生きた菩薩(一)
都は難民が増えていた。遼東や西京鴨緑府辺りにいた民が、戦火から逃れてきたためである。最近、その難民に変化が顕れていた。
当初の難民は元気であり、家財一式持ち込んでいて、比較的裕福だった。そのまま空き家を借りて住まう者も少なくなかったのである。
しかし、最近は着の身着のままという人が増えた。それどころか、怪我人や病人が増えている。そして、一様に貧しかった。
都の辻のあちこちに、力尽きて倒れている。そのまま亡くなる人も少なくない。
亡くなると、どこからともなく僧侶の群が現れて弔い、経を施した後、都の外れの墓地に続く森の中に運んで行く。僧侶達が森の木々を伐採して穴を掘り、難民の墓所を作ったのだ。
死者はその穴に埋葬される。こうして、丁寧に埋葬されるだけでも、難民には有り難かった。
だが、本当は死ぬ前に救済されたいのである。充分な食料と薬を与えられれば、死ななくてすむのだ。
一部の移民の景教徒が施しをしていたが、微々たるもの。やはり、国が対策を練らなければならない問題だった。だが、この問題について、国は手付かずのままだった。
その難民達から生きた菩薩と慕われる美しい尼僧がいた。
景教徒と違い、仏僧たちは経を読んで弔うばかりで、施しはあまりしていない。
この尼僧も施しはほとんどしていなかった。しかし、それでも生きた菩薩とされるのは、その姿の美しさばかりではあるまい。
尼僧は知っていた。彼等に必要なものは、その日の糧ではないことを。
当初の難民が裕福だったのは、遼東周辺にいた富裕層が、開戦前に財産を守るために避難してきたからで、最近の難民が貧しいのは、容易に避難することのできない、貧乏人達だからである。
避難するには銭がかかる。貧乏人は避難したくとも、躊躇いがある。
そうしている間に、定安と契丹との間で戦闘が開始され、住まいが危険に曝され、どうにもならずに逃げてきたわけである。
さらに、大元がやってきて定安軍を襲うと、周辺の民家も焼き出された。そして、大元軍による略奪狼藉行為が頻発し、民は財産や食料を奪われ、抵抗すれば暴力もふるわれた。
民は命からがら逃げてきたのである。
最近の難民が貧しく、病んで傷ついているのはそのためであった。
その若く美しい尼僧は、そうした体と心に傷を負った人々の中に分け入り、仏の教えを説いて慰めた。
尼僧は心を病んだ人一人一人の手をとって、その甲を撫で、優しく慰める。負傷した者には、その傷口を洗い流し、そこを優しく撫でた。
しかし、薬を直接施しはせず、貧しいけれど元気である、病人・負傷者の家族や仲間に、
「あの林にこの病人に効く薬草が生えています。とってきてあげて下さい。向こうの邸の裏の畑には、火傷に効く薬草が栽培されています。私が管理している畑です、勝手にとってきて構いませんから、この人に与えて下さい。ただし、抜いた後には、新しい種を蒔くこと。あちらの茶屋の裏には、薬にもなる茶葉を廃棄しているごみ捨て場があります。古いだけで薬効には問題ありません」
などと指示する、変わった薬の与え方をしていた。
また、体の動く難民達に、仕事を斡旋した。
若い男達を軍に入れたり、知人の商人の下働き、農民の手伝い、寺や貴族の下男など、一人一人に向いていそうな仕事を見つけて紹介する。ただし、定安は契丹と戦中なので、兵は多い方がよく、男はだいたい軍に入った。
女にも、それぞれに仕事を与える。
こうして、微々たるものでも、収入を得て、日々の糧を自らの手で得られるようになった者が沢山いた。
いつしか尼僧を、難民達は慈母と慕うようになった。毎日説法するために辻に出る尼僧を、一目拝もうと人だかりができる。
彼女は見ただけで救われそうな姿をしていた。
「なんてお美しい。柔和な慈悲深いお顔。紛れもない、菩薩様だわ」
拝む人々。
尼僧はその手をとって、優しく微笑み、仏の道を説き、彼等のために念仏した。
姿を見ただけで、心が救われる生きた菩薩の評判は、貴族達の間にも広がっている。当然、都の庶民で知らぬ者はなかった。
難民達の群を見かけると、
「ああ、またあの弥勒寺の若い尼だな。御本尊そっくりの──」
と口にして、通り過ぎていく。
ある日、都に帰り着いて間もない王が、視察に出ていた。難民の話を耳にし、直接様子を見て対策を考えたいと思ってのことだ。
王の視察となれば、事前に町中は整備されるものだが、軍が出払っていたこともあり、その下準備は不十分であった。おかげで、王は都の現状をそのままに目にすることができた。
確かに、貧しい難民が多い。なお病んでいる者も少なくない。
王は景教徒が粥の施しをしている所を目にした。だが、そこに難民は群がっていなかった。少人数の列ができていたに過ぎない。
「はて?」
空腹の難民でひしめき合っているはずである。
ややあって、話を聞いてきた側近が告げた。
「今、その先の辻に生き菩薩が現れ、難民達に説法しているそうです。そのため、施しそっちのけで、菩薩を見に行っているのだとか」
生き菩薩が現れた時はいつも施しの場が閑散とする。
側近は生きた菩薩の噂を知っていた。王は首を傾げる。
「食事よりも、菩薩を優先するのか?」
「一目見ただけで、救われるとの噂でございますので」
王は馬鹿なと思い、その生身の菩薩とやらの説法の様子を見ようと、そちらへ向かった。
そこは人々でごった返していた。国王の視察だというのに、皆一点に集中している。その中央に尼僧がいた。
(確かに清らかな尼僧)
王も目を見張るほどの美しさ。ただの美貌ではない、なるほど菩薩かと惑わせるような清浄さであった。
説法は終わりかけだったようだ。何を話しているのかと、王が耳を澄ましている間に、続々と人々が去り始める。
説法が終わっても、なかなか尼僧のもとから離れない人々もいたが、やがて、一人の女が碗に水を運んできて、尼僧に捧げた。
「理那様、喉をお潤し下さい」
尼僧はずっと話し通しで、きっと喉が渇いているのだろう。水を差し出す女は、どこかの女房のようで、難民には見えなかった。
「ありがとうございます」
尼僧は数珠を手に絡ませ、女にお辞儀をした。その仕草の何と楚々として麗しいことか。周囲の難民達がほうっと、溜め息を漏らして見入っている。
尼僧は一口水を飲む。
それを合図のように、王は尼僧に近づいた。
国王と気づいた難民達が、あっと仰け反り、そのまま後退って行く。そして、蜘蛛の子を散らすように、さっと消え去ってしまった。
後には王の視察団と尼僧、水を運んだ女だけが残され、急に静まり返った。




