祝いの陰に(一)
ついに新王が誕生したので、心海は珍しく羽目を外した。
これから、まだまだやらなければならないことが山積している。本番はこれからだ。もっと大変になるだろう。
新王・烏玄明は臣下時代、大内相に就任した時に皆から反対されたし、孤独で仲間がいなかった。扶余府の協力で王となれたが、納得していない者も少なくないに違いない。これから、彼等を宥めて纏めていかなければならない。
先のことを考えると気が重いが、今日くらいは何もかも忘れて、好き放題やりたい。
心海は宮中での儀式や宴会が済むと、宇成の家に上がり込んでいた。
宇成宅では、使用人も混ぜての無礼講の大宴会である。
「いやあ、今回の第一の功労者は、宇成とそなた達、店の者全員だからな」
心海はそう言って、店の使用人一人一人に酒を注いで回る。相当酔っ払っており、こんなに陽気な心海を見た者は、未だかつてなかった。
「先生、ご機嫌ですね」
宇成がにこにこしていると、
「当たり前だあ」
と、心海はおぼつかない足取りで、空になった鼈甲杯を握り締めたまま、宇成の方へ歩み寄ってきた。妙に眼がぎらついているのは、なぜだろうか。
すわった眼は赤い。それが意地悪く光った。
「宇成。そなたこそ嬉しそうだな」
「そりゃあ、そうですよ。今頃、苦労して集めた金銀財宝が、女真の君主に愛でられていると思うと。どなたかのせいで、えらい苦労させられましたが、報われました」
「なあにを照れておる」
「はあ?」
「照れ隠しに、つまらんことを言わんでもよい。なんで私に仲人の相談をせぬのだ?ぐっへへへ」
「なっ!なぜそれをっ」
「へへへへへ。俺は地獄耳だ」
心海は宇成の肩にしなだれかかった。
「聞いたぞ。とっても可愛い娘だそうだな。へへっ、今度会わせろ。しかし、そなたが嫁をもらうとはなあ」
ひいひい笑ってからかうと、周囲の店の者達も皆ひやかす。
「ちょっと、先生!」
宇成が顔を赤らめると、新しい酒を運んできた宇成の母親が、心海に、
「それもこれも全て、先生のおかけです。息子をここまでにして下さった……」
と酌をしつつ、言葉詰まらせ、涙ぐむ。
「いやいや」
心海はやさしく言った。
「こちらこそ、感謝してもしきれないよ。無一文の頃、私のために、毎日食事を作って食べさせてくれたなあ。あの頃の恩は一生忘れぬ」
心海はそこで、ふと、しんみりしてしまったことに気付き、
「なんだなんだ、急に。この俺に真面目は似合わんぞ。おい、誰か面白いことを言わんか!」
と、ふざけて大声を出した。
すると、皆酒が回って、だいぶ酔っているからだろう、一人の使用人が言った。
「仲人は誰なんですか?先生ですか?」
「あ?私?」
「そういえば、先生の奥様は?見たことがありませんが」
宇成ははっとした。それは彼も以前から気になっていた。貴族の心海なら、とっくに妻帯していそうなものなのに、気配すらない。
そのことは聞いてはいけないような気がして、今まで話題にしたことがなかった。
酔っているからとはいえ、無礼講だからとはいえ、これはいけないと、宇成は訊いた使用人をたしなめようとした。
しかし、心海は全く意に介さぬ様子で、
「妻?妻はいない」
と言った。
「私は独身だ」
「え、そうなのですか」
あまりにさらりと答えるので、宇成は目を丸くした。
「うん、嫁は食うからな」
「え?」
「絵じゃないんだ、嫁は。嫁は食う。嫁をもらうと、金がかかる」
「先生!」
宇成は呆れた。
「だって、知っているだろう?俺は無一文で、いつも貧乏なんだ。嫁なんか、余計貧乏になる」
「じゃあ、今度は結婚できますね」
「ん?」
「だって、今度は大臣並みの高官に出世なさるでしょう?」
「あ?なに言ってる」
「先生が一等功臣じゃありませんか」
「んなもの、なったってすぐ引きずり下ろされるさ。高官なんて、ないね。ぐははっ、俺は一生貧乏神の愛の囁きから逃れられんらしい」
心海はげらげら笑い、それで喉が渇いたか、また酒をがぶと飲んだ。
こんなに陽気な心海は、この夜一晩だけのことである。
翌日の朝、新王・烏玄明は宮殿を出て、もとの住まいに戻っていた。
家族全員、後宮に入ることになるが、引っ越しはまだ完了していない。王自身の荷物も、なおこちらにあった。
すぐに要る大事なものを取りに戻ったのである。他人に取りに行かせれば済むことだが、中には他人ではわからない、また、他人には見せられないような物もある。
それに、長年住んだ家をもう一度じっくり見て回りたい。そんな思いから、王自ら出向いたのであった。
さて。あらかた用事が済むと、あまり長居もしていられない。新王は多忙の身だ。
王はすぐに家を出て、宮中に戻りかける。しかし、ふと途中で心海のことが気になり、彼の家に寄っていた。
しかし、心海は不在だった。昨夜酔いつぶれて、そのまま宇成宅で眠ってしまい、今もなお正体なしなのである。
日が高くなっても帰って来ない心海を心配した姉が、迎えに行こうと庭に出た時であった。ちょうど王が来訪したのは──。
王の瞳が知らず輝く。
「そなたか。心海に会いに来た。いるか?」
「……それが、まことに申し訳ないことでございますが──」
「いないのか。それは残念だ」
しかし、彼女に会えたのだ、まあよいかと、何故か王の心はそう言って、王自身を驚かせた。
