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火急(一)

 扶余府のことはすぐに解決しなければならなかった。


 扶余府は扶余府で独自に宋へ使いを出している。しかも王と名乗って。


 心海は宥めようと、甘言して様々に手を打ったが、なかなかうまく行かない。


 扶余府が定安側に寝返ったために、定安への敵対心をいよいよ強め、出陣の準備まで始めたという噂もある契丹。


 契丹から攻められるかもしれない危機に立たされたのは、扶余府がこちら側についたからだというのに、その扶余府が定安の版図に入ることを拒否するとは、どうしたことか。契丹を刺激しただけで、肝心の扶余府が手に入らないとは。


 扶余府を寝返らせるために、独断で動いたのは心海だ。自然、廷臣たちからの風当たりが強くなっている。


 ここは女真との同盟を急ぐ必要がある。


 女真は常に、契丹に対して服従の態度を示していた。しかし、彼等は渤海の民と人種的には同種である人々が多く、東丹のある場所を通らねば宋へ行けない定安のために、定安と宋との連絡を密かに取り持ってくれている。


 王と心海は完璧な契丹包囲網を築くためには、女真の存在は欠かせないとして、琳媛の輿入れを急がせた。


 琳媛は理那から贈られた衣装と簪をつけ、王から与えられた琴一張を持って、王宮を出た。千人もの供が付き従う、宗女らしい華やかな行列である。


 やがて、行列は松花江を渡り、女真の地へと旅立った。


 妃は相変わらず冷たいままだったが、琳媛は少しもめげず、王と国への忠義と、宗女としての誇りを胸に、真っ直ぐに前をのみ見つめて向かった。涙の欠片もない。


 しかし、女真に至ってさっそく彼女は、自分や定安そのものが置かれた立場を実感する。


 女真は決して彼女を歓迎していなかった。


 本心では定安に心を寄せているとしても、契丹の目がある。定安から花嫁を迎えたとなれば、契丹が厳しい態度を示すだろう。


 琳媛は己の役目を果たさんと努めた。


「確かに契丹は強大です。でも、どんな強敵にも弱点はあるはずです。確かに渤海は一度敗れました。しかし、今は宋と高麗が味方についています。三方から契丹を包囲しているのです。いかに強力な契丹とはいえ、三方の敵を同時に相手するとなれば、困難なはず。女直(女真)は何故そこまで契丹を恐れるのです?扶余とて契丹を裏切り、包囲網に加わりました」


 扶余府も女真もどっちつかず。風向きによっては契丹に付いてしまうだろう。


 しかし、扶余府も女真もどちらも定安側にいてくれなければならない。そうすれば、契丹を破ることもできるかもしれないのだ。


 琳媛はわざと、扶余は定安側だと言った。


 扶余府が契丹包囲網に入っているなら、女真もそこに加わる可能性が高い。そして、女真がそこに加われば、扶余府も地に足をつけ、定安と足並みを揃えるようになるだろう。


 琳媛はしかし、女真の様子に覚悟も持った。何が何でも、彼等を定安に同調させねばならない。そのためには、どんなことでもする。しかし、最悪の事態となった時の覚悟も要る。


(契丹に責められたら、その二心なきことを証明するため、私の首を差し出すかもしれない)


 いや、殺されるならいい。


 もしも、契丹が琳媛の身を差し出せと要求してきたならば。


(定安に迷惑がかかる、いえ、妃殿下なら、私を見殺しにしてしまえと仰有って下さるかもしれない。でも、見殺しにして頂けないようなことがあったら?)


 もしも、王が琳媛に情けをかけ、契丹からの理不尽な要求を飲むようなことがあったら。


 いや、あってはならない。琳媛は自害を決意した。


 とはいえ、女真は一応琳媛を受け入れた。これは、仮に契丹が定安に攻め込んできたとしても、女真が定安の背後を脅かさないことの証明ではある。


 契丹から強く要求されれば、やむを得ず定安を背後から衝くかもしれないが、それでもいきなり最初から攻撃されるよりはまだいい。契丹と女真、同時に攻めてきたら、おしまいである。


