第56話「静寂の前夜」
その夜もヒカリは布団の中で、いつものように願った。
世界は平和。私は崇められ、問題は起きない。
――翌朝。
「陛下、執務室へ」
いつもの段取り。いつもの玉座。
大臣たちが並び、朝比奈(秘書)が一歩前へ。
「昨夜の戦闘は沈静化しました。両国とも陛下との会談を希望しています」
ヒカリは片口を上げる。
「そうか。日程は任せるよ、朝比奈」
「かしこまりました」
(よし……やっぱり現実でも“願い”は効く)
そう思ったのも束の間――
「陛下!新たに別地域で衝突が発生!」
「国内では対立デモが拡大!」
「SNSで炎上――相互に殺害予告が……」
報告は“平和”の穴を、違う場所から次々と貫いてくる。
その日も、その翌日も、そのまた翌日も。
ヒカリが夜に塞いだ亀裂は、朝には別の場所で口を開けていた。
(モグラ叩き……? 世界規模の)
彼女は願いの文言を何度も修正した。
「世界は平和」「武器は沈む」「憎悪は消える」「私を崇めよ、争うな」
結果は同じ。
“止まったふり”をして、憎しみは地下で熱を溜め、形を変えて噴き出す。
玉座の前で、罵り合う請願団体。
「陛下は言論の自由を守れ!」「いや、あの連中を規制しろ!」
両陣営が“正義”の名札を握りしめ、互いの喉元に突き付ける。
(正義、って、どうしてこんなに増えるの?)
執務後、控室の窓辺で、ヒカリは沈む陽を見ていた。
赤く染まる街。祝祭と怒号とサイレンが遠くで重なる。
朝比奈が温かいお茶を置く。
「陛下、本日の会談はすべて滞りなく。……ただ、夜間に過激派の集会予定が」
「……よきに計らえ」
言いながら、自分でわかる。
この言葉は、もう“魔法の鍵”じゃない。
(私の“願い”は、世界の表面を撫でているだけ。
心の底で燃える火は、誰も消せない――私ですら)
夜。
ヒカリは寝室で、王冠を外した。
鏡の中の自分は、国王で、勇者で、魔王で、配信者で――ただの女でもある。
(ねぇ、人間って、どうしてこんなにうるさいの?)
叫び、祈り、罵声、歓声、通知音。
勝利宣言と追悼スピーチ。
交渉、裏切り、正義、復讐、正論、暴論。
どれも、止まらない。
(静かにして)
ふっと、胸の奥に、冷たい言葉が沈んだ。
もし――世界が静かなら。
もし――誰も武器を取らず、口も手も、憎しみも動かないなら。
もし――音そのものが、消えたなら。
ヒカリはベッドに潜り、薄い笑みを浮かべた。
やさしさでも、理想でもない。
(わかった。今夜は“平和”なんて願わない)
まぶたが落ちる。
都市のざわめきが、毛布の向こう側へ遠のいていく。
「……おやすみ」




