新王(二)
王が今何故か、宮中にいるという報告は、すぐに宮中全てを駆け巡った。
正門周辺の放伐軍にも伝わり、皆仰天している。
「どうする?放伐は?」
「こうなったら、もう無理だ!」
「いや、王の兵は三百人はいるまい。捕虜を犠牲にしてでもやるべきだ!正殿を包囲しろ!」
そういう意見も出ていたが、やる気の失せた者の方が多い。
「情けない。正殿に少数で立てこもっている王なぞ、袋の鼠ぞ。陳公!これはむしろ、絶好の好機です」
強硬派はそう言うが、陳公は何だか王が恐ろしかった。謀反はどうあっても成功しない気がする。
結局、分裂してしまった。強硬派は勝手に正殿に向かってしまう。
「馬鹿な。分裂していて、放伐が成るか。ともかく、宮中の外の兵どもを呼び戻せ」
陳公はそう言うと、様子を見ようと正殿へ向かった。しかし、七割近い謀反軍が、そのまま正門付近に留まった。それどころか、中には、自分の持ち場に戻り、本来の職務を再開してしまった者もいる。
一方、放伐強硬派は正殿前の庭に至り、そこの烏合の衆に腹を立てた。
「貴様ら、何してる!突入だっ!!」
誰彼なく叫んだ時であった。
「鎮まれっ!」
心海が中から出てきた。
「この裏切り者め!」
兵たちが心海を罵った。ちょうど庭に着いたところの陳公でも、それはそう思った。
「裏切り者!」の大合唱となる。しかし、心海は全く意に介さない様子で、すっと頭を下げた。
下げたのは裏切り者の嵐に対してではない。
間もなく、王その人が皆の前に姿を現した。心海は王の出御ゆえ、王に向かって頭を下げたのである。
王の姿に圧倒され、恐れる者大半の中、強硬派はまるで獲物でも見つけたような顔である。
王は鋭い眼光で睨め回す。その威力はかなりのものである。
王は低い声で言った。
「謀叛であるか。決行するのか?」
強硬派が剣を抜きかける。陳公はとんだ厄介なことだと思った。
が、不意に王が、
「ぐわっはっはっはっはっは!」
と、大口開けて笑い出したので、強硬派の調子も崩れる。
なお刃を抜けずにいると、
「困ったものよ」
と王は言った。
「放伐されるのは構わぬが、それだと、こちらも応戦することになる。そなたらを死なせることになる。そなたらが死ぬと、軍が編成できなくなり、次の王に軍を渡せなくなるからなあ。そなたらを討ち果たし、このまま王位にあっても、誰も従うまいし。皆に背かれた王、か……」
ややしんみりしたかと思ったが、すぐまたぐははと笑って、王はついに宣言した。
「王位を退こう。こうすることで、そなたらを殺さずに済む。新しい王に、そっくりそのままそなたらを譲れるからな」
強硬派さえ顔色が変わったその時である。
「陛下!陛下!」
官吏が一人、走ってきた。皆、注意がそがれる。
走ってきた官吏はこう叫んだ。
「扶余府より、胡大人と徐将軍が参りました!」
王は怪訝そうな顔をした。一方、心海はほくそ笑み、また同時に安堵の表情も混ざっている。
「扶余府の使者?今頃何だ?ともかく、連れて来い。……いや、このような恥ずかしいところを……」
「ご安心下さい。軍事訓練と言えば宜しゅうございます。中ではなく、ここでお話しになればよいでしょう」
心海はそう言った。
ややあって、扶余府の二人がやってきた。庭の兵は皆おとなしくしている。放伐強硬派でさえそうだ。
しかし、やって来た扶余府の二人は、開口一番にこう言った。
「これは陛下。ご苦労が絶えませぬなあ。謀反でございますか。さても困った、このような国に寝返るのは心配だ」
寝返るというところで、謀反というところ以上のざわめきが起こった。
「謀反とよくご存知だ」
王は隠しもせず言った。
「我々扶余は契丹を裏切り、貴国に和することに決めました。しかし、このような状態ではねえ」
「まことに、裏切って下さるか?」
「しかし、これでは。いいでしょう。条件があります」
一瞬、胡大人が心海の方を見たようだった。だが、何事もないように、王へ視線を向けて言う。
「まことに失礼ながら、つい先日も謀反があったとか。このように謀反を起こされてばかりの王では、心許ない。我々は契丹を裏切るわけです。貴国に守って頂けねば、我々は裏切り者として、契丹よりひどい攻撃を受け、滅亡にまで追い込まれるでしょう。貴国には内紛なぞに耽っていず、結束して戦って頂きたい。そこで。失礼ながら、王には退位を願います」
