早速の闇(一)
女真からの使節がやってきたのは、王の家族が宮中への引っ越しを終えた頃のことであった。
「新国王にご挨拶を」
と言う。
およそ四十年続いたとはいえ、弱小国家だというのに、女真から一国家としての扱いを受けることになろうとは。
「女真の方から使節を遣わしてくるとはな」
「他国に認められるなど、先王時代にはなかったことだ」
「驚いたな。やはり、扶余の効果か。領土が増えると、こうも違うのだ」
俄かに強くなったような気がして、廷臣達は皆胸を張った。
しかし、これを王の威光のためと口にする者はない。なお元は臣下と軽く見ているのであろう。
(今にもっと驚くぞ。誰もが陛下のご威光を畏れるだろう)
廷臣達の反応に、ややむっとしていた心海だったが、それでも用意している秘策を思って、人知れずほくそ笑んでいた。
とりあえず、今回もこうは言っておく。
「女真が挨拶に来た。さすがは我等が陛下ではございませんか。我が国は強化され、陛下のご威光が他国にまで轟いたということ。陛下以外の誰が王となっても、他国からこのような扱いを受けることはなかったでしょう」
そして心海は、その場を立ち去り、女真の使者のもとへ向かう。
廷臣達は媚びるような笑顔で見送って、やがて心海の姿が見えなくなると、またひそひそ話しはじめた。
「しかし、妙だな」
「何が?」
「女真が来るのが早い。まるで陛下が王位を継がれることを、事前に知っていたような早さではないか。陛下が王となられ、それが女真に伝わるまでに、暫く時間がかかる筈。そして、女真にとって、相手にすべきか否かを見定めてから、使者を送ってくるのが普通だろう?」
「確かに妙だな。こんなに早く陛下を認めて、我が国とよしみを結ぼうとは」
「思えば、扶余のことだって妙だ。陛下にとって、あまりに都合がよい。この手際のよさは何だ?」
「まさか、高心海が準備をしていたとか?」
察しのよい者はそう言い合って、また心海を不気味に思うのであった。
一方、王は女真と対面中である。そこに心海も同席した。
「我が国の使者とは、お会い下されたのですね?」
心海が尋ねた。
我が国の使者とは、述作郎のことである。
まだ先王・烈万華在位中のこと。当時は臣下の身でありながら、烏玄明が心海にそそのかされて、王の名で使者を遣わしていた。
その使者が述作郎であり、その一行を護衛しているのが、死人の朴侍郎である。
「はい。お会い致しましたよ」
女真の使者はにこやかに答えた。
「共に手を携えようという陛下のお言葉、我々の胸にも深く刻まれました。我が国は、貴国と手を組み、ともに敵を討ちたいと存じます」
「ありがたい!」
今度は王が笑顔で強く頷いた。
「時に、お願いしていたことは聞いて下さったということでしょうか?述作郎がおりませんが」
心海が問う。女真の使者は大きく頷いた。
「はい。我々は宋に使いを参らすところでした。ちょうどそこへ、貴国のご使者殿が。陛下のお望み通り、ご使者殿を我々の使節団にお加えして、共に宋へ出発致しました。ご使者殿は、今頃、宋へ向かっていらっしゃる筈。ご使者殿から陛下への、ご報告のお手紙をお預かりしております」
女真の使者はそう言って、述作郎が王に宛てた手紙を恭しく差し出した。
王が受け取り、読んでみると、確かに述作郎からの報告書である。
王は頗る満足したように頷き、それを心海にも見せた。
述作郎は女真の使節団に加えてもらい、朴侍郎の軍に護衛されて、宋皇帝へ朝貢する、とある。
順調だ。心海も満足だった。
やがて、使者との会見を終え、心海と二人きりになると、王は言った。
「扶余府は我が国のものとなった。女真とは同盟できることになった。あとは宋と高麗だな」
「我が国は分裂したり、対立したりで、様々な人間が高麗に渡っております。陛下に異を唱える者どもが、高麗王に色々と申しますでしょうから、高麗がすんなり陛下にお味方下さるか、なかなか微妙なところですが。宋が契丹包囲網を築こうと、我が国を受け入れてくれれば、高麗も自ずと我が国と同盟することになります」
「宋は我が国を認めるだろうか?」
「味方は多い方がよい筈ですから、おそらく大丈夫でしょう。宋、高麗、女真、それに我が国で、契丹包囲網を築くのです。しかし、念には念のため。述作郎がご挨拶に赴いてはおりますが、扶余府がこちらについた旨、皇帝に伝えるためにも、新たに使者を遣わしては?」
