本当の革命(三)
その夜、述作郎は俄かに旅立った。烏玄明が渋々自らを王として署名した書簡を持ち、宇成の商隊を引き連れて。
国外で、朴侍郎が得た軍と合流する。
あたかも王の正規の使者の一団のように、全兵装いも改めて、女真へと向かった。今回の計画の成功は、述作郎の肩にかかっていると言っても過言ではない。
述作郎は重圧を跳ね返して、女真、そして、宋へと烏玄明が王である由伝える。
他方、耶津の方も首尾よく軍を手に入れ、それを率いて国境付近に待機している。
「あとは扶余府だけだ」
心海は一番の気掛かりを思った。
そして、対外的には自らが王であると名乗った烏玄明は、気鬱で家に籠もりがちになっている。未だ司賓卿らの放伐も決行されていず、この時点で烏公は王どころか、放伐の意思すらない、ただの一貴族でしかなかった。
そして、いよいよ司賓卿が、前大内相らの人々を引き連れて高麗へと旅立った。国境を越えた時、ついに始まる。
司賓卿の内意を受けた陳公と洪将軍が、いよいよ動く時である。
烏公は心海の助言により、心海宅に来ていた。万が一の事態に備えてのことだという。
何やら気持ちが落ち着かない。そわそわして心拍数ばかりが忙しない。落ち着きたいが、どうにもならない。
人によっては、これを胸騒ぎと言うが、また、人によっては武者震いとも言うようだ。まるで正反対の異質なもの。だが、確かに今の烏公には、両者が同居しているようであった。
深く息を吸い、長く吐き出しかけた時、一人の女が茶を捧げてきた。
女の所作は見事。しかし、それがために烏公の目を引いたのでもなかった。理由はない。理由はないが、何故か女から目を離せなかった。
「そなたは?」
こんな時に、何故か女に声をかけていた。
まだ若さの残る、清潔感のある女は畏まって答える。
「弟が大変お世話になっております、陛下」
「陛下?」
まだ王にはなっていない。妙なことを口にするところが、何だか心海を彷彿とさせた。そういえば、顔立ちも似ているような。
「そなた、もしや心海の身内か?」
「はい。姉でございます」
「姉?心海に姉がいたとは知らなかった。一度、妹の話は聞いたが」
「行かず後家の話なぞ、恥ずかしくてできますまい。妹は今はこちらにはおりません」
心海と違って、ひどく真面目そうに見える。故に、笑えもしないが、同じことを心海が言ったなら、冗談だと気付くのだろう。
物怖じしていないのに、烏公の目にはひどく神妙に見える。
気付けば、烏公はすっと落ち着けていた。
(不思議な女だ)
烏公は彼女が運んできた茶を一口飲むと、
「すまぬが、もうしばらくここにいてくれ」
と口走っていた。
彼女は一瞬、とても驚いたようだったが、
「はい」
と、そっと傍らの席に座った。
その頃、心海は弥勒寺の奥院にいた。
間もなく、王が宮中に戻るというので、護衛の軍も忙しなく、やや殺気立っている。特に、洪将軍の隊は、目つきが違う。
心海は奥院に向かう途中、洪将軍の一団とすれ違い、その時、たまたま将軍と目が合った。
洪将軍は瞬間、心海に目配せした。
(全く気付いていないんだな)
心海は何故か洪将軍に対して心が痛んだ。いつもなら、ほくそ笑んで、己の計画に満足するところだが。心海は自分自身の心を意外に感じた。
奥院に参り、王に謁見する。
「謀反人どもは全員、国外に出たそうだな。やっと宮中に帰れる」
心海を前に、王はひどく暢気である。
「陛下っ!」
心海は危機感募らせ、縋るように言った。
「お帰りは延期して下さい!」
「何か異変でも?」
さすがに、王も急に顔を引き締めた。
「畏れながら、再びの謀反の企みが!」
「何?また?」
「どうか、もうしばらくこちらにご滞在を」
「馬鹿な。いったい誰がそんな真似を?」
「宮中に入った所で、大軍に迎え撃たれます。宮中の軍、つまり、我が国の軍は全て、陛下に刃を向けます。陛下の護衛とて、例外ではございませぬ。廷臣全てが謀反を計画しているのでございます。恐れ多くも陛下を討ち、その後は、外から大氏をつれてきて、玉座につけるつもりです」
「それは本当か?とても信じられん」
「本当です!司賓卿は大氏を連れて来るために、国外に出たそうです。罪人を高麗に送るというのは口実なのです」
