新王(一)
国王・烈万華は弥勒寺を出発した。
護衛の軍に守られている。さらに、宮中からの迎えの軍も来ていた。
壮観である。
王は輿に揺られながら、堂々と行く。
途中、使いに出していた側近がその輿に追いついた。王は輿を停める。
「どうだ?」
側近は寄って、耳打ちした。
「高心海の申すこと、偽りではないようです。宮中の兵に異変ありと」
王は目を見開き、驚きを新たにする。
(とすれば、この護衛もあてにならぬということか!)
王は再び行列を出発させる。
やがて、心海の屋敷に差し掛かったところで、
「うっ!あ痛たたた!」
と、大袈裟に苦しんで見せた。
のたうち回り、ついに意識を失う。
「陛下っ!」
密命を受けていた側近が、これまた大袈裟に、
「大変だ!一大事だ!」
と騒ぐ。
「早く医者を!このまま宮中に行くのは無理だ。弥勒寺に戻るにも、このお体では動かせぬ。ここに、この家にお運びしろ!」
早く早くとせき立てて、心海宅に担ぎ込ませてしまった。
「皆、門前にて控えよ!」
側近の命令で、屋敷の敷地内に入れたのは近衆数名のみ。大軍は外に留まった。
心海宅の中央の母屋。そこに王は担ぎ込まれた。
心海宅の男女が布団やら何やらを準備し、王を横にして出て行くと、先程の側近が、
「皆は外で控えよ」
と、自分以外の供の者を部屋の外に出す。
部屋の中には王と側近の二人だけ。
「陛下。もう宜しゅうございます」
側近が声を殺して言うと、王はぱちっと目を開けた。視界全体にその部屋の天井が映る。
心海の屋敷。貴族の家には違いないが、王が驚くほどの質素さだ。
「ひどい襤褸屋敷だな」
呟きつつ、起き上がる。
側近は、申し訳ございませんと詫びた。
「ふふんっ。そなたが詫びて何とする」
王が肩を動かしてしのび笑うと、裏から烏玄明と心海が現れた。
「おお。烏大内相。ここにいたのか」
「はっ」
烏大内相は王に向かって拝礼する。心海もその後ろでそれに倣った。
「そなたの言うとおりであったな」
王は心海に向かってそう言った。
「危機的状況となってしまったな。そなたの忠告を聞き入れなかった、この身の誤りだ。すまん」
危機的状況に陥ったというのに、堂々たるものである。
拝礼を終えた心海は、神妙な面持ちであった。
「かくなる上は、烏大内相へ禅譲しよう」
「陛下!」
反射的に烏公が顔を上げた。
「素直に寺で禅譲すると言っておればよかったなあ。心海を信じてやらなかったこの身の落ち度だ。それなのに、厚かましいことはよくわかっているが、何としても宮中に戻りたい。戻って、禅譲せねば。どうにかして、宮中に戻してくれ」
「勿論でございます」
心海は神妙にそう言った。王に信じてもらえないことも、初めから視野に入れて計画していた。
「しかし、こうなってくると、人間の心理とはおかしなものだな。心海の言った通り、謀反人どもにあっと言わせてやりたくなる。是が非でも、奴らの望みの男に王位はやりたくない。何としても、烏大内相に譲ろう。ふははははは。人というものは迫り来る危機の前では、誇りも糞もなくなるらしい。王であっても例外ではないな」
「陛下」
烏公は憂いを帯びた眼差しで、王を見上げた。
「約束しよう。宮中に戻って、必ずそなたに王位を譲る」
その眼に強く、そう語りかけると、王は心海に向き直った。
「どうか頼む。何としてでも宮中に戻してくれ」
「ははっ!」
心海はばっと頭を下げ、再び顔を上げると、
「では、急ぎましょう。陛下にはすぐにも裏口から逃げて頂きます」
と、早くも立ち上がった。
側近はそのままそこに留まる。外へ向かって、彼はこう言っていた。
「陛下はかなりお悪い。誰にもしばらくはお会いになれぬ。誰も通すな!大臣方がいらっしゃってもだ」
面会謝絶を宣言した。
部屋の外に立っていた近衆の一人が、それを門前の大軍に伝えに行く。
「なんと、陛下が!」
どよめきが起こった。
「皆、なおしばらくこのままこの場に待機せよ!」
中からの命令に、護衛軍は動揺しながらもおとなしく従う。
(さても困った!)
