早速の闇(二)
ところで、妃は反対していたが、王がしつこく心海を外戚にしたがっていたことは、王の子供達でも知っていた。
第二王子は少々変わったところのある人で、気さく過ぎるところがあり、庶民とでも平気で友達になってしまったりする。王子となってからも、高貴な人々とは少々異なる情緒の持ち主であったから、自分の結婚相手候補のことが、とても気になった。
王子になってからも、ひょいひょいと町に繰り出して遊んでしまう。町に出歩いたついでに、どうしても高家の娘を見てみたくなった。
王子は心海の家にやってきたのである。勿論、お忍びで。
ところが、心海宅の前に来て、何やら様子が普通でないことに気づいた。
「なんだ?この物々しい雰囲気は?」
多数の兵が囲んでいるというわけではない。むしろ、兵の姿など見当たらない。しかし、どうにも雰囲気が、空気がおかしいのだ。そこの道を行き交う人々からして普通でない。
「警護か?秘密裏に誰かの警護をしている?」
民の格好に変装した兵達のようだと察して、王子はますます心海宅が気になりはじめた。
「おい、馬をそこまで引っ張って行け」
王子は馬に乗っていたが、それをそのまま、心海宅の塀の側まで引いて行くよう、従者に命じた。
従者は言われた通りに、塀に馬をぴたりと寄せる。
「む。よっ」
よせばいいのに、王子は馬の背に立ち、片足を塀の上に掛ける。馬を踏み台に、塀をよじ登ろうというのだ。
「おやめ下さい。危のうございます!」
従者は当然のように止めたが、聞くような王子ではない。
「ふうむ。む?」
王子は中を覗き見た。そこから中がよく見える。
二人。庭に誰かいた。
一人は女。もう一人は男だが、こちらに背を向けている。
二人は親密そうに話していた。女はとても楽しそうに笑っている。
その時、動いた男の横顔が見えた。
「ち、父上?」
王子は目を丸くした。
物々しい気がしたのは、王が来ていたからで。
王は王子の妃候補に密かに逢っていたのだ。
「こ、これはいったいどういうことだ?」
王子はどぎまぎした。
「どうなさいましたか?」
従者のいる場所からは、中は見えない。
「母上が反対していた理由は、あれか?」
父王は、自分の愛妾を息子に与えようとしているのか。
王子は物凄い想像をして、めまいを覚えた。と、その瞬間。
「おわっ!」
「ああっ!殿下!」
王子は塀から真っ逆さまに落ちた。
ずでんと、凄まじい物音がしたため、庭の二人も驚いて音のした方を見る。
庭に落ちてきた人間に、庶民に化けた護衛兵が駆け寄ってきた。皆、剣を抜いていたが、近寄って顔を覗き込んだとたん、仰け反ってしまう。
「で、殿下!」
皆、剣を捨てて、地に伏した。
「いてててて。おい、へたばってないで、起こせ。腰打った」
王子はそう言って、周囲の護衛を支えに、立ち上がろうとする。
「殿下!」
「殿下!大丈夫ですか?」
「殿下、ご無理なさってはいけません」
彼等が口々に殿下と呼ぶのを、
「何だと?」
と、王は聞き咎めて、そちらに向かって歩き出した。
数歩進んだところで、立ち止まる。起き上がったその若者が、紛れもなく我が子であったゆえ。
「んな、何をしとるんだ、そなた?」
王は目を丸くしていたが、王子はいきなり睨み返す。
「それは、こっちの台詞です!父上、よくも父上のお古の年増を私に押し付けようとなさいましたな!」
「はあ?何だと?」
「絶対いやです。母上に言いつけてやる!」
子供は親のこのような場面を一番嫌悪するもの。王子も、父王がとてつもなく汚らしいものに見えてならなかった。
「この馬鹿息子!塀を越えるとは何事か?それが一国の王子のすることか?」
「ええ!国王なら、側室を作ろうが、愛人無限大だろうが、誰も文句は言いませんもんね!だからって、そんな身持ちの悪い女を王子に下げ渡すなんて。いくら国王でも。いや、それが一国の王のすることですか?」
