本当の革命(二)
一方、烏公と心海は別室で密談していた。
「説明しろ。何故昔耶津が生きている?何故ここにいる?」
低い声で烏公は問う。明らかに激怒している様子だ。それを、声とともに押し殺している。
「それはお話しします。でも、その前に伺いたく存じます」
「話の中身によっては、そなたといえども容赦なく斬る」
「はい」
「わかった。何だ?」
「廷臣の忠義とは、王に向けてのものですか、民に向けてのものですか?」
いきなり、妙なことを聞くものだ。
「忠義とは、目上の人に尽くすものだ。王に尽くすもの」
「その王は、民に義を尽くすべきではないでしょうか?国は王のものではない、民のものです。天命により国を任されし王が、国を私してよい筈がありません。民が幸せに生活するために国がある。それを束ねるのが王のはず。臣下はその手助けをするべきです。つまり、民への義を尽くしている王を尊敬し、盛り立てるべきなのであって……」
「いったい何の話だ!」
烏公は苛立ちを隠さない。
「民のために尽くさない王に、忠を尽くす必要があるのかと伺いたいのです」
「そなた!」
忠臣・烏公は警戒した。今の世の動静を思えば、廷臣達の動きを見れば、当然である。
「覇道は王道に劣るとか。されど、徳だけで国が治まりましょうか?外敵に滅ぼされ、ようやく再興した国なのに、再び脅かされて。このままではまた滅ぶ、民が路頭に迷うと、あえて王は昔、軍を動かし、王統を追いやり、王位に就かれた。血筋より能力。それが民のため。大氏では駄目でした。天意は大氏から我が王に移っていた、白頭山大噴火がその証拠です。大氏は徳さえ失い、民を離散させてしまいました。だから、我が王に民も従い、治世は四十年になるのです。でも、今我が国は衰退しています。王の治世も限界にきているのです。誰がこんな世にしたのです?こんな腐敗した世に?今は王の治世を望む者はいません。民が望まぬのに、どうしてその王に忠義を尽くすのです?民の方に目を向けて下さい」
「そなた、易姓革命する気か?私を引きずり込む気か?だから、あの謀反人を助けたのか?許さんぞ!」
ばっと突っ立つ烏公。しかし、心海は動じない。
「初めてお目にかかった時、仰ったではございませんか。この腐敗した世を改め、軍事を強化し、周辺国と結び、敵と戦うと。易姓革命してでも、我が考えを貫き、やり通さねばならぬ、さもなくば国滅ぶと」
「易姓革命は喩えだ!言葉の綾だ。陛下は不正を暴かれ、前大内相らを解官なさった。これから腐敗を正されるのだ」
「時の流れには逆らえない。一度衰退したものは、そのまま滅ぶのみ。民も臣下も現王の治世に限界を感じています。どんなに名君でも、一度離れた人心を取り戻すことはできません。もはや、王にやり直すことはできないでしょう。次から次へと放伐計画が持ち上がる状況では」
「何てことだ。陛下は善政を布いてこられたのに」
「人心は人の物であるのに、今、何故か人には動かせません。王の威信を取り戻すことは、もはや誰にもできない。これは天意に違いありません。天が新たに徳高き人に天命を与えようとしているのでしょう」
そこで、急に心海は背筋を伸ばした。
「女真が宋に使者を出すようです。女真に書簡を託して、宋に朝貢しましょう」
「何だ、急に?」
「書簡は王の名で、貴方様が出して下さい。王の名には貴方様のご署名を」
「何だと?」
烏公は仰天した。
「王として、宋に書簡を届けて下さい。貢ぎ物は用意しました。宋が我が国の王を貴方様と認識すれば、皆、貴方様を王と認めなければならなくなります」
「貴様っ!その首たたっ斬ってやる!」
すらっと剣を抜き、烏公は心海の首に突きつけた。
「天命です!天は貴方様を選んだのに、天に逆らうのですか?」
「黙れっ!」
「あのような王に忠義を貫くのは、天に唾する行い!民への裏切りです。貴方様の忠義は間違っている!」
「まだ言うかっ!」
烏公は剣を振り上げ、一気に振り落とす。
心海はとっさにかわして横に転がり、刃は卓を斬った。
ガキンっ!!
