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初恋(三)

 宇成はさっそく、例の手紙を渡す。


「なんだ?」


「さきほど、そこの門の所で女に託されました。先生に渡すようにと」


「ふうん?」


 心海は受け取って、すぐ読み始める。途端に眉をしかめ、真剣な表情になった。


 宇成はもどかしい。今すぐにも、あの女に注意しろと言いたいが、食い入るように手紙を読む心海の邪魔はできない。


 心海は一度目を通した後も、しばらく虚空に見るともなく目を向け、手紙の内容を咀嚼している様子だ。


 やがて現に戻り、宇成を見やると、


「で、これを持ってきたのは誰だ?」


「昔耶津には会うなと言った、怪しい女です」


「昔耶津に会うな??」


 心海は首を捻った。聡明な彼にも、さっぱり理解できないらしい。


「先生、あの女、本当に怪しいですよ」


「うむ。実に面妖だ」


「そもそも、その手紙は誰からのものなんです?」


「その昔耶津からだ」


「は?」


「昔耶津からの手紙を届けた女が、昔耶津には会うなと言ったのか?その女は耶津の使いではないのか?わけがわからん」


 益々首を捻る心海に、いよいよ宇成は怒ったような顔で言った。


「やはり、とんでもない女ではないですか!謀反の張本人の昔耶津の使いをするなんて!よりによって、こんな時に。もしかして、罠ではないのですか?昔耶津が先生に接触してくるなんて!先生を引きずり込もうとしているのかもしれません。だいたい、あの女、先生を付け狙っていたのですよ。今にして思えば、探っていたのでしょうね」


「待て待て。付け狙っていただと?」


「ええ、何度か先生のお屋敷の前を彷徨いていました。先生の前の襤褸屋敷にも来ていました。こちらに引っ越されてからも。何故、先生を付け狙うのか、つきまとうのかと問い詰めましたが、逃げられました」


「美人か?」


「は?」


 物凄く興奮している宇成。だからか、襤褸屋敷発言がおかしかったからか、不意に心海は冗談を言って、にんまり笑った。


「私に気があるのかな。惚れられてしまったか。私も気付いてやれないとは、罪なこと……」


「先生っ!馬鹿言ってる場合ですか?もしも、あの女が先生を探っているのだとしたら。もしも、あの女が先生のお命を狙っているのだとしたら!」


「馬鹿はなかろう、馬鹿は」


と言いつつも、確かに底知れぬ不気味さはある。


「何度か見たのだな?」


「はい」


「顔は隠していたか?」


「いえ」


「堂々と見せていたか。ますます面妖な。人を付け狙いながら、顔を見られて平気とは。まあ、いい。では、そなたはその女の顔はわかるか?」


「ええ、よく覚えていますよ」


「どんな女だ?」


「それは、貴族のようで、かなりの身分のようで……」


 年格好から背格好、容貌や髪、声、話し方、仕草、また身につけていた装飾品など、事細かく説明した。


 ふと、心海は思い当たったような、そんな表情になったので、


「お心当たりが?」


と、宇成は意外そうな顔をした。


「もしかして、弥勒菩薩に似ていなかったか?」


「は?……ああ、そういえば。最初に見かけた時は、菩薩のような雰囲気の人だと」


 そこで、はっと思い出したように、宇成は手を打った。


「そうだ!そうです。弥勒寺のご本尊に似ていると思います」


 理那か。宇成の話に、心海はそう思った。


「そうか。そなたが見たというその人は、多分、私の知り合いだ。危険ではない」


「そうでしょうか?だったらどうして、お屋敷の様子を覗くようなことを?」


「ああ、きっと、私が貧乏していると聞いて、心配して様子を見にきてくれたのだろう。彼女のことは気にするな」


「でも。昔耶津の手紙を届けに来たのに。昔耶津側の人間ですよ」


 もし、理那なら。彼女の父親が捕らえられたが、耶津の証言で放免になったと言うし。理那なら、今、耶津と接点があったとしても、不思議ではない。


 何故かこの時心海は、昔しばしば理那の畑で、彼女と笑い興じた日々のことを思い出していた。


 初対面の時のこと。


 お礼にと、弥勒菩薩の絵を渡した時のこと。


 その後、何度かあの畑で彼女と笑い興じた。


(いつも私をこき使っていたな。科挙浪人が、働け、と。草むしりさせたり、水まきさせたり。畑を掘れだの果樹の枝を剪定しろだの)


