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火急(二)

 西京鴨緑府。


 一応、東丹の中に含まれているとはいえる。しかし、東丹にはもうほとんど契丹の影響なく、契丹に最も近い遼東ならばともかく、そこからだいぶ離れている西京鴨緑府は、完全に空白地域といってよい。


 もともと渤海の国土であり、東丹の版図にも入れられたこともあって、今なお多数の渤海人がいたが、高麗との国境間近であり、高麗人も進出してきている地域だ。


 定安軍が進軍してきても、特に反撃する者もなかった。


 ただ、契丹との戦闘の行方によっては、戦場となりかねない場所である。


 心海は民が巻き込まれないよう、この地に着くと、まず町に出て、町と民の様子を見て回った。


 その巡回中、多数の馬を献上したいと申し出てきた商人がいる。


「それは有り難いことだ」


 この時、心海は徐将軍の子息・登を伴っていた。


「様子を見て参ります」


 徐登は兵を連れて、先にその商人を見に行ったが、すぐに慌てて帰ってきた。


「司賓卿司賓卿、大変です!」


「どうした?」


「慕要徳です!商人なんて、とんでもない!」


「慕?」


「それに、人相の悪い男がおりました。罠です。司賓卿を殺すつもりです」


「慕要徳といったか?ならば、商人と名乗るは間違いないよ」


 心海はにやりと笑った。


「前の司賓卿か。こんなところで何やってるんだ?」


 大氏の王を立て、建国でもするのかと思ったが。


「周に滅ぼされた殷人の真似か。いいよ、会おう。たかが商人を恐れて私が逃げるなど、定安の評判にも関わる。新旧司賓卿の顔合わせといこうではないか」


 徐登の小心を笑い、心海は前司賓卿との対面を許可した。


 ところが、現れた男達に、心海は頬をひきつらせてしまったのだ。


 一人は確かに、前司賓卿で、もう一人は知らない顔だったが、あとの一人は──。


「昔耶津……っ!」


「やあ、随分なご出世ではないか」


 不敵に笑うのは耶津であった。


 心海は動揺したが、それをひた隠し、にたにた笑い返す。


 心海は一段高い所に椅子を用意させて座っており、三人は地面に居た。


「ほおう、昔耶津が慕要徳殿と仲良く商いをしているとは驚いた」


「ふんっ、こんな老害と仲間なはずがなかろう。これはこちらの商人の奴隷だ」


 心海の見知らぬ男を耶津は顎で指した。


「日本の菅原氏と親交のあった裴氏一族の方だ。裴瑯殿」


 耶津に紹介された男は、鼬の毛皮を麗しく羽織っていた。心海に礼儀正しく拝する。


 徐登は耶津の出現に、目をひんむいたまま、言葉なく立ち尽くしていた。前司賓卿──今は裴家の使用人らしい要徳──だけでなく、耶津のことも見知っていた。だが、耶津は処刑された人間。幽霊がさっきからべらべら喋っているのだから。


 徐登の頭には耶津の言葉が全然入ってこない。


「ほう、裴家の方は商人になっておられたのですか」


 かつて当代一流の教養人の名声をほしいままにした一族のなれの果てである。心海は同情を込めて裴瑯を見つめた。


 渤海時代、裴氏ほど日本への正使に選ばれた一家はなかった。日本では菅原道真と家族ぐるみで親交を持った。大江朝綱や藤原雅量とも親しくなったのである。


 さらに、東丹の使者として日本に行ったこともある。


 その時、契丹の攻撃により、裴氏一族は離散していた。


 その惨状と契丹の横暴を訴え、救いを求めたのだったが、この時の日本の態度は冷たく、かつてのような親しみは見せてくれなかった。


「敵の軍門に降って、二君に仕えるだけでもけしからぬのに、今度はその新しい主君の使者として訪れながら、主君を讒するとは」


 日本はこのような使節を派遣してきた東丹国は非礼であるとして、帝との謁見を許さず、追い返してしまった。


 日本のこの態度には、かつて日本が渤海と親交を持ち始めた頃とは情勢が違っていたこともあるかもしれない。


 奈良時代の日本は高句麗や百済と手を結び、唐と新羅の連合軍と戦った後、唐からの襲来に備えて、九州の軍備を強化していた。その頃、滅亡した高句麗の遺臣が、靺鞨や周辺地域の人々と興したのが渤海であり、当初の渤海は唐から敵視されていたのである。渤海と日本にとって、唐は共通の敵であり、両国はすぐ親しくなったのだ。


