最終話
かゆい。
(蚊? どこで?)
まぶたを開けると、空。雲。ビルの輪郭。——いや、レプリカみたいに整いすぎたビル群が無音で並んでいる。
「……あれ? 外?」
昨夜を思い出す。(“世界を滅ぼしてやるぅ〜”って、わりとノリで祈ったな……)
ドン。
背中に微かな衝撃。上空で何かが弾ける。煙。光。——でも、何も効かない。
(あ、そうだ。効かない身体もお願いしてたんだった)
鏡はない。でもわかる。今の私は「女」じゃなくて、怪獣だ。
皮膚は装甲みたいに硬く、息を吸うたび街が震える。
「……うん、怪獣ヒカリ、爆誕」
日本は、一日もかからなかった。
空から落ちるもの、地面から爆ぜるもの、海から向かってくるもの——全部、ぜんぶ、私の皮膚でため息みたいに消える。
アメリカ、ロシアからの核の光も、花火の延長みたいに空で溶けた。
三日。
三日で世界は終わった。
「……呆気なかったねぇ」
私はユーラシア大陸に横たわった。
背中に山脈、頬に海風、脚に砂漠。優雅って言葉がこんなに似合わない状況、ある?
(でも、つまんない)
誰もいない。
勝つ相手も、口喧嘩する相手も、無限パーティも、うるさい通知も、なにもない。
(全知全能って、退屈の別名なんだ)
空が群青に沈む頃、私は目を閉じる。
(前は戻れた。今回も、きっと——)
**「普通に戻る」**って、それだけを願った。
⸻
——翌朝。
ジリリリリリリ!
目覚ましの音が、薄い部屋に跳ねた。
布団。カーテン。天井の染み。現実の私の部屋。
通勤電車の押し合い。自販機のお釣りの鈍い音。会社の入り口の無意味な深いお辞儀。
いつも通り出社して、いつも通り帰宅して、いつも通りゲームして、いつも通り布団に潜る。
(——ただ、違うのは)
夜の静けさが、嘘みたいにやさしい。
指先が勝手に“次の世界”を探して妄想を始めかけて、そこで止まる。
(もう、力はいらない)
(普通に暮らさせて)
そう祈って、目を閉じた。
——翌朝。
目覚ましの音。
世界は、ちゃんと遅刻しそうで、ちゃんと満員で、ちゃんと小さな理不尽で満ちている。
私は、キッチンの安いマグカップを両手で包んだ。
湯気が顔にあたって、まぶたが少しだけ重くなる。
(……これでいい。たぶん、いまは)
窓の外、遠くで救急車が鳴る。
いつかの私なら、たった一言の“願い”で全部を黙らせただろう。
でも、今日はただ、コーヒーにミルクを足すだけにする。
オワリ。
⸻
その日の昼休み。
コンビニでプリンを手に取った瞬間、後ろから男の子が袖を引いた。
「それ、最後のやつ、なんです……」
私は一度だけ迷って、プリンを渡した。
男の子はぺこりと頭を下げる。
レジへ向かいながら、心のどこかがふっと軽くなる。
(ねぇ、神様。こういう“世界の直し方”も、悪くないでしょ)




