後宮(二)
琳媛が宮中に上がったのは、扶余から帰国後、ちょうど十日目のことであった。
理那の簪を挿し、宇成が用意した、誰もが目を見張るような見事な着物を身につけて、楚々と進み行く。
その簪を目にした心海は、また複雑な心境になってしまった。
だが、その簪によって、安心したような表情である妹を見ると、理那が守ってくれているような気にもなる。
宮中にて、手ぐすね引いて待っていた女官達も、琳媛の出で立ちには感嘆して、成り上がりと言う囁きは、どこからも起こらなかった。
琳媛は太子妃の妹という身分で、しばらく宮中に過ごすことになる。そしてその後、女真へ嫁ぐのだ。
太子妃は笑顔で迎え入れてくれた。しかし、王妃の反応はいまいちだ。
王が想いを寄せている女の妹である。また、何やら気に食わない心海の妹でもある。
坊主が憎ければ、袈裟までもということだ。
妃は琳媛も気に入らなかった。
さりとて、あからさまな虐めは見苦しい。妃はただ冷たい眼差しで琳媛を見ていただけで、特になぶるようなことはなかった。
しかし、密かに、王の面前で恥をかかせてやろうと思っていた。
琳媛が宮中に入った翌日。王が一門の女性達に茶を振る舞うという。
妃は勿論、琳媛もその席に招かれた。いや、これは王が琳媛と親しく対面するのが目的である。だから、琳媛が招かれるのが当然であった。
琳媛は名家の子女としての教育はしっかり受けている。王の前でも、そつなくこなし、貴族の娘としての品位を見せた。
しかし。茶器を手にした時。彼女の手はあかぎれて、麗しくなかった。
「まあ。炊事洗濯をしていたせいなの?痛々しいわねえ」
妃がすかさず、びろう樹の扇の陰から、まるでいたわるような調子で言った。
途端に、周囲の女官達がくすくすと声をひそめて笑う。
「これ、笑うとは何事か」
太子妃がたしなめたが、女官達の琳媛を見る目は明らかに小馬鹿にしていた。
彼女が大変貧しい育ちだということを、皆が知っている。王妃は手のことをいたわる振りをして、育ちの悪さを笑いものにするつもりらしい。
しかし、王は貧しく苦労した心海とその家族に、心から感謝していた。王はただ単純に、
「私のために、苦労をかけたな。そなたは幼い時から貧しく、家の仕事を手伝い、兄を支えた。感謝しているぞ」
と言った。
しかし、琳媛は、
「いいえ」
と胸を張った。
「これは炊事仕事のせいではございませぬ。琴の練習のしすぎで、血が出たものです」
「まあ、琴?」
王妃が少々嘲りを含んだ笑顔で言った。
こんな貧乏な娘が、琴など嗜むはずがない。
「それならば、是非聴きたいものだわ。せっかくの茶の席です。琴を聴きながら談笑するのもまた一興。陛下の御前で、是非披露してもらいたいものですね」
口調はとても優しい。
どうせろくに弾けはするまい。女官達もそう思っていた。
「かしこまりました」
そう答えた琳媛の背中にも、冷や汗が流れている。
(士大夫の嗜む最も高貴な楽器。陛下のお耳に入れるほどの腕ではないわ。それに──)
「私の腕は拙く、ただ今演奏できる曲も限られております。陛下のお耳に入れるも不遜にて──」
途端に王妃の顔が勝ち誇ったように、意地悪く輝いた。
「不遜?何故?」
余程下手な、いや、それどころか全く弾けないと思ったのだろう。
これは、高家の名誉にかけて、女真に嫁ぐに相応しい女であることを証明しなければならなくなった。
「はい。今、ご披露できるのは『胡笳明君』でございますので」
言い訳と聞こえるかもしれないが、確かに女真に嫁ぐ身である琳媛が王の面前で弾くのは憚られる曲だ。
胡笳ものの琴曲は多数ある。いずれも蔡文姫や王昭君を題材にしたものだ。漢人の女性が匈奴に嫁がされた悲劇を描いている。
『胡笳明君』は王昭君の方を題材にした曲だ。