 時代が下るに従って、唐は日本にとっても渤海にとっても敵ではなくなったが、やがて唐は衰退し、半島も新羅が滅び、大陸では契丹が台頭してきた。


 島国の日本にとっては預かり知らぬところ。得体の知れない契丹やら東丹を相手にして、また変な争いに巻き込まれるのはごめんだということだったのかもしれない。


 だが。日本は東丹に冷酷だったが、内心では渤海人の苦境に同情しており、藤原雅量などはその心を詩にしていたのである。


 しかし、そのことを知ることもなく、日本に冷たく追い返された裴大使は、失意のままに、東丹には戻ってこなかった。


 どこに行ってしまったのか。そして、離散した裴氏一族のその後も、誰も知る由もなかった。


 今、心海の目の前にいる男は、その裴一族の人間なのである。


 落ちぶれた前司賓卿を召し使うほどなのだから、それなりの商人ではあるのだろう。それにしても、耶津はこの裴家の人間と共に仕事をしているのであろうか。耶津も雇われ人なのか。


「私裴瑯、定安国が契丹国と戦うと聞き、久しぶりに心が晴れ晴れと致しました。どうぞ馬をお受け下さい」


 裴瑯は心海にそう述べた。口振りから察するに、契丹を深く恨んでいるようであった。


「それはまことに有り難いことですが、貴殿は馬を扱っておられるのか?」


 心海の問いに頷いた。


「本業は毛皮ですが。毛皮はたいそう儲かりますからね」


 渤海の毛皮はどの国でも高値で取引された。それは日本でも同じことだった。日本人は競って手に入れ、それを持っていることを自慢し、真夏でも幾重にも重ね着していたものだ。


 そんな他国の人間の滑稽な姿が脳裏に浮かぶのか、裴瑯はにんまり笑った。


「有り余る銭で、牧馬を始められたそうだ」


 耶津がそう付け加えた。


「貴殿は裴公と商いを始められたのか?」


「どなたかのせいで、行くあてもなかったからな。靺鞨の北限までさまよってしまったよ。そこを裴公に出会って救われたのだ。私には日本乙女の血が流れているからな」


「日本が懐かしく」


 裴瑯は目を細め、耶津を拾った心境を語った。


 日本には恨みはない。ただ悲しいだけ。


 耶津は、日本から連れて来られた舞姫の孫子だ。一部の舞女は唐朝に仕えたが、渤海貴族の室に迎えられた者もいた。


 耶津が靺鞨の果てに行き、途方にくれていた時、たまたま裴瑯と出会って、日本の話題で意気投合したらしい。


 耶津が裴瑯と共にいることはわかった。だが、前司賓卿は何故こうなったのか。


「慕公」


 心海は前司賓卿に声をかけた。ずっと下を向いたままで一言もしゃべっていない。


 着物はさほどまずくはないが、平民の格好ではあった。比較的安価な毛皮を着ている。それでも寒いのか、裴瑯から下げ渡されでもしたのか、古ぼけた虎皮を重ね着ていた。


「高麗から連れ出した方々はどうなりましたか、慕公?」


 心海が声をかけても、なお前司賓卿の慕要徳は下を向いて黙っている。


「聞くまでもないだろう、わかりきったことを。相変わらず意地の悪い奴だな」


 脇から代弁のように答える耶津。だが、擁護ではなさそうな顔だ。それこそ底意地の悪い笑み。


「なるほど」


 心海は頷いた。


「それで裴公が慈悲の手を差し伸べられたわけですね」


 要徳は高麗に亡命した人々を連れ出したわけだ。烈万華を放伐して、新しい大氏の王を迎えるのだと言って。だが、実際は烏玄明が王座につき、定安から閉め出されたまま、国内に入れず、放逐された。これでは何のために高麗をわざわざ出てきたのか。亡命者達は話が違い過ぎると、要徳に激怒し、誰一人彼を許しはしなかった。