(何事だ、我が心)
王がたじろいでいると、彼女はおずおずと近づいてきて、やがてそっと言った。
「陛下、実は弟が……」
その困り果てたような眉に、王も我に返る。
「あちらの離れに、弟が昔耶津を閉じ込めているのです。先王への謀反の罪で死罪となった者を、弟が勝手に盗んできて……陛下、どうしたものでしょうか?」
心海の一存で決められる問題ではない。また、王の気持ち次第では、心海さえ罪に問われることになる。
姉として、それは避けたいのであろう。
「陛下。弟の罪と功績と、どちらの方が大きいのでしょうか?功績から罪の分を差し引いても、功績は残りますか?」
彼女の眼。
(いかん。この眼は。この眼に見つめられると、どんな望みでも聞いてしまいそうだ)
「昔耶津があちらに閉じ込められているのか。よし、会って行こう」
王は目を背けてそう言うと、供の人々をそこに残して、一人で離れに向かった。
閉じ込められてはいたが、あちこちに見張りがいるだけで、耶津の身は縛られているわけではなかった。
王が入って行くと、あまりに意外だったか、耶津は唖然とした。
「どうした?私をどう思っている?ここで殺すか?殺して、自ら王になるか?」
王は薄ら笑いながら、向かいの席に座った。
「心海には困ったものだ」
溜め息をつくと、耶津がようやく言葉を口にする。
「私を改めて処刑なさるのでしょうか?」
「昔耶津の処刑はすでに済んでいる」
「しかし、私はこうして生きております」
「だから困った奴だと言ったのだ、心海め。そなたを改めて処刑したら、心海の罪まで明らかになるではないか」
「さようなこと!今ここでひそかに殺せば済む問題ではございませんか。闇から闇に葬ればいい」
自嘲に似た笑い。
王もふっと笑った。
「そなたは王になりたかった。そうだな?」
「はい」
「何故だ?」
「国の危機だったからです。先王のままでは国が滅ぶ、そう思ったので、私が王になって、国を変えようと思いました」
「ほう?」
初耳と見え、王は意外そうな顔をした。てっきり、野心のために、易姓革命を試みたのかと思っていたのだ。
「今もその気持ちは変わらぬか?」
「はい」
きっぱり答える。どうせ死んだ身だ。ためらいなど露ほどもない。
「私は改革するために、王になったのだ。おそらくそなたと同じ国の在り方を目指している」
「そうですね」
「そなたは、改革がしたいのか?それとも、王になりたいのか?」
「どちらもです」
「自分以外の王の下では、改革する気にはならんか」
王はそう言うと、長く息を吐き出した。
「やはり野心だったか」
「それだけではございませぬ」
「だが、私と同じ方向を見ているのに、なお玉座に拘っておる」
「だったら、貴方様はどうなのですか?私に玉座をお譲り下さいますか?私の下、改革を進めて下さい」
一瞬、王は目が点になった。しかし、すぐに呵々と笑って、
「別に私はそうしてやっても構わぬが、それは無理な相談だな。扶余府をどう説得する?下手をすれば、扶余府に攻められ、国力の低下を招く」
「心海にしてやられました。全て奴の計画通りに進んでしまった」
耶津は悔しさを両拳に込める。
「私は先王に謀反を起こしました。貴方様は先王から譲位された。しかし、貴方様への譲位が成ったのは、そもそも私の謀反があったからではございませんか。私は先王には罪を犯したが、貴方様に対しては功績があると思うのですが。それに、陳公の謀反の時、先王を守護したのは、私が集めさせられた兵です。先王を無事に守れたから、先王から貴方様への禅譲も成った。私の罪は先王に対してのもののみで、貴方様に対しては功績ばかりということになる。しかし、心海は私を捕らえ、閉じ込めた。先王への罪で処刑された時点で、私の人生は終わったのだと、この世に昔耶津は存在しないのだと、心海は申すのです。この世に存在しない者の、死人の功績は認められないのだと──。私は利用されました。全て奴の仕組んだこと。私は命と引きかえに、大仕事をさせられた。後は昔耶津の存在しない世で、ただ食って寝るだけの余生を送れと……」
「悔しいか?しかし、余生を与えると心海は言ったのか?」
王の眼に王者特有の非情の光が垣間見えた。
「そうだ。そなたは既に処刑された死人だ。それを利用する心海は姑息だが、用が済めば、秘密裏に殺すだけのこと。それを余生とはまた、勝手なことを」
瞬間、耶津は青ざめた。
「そなたを勝手に生かして利用したのも心海の罪だ。そなたの生死を決めるのは心海ではない。そなたはすでに死んだ人間。それを真実とするのが本来だ。それを実行するか否かを決めるのは、心海ではない。王のこの私だ」
「わ、私は陛下に功績があったのです。それなのに、そんな無慈悲なことが?」
「では、聞こう。そなたはどうしたい?功績を認められ、官位を得たいのか?」
「……」
「そんなことをしたら、私は皆から何と言われるだろう。そなたを処刑していなかったことが、世に明らかとなる。そんなことはできぬ。それに、そなたは王位を諦めておらぬのだろう?昔耶津として生かしておくわけにはいかぬ」
耶津は変な期待を持ったことを後悔した。
先王に謀反を起こし、処刑が決定した時点に戻っただけだ。
王が代わったのに、罪は罪なのか。




