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出逢い(三)

 それからまた、貴人だけを相手にする医者と薬房へ行った。どちらも胡散臭い。貴人相手ということは、恐らく大内相らと繋がっているのであろう。汚い金で満ち満ちているような様子だ。


 それだけに、やはり古い薬は破棄しているのか、また、多少の薬くらい、くれてやっても懐は大丈夫なのか、必要な薬を理那は簡単に入手してしまった。


 そして、


「最後にもう一ヶ所だけお付き合い下さい」


と、一軒の豪邸の後ろにある果樹園へ案内した。


 果樹園だが、畑もあるし、綺麗な花々も咲いている。


 理那は畑の植物を指差した。


「恐れ入りますが、生姜を抜いて下さいません?私、今日はめかし込んでいるので、汚したら困りますの」


「はあ」


 心海が言われた通りに生姜を抜き始めると、理那は向こうの納屋に行って、笊を持ってきた。


「はい、これ甘草。これも生姜同様、この畑で育てたものです。差し上げます」


「これは、まさか貴女が育てているのですか?」


 心海は今度こそ本気で驚いた。


 名家の令嬢が畑を作っているなど、聞いたことがない。


「なんでまた、畑なぞ?」


「ご飯はどうやってできるか、ご存知?」


「え?そりゃ、米に水を入れて焚くんでしょう?」


「ところが、貴人はそんなことも知らなかったりするのですよ。いつも調理された状態のものしか見ていないから。いくら学問ができても、それではねえ。でも、ご飯まではまだよいのですよ。これが米になると……米の収穫までの過程を知ってる人が、いったいどれだけいますかしら?」


 米の作付けに適した場所は少なく、渤海時代から米は庶民の主食ではない。とはいえ、国土の南では稲作も行われ、貴族は米も食べるのだ。


「米なんて、どうやって作るのか知らない。そんな人が大半です。良くて、苗を植え、育ったら稲刈りする、程度です。田植えに至るまでの、しろ掻き、くろかけ等の作業を知っている人が、どれだけいるでしょうか?くろかけが如何に重労働か、そして、如何に重要か。やった人にしか分からないのですわ。くろは毎年壊れるもの。毎年作らねばならないもの。くろに亀裂があったら、そこから水が抜けて、田んぼは干上がってしまいます。ただ水を張った泥に苗を植えればよいというものではないのです。──人には役割があります。私達貴族は政治を担当し、国と民を守るのが役目。でも、日々口にする糧のことも何も知らないで、どうして政治ができましょう。私達が口にする食糧は、民が作ってくれるものです。食糧生産は民の生活と直結しているもの。食糧生産の現場を知らなければ、民を守る政治は実現しません。私は貴族の人間として、その責任を果たすために、こうして畑を作って、民の暮らしぶりを体験しているのです」


「まったくもって、貴女の仰有る通りだ!」


 心海は共感して肯いた。


「沢山の書籍を読んでも、武芸の稽古を積んでも、民の暮らしを知らなければ、民の納得する政治はできませんよ」


「ええ。恥ずかしながら、私、それに気づいたのは最近。……私には苦手な食べ物があったのに、ある時、それと気付かず食べてしまいましたの。うちの侍女が、私がそれと気づかないような工夫をして、料理してくれたのです。いったいどんな調理法なのかと興味を持ったのですが、そこで私、はたと気づいたのですわ。毎日食べているご飯の調理の仕方さえ知らなかったことに。私は恥じて、その日から自分で料理するようになりました。そうなると、色々なことがわかってきました。調理法ばかりでなく、食材について、調味料について、保存法について。食材の原産地、育った環境。また、その食材の育ち方によって、味も変わるということも」