 契丹が正面から攻めてきても、しばらく背後の女真がじっとしていてくれれば、その間に宋や高麗が側面から契丹を討つこともできる。そうなれば、こちらが優勢になるであろうし、扶余府も参戦してくれるだろう。すると、ますます女真の動きは鈍くなり、戦況によってはこちら側についてくれさえするだろう。


 とりあえず、これで契丹が扶余府や女真の地から攻めてくることはないであろうから、兵は遼東の方に差し向ければよい。


「契丹が出陣の準備をしているとも聞く。急ぎこちらも遼東方面に兵を差し向けねばなるまい」


 王は宋に速やかに援軍を出してくれるよう、戻ったばかりの毛皮の述作郎を、再び宋に遣わそうとした。


「この度は女真を頼ると契丹に疑いをかけられます。無事に遼東を抜けるには、海路しかありますまい。今回は高麗を頼り、その港を借りて宋まで参りましょう」


 述作郎がそう答えると、居並ぶ百官同調した。玉座の王も頷いた。


「それがよかろう。高麗へも使いを出さねばならぬ。高麗への使者と共に行け」


「はっ」


 述作郎が承ると、王は玉座の近くに立つ心海に視線をやった。


「高麗へは誰を遣るべきか」


「司賓卿が宜しいのでは?」


 大農卿が全く裏のない顔で言えば、右相が反対する。


「いや、司賓卿は文官だが、前戦で指揮をとって頂くべき」


 契丹との戦が早まったのは、心海が扶余府との間で暗躍したためだから、心海が責任を持って戦にかかるべきだと言いたいのだろう。


「のう、司賓卿?そうであろう?」


 右相の問いかけに、百官が心海に注目する。


「そなたの意見を忌憚なく述べてみよ」


 王もそう言った。王のその贔屓に眉を顰める者もいたが、そのような者ほど心海の口元を凝視している。


「いかにも。右相の申される通りと存じます。お許し頂けますならば、徐将軍のご子息と共に、臣も出陣致したく存じます」


 心海は、大将は呂将軍がよいとか、自分は軍目付を仰せつかりたいとか、こと細かに述べた上で、徐将軍は扶余府へ帰し、そのまま扶余軍を率いて待機させるべきであると言った。そして、その徐将軍の子息を、呂将軍に預け、その麾下で一軍を任せるべきであるとした。


「高麗への使いは胡大人が宜しいでしょう。胡大人は扶余府のお方ですが、今は定安の禄を得ておられるお方。定安の国使であっても問題ないと存じます」


 この人選には、日頃心海をよく思わない者でも、にんまりほくそ笑んだ。


「さすが司賓卿、真っ黒だな」


とは、声には出さないが、この場にいた全ての人間が思ったことである。


 徐将軍の子息を定安軍に従軍させるのは、人質の意味合いがある。その上で徐将軍を扶余府に帰し、その軍を任せれば、徐将軍──扶余府が定安を裏切ることはない。


「扶余府への国使も徐将軍にお任せしましょう」


 息子を定安に人質にとられている徐将軍が王の使者なら、息子を思う親心から、必死に扶余城主を説得するはずである。


 また、高麗への使者を扶余人の胡大人に任せるのは、高麗を安心させるため。扶余人が定安の王使としてやってくれば、扶余府は完全に定安の味方なのだと思って、高麗は安心して兵を遼東に送り込むであろう。


「うむ。それがよい。そうしよう」


 王は心海の献策を全て受け入れた。


 心海はこうして、遼東方面に進軍するべく、速やかに準備を開始した。


 そして、理那も手の届かない所に行き、母も妹も遠国にいる彼の、ただ一つの気掛かりは姉の身であった。


 彼は、妃の琳媛への冷たさの理由を察している。心海が出陣して家を留守にすれば、姉一人で家に残ることになる。


 その間に、妃の魔の手が及ばないとも限らない。


 いや、あるいは──。


(陛下は姉上とのこと、否定しておられたが、そこのところはどうだか。俺の居ぬ間に、密会もあり得る)


 それこそ妃の報復が恐ろしい。


 心海は姉の身を宇成に預けることにした。宇成は快諾してくれた。姉にとっても、豪華な宇成邸の方が心地良いだろう。


 心海はただ一つの気掛かりを片付けると、西京鴨緑府に向けて出陣した。東丹のある遼東との最前線の地である。高麗軍もここに来る手筈になっている。

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