慌てたのは、護衛軍の中にいた洪将軍である。
洪将軍は、王が担ぎ込まれた時に、宮中で王を迎え撃つ手筈になっている仲間に連絡をとっていたが、さらに王の病状が深刻だと知り、狼狽した。
(どうなる?放伐は延期か?それとも、宮中の兵をこちらに呼び、こちらで決行するか?いや、重病の王を皆で攻め殺したとなっては、我等は民の信頼を得られまい。どうしたものか。暗殺?医師を抱き込み、毒を盛るか。数名の刺客を中に送り込むか。いや、まて。もしや、放っておいても、すぐに死ぬか?)
洪将軍は色々考え巡らせたが、まとまらない。宮中の仲間には、王の病状かなり深刻であり、しばらく移動困難であると伝えたが。
計画変更を余儀なくされた謀反軍。
宮中の兵も、困惑していた。
「とにかく、状況がわからん」
陳公もまた宮中で慌てており、周囲に意見を求めていたが、
「ともかく、宮中の軍の一部を町にやってみましょう」
と、何故か軍の一部が、宮中を離れることになった。
どうしてそんなことになってしまったのか、誰が言い出したことなのか、誰にもわからない。
宮中を離脱した軍は、町中を探るように移動しながら、やがて護衛軍と合流した。宮中から来た軍は、心海宅の裏門を取り囲むように配置される。
しかし、王も烏公もとっくにそこから脱出した後である。
心海宅を出た王は、裏道を通って宮中に向かっていた。実は、その途中の全ての辻には、耶津が連れてきた兵が隠れていたのであり、仮に王が敵に出くわしても、その身は安全なように、あらかじめ計画されていた。
辻のそこここに隠れていた兵は、王から付かず離れず、後をついて行く。辻ごとに十人未満が隠れていたが、王が通る度につき従っていくので、宮中に近づいた時には、かなりの数の一軍になっていた。
宮中には、幾つか出入り口がある。見張りの最も少ない、商人らが使う裏口を選んだ。
今日も見張りの軍はいるが、いつもより少ない。
王が身を潜めて様子を窺っていると、道の反対側からも軍勢が現れた。
「ご安心下さい、あれも味方です」
心海がそう言った。
搦め手の軍も、耶津が確保した兵である。
「いつ出て行くのだ?」
王が尋ねた時、彼方から一人の兵がやってきた。心海が使っている扶余府の兵である。
「来たな!」
心海は王を無視してしまったほどに、歓喜した。
「はっ。計画通りです。万事問題ありません。ご安心を」
兵はそう言い、一通の手紙を差し出した。
心海は受け取って、すぐに読むと、大きく頷く。
「よし!では、将軍に、全て手筈通りにお越し頂けるよう、すぐ伝えに行け」
「はっ」
兵が去って行く。
心海はようやく王に向き直り、
「失礼致しました。きっとうまくいきます。さ、参りましょう」
と、強く言った。瞳が狂喜乱舞している。
王はその眼に勇気づけられ、号令した。
「突撃せよ!」
王らはあっという間に門を突破していた。応戦した門の隊は全滅。
その勢いのまま、宮中に乱入するや、出くわした一隊を蹴散らす。
さすがに、異変を聞きつけた者がいたらしい。慌てて門まで駆けつけた隊があったが、すでにそこの隊は全滅していて、王達の軍は影も形もない。
「侵入者だ!追え!逃がすな!」
隊長が大声上げて、宮中に侵入したらしい謎の軍を追う。宮中じゅうに異変が伝えられた。
異変の報は宮中全てをかけぬけた。無論、正門周辺を固めていた謀反軍にも伝わる。
「賊ですっ!賊ですっ!」
その報告に、謀反軍はますます混乱する。
「宮中に賊だと?宮中を守護すべき兵が、ここに留まっていられようか?」
「しかし、放伐は?」
「そんな場合ではない。宮中に賊が侵入したのだぞ!王不在の宮中に侵入されたとあっては、宮廷衛兵の恥だ!」
「放伐は?中止か?どうする?」
まごまごしていて、なかなか動き出さない。賊を追いにも出なければ、放伐決行か否かの決定もできない。
「陳公!」
皆、陳公に注目したが、陳公にも決断できなかった。
「どうしてこうなる!計画通りにならぬのだ!王が倒れたり、賊が侵入したり!ええい!どいつもこいつもどいつもこいつも!」
陳公は癇癪起こして、頭を抱えたまま、右往左往するばかりだった。
そうしている間にも、王の軍はどんどん進んで行く。とうとう向こうに正殿が見えた。
「しめた!もう少しだ!」
最も多勢が詰めている正門の軍が出遅れているおかげで、思いの外、すんなり来ることができた。
しかし、油断は禁物である。
王達はともかく早く早くと、正殿へ向かった。
あと少し!