「貴女は実に賢明な方ですね」


「いいえ、賢明になったのよ」


と、ふざけて理那は笑った。


「自分で料理することによって、もう一つわかったことがあるのです。それで、賢明になったの。料理する者達、下々の者達の気持ちがわかったのです。夏、部屋で涼しく過ごしていた私には、火を使うのが如何に辛いかわからなかった。冬、ぬくぬくと温まっていた私には、食材を洗う冷たさがわからなかった。毎回毎回食器を洗う面倒さもわからなかった。食材のこと、下々の者の気持ち、それが少しだけわかって、これではいけないと思いました。我が家の使用人達は、民よりも裕福です。民はもっと、我が家の料理人より過酷で賢明なのに違いない。私は食材のことをもっと知るためには、自分で育てることが最善の策だと思いました。そして、それが農夫の気持ちも理解できる道だろうと、こうして農園を作ったのです」


 心海はすっかり生姜を抜いて、頷いている。理那に感心しているのは確かだが、どこか面白がっている表情が紛れていた。


「馬鹿にしてらっしゃるでしょう?」


「とんでもない!」


 理那はふざけて、口を尖らせながら、笑って言った。


「どうせ、気づくの遅過ぎな、金持ちの馬鹿令嬢だとでも思ったのでしょう?でも、気づいたのだから、いいじゃないの。今の私ならば、ちゃんと真っ当な政治ができる、貴族の娘に相応しい、ものの考えを持っているはずよ」


「ええ!貴女なら、立派な為政者になる。男でないのが残念です。今の朝廷は馬鹿ばかり。困ったものです」


「貴方は間違いなく素晴らしい為政者ですわね。貴方は民に混じって、様々な労働をなさっているようですし。貴方こそ、この国を改革できる方でしょう」


「ところが、まだ科挙に合格していません」


「では、こんな所で油を売っていないで、早くその生姜を持って、お帰り下さい」


 理那は無料でかき集めた生薬を心海に押しやった。


「はい、そう致します。このご恩は決して忘れません。ありがとうございました」


 心海は理那の好意に心からの礼を述べ、沢山の生薬を抱えて帰って行ったのだった。






 もう何年も前の、理那の生意気盛りの頃の話だ。


 左相宅の門の前で、理那は懐かしく思い出していた。


(思えば、高心海という男に出会ったのは、ここだったのだわ。あの頃から貧乏で、とんでもない目つきをした男だったわね。思い通り、とんでもない男に成長して、今、とんでもなくとてつもないことをやらかそうとしている)


 何という男と出会った場所だったのか、ここは。


 そして、ここの主の、彼の天敵・左相は、近く復讐されてしまうに違いない。


 巻き込まれないように、次こそは縁談を確実に断らなくてはならない。


 左相宅を後にし、家路へと急ぐ理那は、途中、たまたま承瑤という女と会った。


 承瑤は居酒屋の女だが、市へ行く途中だったらしい。


「これは理那様、お久しぶりです」


「まあ、承瑤。その節はお世話になりました」


「何を仰いますか!頂き過ぎるくらい、凄い物を沢山頂いてしまって!こちらこそ、御礼の申し上げようもありません。その後、いかがですか?お加減は?お顔色はよさそうに見えますが」


「ええ、おかげさまで。とても元気よ。全て、そなたのおかげです。感謝してもしきれません。そなたは命の恩人です」


「そんな、大したことしていませんよ!ああ、でもお元気そうで安心しました。半年前は、どうなることかと……あ!私、誰にも言ってませんよ!亭主にも、しっかり口止めしています。理那様のことは、お墓まで持って行きますからね」


 承瑤はこそっとそう言うと、急ぐからと去って行ってしまった。


(私の秘密、ね……)


「お願い!誰にも言わないで!」と、半年前、命を助けてくれた承瑤に、泣いて頼んだ自分の姿を思い出す。


 理那はその足で、都の外れまで行った。


 鬱蒼とした森を抜けると、開けた場所に出る。


 墓地であった。


 理那は一つの墓の前に来る。


 墓にはまだ新鮮な花が手向けられていた。おそらく、先程の承瑤が供えたものだろう。


 理那は跪き、墓を伏し拝んだ。頬を涙が伝う。


 悲しい悲しい彼女の思い出。承瑤だけが知っている、理那の秘密。


 承瑤との日々を、墓の前で回想し、悲しみを新たにするのであった。

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