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関係(一)

 新王・烏玄明の家族がいよいよ宮殿に入るという。


 そして、王の次男の妃候補に、心海の姉が急浮上した。


 心海は王のほんの冗談だろうと思っていたが、その気紛れな思いつきを本気にした人がいた。


 王の妃である。


 明日はいよいよ宮殿入りというまさにその日。


 心海は、母と姉と共に、妃に呼ばれた。


 呼び出された場所は、王のもとの住まいである。心海はここへは何度も行ったが、妃と対面したことはなかった。


「困ったわ。着ていく物がない」


 そう言う母と姉のもとに、耳の早い宇成から、絹の衣装が一式贈られてきた。二人はそれで、どうにか衣装を間に合わせることができた。


 心海は、こんなふうに着飾った二人を見るのは初めてだった。これまで自分のことしか考えてこなかったが、今日の晴れやかな二人を見て、


「甲斐性なしで、すみません」


と、珍しくそんな気持ちになった。


 心海が、見違えるように麗しい二人を伴って妃を訪ねると、王の長男の嫁も同席していた。実は彼女は、心海とは親戚である。


 心海ら三人。そして、妃二人。五人での会談となった。茶が出され、和やかな場である。


 世間話から、心海の労をねぎらう話。王妃は終始、この功臣一家に対し、にこやかである。


「ところで、そなた、妻子はないのか?」


 だいぶなずんだところで、王妃はそう尋ねた。


「はい。離縁しました」


 心海はせいせいと答えたが、初めてそこで、妃がやや眉を動かした。


 何故かとは訊いてこない。あまり触れるべきでないと思ったか。


 あとはまた、ひたすら心海を褒め、感謝するばかりの王妃だった。


 やがて、心海が母姉と共に帰って行くと、王妃は大きな溜め息をついた。


「お気に召しませんでしたか?」


 嫁がそう訊いてきた。


「まあ」


 よくわかったこと、とは口にはしない妃である。


 しかし、確かに妃は気に入らなかった。心海も。そして、その姉も。


「そなたから話には聞いていましたが、何だか嫌ね。特に、あの心海という者。陛下のお側に置くべきではないわ」


 妃はそう言った。


 特に理由があるわけではない。いや、理由はない。ただの直感だ。


「かなり貧乏だと聞いていたけれど」


 忠臣を自称し、それを口を極めて主張する者は、何故か自らを貧乏だと吹聴することが多い。しかし、実際には、別に貧乏でないことばかりだ。


「あれだけ煌びやかに、綾を着てきた」


 貧乏なわけがない。


 妃は、嫁から聞いていた話と随分違う様子であることに、心海の汚さを思った。着飾っているだけで、気に入らなかった。


「あの者を嫁にとは」


 心海も気に入らないが、もっと嫌な予感がしたのは、姉の方である。


「何故か胸騒ぎがする」


 妃は、彼女を後宮に迎えることには反対だ。王にそう言うつもりでいる。


 しかし、それでも王は、彼女の後宮入りを進めてしまうことになる。






 それからしばらくして。


 王の家族も宮殿入りし、科挙も実施された。


 その頃、また王は、次男の妃の話を持ち出してくる。心海の姉をと。


 妃は反対したが、心海も困惑するばかりだった。しかし、最も困惑していたのは、候補に挙がった本人であろう。


 心海の一家は途方に暮れていた。殊に、姉が。


 彼女は李理那のことを思っていた。


(理那様、助けて)