「まさしく、退位の話をしておったところ。扶余府がこちらについて下されば、勝算さえある。敵の力は大きく削がれ、こちらは大きく膨らむ。お味方下さるというなら、この身の一つや二つ、贄に差し出しても構わない。退位くらい、いくらでもしてやる」
「なるほど。しかし、陛下が退位なさったとして。次の国王が大事です。どなたに譲るおつもりですか?太子ですか?」
胡大人の言葉に対し、「いいえ」と答えたのは、心海だった。
「ここに集いし謀反人どもは、恐れ多くも陛下を放伐した後は、外から大氏一族の誰かを連れてきて、王の座にすえるつもりです」
「それはいけない」
胡大人も徐将軍も大袈裟に溜め息をついた。
「聞いた話によれば、大氏は大噴火の後、しかるべき処置できず、国はそのまま自然消滅したとか。今、大氏も臣下も、そして、多くの民達も、国というものの存在しないただの大地にて、その日暮らしの生活だそうで。そのような無能な人を王に迎えるというのですか?だったら、我々は寝返れませんなあ」
ざわざわと庭の人々が騒ぎ出す。放伐強硬派はふるふると震えていた。
徐将軍が言った。
「陛下、かつて我々は貴国の一部でありました。ですが、戦に敗れ、敵であった契丹に属することになったのです。随分長い月日が経過しました。ですが、なお、貴国に特別な想いある者、少なくありません。だから、申し上げますが──」
と、そこで胡大人の方を見る。胡大人が大きく頷いたので、続けた。
「実は契丹は、貴国に奇襲を仕掛ける計画になっておりまして……奇襲は我等・扶余に任されているのですが」
と、そこで一呼吸してから、恐ろしいことをまくし立てた。
「実は扶余は全軍、貴国との国境付近まで進軍し、今そこに待機しております。頃合いを見計らって、奇襲するところです」
青ざめた。王も、どよめく兵達も。
「国境とな?奇襲とな?」
「準備は整いました。今すぐにでも、貴国へ攻め込めます」
今、奇襲をしかけられたら、国境周辺の村も町も、そして城さえも全滅だ。慌てて軍をそちらに送っても、絶対無理であろう。国境周辺は敵の手に落ちる。
「そ、それは困る!」
「契丹は貴国を滅ぼすことを目指しております。容赦ないでしょう。しかし。奇襲は相手に知られてしまったら、効果はない。にも関わらず、我々が陛下にお伝えしに来た、その心中、お察し頂きたい」
徐将軍がそう言うと、胡大人もまた声を張り上げた。
「我々は貴国にお伝えした。貴国に寝返ってもよいと思うからです。かつて、貴国の一部だった我々は、やはり貴国に親しみを感じているのです。しかし、おわかりでしょう?契丹は貴国を搾取することを再開しました。また戦の日々になります。我々が貴国に寝返るからには、契丹に対峙できるだけの国力を持って頂かなければ、困るのです。我々が安心して身を預けられる国でなければ、王でなければ。次の王を大氏にするというならば、我等はこのまま帰陣し、奇襲を開始するしかありません」
「大氏の王にすり寄るより、このまま契丹に隷属していた方が良さそうですな」
と、徐将軍までそう言うので、そこで心海がわざわざ訊いた。
「では、誰を王にすれば、扶余府は納得して、奇襲を思いとどまって下さるのでしょう?」
「我々はかねてより、烏大内相のお人柄を知り、このお方こそと思って参りました。烏大内相であれば、奇襲を中止し、貴国に味方しましょう」
胡大人の言葉に、王は頷き、心海はにっこり笑った。庭ではまたどよめきが起こる。
軍事を強化するべき時が来た。そのような時に、無駄な戦は避けるべきである。そして、領土や軍が増えるのは、歓迎すべきことだ。
何しろ、扶余府は一地方と侮れないほどに広大な地であり、実力もある。
古くはここに王国もあったのだ。さらに、千年ほど前には、ここから高句麗が生まれ、さらに、百済も派生したと言われている。
扶余とは、それほどの地なのである。
扶余府がこちらに加われば、勢力図が大幅に塗り替えられ、こちらには大変有利になる。
今、何もしないで、その扶余府が手に入るというのに、どうして大氏の王になど拘っていられようか。
司賓卿ならば、それでも頑張ったに違いない。だが、ここにいる者達に、それほど大氏への忠義厚い者は、あまりいなかったのである。
「烏大内相へ王位を譲る!すぐにも禅譲式の準備をせよ!皆、よいな?」
王が怒鳴ると、その場にいた全ての人間が、それを受け入れた。
三日後の吉日。
ついに烏大内相への禅譲が行われた。
烈氏から烏氏へ。
世襲ではない、新たな王の誕生である。