何ということか。烏公は卒倒するほど驚いた。
剣が真っ二つに折れていた。
卓には傷一つない。
驚いたことに、木でできた卓が剣を弾き返していたのだ。金でも鉄でも負けなかった剣が、木の卓に負けた。
烏公は青ざめた顔のまま、二、三歩後ずさりした。折れた剣の柄をぽとりと落とす。
「天命です」
床に這いつくばったまま、心海はそう言った。
「……私が……王だと?」
震えた声を絞り出し、へなへなと床に崩れる烏公。
「……馬鹿な……」
「いいえ。王統の禅譲はよくあることです。帝堯は帝舜に譲られました。新羅にも朴氏昔氏金氏の三王統あったではないですか。恐れることはありません」
それから、心海は烏公をなだめすかして、耶津の命乞いを始めるまでに、夜明け間近になってしまった。
その後、慌てて心海は耶津を閉じ込めておいた部屋に向かう。
「烏公のお許しが出ました。貴方は生きられます」
「まさか、今の今まで私の話をしていたというのか?」
居眠りしていたらしく、耶津は欠伸をかみ殺す。
心海はただふっと笑い、
「さて。生きていられる以上は、私のために働いて頂かなければ。断ることや、妙な真似をすることは許されません。わかっていますね?」
「殺すのだろう?今更念押しすることでもあるまい。拾った命だ、無駄にするものか」
「いいでしょう。では、今すぐ出掛けなさい。仕事の内容は昨夜伝えた通りです。細かい指示は、この者達から受けて」
と周囲の耶津の見張り達を顎で指す。
「わかった」
「では、今から出発です。いってらっしゃい」
心海はそう言うと、もう部屋を出ていた。
見張りの兵達が耶津に張り付いて、
「さあ」
と促している。
耶津は見張りを付けられたまま、国外に出発した。司賓卿の国外の兵を奪うためにである。
この兵は、放伐決行の日に使用するのである。
心海は次に、もう一人の死人と会った。
朴侍郎である。彼も、王放伐の反乱軍を指揮していたとして、死罪になっていた。しかし、彼もまた心海によって助けられていた。
「貴方にも司賓卿の兵を奪ってきて頂きます」
心海の有無も言わさぬ要求に、朴侍郎も黙って従うしかない。
朴侍郎も出掛けたので、心海は今度は宇成の店に向かった。
大変な活気に加え、相当なせわしなさ。しかも、店先にまで金銀財宝が溢れ、置き場所に困っている有り様である。
繁盛しているとはいえ、ここまで物で溢れかえっているのは初めてのことだ。店の者たち全員が、嬉しい悲鳴通り越して、困惑している様子で、心海はつい吹き出してしまった。
「名誉なことなのに、随分迷惑そうだな」
その声が中まで届いたと見え、頭をかきむしりながら、店主の宇成が店頭に出てきた。
「やあ、宇成。頼んでおいたものの準備は整ったか?」
「準備できたかって?」
宇成は充血した目で、ぎろっと睨む。
「怖っ!何だよ、揃わないのか?」
「その口に粘土をねじ込んでやりたい!」
ますます凄んで見せ、宇成はさらに。
「気安く仰らないで頂きたい。先生が無理難題押し付けるから、死ぬ気でやりましたよ!全部揃ってます。あとは荷造りするだけです」
「素晴らしい!」
心海はいきなり宇成に飛びついて、ぎゅうっと抱きしめた。
「そなたは国一番の忠臣だ!」
「は?」
「すぐ出発だからな。寝る暇もないところ、実に申し訳ないが、至急荷造りしてくれ」
ぽんっと背を叩くと、体を離し、
「では、またな!」
と、嵐のように去って行ってしまう。
人使いの荒さに、宇成は本気で怒ったらしかった。それでも、心海の望み通りにしてしまうところが、この男の愛なのであるが。
