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祝いの陰に(三)

 心海が大農卿に呼び止められていた頃、理那はやはり心海の屋敷に来ていた。


 中からは琴の音がしてくる。弾いているのは間違いなく、さきほどの王の話にも出てきた心海の姉である。


 懐かしい音色だと理那は思って、そのまま立ち去った。あまり長居して、また宇成に見つかったら厄介だ。


 理那はただ心の中だけで、心海へ祝福の言葉を述べていた。


(耶津様、ごめんなさい。私はやはり、黄大農卿と結婚します)


 心の中でそうも言って、例の墓地に向かったのであった。


 その耶津は。


 王の命令で、処分が決定していた。


 先日の謀反の折、先王を護衛した兵達。耶津が国外で集めてきた彼等は、もともと司賓卿の兵だ。


 金目当てで司賓卿に雇われた者がほとんどだが、中には、司賓卿に忠義の者もいる。


 王は、宮廷に仕えたい者はそのまま登用することにしたが、郷里に戻りたい者、また、司賓卿に忠義の者は登用せず、国外に出すことにした。


 郷里に帰りたい者は、国外に出たら、あとは自由である。


 司賓卿に忠実な者達は、また別な場所に送られる。耶津は彼等をそこまで率いて行く役目を命じられた。


 そして。これがこの国との永遠の別れとなる。


 耶津が去る日、心海は見送りには来なかった。


 耶津と心海が対面した最後の日は、いつのことだったろうか。


(先王が禅譲を宣言したその晩、奴は私をいきなり捕らえて幽閉したな。心海の家に閉じ込められながら、あれきり奴は私を訪ねて来ない。そうか、あの時が、奴に閉じ込められた時が、奴と会った最後か。もう二度と、会うことのない人間か)


 耶津はくっと笑った。


 心海宅の一室から庭に出ると、沢山の兵達が集められていた。彼等越しに弥勒寺の塔が見える。


 耶津は心海の面を脳裏から消して、弥勒寺に向かって合掌した。心に菩薩像を、愛しい人を思い描く。


(あの寺とも、二度と……)


