プロローグ
「ねえ、3日間だけアタシと付き合ってよ!」
そんな事を突然言われたのは、二年目の高校生活の7月も中盤に入って、翌日に三連休を控えた日の放課後。3日間とか付き合って欲しいとか言われた事も驚きだけど、その相手がより驚きなのだ。
「ねー、聞いてんのー?」
「……あ、うん。聞いてるよ。聞いてた上で驚きすぎて固まってただけなんだけど……でも、どうして僕なの? 新井さん」
目の前に立っているカースト上位の一人の新井瑠音さんに聞く。新井さんはこのクラスの中でも結構中心人物として知られていて、同じカースト上位のメンバーだけじゃなく僕みたいなあまり目立たないクラスメートにも気軽に挨拶をしてくれるようないい人だ。
「その上、ポニーテールにしてる茶髪もツヤツヤとしてて綺麗だし、少し吊り目なところはあるけど可愛らしい顔立ちだから笑顔を向けられると結構ドキッとする。それだけじゃなく少し背丈も高めでスタイルもよくて、いつも肌のお手入れも欠かしてな……って、あれ? 新井さん、どうしたの?」
見ると、新井さんが顔を赤くしている。今は夏だし、もしかしたら軽い熱中症になっているのかもしれない。
「新井さん、どうしたの? もし暑さでフラフラしてるなら冷たいものでも買ってくるよ?」
「し、潮田……アタシの事を誉めちぎってたのに、もしかしてそれに気付いてないの……?」
「誉めちぎってたって……え、もしかして声に出てた!?」
その瞬間に僕の顔が熱を帯びる。心の中で思っていたはずなのに口に出ていた上にそれを本人の目の前でやらかしたなんて恥ずかしすぎる。穴があったら入りたい。
「う……た、たしかにそれじゃあ恥ずかしくもなるよね……」
「そりゃそうでしょ。はあー……あっついあっつい」
新井さんが右手で顔をあおぎながら左手で夏服の襟元を掴んでパタパタとさせる。何人かのクラスメートもそうだけど、先生がいないところでは夏服の第一ボタンを開けている。そのため、涼を求めて襟元をあおぐと、普段は隠れているはずの首筋や中に着ているインナーがチラチラと見えてしまい、どこに視線を向けたらいいのかわからなくなってしまうのだ。
「ん……あれー? 潮田さあ、もしかしてアタシのセクシーさにやられちゃってる感じー?」
「え、えと……」
その通りだ、と言えたらそれはそれで楽だけど、にやにやとしながら軽く上目遣いで見てくるからかより首筋やインナー、更にはその下の淡いレモン色の下着が見えてしまっていて、正直それどころじゃなくドキドキしているのだ。
「まっ、潮田ってこれまで女の子と付き合った事無さそうだもんね。そうなっちゃうのも仕方ないかー」
「僕って女の子から好かれるような感じじゃないからね。それで、どうして僕なの? 3日間だけっていうのも何だか不思議な感じだし……」
すると、新井さんは少し恥ずかしそうに頬をかいた。
「あはは……実はアタシもこれまで誰かと付き合った事ってないんだ。興味はあったんだけど、これだって思える相手もいなかったし、そうじゃない相手の事を好きだと思い込んで付き合うのは何か違うじゃん?」
「それはたしかに」
「でしょ? そこでダチと一緒に考えたのが、このお試し恋愛、名付けてTRIALOVEってわけ。本気で付き合うわけじゃなく、恋人ごっこみたいな感じで数日間試してみて、恋人同士っていうのがどんなもんかを味わってみる。どう? 面白そうじゃない?」
新井さんはワクワクした様子で言う。TRIALOVEという言葉も、お試しという意味のTRIALと恋愛という意味のLOVEを組み合わせた造語なのだろうし、その相手に僕を選んだのもおおよそ他のカースト上位のメンバーだと少し騒ぎになるところをあまり目立たない僕ならそんなに騒がれる事もないからとかそんなところだろう。
「まあお試しって事だし、僕に何か損があるわけでもないから別にいいけど……」
「よっしゃ!」
新井さんが心底嬉しそうにガッツポーズをする。お試しとはいえ、恋人が出来た事がそんなに嬉しいのだろうか。これまで恋人が欲しいと特に思った事がないからよくわからないけれど。
「それじゃあアタシ達は今日からお試しカップルね。そしたらこれからデートしようよ」
「唐突だね。僕は帰宅部だからいいけど、新井さんは何か部活動に入ってないの?」
「アタシも帰宅部だよ。というか、同じ帰宅部なのに、この帰宅部のエースの事を知らないわけ?」
新井さんはクスクス笑いながら言う。帰宅部は部活動というわけじゃないから知るわけがないというツッコミは野暮だからしないけれど、帰宅部のエースを自称するのはそれはそれでどうなのかと思ってしまった。ただまあ。
「お試しとはいえ、新井さんみたいに活動的な人が恋人になって一緒に帰る事が出来るのは嬉しいし、3日間が楽しみだなあ」
「ちょ、また思ってる事が口に出てるって!」
「え? あ、いけないいけない」
出てしまった言葉を取り返す事は出来ないけれど僕は慌てて口を押さえる。すると、それを見た新井さんはお腹を抱えて笑い始めた。
「あっははは! いけないいけないって言った後にリアルに口押さえる人初めて見た! というか、言った後に押さえてももう意味ないじゃーん!」
「それはそうなんだけど、ついそうしちゃうんだよね。反射的、っていうのかな」
「あははっ、あるあるー。てか、潮田って結構考えてる事が口に出ちゃうタイプなんだね。それで今まで困ったことないの?」
それを聞いて少し考えてみる。これまでそういう事はなかったと思うけれど、今みたいに気付かなかっただけで実際はあった可能性は十分にある。それを考えると結構恥ずかしいかもしれない。
「なんか今になって恥ずかしくなってきたかも……」
「まあ本当に今さらだし、これから切り替えてけばいいよ。さて、初デートはどこ行こうか」
「定番だって聞くのは、動物園や遊園地、あとはオシャレなカフェとか綺麗な夜景だけど……」
とはいえ、夜景を見に行くにはまだ早いし動物園や遊園地に行くのは時間的に遅い。オシャレなカフェも特に知っているわけじゃない。そうなるとどこに行けばいいんだろう。
「そんな定番とか考えなくていいんじゃない? アタシだって初めてなんだから、あんまり細かく考えなくても別に怒りはしないよ」
「それならいいけど……」
「アタシとしては、潮田と手を繋ぎながらのんびり歩けばそれだけでデートとして成立するかなと思うんだ。だって、デートの正解なんてたぶんないし、周りから見たら変でも自分達が満足してたらそれは最高のデートって事にならない?」
新井さんの言葉に僕は納得する。たしかに、そのカップルのそれぞれの状況によってデートは変わるだろうし、明確な正解なんて考えていたらキリがない。そう考えたら新井さんが言うように僕達が満足する形のデートをすればいいんだと思う。
「わかった。それじゃあお互いに満足するようなデートになるように僕も頑張ってみるよ」
「そんなに肩に力を入れなくてもいいのに。でもまあ、潮田のそういう真面目で何事にも精いっぱいなところ、結構好きなんだよね。今日もそうだけど、明日からの三連休が楽しみだなあ」
新井さんの言葉的に、本番は明日からで、今日はプレデートみたいなものなんだろう。
「さあ、早速行こうよ。蓮!」
「……うん、瑠音さん」
席から立ち上がり、僕は瑠音さんに手を繋がれて歩き出し、デートのために昇降口に向かった。