身分(二)
さて。
心海が予想した通り、翌日にはさっそく宇成の店へ、商人達がやってきた。
「お前のやり方は協定違反だ!我々の商売を邪魔すること、許せん!!」
「商人は法律に疎いんですかねえ。物の値段が上がって、民が苦しんでいるから、値段を下げるように決まったではありませんか。不作で穀物の値段が上がった時でさえ、一定額以上にしてはいけないのに。原価が、法で決められた値より高い時は、その分は税金で補填するのだから、法で決められた値段で売っても、商人は損をしない筈ですよ。それを、補填されているのにも拘わらず、高値で……」
「だまれ!新参者が!」
怒る商人達を前に、宇成はしゃあしゃあと言う。
「だって本当のことではありませんか。私は法令通りの値段で売っているだけで、違反しているのは皆様方です。私を脅すのはかまいませんが、私が皆様方の不正を訴えたら、皆様方はどうなるかなあ」
「なんだとっ!」
そこで、にまっと笑って、
「だから、私も皆様方の協定に加盟させて下さいよ。新参者だからって、仲間外れにしないで、ね?大内相ともお近づきになりたいんですよ。お願いします」
と宇成。
一瞬面食らったようだったが、商人達は急に声も顔も色を変えた。
「なんだ、お前、仲間入りしたかったのか?」
「はい。私にも儲けさせて下さいよ。新参者だからと除け者にしないで。お願いします」
「なんだ。話のわかる奴だったのか」
「お願いします。大内相をご紹介下さい。翡翠の取り引きをさせて下さい。茶の権利をあなた様に差し上げますから」
商人達の長にそう言った。そう言われれば、嫌とは言わないのが商人の気質。
「いいだろう」
こうして、心海の内意を受けた宇成は、大内相を客とすることに成功する。
「……宇成」
そんな宇成の快進撃を、物陰から先日の美女が見ていた。
美女はしばらくすると、その場を立ち去った。楚々とした足取りで、都の大路を進む。
夜の道に月明かりが白い。空を仰げば、星くずだらけ。海。まるで星の海だ。
彼女は思わず、仰ぎ見たまま、両手を合わせた。
「天よ!どうか……!」
しばらくそのままであった。
ふと風が彼女の髪をなぶった。我に返り、再び歩き出す。
しばらく行くと、素晴らしく立派な邸がある。その門の中へ、彼女は入った。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
使用人が焦りつつ、彼女を出迎えた。
使用人とはいえ、下級官吏よりもよい身なりをしている。
彼がどうして慌てているのか。
「いったい、どちらにいらしていたのです?」
苛立ちが声にさえ顕れている。
ふと、客殿の灯りが、いつもより眩いことに気づいた。華やかな音楽や人声も漏れてくる。
「誰か来ているの?」
「はい。左相がお待ちでございます。旦那様もずっとお嬢様をお探しでしたよ!早くお支度なさって、客殿へお急ぎ下さい」
聞いている間に、みるみる彼女にも、使用人の焦りが伝染していく。
「まあ大変!」
彼女はすぐにその場を後にし、自室へと急いだ。
彼女が着替えたり、化粧を直したりしていると、侍女がやってきた。
「旦那様にお嬢様がお戻りになったとお伝え致しました」
「そう。父上は怒っていらっしゃるでしょうね」
「いえ。お客様は楼に移られました。お茶をお出しするようにと、旦那様が」
「わかったわ」
彼女は支度を整えると、茶器を持って楼へ向かった。後ろに、菓子の膳を捧げた侍女達を従えている。
途中から澄んだ笛の音が聴こえてきた。楼に近づいて行くにつれて、その音は大きくなっていく。
楼に行くと、年老いた父の李公が、笛を吹いて客に聴かせていた。
ほろ酔い気分の客は、夜風と笛の音にその身を吹かせて、うっとり気持ちよさそうである。
彼女が楼の階段を上りきった時に、ちょうど曲は終了した。
「さすが、素晴らしいですな!」
客は世辞ではなく、心から褒め称える。
「いやいや、もう年老いて、息が思うように続きませんわ。お恥ずかしい。お耳汚しを」
「何をご謙遜を」
客の左相がそう言った時、李公は娘に気づいた。
「理那か。遅かったな」
「申し訳ございません」
彼女は深々と頭を下げた。
一方客の方は、
「おお、理那殿。お久しぶりです。相変わらず、お若くて輝くばかりにお美しい。そうやって月を背に立っておられると、嫦娥が舞い降りたかと錯覚するほどです」
と、大層上機嫌な挨拶である。
「とんでもないことでございます」
彼女はそう言って、楚々と足を運ぶ。
左相の前に菓子の膳を置かせると、その向かい側に座って、麗しく拝礼した。
「ようこそお越し下さいました。左相にはお変わりもなく」
「いやいや。お邪魔していますよ。貴女のお留守の間に上がり込んで、申し訳ない」
「私こそ、左相がおいでになるのに、留守にしてしまい、大変な失礼をしてしまいました。どうか無礼をお許し下さい」
「なんの。琴の稽古にお出掛けだったそうですな」
え、と思って、彼女は父の方を盗み見た。
父は一瞬、目で合図をした後、当然という表情で澄ましている。
「え、ええ」
彼女は左相に頷いてみせた。
父が、どこぞに外出中の娘を、琴の稽古だなどと言い繕っていたらしい。客はそれをそのまま素直に信じたらしく、
「いやはや、お父上も音楽の素養のある優雅なお方として有名ですが、お父上の才能を貴女も受け継いでいらっしゃるのですなあ。稽古にお出ましとは、熱心なことですね。いや感心致しました。お父上も相変わらずの笛の腕前、是非理那殿の琴も拝聴したいものです」
と言う。
それを合図のように、李公は、
「では、ここからは娘がお相手致しましょう。年寄りはこれで」
と言って、立ち上がった。
左相は彼女に何か話があるらしい。あらかじめ、李公はその内容を聞かされているのか、早々に退席した。
後に残された理那は、侍女に手伝わせながら、優雅な手つきで茶を淹れ始める。左相はその手元を、目を細めて眺めていた。
理那の父は、この国の重臣だった者である。老齢のため、今は隠居しているが、今でも時々こうして、左相のような現役の大臣、高官の訪問を受けていた。
左相は大内相と親しく、どちらかと言えば古い考えに凝り固まっている大臣である。あまり、能臣とは言い難く、また、陰で少々不正も働いているようだが、小心者故に人もよく、面倒見のよい一面もあった。
李公とは昔から親しく、理那のことも、子供の頃からよく知っている。
理那は茶を器にゆるやかに注ぐと、左相に差し出した。
左相はそっとその香りを楽しんでから、口に含む。
「ううむ。馥郁として、何ともおいしい」
理那は微笑んだ。
父も左相と同様、大内相の派閥である。しかし、理那はあまり大内相が得意ではない。どちらかといえば、左相の方が話しやすかった。
とはいえ、左相にもさほど親しめてはいない。それどころか、一時交流のなかった時期もあった。今、こうして微笑んでいるのも、実は必死なのである。
左相にも、複雑な思いがあるのか、表面上はとても親しげな態度を示しているが、どこかぎくしゃくしていた。
しかし、茶の味には本当に癒されたと見え、
「おいしい」
と、もう一度言って、飲み干した。
飲んでしまうと、器を膳に置きながら、
「先程、お父上には少しお話ししたのだが──」
と、今日の来訪の目的を話し始める。
「実は理那殿に、縁談をお持ちしたのですよ」
理那は硬直した。
「そう気に病まれることはなかろう。貴女ほどの人ならば、結婚など問題ない」