「お前、何か誤解してないか?」
王は、だが、内心図星なので、全身冷や汗が流れている。
「女真と縁組みしようと思っているのだ。太子妃とここの娘は親族だから、太子妃の妹分として、女真にやろうという話をしに来ただけだ」
思いつきで、そんな出任せを言っていた。
「なんですと?」
王子は簡単には騙されない。
「おい、それは本当なのか?」
自分の妻になるかもしれない王の傍らに立つ女に、そう問いかけた。
「え?え、ええ……はい」
一瞬、目を泳がせていたが、女はそう答えた。
しかし、その様子から、王子は全て察してしまったようだ。
「そうですか。それはなかなかよい策ですね」
王子はわざとそう父王に言う。
その後、宮殿に帰った王子は、母妃に言ったものである。
「さすがは母上。母上の直感は素晴らしい」
「何が?」
「高家の娘のことですよ。この分だと、私には回ってきそうにない」
「どういうこと?」
「ですから、母上の直感が正しいということです」
それで、妃は顔を赤くして、怒った。嫉妬というものは厄介な心だ。
「しかし、母上。ご安心下さい。その女は女真にやられるようです。嫂上の妹として、つまり、王族一門の扱いで、女真の王に嫁がせるということですよ。同盟も強固にできるし、厄介払いもできますね」
「阿呆」
妃は言った。
「高家にはもう一人娘がいるのよ。同盟のためにやる娘が、何で阿婆擦れ年増であるものですか!女真の機嫌を悪くするだけよ。その女はそのまま陛下が囲うか、そなたに下げ渡される。女真にやるのは、妹の方でしょう」
「ええっ?私はあんな女はいやですよ。母上だって、あんな女が嫁に来たら、あるいは側室に入ったら、いやでしょう?あの女を女真にやってしまいましょうよ!」
王が思いつきで言ったことが、とんでもない話に発展しそうであった。
誰が言い始めたことなのか。王が外に女を囲っているという噂が立った。
「妃殿下はお怒りだとか」
「王になった途端にこんなことでは。先が思いやられる」
「まったくだ。女だぞ。こんなつまらんことで、後宮が乱れて、そのうち内紛でも勃発するかもしれん」
「いつの時代も、国が弱くなるのは、内紛が原因なことが多い。そんなことご存知だろうに。王になってすぐ、内紛の火種を作るとは」
「なんと言っても、陛下がお悪いが、嫉妬して騒ぐ妃殿下にも困ったものだ」
廷臣達はそう言い合って、嘆いていた。
「それそれ。妃殿下の嫉妬といえば、とんだ噂を耳にしたぞ。妃殿下はその女を、女真にやってしまおうとお考えだそうな」
「王の女を女真に下げ渡すというのか?」
「いくら何でも、それは女真に失礼だろう」
「陛下のお古ということが女真に知れたら、大変だぞ。外交問題にもなりかねん」
廷臣達は、王夫妻の言動を嘆くばかりだった。
こうなっては、王も考えなければならない。
「女真云々の話だが。そなたの妹をやろうと思う」
王は心海を呼ぶとそう言った。
「陛下。恐れながら、姉との噂は本当なのでしょうか?」
心海はつい聞いてしまった。
「本当なわけがなかろう。いったいどこの誰がさようなことを……」
「では、陛下を貶めようとする輩がいるということですね。陰謀か!」
さすがに指一本触れていないとはいえ、心は噂通りであるため、王も何とも言えない気持ちだ。
「陰謀なら、臣が暴いてみせます」
「いやいや、よいから」
王はそう答えて、
「妹のこと、よいな?」
と念を押した。
姉は噂のために、ますます行かず後家になってしまう。もう嫁に行くのは諦めるしかないだろう。
せっかく王子の妃の話が出たのに。女真王妃の話まで出たのに。噂のせいで、どちらも駄目になってしまった。
心海はつくづく姉が不憫でならなかった。
自分が甲斐性なしだったがために、姉は婚期を逸し、とうとう一生嫁げなくなってしまうのかもしれない。