 理那に会いたい。相談に乗ってもらいたかった。


 いけないとは思いつつも、手紙を書いていた。


 手紙は李公の留守の隙を見計らって、理那のもとに届けられた。理那の方でも、噂を耳にして心配していたから、手紙を読んで、ますます心配になる。


 科挙の採点中で、心海は留守であろう。


 そう思い、思いきって、理那は心海宅を訪ねてみることにした。


 理那は一人で出掛けた。


 心海宅を覗くと、門番がいる。さすがに、門番を置く身分となったのだ。


 門番は知らぬ顔の者で、理那を怪しんだ。


「高家の大嬢を訪ねて参った者です」


「やあ、最近、そういう輩が多いのだ。うちのお嬢様が妃候補と聞くや、とたんに、やれ遠方の親戚だの、古い知り合いだのと」


 知り合いになって出世しようという者が、知人を名乗って、ひっきりなしにやって来るらしい。理那もそうなのだろうと、門番は思ったようだ。


 困った。顔見知りの使用人が出てきてくれないものかと思ったが、気配すらない。


「嘘ではありません。お嬢様からお手紙を頂きました」


 理那は袂を探って、彼女宛の手紙を出す。


 しかし、


「ふんっ。この手の手段は皆使う。あんたもつまらん常套手段を考えたもんだな。騙されん」


と、取り合ってもらえない。


「まあ!よくご覧になって下さい。確かにお嬢様の手跡よ」


「けっ!」


 門番が相手にしないで、戸を閉めにかかる。


「待って!李家の娘が訪ねてきたとお嬢様に伝えて下さい!ねえ!」


 しかし、戸は閉められてしまった。


「ちょっと!」


 理那は戸を叩いたが、取り合ってもらえない。


 すると、背後から、


「ほお、李家の方ですか」


と、声がした。


 ぎょっとした。声に聞き覚えがあったので。


 恐る恐る振り返ると、間の悪い男、またしても宇成だった。


「貴女いったい何なんですか?いつも高先生の周りをうろちょろして。得体の知れない方だと思っていましたが、やっと素性が判明しましたねえ」


 宇成が胡散臭そうな視線を投げてくる。


「いつも何か探っている様子ですが、今度は訪ねてきたと。何ですか?昔耶津と昵懇のようだが。ああ、そうか。昔耶津と親しいということは、先王への謀反と関わっているわけですね。それで、先生を探っていたと。しかし、風向きが変わった。先生は陛下の第一の功臣となった。だから、今度は媚びを売ろうというわけですか?」


「違います!」


 心海は以前、彼女は知り合いだから、心配するような相手ではないと言っていたが、宇成はそれでも信じられない。


「今日は姉上様に会いたいと言われたから……」


「冗談じゃない!こちらのお嬢様は妃となられるかもしれない大事なお体。貴女のような、何事か企んでいる人と、会わせるわけにはいかない。お嬢様に、どんな危害を加えるおつもりか?」