心海は宇成宅を後にすると、再び烏公の邸に戻ってきた。
来客がある。
それは、述作郎だった。
述作郎は、烏公に心海を会わせた男である。心海の古くからの知人であり、また、数少ない烏公支持者でもあった。
「やあ、来ていたか」
心海は東屋に座っている述作郎に声をかけた。
寒がりで、しばらく東屋にいたので震えている。
「呼ばれたから来たのに、大内相は手が離せないと言うんだが」
烏公と対面できないのだと彼は言った。
「ああ、呼んだのは私だ」
心海は東屋に入って、隣に座る。
「君が?」
「うん。大事な話がある」
述作郎はすっと背筋を伸ばした。
「どんなことだろう?君の頼みであるなら、烏公のためになることなら、何でもする」
「ありがとう。さすがだ。君にしか頼めないよ」
心海もそう言って、姿勢を正した。
「君に、王の使臣として、女真王と対面してきてもらいたい」
意外な話である筈なのに、述作郎は少しも取り乱さず、心海の双眸を見つめていた。さらに続きを求めるような目をしている。
「我が国は宋に朝貢する。女真に間を取り持ってもらってくれ」
「わかった。しかし、何故今なのだ?」
「それは──」
心海は述作郎から少しも目をそらさず言った。
「新王が宋皇帝にご挨拶するからだ」
さすがに述作郎の瞳が揺らぐ。
「新王?」
「そうだ」
「まさか、烏大内相か?」
心海はくっと笑う。
「大氏大氏と噂なのに、さすが君だな!」
心海は友の敏さに満足した。
「そうなのか?」
「ああ、そうさ。我等が烏大内相だ」
「まさか。よくあの大内相がご決断なさったものだ」
「ははっ。まあ、何というか、ご自身納得なさってはいないがな。説得するのに一晩かかったよ。骨の折れる」
破顔する心海に対し、一晩という所で、述作郎は驚いた。
「一晩?」
「そうさ。こっちは命がけ。危うく殺されるところだった」
「一晩?あの方が一晩でご決断なさるとは、信じられん」
「天命なんだよ」
剣が折れた時のことを思い出す。烏公が納得していないながらも、一応は心海の話に従った不思議も、天命ゆえのことだろう。
「大内相がお忙しいのは、女真への書簡を書いていらっしゃるからだ。文面は私が用意しておいたものだが、ご自身の手で清書なさるわけだからな」
烏公が客の述作郎を放置したままである理由をそう述べて、心海は何かから解放されたような笑顔になった。
空は真っ青である。
述作郎はいつもの毛皮をさらに深く羽織り込んだ。
「しかし、私にはまだ信じられない。よくあの方が放伐をご決意なさったと思って」
「いや」
心海は大海に似た青空を眺めたまま言う。
「放伐ではない。禅譲だ。噂の司賓卿らの放伐は阻止せねばならぬ」
「君、やはりわざと王を弥勒寺にやったのだな?」
「そうだ。私はあの烏大内相に、放伐による易姓革命はさせられない。王自らの意志で、烏公に禅譲して頂く。そうでなくては、烏公が王となっても、従わぬ者が出る。君に使いを頼むのも、烏公の王位の正統性を示すためだ。宋の皇帝が王と認めた者なら、正統な王だから、皆従うだろう」
「そうか、そこまで考えていたのか。正式な禅譲による王位継承のために、王を死なせないために、弥勒寺に入れたのか。しかし、色々考えてみると、私の役目は相当に重要ではないか」
「そうだよ。仕損じては困る」
「気鬱で死にそうだ!」
述作郎は大袈裟に天を仰いだ。
「大丈夫だ。君には朴侍郎をつけるから。我が国の正規の使臣を装って、行ってきてくれ。そうだ!」
と、そこで急に膝を打って、
「そろそろ貢ぎ物の準備は整ったかな?」
と、椅子を飛び下りた。




