなかった。だが、王には見えているのだろう、未来が。
「なるほど、それならわざわざ今逃げなくても、俺はいずれ逃げられそうだ。面白い。どうなって行くのか、ここで高みの見物といこう」
心海は心底楽しそうに言う。
「ただ、問題は姉上だな。扶余がそうなったなら、女真が契丹に靡くのは必定。それに、母上がどうなったか気になる。宇成、俺のことはよいから、母上と姉上のことを頼みたい」
「はい、それは勿論」
「それと、近いうちに朝廷は都落ちして、替わりに敵が乱入してくるだろうから、その前に弥勒寺の──」
理那の身を案じた。
「勿論です、お任せを。ですが、先生。先生もお逃げ下さい。陛下はそれを望まれています。実は……」
そこで、宇成は口ごもった。
昨日、心海の処刑が決まった。それを言おうとして、やはり躊躇う。
朝廷が都を捨てることになったとしても、それまでにはまだ間があるだろう。その前に心海の処刑が行われてしまうかもしれない。
「どうした?俺は死罪にでも決まったか?」
にやり。心海は何故か舌なめずりした。宇成には心海の思考は理解できず、その表情に眉をしかめる。
「とにかく、陛下が私に先生を逃がせと仰ったのです!ご覧下さい。監視の者など一人も見当たりません。陛下の御命で、門の所まで誰もいなくなっ……」
「しっ!」
不意に心海が人差し指を立て、注意した。思わずぎょっとして黙った宇成も周囲に気を巡らす。
心海は目を閉じ、遠くの喧騒に耳を澄ました。ややあって、
「今、琴の音がしなかったか?」
と瞼を開ける。
「え?琴?」
「理那の……そうだ!」
獄舎の中で勢いよく突っ立った。
「理那がいる!理那が来ている!宇成!」
喚いて、縋るような目をしてみせた。
「理那を助けてくれ!早く!」
「ええっ?」
突然のことに、宇成は頭がついて行かない。
「理那の『広陵散』だ!早く!俺は大勢の目に触れるわけにはいかないだろう?見つかったら、俺自身が捕まってしまうじゃないか。そなたが行ってくれ!」
切羽詰まった顔に、わけがわからずも、
「わかりました!」
と、宇成は使命感に燃え、走って喧騒の中に飛び込んで行った。