「危害など……」


 とんでもない。


 理那はさっき門番に見せた手紙を、宇成にも示す。


「ご覧下さい、この手跡を。確かにこちらの大嬢のものですわ。私に宛てた手紙です」


「私はお嬢様の筆跡なんて知りませんよ」


「信じて下さらないなら、それでも結構です。それではどうか中にお入りになって、私が参ったことをお嬢様にお伝え下さい。それまで、ここで待っていますから」


 宇成はふと表情を変えた。


 心海は彼女を知人だと言っていたが、心海ばかりか姉さえも知っているというのか。


 いったい何者なのか。何故、いつも心海を探っているのか。


「貴女は高先生の何なのですか?近づく目的は?それをお話し頂けなければ、お嬢様にお会わせできません」


「何の権利があって……」


「今日こそははっきりさせて頂きましょう」


 こんな男にどうして話さなければならないのだ。理那はそう思うが、強引に宇成が彼女の腕を掴んで引っ張って行くのだ。


「放して。何なさるの!」


 しかし、宇成は近くの酒場まで強引に連れて行った。一軒の店の前に到るや、


「まあ!理那様っ!」


と、隣の居酒屋から声がした。隣はたまたま承瑤の店だった。


「ちょっと、あんた!李家のご令嬢に何するの!」


 承瑤が、理那の腕を掴んでいる宇成に掴みかかってくる。


「痛いっ!何だ、お前?」


「隣の内儀だよ!放せ、こら!」


 宇成の顔も頭も、手当たり次第にひっぱたく。


「承瑤!いいのよ、大丈夫。やめて頂戴。私は大丈夫だから、ね?」


 理那が止めに入って、ようやく収まった。


 宇成の頬には、承瑤の掌の跡が真っ赤になって残っている。


「承瑤。冷やす物を持ってきてあげて」


 理那が言うと、承瑤は不本意そうに去って行き、やがて水で冷やした雑巾を持ってきた。


「ぞ、雑巾なの……?」


 理那は目を丸くした。


「な!何て女だ!」


 宇成が怒ると、まあまあと、隣の店の主人が、冷やした綺麗な布を持って来て差し出した。


 宇成は受け取り、頬につける。


「ふんっ!」


 承瑤はそっぽを向いて、自分の店に戻って行く。しかし、店頭に留まり、そこをその雑巾で拭き始めた。


「隣のお内儀はおっかないですからねえ。気をつけて下さいよ。さあさあ、どうぞ。お掛け下さい。ご注文は?何にしましょう?」


 主人は理那と宇成を空いている席に座らせると、さっそく注文を取る。


 他にも客はいたが、さすがに白昼堂々と酒を飲んでいる者はなかった。


「茶をくれ」


 宇成が言うと、理那も、


「私も同じで」


「かしこまりましたっ!」


 主人は愛想よく返事をして去って行く。


「隣のあの女とお知り合いで?」


 宇成が承瑤の方を睨みつけながら訊いてきた。


 承瑤は相変わらず店頭を拭き掃除中である。時々こちらをちらちらと見ては、聞き耳を立てている様子。監視しているのだろう。


「ええ。私の恩人です」


「あんなのと?」


 理那はくすくす笑った。


「ええ」


「ますます怪しいお方だ。理那様と仰有るのですか」


「はい。李理那と申します、宇成殿」


「えっ?」


 宇成は仰天した。どうして自分の名前を知っているのかと、ますます理那が恐ろしくさえなった。


「ええ。私は心海様のことなら何でも知っていますわ。宇成殿よりも」


 開き直ったのか。理那はそう言った。


 心海のことなら、何でも知っている。彼の頼りとする商人が宇成という名であることなど、当然知っていることだ。


「宇成殿のご存知ないことだって、私、知っていますわ。心海様に妹君がいらっしゃること、ご存知?」


「え!いいえ」


「いらっしゃるのよ。今は余所に出ているけれど。心海様、あの方の臥薪嘗胆ね」


 最後は呟くように言ったので、宇成には聞き取れなかったらしい。宇成は妹の存在にただ驚いた。


「高先生とは本当にお知り合いなのですか……」


「ようやく信じて頂けましたの?」


「しかし、まだ昔耶津のことがあります」


 宇成はまた、きっと視線を改めた。心を許してはいないのだと、そう相手に知らしめるために。


「昔耶津様とも、昔からの知り合いです。でも、知り合ったのは、心海様の方が先です。あの方が科挙に受かる前からの付き合いですもの」


「そんなに以前から?」


「心海様と耶津様は、昔、ご近所同士だったこともありますわよ。私が耶津様と知り合ったのも、耶津様が心海様のご近所だったからですわ」


 話が意外な方に向いて行く。以前心海が言ったように、本当に理那は心海の知人のようだ。


「失礼しました」


 宇成は素直に頭を下げた。


 その時、店の主人が二人の茶を運んできて、また去って行った。


「私はてっきり、貴女は昔耶津と昵懇で、高先生を嵌めるために、様子を探り、隙を狙っていたのかと誤解しておりました。本当に申し訳ありません」


 重ねて詫びる宇成に、理那も笑顔で、首を横に振る。


「いいえ。私もちゃんと心海様を訪ねないで、様子を窺うばかりでしたもの。疑われても仕方ありません」


「どうして先生をお訪ねにならなかったのですか?」


 頭を上げると、宇成はその一番の疑問を口にした。しかし、理那は曖昧に微笑んで、口を噤む。


 事情があることは確かだろう。しかし、あまり訊いてはいけないことなのだろうか。

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