 いつも利発で、驚かされた。心海の発想にはないことばかり言うので。


 くくくと、思い出し笑いしていると、怪訝そうな宇成の顔が覗いており。


「あっははは!」


 余計に笑いが止まらなくなった。


 しかし、宇成、ますます眉をしかめて、


「何ですか、先生?……そんなことより、誰か来たのではありませんか?庭に足音がするようですが」


と、耳をすます。


「ん?」


 笑いを収めて、庭に耳を集中させると、確かに人の気配がした。すぐに、


「高大人!高大人!」


と、ひそひそ声で呼ばれた。


 心海が秘密裏に動かしていた私兵達だろう。


「入れ!」


 心海は伸び上がって、戸の外に言った。


 すぐに、きいっと戸が開いて、三人の屈強な男達が現れた。三人は部屋に入り、進んでくると、心海に向かって一礼した。


「来たか。待っていたぞ」


「はっ」


「で、どうだったのだ、扶余府の答えは?」


 彼等は、以前心海が扶余府に行った時に手に入れた者達。扶余の武人である。


 彼等を雇うのは、何かと大変だった。


 官職にあった時、禄を貰っていながら無一文状態だったのも、こうしたことに使っていたからである。それでも足りず、宇成に世話になった。


 三人は、宇成の姿に報告を躊躇ったようだったが、


「彼が宇成だ。そなた達の旅費も食費も皆世話してくれた、宇成。安心せい」


と心海が言ったので、三人はああと頷いて、一度宇成に黙礼した後、再び心海の方に向き直った。


「扶余府は烏公に従います。必ず烏公に従い、寝返ると約束しました」


「そうか!」


 心海は思わず叫び、満足そうに笑う。


「では、こちらも改めて約束しよう。寝返りの曉には、大臣の椅子を幾つか用意する。それ以外の官職も、望むだけ与えよう。何しろ、朝廷は今、空席だらけだからな。すまぬが、また扶余府に向かい、そう伝えてくれ」


「はっ」


 心海の命に三人は頭を下げ、任務遂行のため、すぐに出て行った。


 扶余府のことは、前々から準備していたことだ。順調だ。


(すまんな、耶津。貴様の提案に従う気はない)


 耶津からの手紙には、こんなことも書かれてあったのだ。


 現王を共に放伐しよう。放伐したら、一緒に改革しよう。


 そして、朝廷には色々な考えの人々がいる。彼等を全て追い出して、自分の思い通りの政治ができれば幸せだが、官吏の不足を招き、国が機能しなくなる。だから、官吏を皆追い出すことはできない。だが、司賓卿も大農卿もいらない。彼等の派閥は追い出すべきだ。


 何故、前大内相らと放伐を決行したと思うか。


 前大内相らは何も考えを持っていない。高禄さえ渡しておけば、こちらの言う通りにするだろう。改革を押し通したい時、彼等なら、高禄さえ渡せば邪魔しない。


 前大内相らを朝廷に呼び戻して官吏とし、国家運営を機能させ、こちらはこちらの改革を、存分に行うのだ。


 こう書かれていた。


(悪いな、耶津。前大内相らの行き先は決まっているのさ)


 心海はおかしそうに、くっと笑って、


「さて、思いもかけず、長居した。次の行動に移さねばな」


と、我が家でありながら、長居は無用と、早くも腰を上げる。


「宇成。今度はそなたの腕の見せ所ぞ」


「私ですか?」


「おう、一世一代のな。国を背負った大仕事だ」


「国?」


「そうだよ、国の命運を左右する大事な大事な仕事だ」


 宇成の顔が引きつった。


「あははっ!大丈夫だ。商いだよ。毛皮等の我が国の名物で、貴重で高価で豪勢なものを集めてくれ。宋と女真に献上する品々だ。我が国が、そなたから買おう。そなたは以後、我が国の台所を預かる身だ。頼んだぞ」


 宇成は返事もできず、口をぱくぱくさせていた。

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