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敵方(一)

 翌日早暁、心海は任官した。


 宇成より得た、翡翠取引不正の情報が、烈万華王の耳にまで届いたからである。


 心海は自分なりに調査を進め、まだ調査途上だとした上で、烏玄明に報告した。宇成より得た帳簿も烏公に差し出した。


「今はまだ全てがわかっているわけではありません。しかし、この翡翠の件については、この書付が証拠です。商人達の法令違反は明らかです。次は、この不正に関わっている官吏達を明らかにしなければなりません。ある程度、それが誰なのかは見当がついていますが、証拠がありませんので、これから証拠を掴む必要があります」


 烏公は心海の話を聞いて、唸った後、


「見当がついているだと?それは誰だ?」


「以前、私は貴方様に『容易い』と申し上げました。貴方様の大業への第一歩となりましょう」


「まさか、大内相か?」


「だけではございません。芋づる式に、多くの人の名が挙がることでしょう。彼等を一網打尽にできます。彼等が皆失脚して、朝廷から消えれば、民も助かり、貴方様は大望に大きく近づけます」


 心海の言葉を聞いて、烏公は決心した。


「よし!大内相の不正を暴け。必ず証拠を掴め。そのためには、権限が必要だろう?」


 烏公はさっそく王に対面を申し出て、件の帳簿を見せた。


 王は怒って、


「よし、その不正を明らかにしろ。そなたにこの件は任せる」


と言った。


 それで、烏公はその責任者となり、調査実行のために、心海は中正台に任官できたのだ。


 少し前に失脚した男が、再び朝廷に帰ってきた。


 俄かに、朝廷内が戦々恐々とし始める。


 元下級官吏の男が唐突に任官したからとて、高官達には興味もなかろう。また、心海が職についたからと言って、何を調査するのかは明らかになっていない。


 しかし、やましいことがある者は調べるのである。


「あの心海が戻ってきたぞ!危険な男故、適当な罪を作って、追い出したのに。奴が任官したなら、何かある筈だ。奴が何をしようとしているか探るのだ!」


 大内相派の高官達が警戒する中、左相がおたおたしていた。


 左相はたまたま朝廷内に心海を見かけた。


 彼はさっそく自分から心海に近寄って行く。


 心海はそれに気づくと、深々と頭を下げ、礼儀正しい態度を見せた。


「これは、久しぶりだな。戻れたのか。よかったよかった」


「はい。お蔭様で」


 辞を低くしているが、左相からは見えないその顔には、不敵な笑みが浮かんでおり、眼には挑戦的な輝きが宿っていた。


「本当によかった。私はそなたの親戚だからな。そなたが早く復職できるよう、働きかけていたのだよ」


 嘘ばかりを並び立てる左相に、心海は顔を上げるとわざとらしい笑顔とともに、


「これは、ありがとうございます。私を親戚と思っていて下さったとは」


と、大仰に言った。


「何を言うのだ。当たり前ではないか。そなたの祖父と私とは義兄弟の契りを結んだ仲だ。当然、親戚と言うべきであろう?」


 人のよさそうな笑顔で、猫なで声で言うのである。


 よくも言ったものだと、心海は密かに思ったが、敢えて笑顔のまま、


「はい。ありがとうございます」


と返事していた。


 その祖父は亡命した。しかし、義兄弟の契りを結んだほどの仲のこの男が、祖父の危機に手を差し伸べてくれただろうか?


 いや、何もしなかった。むしろ祖父を裏切ったのかもしれない。


 今もこうしてのうのうと生きて、大臣にまでなっているこの男を、どうやって信じろと言うのか。


「困ったことがあったら、頼ってきなさい。今の私は大臣だ。そなたの力となり、手助けできよう。そなたの祖父に代わって、そなたの面倒を見、そなたの役に立ちたいのだ」


 白々しい。


 しかし、案外眼の色は真実を語っているのかもしれなかった。


 以前の態度とはまるで違う。


 くっと湧き起こる嘲笑をこらえて、心海はもう一度礼を述べた。


 そうだ。心海の役に立ってもらわねば困る。いや、役に立ってもらおう。


「ところで、そなたは中正台の役人になったそうだな?」


「これは、お耳の早いことで」


「何か調査することでもあるのか?」


 そのことを確認するために、態度を改めて、近寄ってきたのであろう。


 俄かに心海が任命された。何かあるはずだ。それは何か?