「そうだな。誰をやるかな」
王はしばらく考えたが、すぐには適任が思いつかない。
「まあ、後で考えるとしよう。ところで」
王は語気を改めた。
「昔耶津はどうしているかな?」
「国外に追放しました。奴のことです。どこかでしぶとく、元気にしていることでしょう」
「ふむ。死人ゆえな」
王のその言葉で、心海には王の言いたいことが通じたようだ。
「述作郎は何れ帰国するでしょう」
「ふむ。耶津だけ追放は不公平だぞ」
述作郎を護衛し、宋にまで同行している朴侍郎のことである。
「彼も死人にございますれば。生きた姿で国内に入られ、人々に姿を見られるわけには参りません」
「そなたがわかってくれているならば、よいのだ。かわいそうだなどとは思わんでくれよ」
「勿論でございます。ただ、命ばかりは」
「わかっている。奴も国外に永久追放だ。述作郎と帰ってきても、中には入れるな」
「はい」
朴侍郎の処分を決めたところで、
「そうだ」
と、王は手を打った。
「心海。そなたを司賓卿に任じよう。宋への使臣はそなたが決めよ」
いきなりの大出世となった心海。しかし、彼の功績の前には、誰も文句はつけられない。
とはいえ、王の外戚云々の話となると、また別だ。
新司賓卿の心海が帰宅してしまうと、妃がまた王を訪ねてきた。
「高家の娘の話は、どうしても反対でございます」
連日そう訴えてくるので、さすがに王も辟易している。
「いったい何がいけないのだ?高家はもともと名家だ。心海は功臣だ。心海の官位の問題か?それなら、司賓卿に任じたし、もう問題ないだろう。太子妃とも親戚だ。高家の娘なら、第二王子の妃に相応しい」
「いいえ。いけません」
理由なんてない。しかし、女の直感は侮れないところがある。
妃は自分の直感を信じていた。
(さても困ったものよ)
王は考え込んでしまった。妃がここまで反対ならば、きっとこの話はまとまらないだろう。
王はついに、心海を外戚にすることを断念した。しかし、王の彼女への、高家の長女への想いが消えることはなかったのである。
理那はまた、例の墓地に来ていた。いつも綺麗になっている。
花を供えようとしていると、承瑤が掃除道具を持ってやって来た。
「まあ、承瑤。もしかして、毎日来ているの?」
「はい」
承瑤はそう答えると、ふと眉を寄せた。
「理那様、大丈夫ですか?」
「え?」
「いや、先日のことです。その後、お変わりなかったかと、心配しました」
「ありがとう。大丈夫よ」
理那は微笑み、花を墓に手向けた。
「理那様。このお墓の方は、もしや。先日お話しになっていた……」
「ええ」
理那はそっと頷いた。
先日、宇成に心海とのことを話した。承瑤はそのことで、理那が心を痛めていないかと、心配していたのだ。
「いつも気にかけてくれて、お墓を管理してくれて、ありがとう」
理那は承瑤の手を取った。
「理那様が想っていらっしゃるお方のお話は、初めて伺いました」
「そうね。話していなかったものね」
心海と出会い、思いを募らせながらも、結婚が差し迫っていた。
「理那様、本当に大丈夫ですか?まだその方を想っていらっしゃるのでしょう?それなのに、ご結婚なさるんですか?」
そうだ。今もあの時と同じだ。
心海を想いながらも、結婚が迫っている。
李公は先日、とうとう大農卿との婚約を決めてしまった。
前回の時は、心海が理那を盗みに来た。
だが、今回はそうなってはいけない。
心海は来てはいけない。そして、差し出されたその手を握ってもいけないのだ。
何故か急に耶津の手紙を思い出した。
(耶津様、やはり駄目ですわ。今度ばかりは。もう父に迷惑かけられません)
耶津との出会いを思い出した。
貧乏していても、決してそう見えてはなるまいと、自ら門の瓦を拭いていた時。
近所にいた耶津がたまたまその前を通り過ぎた。
襤褸を身にまとい、瓦を拭く理那を、下女と思い込んだ耶津。
差し出された心海の手を掴み、逃げて来た末のその姿。
しかし、そんな理那の瞳を美しいと思い、そんな理那に憧れたのが、耶津という男だ。
だが、二度までも父を裏切れようか。
理那は大農卿との結婚を決意していた。
心海と過ごした日々も、心海への思いも捨てる。




