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身分(一)

 心海が都に帰ってきたのは数ヶ月後。同じく宇成も帰ってきた。


 二人は正反対の方向から帰ってきたが、またその様子も正反対であった。


 出掛けた時と全く変わらない心海。


 一方、宇成は絹の衣を着て立派になり、まるで別人であった。見るからに豪商である。


 都の中心に瀟洒な家を買い、宇成はそこで商いを始めた。


 帰京した心海は、相変わらずの質素な装いで、すぐにそこを訪ねていた。


「先生!」


 心海の来訪を知ると、宇成は店を飛び出して、自ら師を出迎えた。


「やあ、これは宇成!見違えたぞ!立派になったなあ」


 心海は破顔した。心底嬉しいようだ。


「先生に言われた通りにしたら、本当に金持ちになりました。先生のおかげです。何と御礼を申し上げたらよいか──」


 宇成は思わず涙ぐんで、心海を神か仏でも見るように、何度も伏し拝んだ。


「いや、やめてくれ、そのようなことは」


「いいえ、先生!これからは、こちらに移り住んで下さい。いや、先生の邸をご用意しましょう。先生のお世話は全て私がさせて頂きます」


「すまぬが断る。私は今の暮らしがよいのだ」


「そんな!どうしてですか?」


「心配するな。私は厚かましい男だ。礼ならしっかり貰う。豪商になったそなたにだから、頼めることだ。調べて欲しいことがある。とりあえず、大内相と取引きしてくれ。大内相の不正を調べて、その証拠を掴みたい」


 笑ったまま心海は言った。宇成は真剣な面持ちで頷く。


「よし」


 宇成の瞳を見、心海も瞳のみを真剣にして頷く。


「──ところで、先日頼んでおいたことはどうなった?」


「はい。こちらです」


 宇成は懐を探り、一通の書付を取り出して差し出す。


 受け取ってやおら開くと、心海は中身に目を通した。読み進めるうちに、にたにたと頬をゆるめて行く。


 やがて顔を上げ、宇成を真っ直ぐ見つめて、


「よくやった。有難う」


「いえ、とんでもない。先生から受けたご恩に比べたら、こんなことくらい──」


 宇成は恐縮した。


「それにしても、先生。先生はこれだけ商いのやり方をご存知なのに、どうしてご自分ではなさらないのですか?先生のお知恵なら、国一番の大商人になれるのではありませんか?」


「個人単位の金儲けには、興味はないのだ。金儲けそのものには興味はあるがな」


「は?おっしゃる意味がよくわかりませんが」


「ははは。私は好き好んで貧乏しているのだ。気にするな。もっとも、おかげで、世話好きなそなたには迷惑かけているがな」


 宇成は、心海に言われた通り、前の店を売り払って現金に換え、港へ行った。


 そこで、異国の翡翠商人から翡翠を買った。この国の商人達より、少し高めの値段で買うと言ったら、異国の商人は喜んで売ってくれた。


 資金が少なく、買えた量は僅かだったが、宇成はそれを地方都市で売った。売る時は、買った時よりも値を上げるものだ。この国の商人達は、それこそ何倍もの値にして販売する。しかし、宇成は彼等より安く売った。


 おかげで、あっという間に完売。買えなかった客が、今度こそ宇成から買いたいと、予約をした程の人気振りだった。


 宇成は売り上げ金を全て異国の商人に支払い、新たな翡翠を購入した。また前回と同じ値段だったので、高値で買ってくれる宇成は、異国の商人からも人気だった。


 宇成はまた、以前と同じ値段で地方で売った。


 たちまち完売し、大変な儲けが出た。


 それを資金として、また翡翠を買う。そして、それを売る。


 それを繰り返しているうちに、どんどん儲けが増えて行き、取り引きする翡翠の量も増えて行った。そして、あっという間に金持ちになっていたのだ。


 宇成は金持ちになると、翡翠商人から買う値段をもっと高値にした。一方、客に売る値段は下げた。これにより、宇成の儲けは少なくなってしまったが、大きな信用を得て、真珠や水銀など、翡翠以外の贅沢品さえ取り扱えるようになった。


 異国の商人達は、それまで彼等が取り引きしていた商人達よりも、宇成を相手にすることを望んだ。さらに、以前の相手が、随分安い値段で翡翠を買って、かなり儲けていたことを知り、彼等に対して怒りを露わにした。


 以前の相手は、この程度の品質だったら、安くしか買えないと言って譲らなかったのだ。ところが、本当は相当高値で取り引きされるべきものであった。騙された、儲けられたと知ったのだった。


 だから、彼等は皆、宇成に協力的で、過去の売買の記録を記した台帳を見せて欲しいと頼むと、少しも惜しまず見せてくれた。


 帳簿も契約書も、皆見せてくれたし、預かってもよいかと訊ねれば、持って行って構わないというのだ。


 宇成が心海に手渡した書付も、そうしたもののうちの一つである。


 心海は満足げに頷いた。


「本当にありがとう、宇成」


「いいえ。では、次は大内相を客とできるよう、努力致します。必ず先生のお役に立てるよう、励みますから」


「すまぬな。しかし、宇成。これからは、そなたに商い相手を奪われた商人どもが大勢、文句を言いにやって来るぞ。商人どもの間には協定があって、物の値段をおおよそ同じ位に決めておるのだ。やたらと安く売れば、客はそこにのみ殺到し、他の店は潰れてしまう。一人だけが儲けてしまうからな、今のそなたのように。そなたは明らかに、協定に違反している。そう言って、皆が抗議するだろう」


「平気です。覚悟はしています。それに、そうやって一部の大商人が協定を結んで物の値段をつり上げているから、裕福でない人々や小さな商人は困っているんです」


「そうだ。その協定こそが、国の法から外れている。合法的に見えて、その実、違反しているのだ。そして、不正した金は大内相に流れている」


 国が定めていることと、明らかに違反している商人達の規約。


 しかし、法に違反していても、儲けの一部は大内相以下、朝廷の大物達に流れているから、商人達は守られている。朝廷の重臣達の多くが大内相の一派で、派閥ぐるみで商人達のことに目を瞑り、賄賂を受け取っているのだ。朝廷じゅう、上から下官まで汚職されている。


 この汚職を公にできれば、王の知るところとなる。そうなれば、もはや彼等も処罰は免れないであろう。


 大内相の一派は最大派閥。この汚職で、一派を一掃できる。心海の中の大業を成し遂げるためには、彼等を一網打尽にすることが、達成への第一歩だ。


 途方もないことのように思えたが、着実に前進している。第一歩となる大内相の件は、烏玄明に「容易い」と言った通り、心海には自信があった。

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