 亡命者達は再び高麗に戻る者、遼東周辺に住まう者、各地に散らばった大氏の血縁者を探しに行く者など様々であった。


 だが、何れの者も要徳を相手にはしなかったのだ。


 一人寂しく取り残された要徳を裴瑯が拾ってやったらしい。


 それにしても、そういう者ばかりを拾ってやる裴瑯の人の良さ。心海は自分が追いやった者が案外しっかり生きていることに安堵し、裴瑯に感謝した。


「裴公からの贈り物、まことに有り難い。どうでしょう、せっかく友人とも再会できたわけですし、今夜は一緒に飲みませんか?我が陣においで下さい」


「それは有り難いと言いたいところだが、私は遠慮してやる。私は定安では死んだ人間だからな」


 裴瑯のかわりに耶津が断った。


 心海はすかさず、


「おや?私に復讐するよい機会ではないか?処刑された筈の昔耶津を、独断で生かした私の罪を、定安兵達の前で暴露できよう。『見よ、我は昔耶津である。高心海が王命に背き、処刑しなかったのである』と、皆の前でその身を披露したらよかろうに」


「くっ。友人を貶めはしないよ。そなたとの友情を壊したくないからな」


 心にもないことを言うのは、陣に呼ばれたくない理由があるのではないか。心海は閃いた。


「そなたは私の命を救ってくれたのだから」


「何を言う。では、仰々しくなく、そっと私の陣幕の内にお招き致そう。沢山の馬を頂きながら、そのまま帰すわけにはいかない」


 さり気なく心海は引き留め、さらに隣に直立する徐登に同意を求めた。耶津の出現に動転していた徐登も、それにはもっともだと肯いて、


「せめて裴公だけでもお越し頂かなくては」


と言った。


「いいえ、渤海人として当然のことをしたまで」


 裴瑯の返答はごく一般的なものであったかもしれない。しかし、一度疑いを持つと、そうは思えなくなる。


(怪しいぞ。遼東も近い。この辺りには多数の渤海遺臣がいるのだ。東丹には内紛絶えず、定安建国にも多くの分裂と争いがあった。それぞれが好き勝手に建国しては潰され──同じ渤海人とはいえ、皆思惑が違う。定安を敵視している者も多かろう。この度の戦。定安と契丹との争いに乗じ、何事か仕掛け、漁夫の利を得ようという渤海人勢力が現れても不思議はない。いや、契丹と戦って弱った定安を討ち、新たに渤海人の国を建てようという輩も?)


 もともと渤海は多民族国家だったのだ。靺鞨、扶余、高句麗遺臣、さらに漢族。中原や遼東、半島からの移民もいた。一口に渤海人といっても、異民族どうし。今、定安に敵意を抱く渤海人がいたとしても、不思議はない。


 特に、遼東付近、西京鴨緑府辺りの渤海人は定安に取って代わろうと考えているだろう。また、定安建国時の渤海人どうしのいざこざもこの近辺で起きていた。


(耶津は定安に恨みがある。これらの勢力と結びついているはずだ。裴瑯と親しいならば、裴瑯とて──?)


 馬を献じると言って近づき、何か探るなり謀略を仕掛けるなりするつもりなのだろう。心海は確信した。


(ならば、仕掛けてもらおうではないか。いったい何処のどいつが何を企んでいるのか。謀略なら、それを逆手にとって、返り討ちにしてやるまでだ)


「さあ、遠慮なさらず。行きましょう。さあさあ!」


 心海は裴瑯と耶津、それに要徳を無理に伴って、陣中に戻って行った。そして、ひっそりと酒盛りをした。

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