 悪いことをしている者には、自分の悪事と関係あるのか気になるものだ。


「さあ」


 心海はすっとぼけて言う。


「なんで私なんかが推挙されたのかわかりません。何か調査しなければならないようなことでもあるのでしょうか?どなたか不正でもしているのですか?左相はご存知ありませんか?」


「何も命じられていないのか?」


「はい」


 ちょっと左相は小首を傾げた。


 心海、わざと追いうちをかける。


「朝廷内で何かあったのですか?ご存知ありませんか?」


「い、いやあ、わからんなあ……あ……ああ、何かわかったら教えてやろう。私は急ぐでな、これで」


「はい。宜しくお願い致します」


 そそくさと去って行く左相の背中に、初めて心海は嘲笑を浴びせてやった。


(お前は必ず、私の役に立たせてやる)


 不正には、左相も関わっているらしいことが、はっきりわかった。


(必ずお前を牢獄に送ってやるさ)


 心海は、妹が死にかけた時のことを思い出していた。






 まだ心海が、科挙の受験勉強をしていた頃のことだ。


 十歳だった妹が疫病にかかった。


 貧しかった心海は、妹を医者に診せることもできなかった。薬も高価で手に入らなかった。


 彼の家庭は誰からも顧みられることのない、貴族とは名ばかりの、ひどい有り様だった。


 祖父が政変に敗れて亡命したことにも原因はあるだろう。それでも、父は役人として踏みとどまっていた。あまりに若くして死んだが。苦労の末に。


 父が死んだのは、妹が二歳の時。


 役人の家とはいえ、決して裕福ではなかったが、それでも庶民よりはよい暮らしであった。


 貴族である以上、ある程度の体面を保たなくてはならないので、下級貴族としては恥ずかしくない程度の屋敷に住み、執事以下の召使いも、最低限にはいた。


 父の禄ではぎりぎりだったが、どうにかそれでもやってこれたのだ。


 しかし、父が死んで。その禄はなくなった。祖父の亡命時に、すでに荘園も失っており──。


 それでも名家の体裁は繕わなければならない。母は召使いに暇を出さず、一人も辞めさせなかった。家にもそのまま住んでいた。


 禄もないのに、その生活を維持するのは至難だ。


 しかし、亡命者の家。その息子も早世したとなれば、誰も相手にはしない。


 とはいっても、親戚にそんな家庭があれば、援助するのが大貴族というものではないのか?


 心海の家は、祖父のこともあって、父は高官になれなかったが、本来かなりの名門である。親戚は皆、大臣を務めているのだ。


 だが、その親戚は、揃いも揃って若い嫁と子供だけのこの家を無視した。


 心海は幼い頃から、生活のために、庶民に混じって野良仕事をしながら、勉学に勤しんでいたのだった。だから、彼も親戚というものをあてにしたことはない。また、親戚を頼ることは、屈辱であるとさえ、子供心に思っていた。


 しかし、妹が病にかかった。命にかかわる病だ。どうしても銭が必要だった。銭がなければ、妹は死んでしまう。


 だから、心海は頼った。親戚を。


 しかし、やはり相手にされなかった。ただ冷たく追い返される。馬鹿にしたように端金を投げつけて、追い返した者もいた。


 それでも心海は恥に耐えた。


 だが、左相のことだけは忘れられない。


 左相は祖父とは一心同体だったのに。義兄弟の契りを交わした仲だというのに。


 その左相を、それまでに心海が頼ったことは一度もなく、この時に初めて、助けを求めたのにである。


 まるで、飲んだくれや賭博に耽る迷惑者がいる家から、何度も何度も無心されている被害者のように、左相は眉を顰めたのだ。


 座敷に両手をついて、


「お金を貸して下さい」


と頼んだ心海を、虫螻のように見て、眉をしかめて。


「何?もう一度言え」


 左相はぎりりと睨んだ。


「お金を……」


「ふざけるなっ!」


 急に怒鳴り散らすと、手元の硯を投げつけた。何故か、烈火の如く怒り、


「出て行け!」


と、騒ぐ。


 その声に、召使い達がかけつけてくると、


「こやつをつまみ出せ!」


と、怒鳴った。


 硯が命中し、額から血を流しながらも、心海は、


「妹が病なのです!どうかお助け下さい。お金は必ずお返ししますから!」


と懇願したが、左相の怒りは鎮まらなかった。


「いやしい奴め!病だなどと嘘をついて、金など絶対返す気はないのだ!盗っ人め!」


 何故、そんなことを言われなければならないのかわからなかった。


 けれど、切羽詰まっていた心海は恥を捨てて、再度懇願する。


 しかし、召使い達に雁字搦めにされ、引きずり出され、家の外に投げ捨てられた。階段を転げ落ち、それでも、


「お願いします!どうかお願いです!」


と喚くのを、執事が殴りつける。


 地面に倒れると、その腹を執事は蹴った。そして、むんずと心海の腕を掴んで庭を引きずり回し、門から外へ投げ捨てたのである。


「二度とその面見せるな!この塵め!もしも、またこの敷居を跨ごうとしたら、今度はその命ないものと思え!とっとと去れ!」


 執事はそう言うと、ばんっと激しく門の戸を閉めてしまったのだった。


 これほどひどい扱いは、受けたことがなかった。ただ金を貸して欲しいと言っただけなのに。


──






 今でも心海は、この日のことが忘れられない。


(左相め。いよいよお前を、私の前に土下座させる日が近づいてきたぞ!)


 左相の背中に、くくくと笑ってやる心海なのであった。

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