 知らず、眦から一筋の涙が流れ落ちた。


 風がそれをやさしく拭う。耶津はぐっと歯を食いしばり、正面を向いて歩き出す。


「行くぞ」


 兵達に言うや、馬に跨り、鞭をくれた。


 兵達が続く。


 彼等は皆、故郷に帰る。そして、耶津は故郷との永遠の別れ。


 やがて、弥勒寺の前を過ぎたが、耶津はもうそこには目もくれなかった。


 もし、彼にいくらかの感傷が残っていたとしたら、塔の上の窓から覗く心海の姿を、目にすることになったであろう。


 耶津はそのまま都の大路を駆け抜け、やがて、洛外に。そして、幾日もかけて、高麗方面へ向かってひた走った。


 ようやく国境付近に至った時、そこは大変騒がしくなっていた。


 城門の外からは、怒鳴り喚き散らす声が響いている。


 国境警備の兵達は困り果てていた。


「陛下の命でやってきた」


 耶津は隊長に言った。昔耶津であるとは名乗らなかった。


 しかし、話は通じていたと見え、隊長は助かったとばかりに、声を高め、


「城門にへばりついているあの人達を、どうにかして下さい。隙あらば、入ろうとするのです」


 見れば、城壁の上から、兵達が次々に外に向かって矢を射かけている。


「ああやって矢を放って追い払っているのですが、隙ができると、城門に大挙して押し寄せてくるので、いつ門を突破されるかと気が気ではありません」


「やれやれ。私が来たのはその解決のため。ちょっと城壁の上に登らせてもらおう」


「はい。お願いします」


 耶津は隊長に案内され、城壁を登って行く。


 城壁の上には多数の兵が、外に向かって弓を構えて待機していた。


 耶津がてっぺんに立ち、城壁の外に目をやると、多数の人々が群を成していた。


 その先頭の真ん中に、白馬に乗った貴族がいて、何やらしきりに喚いている。


「やれ、相変わらずだな」


 耶津はため息をついた。


 耶津のよく知る人物。


 司賓卿である。


「司賓卿!!」


 耶津は城壁の上から、外に向かって大声で怒鳴った。


 その声は司賓卿にまで届く。司賓卿は声のする方角を見て、そこに耶津の姿を認めると、頗る驚いた。


「や?耶津?どうしてそこに?」


「どうして?貴方のせいではありませんか」


 耶津は嘲笑した。


「貴方のせいで、私も国から永久追放の身となった。貴方が裏切らなければ、こんなことには。貴方は自業自得だが、私はとんだとばっちりだ」


「なんだと?わけのわからんことをほざきおって。ええい、いいから、門を開けろ」


「無理ですよ、貴方も国には入れません」


「どういうことだ?」


「謀略です、全て。高心海の」


 そう言って、耶津はまた鼻で笑った。


 自分への嘲笑でもあるのか。しかし、司賓卿を見下ろしていると、いい気味だと思えて仕方ない。


 耶津は城壁を降りた。


「外の奴らが入って来ないよう、矢を射かけながら門を開けろ。我等、一気に出る。全員出たら、すぐ門を閉めろ」


 耶津は隊長に命じた。


 そして、自身が率いてきた兵達に、


「一気に出る。続け!」


と、まるで敵陣突破でもするような意気込みで言った。


 すぐに城壁から一斉に矢が放たれる。まるで矢の雨。これまでの数倍だ。


 外の連中は、凄まじい矢の数に、城壁から遠ざかる。とても城門には近づけない。その隙に門が開けられ、耶津率いる軍が一気に外に雪崩出た。


 全員出ると、すぐ門は閉じられ、矢も止んだ。耶津は馬に乗ったまま、司賓卿の前まで進んでくる。


「まんまとしてやられましたな、高心海に」


 彼は日頃の礼儀もなく言った。


 前大内相らの罪人を連れ、高麗へ行った司賓卿は、交渉して罪人と亡命者とを交換してきた。だが、ようやく国境の当地に至ったところで、入国を拒否されていたのだ。


「罪人と亡命人を交換するために、高麗に貴方を遣る。はじめから、心海の仕組んでいたことだったのですよ。うるさい貴方を追放するためのね。高麗への亡命人は大氏支持者が多い。昔耶津に謀反を起こさせ、失敗させ、耶津と前大内相らを高麗の亡命者らと交換しよう。そして、大氏を新たな王として迎えるため、司賓卿は高麗へ行くようにと、言葉巧みに心海は貴方を誘ったのでしょうね」


 耶津は笑いながら語っていた。


「心海の口車に乗り、私を裏切ったわけだ」


「……」


「王の放伐は陳公に任せ、ご自分は嬉々として、大氏一門を迎えに行ったと。あはは、結果どうですか」


「……」


「誰が新しい王になったかご存知か?烏公ですよ。玉座に空席などない。貴方が大氏を連れ帰っても、玉座が空いていないなら、無意味でしょう。はじめから、心海は大氏を迎えるつもりなどさらさらなかった」


「私達はどうなる?」


「国には入れません。貴方は邪魔です。心海の進言に従い、新王も貴方を永久に国外に追放した」


「なんだと?」


「諦められよ。そんなに大事な大氏なら、新天地で大氏の国を作ればいい。ほれ、貴方の兵をお返ししますよ」


 耶津の後ろの軍に気づき、司賓卿は目を剥いた。


「おい!どういうことだ。私の兵が何故!」


「ふん!」


 耶津は答えもせず、馬に鞭を打つと、そのままどこかへ行ってしまった。


 耶津は国内では死んだ人間。彼は命を許された代わりに、永久に国外に追放の身となった。


 秘密裏に殺してしまってもよかったのだが、国外追放という方法を選択したのは、王の慈悲なのに違いない。


 耶津はどこへ向かうのか。どう生きるのか。


 彼の行き先を知る者はいない。


 一方、同様に国に入れない司賓卿は、高麗に亡命した人々と耶津から返された兵、それに大氏一門を連れて、高麗寄りの空白地に向かった。


 そこには、火山の大噴火以前には、大氏の王国があったのであり、彼等の故郷でもある。


 司賓卿はそこで、国とまでは呼べないような、小さな政権を築き上げていく。


 無論、首長は大氏だ。

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