王が正殿に着いた時、ついに二百人近い宮中の兵に見つかってしまった。
「いたぞ!行け!」
兵達が一斉に攻めてきたので、応戦する。そこに搦め手も追いついた。兵数でこちらの方が有利になる。
王は中に入り、玉座につく。王に続いて、敵も味方もなだれ込んだ。
「痴れ者!」
玉座の傍らで、心海が叫ぶ。
敵味方入り乱れて斬り合いを演じていた面々は、その声に引かれるように玉座に視線をやった。
「へっ陛下っ?」
宮中の兵らが、呆気にとられていた。瞬時に手を止める。
その隙をついて、耶津の集めた兵が、宮中の兵を抑えつける。
「謀反の計画ありと聞いたが、まことであったな!」
王はくわっと眼を見開いた。
宮中兵はほとんどが捕虜にされている。
やれやれと一息ついた所で、さらなる軍がやってきた。その数百余り。やはり、正門周辺の軍ではない。
彼等はこちらを侵入者と思っている。刃を向けて、正殿内に突入しようとしていた。
しかし、耶津の兵が捕虜を人質にしている。心海が前に出て、一人の捕虜を引きずり出し、その首に剣を突きつけて見せた。正殿内に突入しようとしていた外の軍が、つい突入を躊躇う。
「中に二百人はいるぞ、そなたらの仲間が。陛下に刃を向けた謀反人ども故、全員捕らえた。そなたらも謀反人だな!?覚悟はよいか?」
心海が言うと、外の宮中軍には話が見えないらしい。
「一歩でも動いてみろ。仲間二百人は皆殺しだぞ」
「何をっ!宮中の兵を殺すなど、陛下に刃向かうのと同じだぞ。反逆罪だ!」
「ほざくな!反逆罪は宮中の兵の方だ」
心海はそう言うと、捕虜に向かって、
「よく仲間に教えてやれ!」
と、首元の剣をちょんちょんと、首に軽く付けたり離したりする。
捕虜は恐怖に戦慄きながら、外の軍に言った。
「賊の侵入ではない。陛下のご帰還だった……今、中にいらっしゃるのは、陛下だ……!」
「何だって?陛下が中にいらっしゃる?」
外の軍が卒倒しそうなほど驚いている。
「そうだ。そなたらの抜いた剣は陛下に向いているのだ、この謀反人どもめ。もっとも、もともと謀反の計画はあったのだろうがな。正門の謀反人どもに伝えい!陛下は玉座におわすとな。もしも、なお愚かにも謀反を決行するというなら、捕虜は皆殺しだ!」
正殿には続々と宮中の兵達が駆けつけてきたが、侵入者の正体が王であると知ると、いずれの隊も動きが止まり、たじろぎ、狼狽した。放伐計画に加わっていた者もいたが、そのような者でも、それ以上攻撃してこない。
皆困惑して、正殿の前の庭に集合し、烏合の衆と化していた。放伐計画に加わっていた者でも、おとなしくなってしまったのは、中に捕虜二百人がいるからだろう。