「まさか、皆が。この国の臣下全員が?何故だ……」
「陛下。このままでは殺されてしまいます。どうか寺に……」
「いや!放伐恐れて、いつまでも女々しく寺になんぞ籠もっていられようか!」
「いけません。無駄死になさるおつもりですか?民も守れず国も維持できなかった大氏なぞに、うかうか玉座を渡すのですか?いけません!大氏の王など。民には地獄です。この危機的状況にある我が国を、大氏が守りきれるわけがありませぬ!大氏の王が立ったとたんに、我が国は攻め滅ぼされましょう。また民が路頭に迷います。陛下が四十年かけて築き上げたものが、露と消えるのです!民のために、誇りを飲み込んで下さい!」
「しかしな、臣下全員が謀反を企んでいるなら、この先やってはいけまい。そなたの助言に従って、このまま寺にいたとしよう。今回の件はうまく収まったとして。その後はどうする?誰も従うまい。政は機能せず、国は破滅する」
言っているうちに、王自身、自らの進むべき道が見えてきたらしい。
「臣下に背かれた王は、その位を退くしかない。だったら、潔く死のうではないか」
「だからと言って、わざわざ死地に赴かれなくても。陛下、放伐に乗り、斬り死にする以外に、まことに道はありませぬのか?民のためになる退位の仕方をお考え下さい」
「そんなものがあるか」
「大氏はいけません。大氏では国滅びます。陛下には、次の王をお決めになる権限がございましょう。どうせ退位させられるなら、謀反人どもの都合通りではつまらないではありませんか。陛下のお決めになった者に譲り、謀反人どもに一泡吹かせてやっては如何です?」
「くだらん。王位に私情は要らぬ」
「いえ。国のためを思われるならば、しかるべき人物にお譲りになるべきです。才なき大氏に就かせないで下さい。民のために、陛下おん自らが、実力者をご指名下さい」
そこで、王はふっと表情を変えた。顎に手をやり、少々首を傾げ、しばらくそうやっていたが、
「禅譲か」
と、問うでもなく呟く。
「ええ、禅譲です」
「残念だな、そなたはない。欲しいか?王位が?──そうか、烏大内相……」
「ええ!そうです!烏大内相に!」
心海は王の呟きを聞き逃さなかった。しかし、叫ぶ彼を見て、何がおかしかったのか、王は吹き出す。
「そなたへの禅譲はないと言ったのに。その喜びようは何だ?そなたは王にならなくてよいのか?」
「なりたいと思ったことはございませぬ。烏大内相こそ適任でございましょう。この度の放伐計画に、唯一関わっていない方でもございます」
「なるほど、彼らしいことだ」
しかし、おかしい。
なお王には放伐計画があることが信じられない。
「こちらでこのまま禅譲を宣言なさっては如何でしょう?そうすれば、きっとご無事に、宮中へお入りになれます」
「いや」
王は心海の目を見つめた。心海は策を弄し、他人を嵌めることに罪悪感は持たぬ男である。
(騙されているのでは?放伐計画はないのでは?ここで禅譲させられるわけにはいかぬ)
「宮中に戻ろう。禅譲は後から行う」
「陛下っ!いけませぬ!死にます!」
心海は説得に努めたが、結局は無理であった。
こうなる可能性もあらかじめ見越していたので、心海は次なる作戦に移行する。
「陛下。臣を信じられないのでしょう?しかし、放伐計画は確かにございます。陛下は宮中に入れません。そのまま殺されてしまうでしょう」
「確かにあるなら、そうなるであろう」
「陛下!臣はどうしても譲れませぬ!」
「それはこちらも同じだ」
「では。妥協案を飲んで頂きます」
心海は、すぐに玉座を降りる王だと甘く見ているのか、態度がやや不遜であった。
「このまま宮中に戻られますならば……放伐があれば、陛下はお命を失われます」
「だが、ないかもしれぬ。ないのに、ここで禅譲してしまうわけにはいかぬ」
「ですから、どちらにせよ、陛下がご無事に宮中に入れる策を、飲んで下さい。この近くに、臣の家がございます。宮中に帰るのに、我が家の門の前を通ることになりますが、我が家の門前に至ったら、陛下は体調不良になって下さい」
「なんだと?そなたの家の前で、倒れろと?」
「はい。我が家でお休み頂きます。そして、そっと裏口から抜け出し、護衛と別れて宮中にお入り下さい。宮中へは正門を避けてお入り頂きます」




