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火急(三)

 先ずは当たり障りのない話ばかりをした。要徳にも酒を与えた。だが、一口も飲まず、ずっと俯いたままだ。


 だいぶ酔いが回ってくると、耶津が何故か理那のことを問い始めた。


 心海は不審に思った。


「そういえば、貴殿は昔から、かの人に馴れ馴れしかったな」


 嫉妬と受け取ったか、耶津はくっと笑い、言い返した。


「ああ、私の憧れの人だからな。そなたを羨ましく見ていたよ。瓦まで拭くかの人に、馴れ馴れしく近づき、よく話し掛けたものだ」


 怒ったのか?とその目が語っている。心海はつんと酒の方に視線を移した。


「くくっ、私にさえその調子なのに、よくまああの男との縁談にじっと堪えていられるものだな」


 あの男とは、大農卿のことである。


「大農卿とのは正式な縁組み、耶津殿の邪心とは別物だ」


「邪心ねえ。確かに、仲人の押し売り老人に、あの男ではなく私との仲を取りもって欲しいなんて頼みはしたがな」


「なに?」


 心海が顔を上げて、耶津を見た。その射るような視線に、ずっと俯いていた要徳の血色が幾分良くなった。面白いものでも見つけたような瞳でさえある。


 裴瑯は逆に興味なさそうな様子で、酒を口に運ぶ。彼は高尚な話題を楽しみながら、時折即興で、雅な漢詩を作り合うような会談を好む。横恋慕だの不倫だの、下世話は一番嫌いだ。


「かの人が──」


と、心海は理那をそう呼んだ。


「かの人が言っていたな。耶津殿の悲恋が弥勒寺で始まったと」


「おや、理那殿に会ったのか?」


 耶津が少々興味ありそうな表情になった。


「まあ、な」


「よかった。私が理那殿にそなたに会いに行けと言ったのだ。理那殿は会ってくれたのだな」


「は?そなたが?意味がわからぬぞ」


「あの男との結婚、破談にしてやりたくてな。そなたと復縁させたかったのだ」


 心海はますます怪訝な顔をした。


「知ってるか?私の恋人は私を選んでくれなかったのさ。親の命令に従い、あの男に嫁いで、襤褸雑巾のようになって亡くなった。ま、貴族なんて、そういうものかもな。いや、あの人は誰からも非難されない。極めて善良な婦人だったよ。だが、私の心はやり場がなかった。だから、私には非常識な理那殿が眩しく見えた。理那殿とそなたは非常識だ。誰もが身勝手さを非難しただろう。でも、私には理那殿の我が儘が、強さと映った。我が恋人にも、その強さがあったならと。彼女にも理那殿のようになって欲しかったのだ。そなた達夫妻は憧れだったよ。ずっと幸せでいて欲しかった」


 聡明な心海でも、なお話が飲み込めない。


「──その、貴殿の恋人というのは、大農卿の前の奥方なのか?」


「そうだ。理那殿に後妻になられては困る」


「ふうむ。複雑だな……」


 理那に式当日失踪された花婿の大農卿は、何故かその後も穏やかだ。世間には花嫁が急病で結婚できなくなったと言っているらしい。その後、李家との間でもめたとも聞かない。


 理那とは連絡がとれたのか、理那はちゃんと大農卿と向き合ったのか。それも心海には不明だ。


 何しろ、心海もあの日以来、理那には会っていない。連絡のやり取りもしていないのだ。


 それが、二人の選んだ道だからだ。


 二度と会えない。会わない。


 それでよい。そうしなければならない。


(理那とは顔を合わせていなくても、生きていけるんだ。常にべたべたひっついているのだけが愛ではない)


「それで、あの男と理那殿はどうなったのだ?」


 心海が心の理那に見とれていると、無粋に耶津が訊いてきた。


「知らん」


「知らんとは。大貴族どうしの婚礼。そなたが無関係の人間であったとしても、定安人なら知らないはずがないだろう」


「第三者が他人の縁談を知りたがるとは、おかしな話だな」


 わざとそう言ってやると、初めて要徳がぷっと笑った。相変わらず裴瑯は目を閉じ気味に、静かに酒を味わっている。


「貴様……」


「花嫁は病気で結婚は流れたらしいよ。大農卿はそれについて何も言わぬから、彼が何を考えているのか私も知らぬ」


「そなた、理那殿に何かしたのか?あの男の手から……」


「耶津殿とは思えぬ八つ当たりだな、理不尽に大農卿を恨むのはよくない。あの人は我々とは違って、とてもよくできた御方だよ。私にもかの人について、一言も訊いてこない。普通なら、式当日に花嫁の身に異変が起きたら、元の夫にまで聞き回るものだろう。李家とももめず、かの人の評判が傷つかないよう、世間をうまく騙し、大事にしないで穏やかにお過ごしだ。きっと私が何かしたと察して、わざと何も仰らずにいるのだよ」


 耶津はふんと鼻を鳴らした。


「私達のこと、心配してくれたんだな。礼を言う。かの人は結婚しなかった。そういうわけで、私達は幸せだから。もう気にしてくれるな」


「こっそり復縁したのか?」


「ま、そんなようなところだ」


 心海はそれ以上のことは言わなかった。だから、耶津が理那の出家を知ることはない。


 その後は、それと悟られないように耶津や裴瑯、それに要徳のことを聞いた。


 耶津は裴瑯と一緒に仕事をしているというわけではないらしい。耶津は靺鞨から毛皮を買い付け、裴瑯や他の毛皮商人の店に売ることを生業としているようだ。


 裴瑯は西京鴨緑府に拠点を置いて商いをしている。要徳はただの使用人だという。


 だが、そんなはずはない。


 心海はやがて三人が帰って行くと、扶余人でありながら召し使っている件の兵たちを呼んだ。


「耶津は北限の靺鞨から毛皮を仕入れているらしいが、そのついでに何者かと接触しているはずだ。もと渤海に属していた靺鞨か、女真か。調べろ。裴公も怪しい。鴨緑江周辺の渤海人勢力と繋がっていることは間違いないだろう。大元はじめ、大氏がうろついてもいる。あの慕公を召し使うくらいだから、大氏と繋がっていると考えるのが妥当だろう。裴公、慕公、それぞれ調べてくれ」


 彼等に命じ、さらに都の宇成にも手紙を出した。商人の宇成なら、また別の情報を掴めるかもしれない。


 三人を調べる一方で、砦を築いたり、拠点とする城の補修を進め、軍事訓練もしていく。


 そうしているうちに、契丹出兵の報告がもたらされた。


 平原に出て激突するか、城で迎え討つか、奇襲するか。


 軍議が開かれ、まず野戦ということに決まった。


 しかし、契丹は強いのである。一度渤海は都を落とされ、滅んでいる。


 城に籠もり、宋の軍の到着を待つべきという意見もあった。


 だが。


「私の責任で行う」


 心海が野戦を決定したのであった。


 この決定の頃、扶余府は武装して守備を固めて契丹に睨みをきかせており。女真は動かず、契丹とも定安とも旗色を明らかにせずに傍観を決め込み。


 高麗は出兵して、鴨緑江対岸に着陣した。


 そして、いよいよ定安軍の精鋭と契丹軍とが激突したのである。

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