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扶余からの報告(二)

 初戦に敗れた扶余軍よりは、定安軍の方が元気がある。


 再び、大きな局面を迎える一戦が行われたが、その戦では定安軍が契丹に正面から激突した。扶余軍は後詰め。


 一応心海は献策してみたが、案の定彼の作戦は容れられず、また、彼は扶余軍と共にあったので、最前線で繰り広げられる勝敗の結果を、しばらくはじっと聞いているしかなかった。


「これはまずいな」


 定安軍は敗れると思った。


「そろそろ敵の側面を突きますか?」


 扶余軍の将軍に尋ねられ、作戦を実行に移すと、敵は不意打ちに乱れ、退却したが、味方はかなりの損害であった。


 初戦に続き、二度目の敗北。まだ致命傷には至っていないが、かなりの損害であり、また、幾つかの拠点を奪われた。


 契丹は扶余内にあちこち拠点を持つことになり、じりじりと扶余城に近づいている。


「何故定安軍は司賓卿の提案を受け入れなかったのですか!我らと司賓卿は契丹と戦った経験があったのです。だからこそ、その経験を生かした立案だったのに!」


 烏城主は定安軍に怒った。


「我々も経験した。次回からは経験が生きる……」


「張殿!余所の地だからと、他人事なのではありませんか?扶余は、貴殿等の国王により、定安国の版図にされているのですからね!余所の国ではない、定安国内なのですよ!」


 烏城主の苛立ちをよそに、心海は別な不安を持った。


(二度も敗れ、おまけに拠点を幾つも奪われたとなれば、女真は……)


 女真の動きが気になる。


 女真は契丹が強いと知るや、早い段階から臣従していた。宋、高麗、定安による契丹包囲網が築かれると、そちらの方が強そうだと判断して、契丹の絶対的支配から抜け出し、中途半端な態度をとるようになっている。


 琳媛を妃に迎え、一応、定安への不可侵を約束はしたが、確固たる同盟関係を築けたわけではなかった。


(故に危うい。奴らは強い所に従う風見鶏。定安が二度も敗れたと知れば、有利な方につく。再び契丹に隷属し、契丹の要求に応じて定安を攻めてくるだろう)


 女真との国境は、東北流松花江だ。松花江は冬は凍ってしまう。容易に渡ってこられる。松花江を越えたら、すぐそこは都だ。


 冬、契丹に扶余を落とされたら、北流松花江を越えられ、都を攻められると案じていたが。冬恐ろしいのは、北流松花江だけではない。東北流松花江も凍って、女真に都へ攻められる危険性があるのだ。


(どうにかせねば!)


 心海は大元暗殺計画を実行中である。まだ成功していないようだが、その作戦の一つを宇成に任せていた。


 宇成はそのため、都にいない。おそらく、西京鴨緑府にいると思われる。


(女真を懐柔するのに、宇成の銭が要るが──)


 どうやって女真の寝返りを阻止しようかと思案しているところへ、都の宇成宅にいる姉から文が届いた。


(姉上が?はて?)


 文を開いてみると、何と琳媛が病を患っているというではないか。


「病だと?嘘だろ?」


 しかも、かなり悪いらしい。


(毒でも盛られているのか?)


 それとも、心痛のあまり病むようになったか。


 琳媛はかなり苦労していそうである。琳媛がどんなに尽くしても、女真の心を変えることはできない。女真はあくまで強い方の味方なのだ。定安とは手を携えてはくれない。


 それでも、琳媛が嫁いだので、仕方なく定安への不可侵だけを約束したに過ぎない。


(それもあやしい)


 定安が連敗すれば、女真は契丹に完全服従し、定安を攻撃するであろう。


 そうなった時、女真が同盟破棄の証明として、琳媛を返還してくれるであろうか。いや、そのような良心は見せないように、心海には思える。


 そう思えるくらい、女真はあてにならない。だから、琳媛はよほど苦労していると思うのだ。


(女真が定安を裏切る時、琳媛を返還するだろうか?いや、するまい。殺すか、契丹に差し出すかだ)


 琳媛の病は琳媛を殺すため、毒を盛っているということか。


 或いは。


(琳媛を契丹に差し出すつもりか?そうならないためには今のうちに琳媛が死ぬこと……)


 心海はそう思い至ってぎょっとした。


 琳媛は自分が契丹に差し出されるとなれば、定安に迷惑がかかると思い、間違いなく自害するだろう。


(女真に裏切る兆候があるのかもしれぬ。だが、裏切りを明らかにしていない今の段階で自害しては、角が立つ。だから、自分で少しずつ毒を……)


 妹が病死を装い、自害しようとしている。


 心海はその思いにすっかり支配された。


(ならぬ!)


 だが、心海は兄としての情よりも、国益を優先させる男だ。


「母上」


 その晩、陣を抜け出し、馬を走らせた心海は扶余城に飛んできて、城内の邸で人質の務めを果たす母を訪ねていた。


 母は突然の来訪に眉を顰め、


「女真の琳媛が病だそうです」


との話に、益々顔を顰めた。


「そんなことをわざわざ伝えるために、大事な戦を抜け出してきたのか?」


 母は娘の病を悲しむどころか、息子をたしなめた。


「申し訳ありません」


 心海は頭を下げる。本当は母も心配に違いない。それに訴えようという、己の姑息さに辟易しながらも、彼は母にすがった。


「不憫でなりません。あまりに不憫で、不甲斐なく陣を抜け出してきてしまいました。母上、あの子がかわいそうです。せめて、姉上が側にいたら──姉上に琳媛の様子を見てきて頂きたいのです。姉上だって、どんなに心配なさっているか。姉上に頼んで、琳媛を看病してもらいましょうよ。ね、母上、姉上に女真に行って頂くことお許し下さい!」


 こう言われて、母もつい頷いてしまう。


 人質の母も戦をしている心海も扶余から出られない。姉に頼んで女真に行ってもらうしかない。


 母は娘を案じるあまり、心海に頷いてしまった。


(琳媛を案じる気持ちに偽りはない。だが、俺はなんて……)


 さっそく都の姉に頼んで女真に行ってもらうことにした。姉は快諾したが、心海は女真に対してこう言ったのである。


「定安は王の妾を遣わす」


 琳媛に万が一のことがあった場合、それこそ女真は定安との関係が一切なくなったとばかりに、定安に牙をむくであろう。それを避けるためには、新たな人質を送り込む必要がある。


 琳媛は定安国の宗室の娘として女真に送った。次の人質も、定安にとって重要な存在でなければならない。


 王の側室ならば、女真側としても、人質に不足はないだろう。


(姉上に、本当に陛下の御手が付いているかは知らぬが……)


 かなり噂になっていたし、王の妾だと女真に言っても、信じるだろう。それに、真実王の妾ではなかったとしても、王の気持ちは妾に対するものと変わらないのではないかと思われた。


(姉上が陛下の大切な存在であることは間違いないだろう。女真が姉上のことを問い合わせてきたとしても、陛下は大切な女だとお認めになるに違いない。それに、あれだけ噂になった仲だ、陛下が否定なさろうが、周囲はおそらく本当だと口を揃えるだろう。妃殿下に至っては、真っ先に口汚く、姉上を、陛下の寵愛を奪った毒婦よと喚かれるだろう)


 心海はこれが失敗する可能性は思わなかった。


(琳媛、どうか無茶なことはしてくれるなよ!──姉上は性格上、無茶はなさるまいが、琳媛は己の命さえ惜しまず意志を貫くから……)


 心海は扶余の地から妹の平癒を祈っている。

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