今、琳媛が王にこれを披露したら、王妃のことだ、王への不忠だ何だと詰るに違いない。下手をしたら、謀反だとまで言いがかりをつけられ、心海にさえ迷惑をかけてしまうかもしれない。
王妃はそのつもりなのか、ほくそ笑みながら、無理にも弾かせようとする。
「まあ、陛下の前で、琴が弾けると言いながら、弾かぬとは何たる無礼。本当は弾けぬのであろう。陛下に嘘をついたのね。許されざる罪!」
こう言われたら、弾くしかなくなることを王妃は知っているのだ。
弾けば罪、弾かなくても罪。それならば──。
琳媛は意を決して、運ばれてきた琴の前に座り、『胡笳明君』の一拍(一段)を弾きはじめた。
彼女の弾く『胡笳明君』は、少々変わっている。
琴は漢人の文化である。渤海にも伝えられたが、渤海人で弾く者は少なかった。
まして、その滅亡後の混乱期に、これを弾く者などいようか。この国にては、演奏する人自体、希有である。
ごく一部の本当に高貴な人にのみ、演奏される最も高貴な楽器。
そして、それを珍しい伝来の譜で弾いているわけである。
王はじめ、その場にいた者は皆驚いた。
琳媛は決して達者ではない。しかし、名手の理那に師事して、しっかり基本はある。十分感心させられるだけの技量はあった。
「見事!」
演奏が終わると、王は手を打って褒めた。
女官達はただ驚いている。王妃は驚愕と悔しさとを混ぜた顔であった。
「なるほど、確かに相当練習した様子が窺える」
手荒れは練習の故であるという琳媛の小さな虚勢は、王には十分頷けるものであった。
「しかし、少々変わっておるな。それは如何なる理由で編曲したのか?」
「畏れながら、これは編曲ではございません。隋の時代には、このように演奏していたのでございます。近年、主に宋で演奏されている、よく耳にするものの方が、原曲から離れてしまっているのでございます」
琳媛はそう答えて、さらに王や女官達を感嘆させた。
「そなたの今の演奏の方が、隋の頃の姿を留めておったのか」
「はい」
「この曲は王昭君の曲だと言われているな」
王妃でなく、王自らそのことを問いただした。
琳媛は決意して答える。
「はい。私にとっても大変大事な曲であり、陛下への忠義のほど、私の覚悟をお示ししようと、弾きました。昭君は異国へ行き、皇帝への忠義のため、苦境に堪え、立派に役目を果たしました。私も陛下の御為、女真へ下る覚悟。故に、この曲は私の忠義を表すものなのです。私も定安の昭君となり、陛下と国の御為、女真との和の梯となります。私はかの地で陛下のご健康を祈りながら、かの地で没し、かの地に骨埋めます。私が生きている限り、女真は必ず陛下の属と致すこと、お約束申し上げます」
琳媛はそう述べて、王妃と女官達を牽制した。
辺境の地に嫁がされた王昭君の悲憤を表現した曲。それを女真に遣られる琳媛が弾けば、己も王昭君と同じ気持ちだと、王に訴えることになってしまう。
王妃はそれで、不忠者だと騒ぎ立てるつもりだったろう。
しかし、琳媛は、王昭君が悲しみを堪えて匈奴に嫁いだのは、漢と皇帝への忠義のためであり、自分も定安と王への忠義を誓うために、この曲を演奏したのだと発言した。先にこう言われてしまえば。
(ええい、屁理屈よ!)
と王妃は腹立たしくてならなかったが、王の面前では、何も言えなくなってしまう。
「なるほど。まことに、そなたほど女真王妃に相応しい娘はおらぬな。我が国の代表として、女真に遣わすのは、そなた以外にいない」
王はそう言って、破顔した。
琳媛は辛くも面目を果たした。
(ふう。見栄をはるのでなかったわ。危なかった)
彼女は冷や汗を拭った。が、結果的に彼女の虚勢は成功したといえる。以降、女官達から軽く見られることはなくなったからである。太子妃の妹分として遇されていく。
王妃には気に食わないことであった。とはいえ、感情優先で生きているわけではない。王妃は表立って苛めることはなかった。




